B級グルメ・B級食品: 2006年9月アーカイブ

 まず最初にお断り。「ふりかけ」というものが水産加工品なのか、それともインスタントなもしくは手軽なB級食品なのか少々迷ってしまった。それで「ふりかけ」のは高菜漬けや卵なども使われること、また「お茶漬け」との共通点が多い点、また瓶詰め、袋入りが多いことからしてB級食品に含めることとした。
 また「瀬戸風味」を発売している三島食品には「楠苑」という加工食品、とくに「ふりかけ」に関する資料館まであるという。それによると加工食品としての「ふりかけ」の歴史は浅く熊本の「御飯の友」が大正初期を嚆矢としている。そして丸美屋の「是はうまい」が大正14年、広島もやや遅れるが昭和「露営の友」を昭和9年に発売している。

 さて三島食品の「瀬戸風味」のこと。八王子の食品商社である総市商事部にはこのような加工食品に詳しい人材が多い。その古狸に勧められたもの。彼、古狸君は加工食品を扱って40年になるというが、それほど昔からある定番商品であると言う。
 これを持って市場を歩くと、意外に反響があるので驚いた。数名のぼうずコンニャク同年輩とおぼしきオヤジが「これ懐かしいな。子供の頃から(実際に何年頃かわからないらしい)あったんだよね。昔の母親の手抜きってヤツ」とか「これのりたまより好きだ」という寿司屋まで千差万別。
 発売もとの三島食品は創業は1949年と新しいが「ふりかけ」では老舗であるという。
 さて、さっそく残りご飯を解凍してサラリパラリと振りかけて、ぐぁっしいいと一気に食ってみる。香ばしいかつお節、海苔の風味、これはうまい。そして食卓に置いておくと1瓶が4日くらいでなくなっている。これは子供達にも好評であるということだ。
 さて、この瀬戸風味、ぼうずコンニャクの子供時代は見ていない。でも地元広島では有名なんだろう。

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三島食品
http://www.mishima.co.jp/

 市場仲間のスーパーに行ったとき、惣菜や加工品の棚に懐かしい「マルシンハンバーグ」の文字を見つけた。「これまだ売っているんだな」と店主に聞くと、「これは今でもよく売れるんだよ」という。じゃあ2,3個買って帰ろうかなと聞くとなんと「売り切れ」だった。
 この店で気がついたのはマルシンハンバーグを肉やハムなどのコーナーではなく、魚肉ソーセージや惣菜のコーナーに置かれていたこと。そして市場で探すと、やはり肉関係の店にはなくて塩干、惣菜などを置く仲買の店にあったのである。

「不思議だな。肉製品でも惣菜関係で流通するのと、明らかに食肉関係の店で流通するのがあるんだね」
 こんなことに感心していたら、
「バカだな、塩干・惣菜を売る店ではね。加工品はなんでも扱うわけよ。逆に生鮮品は扱わない。それにマルシンフーズは餃子もあるし、どう見ても惣菜メーカーなんだよ」
 仲卸なので1箱(10個入り)単位である。卸値からすると1個100円前後となる。そして翌日1箱持ち帰り、箱から出てきたのが昔ながらの紙(?)で包装されたもの。この紙に印刷された「みみちゃん」というのも懐かしいな。

 マルシンハンバーグを初めて買ったのはもう30年以上前のこと。世田谷駒沢交差点そばの西友で姉と買ったんだった。
 上京してきて三軒茶屋で机や椅子、洗面器、箒などを買って、弦巻の四畳半一間のアパートがやっと住まいらしくなった。鍋釜、食器などは実家から届いていて、気が付くと夕方近い。そして本当に初めての自炊というときに出くわしたのが「マルシンハンバーグ」なのだ。
 初めての食料品の買い出しというのは思った以上に大変なもの。姉が付いてきてくれたとはいえ、想像以上の大荷物となってしまった。そこに姉がこれは便利だからと言って2つ薄いビニール袋にいれてカゴに入れた。そう言えばこの薄いビニール(?)の袋に自分で野菜などを入れるというのもこのときが初めて経験した。

 このマルシンハンバーグ、袋から取り出すと表面に白くラードがへばりついている。フライパンを熱すると油を引かないでそのまま焼ける便利なものなのだ。ご飯を炊いて、後はマルシンハンバーグを焼くだけという簡単な食事が18歳、一人暮らし一年目の定番になったのは言うまでもない。当時いくらだったのだろう? これで夕食というのが少し贅沢な気がしていたのだ。

 さて、ほぼ20年以上食べていなかった、マルシンハンバーグだが、思った以上にうまいのだ。豚鶏牛と3種類の肉が混ぜ合わせてある。そこに工夫があるのだろうか、焼き上がりが軟らかく、子供達にも人気上々。遅く帰ってきた一人っきりのお父さんの夕食にもぴったりかも。
 昔はこれにソースをかけて食べていた。太郎はケチャップを山盛りにしている。そう言えば、これに醤油をかけていたヤツがいたな。アイツどうしているんだろう?

