管理人: 2009年1月アーカイブ

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 金沢の旅では疲労困憊。
 へとへとで飛び乗ったのが「特急はくたか」である。
 駅員の方が指定席の方がいいというので、従い、その車両にのったら座席を4人がけにして散らかし放題にしている男性がいる。
 なんだ? と思ったら、車両番号は同じでも別車両だった。
 わびを言って、前の車両に向かったのだが、この男変じゃないだろうか?
 地方の特急に行くと、いきなり4人対面席にしてしまって、寝てしまうだらしないヤカラがいる。
 たぶんいつも空いているのがわかっているのだろうけど、やはり良識を逸脱している。
 ついでにつけ加えると、12月の伯備線下り「出雲」は思ったよりも混んでいたのだ。
 二人連れの客が一緒に座れないと困っていたのに、そのまま4人がけで駅弁を食っていたヤツがいて駅員は何も言わないで通り過ぎてしまった。
 空いているかもしれないが4人対面にして座るやつは馬鹿者である。
 ボクはそう思うけどな。

 やっと席についたら駅弁を売りに来た。
「何がありますか?」
 というと「ますのすし」に幕の内弁当だという。
 ボクは基本的に白いご飯が好きなので幕の内にする。
 値段1100円は高いなと思うが、幕の内的に豪華なんだろうと期待する。
 これが大失敗だったのだ。
 中をあけるとぜんぜん幕の内ではない。
 「はくたか」にのった初っぱなにイヤなことがあって、それでこれかよ。
 ますます不愉快になる。
 責任者出てこい。
 これは決して幕の内ではない。
 牛肉弁当とすべきだ。
 幕の内の基本は俵型に型押しした白いご飯に黒ごま、そこにちまちまとおかずというもの。
 目の前にあるのはまったく別物ではないか?
 だいたい牛肉はともかくタレに酸味があるのだ。
 おかずだって、牛肉がまずいのだからどうしようもない。
 甘いもの、酢の物、奈良漬け。
 牛肉の上にはジャガイモにニンジン。
 ボクがいちばん嫌いなタイプの弁当なのである。
 最初から、牛肉弁当を考えて買ったなら、それほどダメな駅弁でもないだろう。
 しかし、「幕の内弁当」と思いこんで、これを買ったならもうダメだ。
 ダメすぎる!

 北陸本線はJR東海なのだろうか?
 これを絶対に幕の内として売らないように、迷惑極まりない。

2008年11月14日
大友楼
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 ときどき閃くことがある。
「こんなものあったらうまいだろうなー」
 なんてね。
 最近専用の麺を打つようになって、『さくら』の焼きそばは並ではない。
 むしろ特上の、しかも値段からして最上の喜ばしいものとなっている。
 でもボクは焼きそば自体があんまり好きじゃない。
 『さくら』のはゆで麺を豚肉野菜などと「炒める」焼きそば。

 どんなにうまいものでも、焼きそばの持つ、ベトっとしたところがいやなのだ。
 それじゃ、焼きそばにラーメンスープをそそいだらどうだろう?
 このベトベト感(これが大好きという人がいっぱいいる)、もたもたしたところが解消されるではないか?

 まささんにお願いして、懇願して作って頂いた。
「そんな面倒くさいものやれって、手間がかかりすぎだよ」
 まささん、いやいやながら超太麺をゆで鍋に放り込む。
 まことに「いつもすまないねーーーー」。

 さて、超太麺で野菜には焦げ目が入っている。
 ラーメンスープの中で適度に麺がほぐれていて、もたもた感は明らかに解消されている。
 焼きそばをスープと一緒にすする。
「ああああああああああ、のあああ」
 官能的な旨さが、ボクの脳髄に突き上げてくる。
「うますぎる」
 ときどきあまりに幸福感が強いと「いけないことをしてしまった」ような罪悪感を感じる。

 どうしてこんなにうまいのだろう?
 たぶん塩味と胡麻油のからんだ焼きそばとラーメンスープが接触する。
 スープ自体もうまいのだけど、焼きそばの香ばしい風味・塩味と混合して新しい旨さを作り出しているのだ。
 焼きそばはいつも多すぎる、食べきれないなんて持てあますが、焼きそばラーメンは「もっともっと欲しいの。だめ? だめだめ??」なんて訴えてしまいそうだ。
「まささん、もういっぱい作ってくれ!!」
 スープの最後の一滴まで飲み干して、まだ食べたい。
 こまったこまった新メニュー(?)なのだ。