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マルシンフーズ
http://www.marushin-foods.co.jp/
●これは一部書き直して「お魚三昧日記」から移したもの。コメントいただいた方のはごめん、ごめん

 2005年9月に新潟に行った。しかも日帰りで行ったのである。その上、ぼうずコンニャクの旅は忙しくて、全開で動き回るのだ。いっさいの行楽気分はなく、あるのは探求心だけである。そんな新潟の旅の帰り道に立ち寄ったのが信濃大町市アップルランドというスーパー。このスーパー、なかなか凄い。私、へそ曲がりオヤジが見ても凄いのだからいい店舗としかいいようがない。「こんな店舗を作るやつあーやるじゃネーか」と感心しながら、帰宅した後の算段をする。夕食をどこかで食べるために熟睡している子供達を起こすよりも、食べ物を買って帰った方がいい。
 そこで見つけたのがこのラーメンとソバ。カップに麺と具、そしてスープが入っている。すなわち慌ただしくハードな日に食器も汚さないでそれこそ「お手軽」に食べられる。そして、このそばもラーメンもうまかったのだ。カップに麺を入れて熱湯を注ぐ。そして湯を切り、こんどは液体スープを入れてまた熱湯を注ぎ具を入れて出来上がり。この間3分もかからない。それでいて、充分にうまい。子供なんか「すっげえうまい」なんて過剰に感激している。本当にお手軽で味がいい。とてもお湯をかけるだけとは思えない。
 このうまさはどうも味造りのセンスのあるメーカーによると思われる。長野県茅野市の『原田製麺』えらい。

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原田製麺 長野県茅野市米沢植原田36 フリー0120-27-2442
『お手軽そば』239円、『お手軽ラーメン』281円(2005年)

 チキンラーメンは1958年に安藤百福が発明し発売した。当初は箱に入っていたらしいのだが、この箱入チキンラーメンの記憶はない。また日清食品のサイトから見る限り、どうも昭和42(1967年)のものにある子供の絵に記憶があり、初めて食べたのはこの時期かも知れない。とすると小学5年生だったことになる。ただどうも袋の記憶よりもかなり前に初めてのチキンラーメンを作った記憶がある。貞光という町に初めてスーパーが出来たのはいつ頃のことだろう。そのときは町中の人が、そのマルサンというスーパーに集まった感がある。ボクも兄や姉に連れられてお小遣いをもらっていったのだ。そのときに子供の間で話題になったのが白いマジックというもの。当時はマジックというと「黒」という概念があって、なぜなんだかそれが欲しくてたまらなかった。そのスーパーの開店と時期を同じくしていろんなお菓子やインスタント食品がボクたちの暮らしになだれ込んできた。
●マジックインキが寺西化学工業所から発売されたのが1953年のこと

 ということでチキンラーメンを初めて食べたのは何時の日か? それは曖昧なのだけれど、その光景ははっきり記憶している。誰が買ってきたのだろう? チキンラーメンの袋があり、作り方を兄が読んでいる(この光景は今での我が家で繰り返されている)。袋の説明には丼に麺を入れて、お湯を注ぐ、上から皿などでフタをして3分待つとあったはず。この記憶からすると明らかに小学校の低学年、兄は5〜6年生の頃、1965年以前となる。

 ここで「ラーメン」の話。私が初めてラーメンを食べたのは生まれ育った貞光町南町の食堂だった。片田舎なのに葉たばこの集散地であり、うだつの上がる家並み、商店街が形成されていた貞光町。その一部落であった南町という小さな部落でも食堂は3軒あり、「田岡食堂」と、確か「みどり屋」という屋号の食堂。あとの一軒はお好み焼き屋であったようなのだが食堂も兼ねていた。この屋号が思い出せない。たぶん、「みどり家」がラーメンを初めて食べた店である。ここで初めてコショウの辛さを体験した気がする。そんな鄙には珍しいラーメンが家庭でも楽しめる。これは子供心にも事件だったはず。

 我が子供のときに過ごした家の食堂は古く、まさに江戸時代の様を残していた。おおよそ10畳くらいの空間の土間。板間があり、その板間から畳の食事をとる空間がある。そして土間の南に水を扱える流し。味噌など入れる納戸がある。そして北側にはレンガで組んだ土台上にガス台。ガスはいつの頃からあったのだろう。家の外には九度があり、早朝のお湯や蒸しものはそこでやっていたのだ。
 そのガス台でお湯を沸かしている。丼を探して兄とチキンラーメンを入れる。困ったのはフタである。チキンラーメンの説明書には皿などでフタをしろと書いてある。でもちょうどいい皿がないのだ。余談だがこの時代にはラップなんてものはなかった。我が家にあった皿は総て輪花であり縁がでこぼこしている。丼にチキンラーメンの揚げた麺のかたまりを入れて、熱湯を注いでも隣花の皿を乗せた。でもこれだとしっかりフタにならない。また子供なので沸騰していたのかも疑わしい。
 結局出来上がったものは麺がもどっていない上に、お湯の量も多すぎたのだろう。とても食べられたものではなかった。以後、ずーっと「チキンラーメン=まずい」と思いこんでしまって食べなかった。チキンラーメンを食べないでいたのにはエースコックのワンタン麺(1963年発売)や明星食品のチャルメラ(1966年)などが発売されたのも大きな原因。これらのインスタントラーメンは鍋で作るので失敗することがまずない上に子供心にもうまいものだった。

 チキンラーメンを初めて食べて、失敗したせいかとてもまずくて、敬遠していつの間にか40年近くたっている。そんな昨年、娘がチキンラーメンを買ってきた。作って食べているので、ついでに作ってもらった。そして食べたのだが、結局個人的にはこの味つけが嫌いだということを気づくだけとなった。もうたぶん二度と食べようとは思わないだろう?

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http://www.chikinramen.com/island.html

 静岡のおでんというと駄菓子屋などで売れている真っ黒な汁のもの。これが実際に探そうと思うとなかなか見つからない。これをまた食べてみたいと思うようになって6年近い月日が流れている。
 初めて食べたのは20年ほど前、藤枝市だと思う。焼津から島田市に戻ろうとしてカーナビのない時代であったので迷いに迷って疲れ果て飲み物を買おうとして入った店にあった。ちなみにそのとき非常に空腹だったのだ。なにしろコンビニがどこでもあるようになったのはそんなに昔のことではない。せいぜいここ10年くらいのことであり、ちょっと腹が減ったと思ったら食堂に入るしかない。そんなとき目の前におでんがあったらどうするか? 当然のごとくいっぱい食って、午後3時過ぎだというのにお腹パンパンに膨らみ、島田市の名店「かに柳」の料理もさすがにあまり入らなかったのを覚えている。
 さつまあげ、黒はんぺん、卵に牛筋、みなうまかった。これでビールでもあればなといっても駄菓子屋のことで、あるのはコーラとかジュースだけ。考えてみると当時は缶入りのお茶も、当然だがペットの飲み物もなかったのだ。それから月日が経ち6年ほど前から静岡でのイルカ料理を探している。そんなときに「静岡では昔はおでんにイルカが入ってました」といったことを沼津の市場関係者から聞いた。それはどんな味なんだろうと食べてみたいと常々思っているのだが果たせないでいる。
●静岡のおでんで今でもイルカの入っているのを知っている方はご連絡いただきたい。
 さてそんなときに三島市三島駅そばのセブンイレブンで見つけたのがこれである。缶ビールほどの缶に辛子がぶら下がっている。珍しいなと思って、買ってしまった。
 これがなかなか静岡おでんの味わいをよく再現していてうまいのである。真っ黒な汁、出しの味わいに牛筋の旨味がよく引き出されている。中身は黒はんぺん、さつま揚げ、なると、糸コンニャク、牛筋と煮汁がよくしみてうまいではないか? これなど遅く帰ったお父さんが寂しく酒を飲むのにもってこいだ。
 世の中の家族に捨てられたオヤジはみな一人寂しく「静岡おでん」を食べたらどうだろう。このときやるのは合成酒のワンカップ。煮汁も人生も、そして行く末もみんな真っ黒という統一感があっていいではないか!