八王子の市場に関しては
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砂糖醤油で味つけした卵焼きの基本はけっして混ぜすぎないこと、白身の層がくっきり出るくらいがうまい

 1974年、東京に出てきて一人暮らしを始める。
 江戸川区小岩というところに住み、たまに定食屋に入っていたのだけど、そこで食べた卵焼きに強い衝撃を覚える。
 おかずは皿にのったのを自分でとるという形式。
 陳列ケースに黄色くない、むしろ黒っぽい卵焼きを発見する。
 卵焼きなのは一目瞭然、脇に大根おろしというのも目新しかったのである。
 これが面と向かって東京風(下町風?)醤油砂糖味の卵焼きを食べた初めだった。
 うまいのか、まずいのかという以前に驚くべき味だった。
 卵焼きは醤油で塩辛く、それ以上に砂糖で甘すぎる。
 いけないものを食べているような後ろめたさを感じながら、その濃厚な卵焼きに、東京の持つ大胆さ、もしくは野暮ったさを感じてしまう。
 東京というのは料理に関しては野暮ったくて、粗野なのだと確信したのは、この卵焼きと、真っ黒な汁の立ち食いそばのせいである。

 醤油砂糖味の濃厚な卵焼きは、現在にも生きる東京の「むかしの味」なのだ。
 池波正太郎と殿山泰司の本に、東京風の卵焼きの作り方が詳しく載っているが基本的には同じ。
 卵に醤油と砂糖をたっぷり放り込んで、くるくる巻き巻き香ばしく焼く。
 殿山泰司が子供の頃に自ら作る卵焼きなど、「これでもか」というほどに砂糖を「ぶっこんで」いたのだ。

 この醤油砂糖味の卵焼きを久しぶりに作ってみる。
 醤油には大量のアミノ酸が醸し出されている。
 そして卵にも必須アミノ酸をはじめ甘み、旨味が備わっている。
 これだけでも濃厚なところに砂糖が来るわけだから、フォアグラの上にアンキモをのせて、その上からフグの白子をのせてしまったような、屋上屋をなすような味になる。
 ちなみに小岩の食堂で食べたような黒い卵焼きは、どうしてもボクには作れない。

 結局どんなに大胆に作っても、醤油甘いだけの卵焼きで、醤油と砂糖で甘辛い重い重い獣めいた味にはならない。
 救いは醤油と卵の焼かれた香ばしさであって、そこには微塵の爽やかさもない。
 これを作るたびに東京の料理の基本形は、野暮ったくて粗野なのだという考えに改めて到達する。

 話はそれるかも知れないが、東京生まれの人に多くみられることに「権威主義の傾向」がある。
 食でも、音楽でも、学校学歴でも、「●●だから上等」とか、「●●でなければ」なんて本気で思っているらしく、田舎ものであるボクにも、ときにそれを押しつけてくる。
 野球の世界にナベツネという老人がいて「野球は巨人」との信念を世間にも強要するがごとき振る舞いをしている。
 この老人は明らかに東京的権威主義の典型だと重う。
 例えば「セリーグ」、「パリーグ」とあって、パリーグ出身の名監督(落合、野村)がいて、たぶん監督としての能力は今現在頂点だろうのに、MBCの監督にはしないといったことをやる。
 権威主義的に赦せないから、あえて無能な監督を選出するごときこともやる。
 考えてみると現代のスポーツ界に爽やかさは微塵もなく、あえて言えば汚らしく感じることの方が多い。
 もしも巨人軍が優勝したら銭金で買ったものだし、オリンピックの選手を製造するのもお金のなせるわざとなりはてている。
 これら総てが明らかに権威主義のもたらすマイナス面である。

 その野暮ったい、思い込みの激しい江戸文化(東京文化)が作り出したのが江戸前ずしであり、すし玉(すし用の卵焼き)なのだ。
 この、すし屋ならではの卵焼きを築地場内・場外、そして日本橋人形町に探すというのが、ボクの今年の課題だ。

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塩だけで味つけした卵焼き。卵焼きの基本はけっして混ぜすぎないこと、白身の層がくっきり出るくらいがうまい

 最近、卵焼きのことを「調べてはいない」けど、いろいろ思いを巡らし、「卵焼き(玉子焼き)」とは「なんぞや」なんて考えているのだ。
 なぜなら、すしの世界に卵焼きは欠かせないもので、半世紀以上生きているが「卵焼きのないすし屋」には出合っていない。
 すしを調べていく限り、卵焼きは避けては通れない品目なのだ。

 卵焼きのことを考えると思いは遙か子供の頃にまで遡る。
 ボクの生まれ故郷は徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)というところ。
 徳島市から徳島本線で一時間以上、急行に乗っても50分もかかる。
 吉野川べりの小さな古い町だ。
 高校時代、二駅汽車(ディーゼルカー)に乗り、典型的落ちこぼれ高校に通っていた。
 給食はなかったので弁当を持っていくのだけど、おかずは毎日同じ。
 母はボクが小学校に上がる前に死んでしまっているので、作り手は祖母。

 微かに変化があったのかも知れない。
 でも基本は動かず赤いウインナーソーセージと卵焼きだった。
 長方形の当時流行ったブック型弁当箱、おかずは弁当箱内に収納するこれまた「長方形のフタをぱちんと留める小箱」であって、弁当容器の3分の1ほどがおかず、3分の2がご飯だった。
 弁当箱の側面にかっこよくスライド式に収納するスマートな箸箱がついている。
 ふたは教室でお茶(酸味のある阿波番茶)を飲むときに使う。
 ハンカチで包んだ弁当箱の生温かい感触が懐かしい。

 弁当箱を黒い鞄に入れ、一番前のいつもの車両に乗り込む。
 朝の通学時間、池田発の車両内は満席、半数以上が立つという状況だった。
 今でもそうなのだろうか? 帰郷したら希にワンマン・二両編成となった徳島本線にのるがいつもガラガラである。
 話題はいつもギターのことだし、吉田拓郎とか加川良のことで、ボク一人だけサイモンとガーファンクル、PPMに入れあげていて、五つの赤い風船、フォークル以外の日本の音楽はつまらんなんて思っていたのだ。
 黒い鞄に雑誌『ガッツ』、『新譜ジャーナル』なんて忍ばせてた世代だ。
 当時、女子の話題の中心と言ったら西城秀樹に郷ひろみ、ギターを持っていない男子は中三トリオ(山口百恵、森昌子、もうひとりは誰だっけ)。
 我ら1956・1957年生まれが卵焼きが贅沢には思えなかったのは、子供の頃から普通に食べていたからだろう。
 主に好みから卵はご飯にかけるものだったけど、卵焼きに驚喜した記憶はない。

 卵は古代から贅沢、高級なものだった。
 石坂洋次郎の小説『青い山脈』の最初に主人公二人が出合う場面がある。
 そのとき雑貨店の店番六助に米を売りに来た新子が昼ご飯を作るってやるのだけど、その料理というのが目玉焼きだったはず。(映画と小説を混同しているかも)
 卵焼きは、事ほど左様に戦争が終わって、どんどん生活がよくなる、という明るいイメージを醸し出す象徴的な食べ物だったのだ。
 それが高度成長期とともに卵の値段は急速に下落する。
 急速に物価が上昇した時期に、卵だけが値を下げていった(インフレの最中にあっては価格が上がらないということも、下落と同義だ)というのが面白い。(参考/『値段の明治大正昭和風俗史』朝日文庫)
 我々、1950年代中後半生まれは、「卵が高級」であるという思いからは脱した世代だともいえそうだ(地域差はあるだろうけど)。

 そして今回の主役の卵焼きになるのだけど、ボクが幼い頃から慣れ親しんでいたのは塩だけで味つけしたもの。
 ちょっと塩辛いくらいの卵焼きで、白いご飯に相性がよかったのだ。
 それこそ物心ついたときから卵焼きは塩味だけで育ってきたわけで、特に高校三年間は朝昼晩の三連続塩味卵焼きということもあった。
 祖母の育ちは隣町美馬町(現美馬市)の素封家で、代々教師の家だったらしい。
 嫁ぎ先が古い商家であり、この塩味の卵焼きはどちらの料理法なのか判然としない。
 父の実家も隣町美馬町、大規模な農家で、ここには大きな食堂があった。
 ここで食べたのが、卵にほんの少しの砂糖、醤油をチョンと垂らすという代物。
 子供心にも甘い卵焼きだな、と思ったくらいだから砂糖はたっぷり入っていたのかもしれない。