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静岡おでんのことは
http://www.at-s.com/html/gourmet/oden/index_b.html

 愛知を旅していて、必ず見かけるものに「寿がきや」の麺類がある。生タイプ、乾麺タイプのみそ煮込みうどん。うどんの汁や、ラーメン、まず愛知県内のスーパーに入って「寿がきや」の食料品を見ないで出ることは不可能だろう?
 その「寿がきや」のものは生、乾麺タイプの「みそ煮込みうどん」を買って帰ってきた。乾麺タイプは少し躊躇したのだけれど、これまたスーパーで食料品を見るのが好きだという、うなたろう君が「学校から帰ってときどき食べるんです」という言葉に惹かれて5個も買ってきたのだ。1個100円というのもお手軽な旅の土産である。
 ちなみに、ぼうずコンニャクのお土産はご当地系スーパーで調達したいと思っているのだ! 大手スーパーに負けないでがんばって欲しいな土着のスーパーさん。
 さて、この乾麺タイプのみそ煮込みうどんの味がなかなかよろしい。同時に生麺の「みそ煮込みうどん 八丁味噌」と比べてもなかなかよくできている。乾麺、しかも粉末スープ(生の八丁みそを加えるとなおうまいという情報をいただいた)なのに愛知の豆味噌、その渋みがよく再現されているし、なにより麺のシコシコ感がいい。今回はネギを薬味に生卵を落とした。ネギは忘れても生卵は必須アイテムである。腹減りオヤジの寂しい午後に、しか〜し、うまいなコレ。
 恐るべし「名古屋の味」、恐るべし「寿がきや」である。
 最後につけ加えるに「台湾ラーメン」が名古屋ならではの味であるというのを知らなかった。市内で食べるのは無理としても、生麺タイプがスーパーにあったはずなのだ。次回は「台湾ラーメン」にトライするのだ。

写真は我が娘が作ってくれたもの。ラーメン丼はないだろう。我が娘、もっと教育しなければ

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寿がきや食品
http://www.sugakiya.co.jp/
●「お魚三昧日記」からやむおえず移動しました。コメントをいただいた方は申し訳ない

 市場にはときどき場違いなものを売っているときがある。まああまり売れなくて吹きだまってきたものもあるだろうし、また地味だが永遠と売れているもの。隠れたベストセラーというのもある。でもこれはないだろう? とビックリしたのがビンからペットに変身したコカ・コーラのドクターペッパーである。
 初めてお目にかかったのは上京してからだから1975年以降のこと。どうも西日本には売っていなくて東京と沖縄だけで売られてたらしい。同じクラスになぜかこればっかり飲むヤツがいたのだ。驚いたことに、その当時、お茶の水界隈にこれが売られていた。ソヤツ、「煙草をのむならゴロワーズ、炭酸ならドクターペッパー」なんて気取ったことを言っていたな。言っていることと外見がコイツくらい釣り合わないのも珍しい。つられて買っては見たものの一口飲んで持てあましてしまった。耐えられないのはサクランボのような、でも気持ち悪い香りである。
 そのドクターペッパーを30年振りに飲んだのだが、やはりこの香り、風味だけはダメなのだ。

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 あんかけスパゲッティというと「ヨコイ」だと思いこんでいたら、愛知県豊川市のスーパー「かねだい」でもう一種類見つけた。それがヤマニフーズのもの。そして実際に食べてみたら「ヨコイ」のものとそっくりである。これは「ヨコイ」が先なのか、ヤマニフーズが先なのか、あんかけスパゲッティの元祖はどちらなのかわからなくなる。
 値段も「ヨコイ」とほとんど同じ。また「チャオ」というのが名古屋らしい響きに感じられるのはどうしてだろう?
 味わいは「ヨコイ」のものとあまり変わらない。トマト味といっても酸味は薄く、和風出汁のような旨味が感じられる。このあんの味わいの茫洋としたところ、なんとも表現のしようがない。我が家族もそうであるが明確なトマトソースの酸味を予想すると失望するが、「未知の味覚に挑戦するのだ」と思うと意外に感動できるかも。ただしワンパックが多すぎて少々持てあます。
 さて愛知県でのあんかけスパゲッティ、もっともっと店も製品も多いのかも?

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ヤマニフーズ
http://bb.bidders.co.jp/yamani-f/

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