 そう言えば、幼なじみの女の子の家では卵焼きに砂糖が入っていた。
 砂糖が入っている方が高級なのか? という疑問、もしくは確信が沸き上がったことがあった。
 そして記憶をたどっていく。
 ボクの生まれた家の前に金物屋さんがあって、ここにも同級生の女の子がいた。
 我が街は剣山に向かう街道の起点にあたり、江戸時代くらいからの古い街並みが(今でも)続いている。
 例えば、ここに木枯らし紋次郎が歩いていても、それでいいような街道に沿った江戸の街並み。
 その一軒一軒の間口も広いのだけど、奥行きはその何倍もある。
 だから母屋(店舗)があって、奥に食堂(釜屋)があってという造りが多かった。
 前の金物屋の奥にはモダンな感じがする食堂があり、そこでこっそり見たのが黄色くない卵焼きだった気がするのだ。
 これがまことにうまそうな匂い。
 醤油を熱したときに出る、そんな匂いだった。
 もっと卵焼きをじっくり見たいなと思ったのだけど、同級生の母親から、「お昼ご飯を食べてから遊びに来てね」と言われてそそくさと家に逃げ帰ってきたのだ。

 卵焼きにもいろんな作り方があるのだ、というのは当時ボクの大好きだった「きょうの料理」(NHK)でわかってはいた。
 我ながら不思議な子供であった。
 間違いなく学校に上がる前から料理番組が大好きだった。
 「きょうの料理」を見ては料理を作り、また作りというのが楽しかったのだ。
 ある日、(魚肉?)ソーセージを巻いた卵焼きというのをやっていた。
 野菜を巻き込むというのもあったし、炒り卵の存在もそこで知ったのだ。
 子供の頃からとにかく料理を作ることが好きだったので、当然、卵焼きに変化を求めても良かったはずだけど、上京するまで、なぜかガンコにも、なぜか塩以外の卵焼きの道には踏む出せなかったのはどうしてだろう。
 ことほど左様に卵焼きというのは保守的で各家各様のものだ、ともいえる。

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 徳島のうどんと、最近つとに有名な讃岐うどんはまったく別物だ。
 実を言うと、例えば本来の香川のうどんは、徳島うどんとかわらない。
 例えば今はなき宇高連絡船のうどん、高松駅のうどん、このあたりはなんら徳島のうどんと変わらないのだ。
 むしろ近年持てはやされている、腰の強さを重視した讃岐うどんの方が異質。
 異質だけど、うまいために急速に広がっている。
 まさか貞光に讃岐うどんの店が出来るなんて、まさに驚嘆すべきことだ。
 貞光と言っても最近つるぎ町の一部となった小さな町。
 考えてみると、つるぎ町の人口がなんと一万人強。
 なんだ一万人いるじゃないかと思われるかも知れない。
 あにはからんや、この一万人は旧貞光町、半田町、一宇村が合併したもの。
 もっと厳密にいうと、ボクがいうところの貞光には旧貞光町の太田、端山なども含まれていない。
 ちいさなちいさな町としての貞光だ。

 さて『のぶ』のある大須賀というところは、現在でこそバイパスができ、道の駅、警察署、住宅が建ち並ぶなど、それなりに賑やかだが、その昔竹藪だったところだ。
 吉野川に沿い、それはそれは美しいモウソウチクの竹林となっていた。
 そして、近くには焼き場、竹林の南側は「しま」と呼ばれる田園地帯。
 竹林も、しまも幼なじみのツルノとよく走り回り、魚や昆虫を追いかけ回したところだ。

 その道の駅の裏側、曲がりくねった奥に『のぶ』がある。
 外観は「うどん屋」ではなく倉庫にしか見えない。
 ここを紹介してくれたのが幼なじみのツチタニなのであるけど、
「あそこのうどんがいちばんうまいんじゃ」
 とは、まさに思える店構えだ。

 入ると、最近徳島でもよくみられる、丼をとり、麺を入れてもらい、汁を注ぎ、天ぷらなどをのせる形式だ。
 これをセルフうどんというらしい。
 まずはかけうどんに、卵の天ぷらをのせる。
 半熟の卵を揚げてあるのだけど、これはあまりうまいものではない。

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 むしろだしの利いた汁がうまい。
 うどんに適度の腰があり、旨味を感じる。
 やはり、うどん自体にうまさがないと、ダメなんだな、なんてまさにうまいうどんを食いながら思う。
 卵の天ぷらはじゃまだ。
 値段はこれで300円台だったと思う。
 もの足りなかったので、ぶっかけを食べたら、絶品だった。

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 明治橋の飯田食堂に加えて『のぶ』が出来たことで、我が故郷にも外食の喜びが増したように思える。

うどん屋のぶ 徳島県美馬郡つるぎ町貞光字大須賀
つるぎ町
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