定食・食堂・料理屋: 2006年7月アーカイブ

 木更津街巡りはあまり収穫らしいものがなく、残念であった。「木更津銀座」なんてあってもシャッターを閉めている店が多く。駅から港へ伸びる道路も寂しかった。木更津で面白かったのはむしろモルタルの古い建物と小さな映画館。考えてみると俳優の中尾彬や高橋英樹なども木更津出身だったはず。映画館が多いのとなにか関係があるんだろうか?
 そんな街を回っていて見つけたのが『木村屋食堂』。暖簾に中華そばとあり、中華・洋食の古い形態の食堂に違いない。

 入って2人席を占めると後から、後から客が入ってくる。そして奥の品書きを見ると、すごいのだ。オムライスやカレーからラーメン、餃子もある。迷いに迷って串カツ定食に決めた。決めた途端に公開した。考えてみると「ワシは串カツがあんまり好きではない」というのを思い出したのだ。だいたい中に玉ねぎやネギ、ときにピーマンなどが挟まっているが、これがためにボリューム感に欠ける。バカだな、オムライスにラーメンなんてのもありだし、カツ丼だってあったのに。
 その期待しないで待っていた串カツ定食がうまかったのだ。かりっと香ばしい香り、そして適度な揚げ加減。豚肉からもじわりと旨味が滲み出してくる。脇のサラダもたっぷり、みそ汁もいいし、お新香、細切り昆布の佃煮もいい。
 このタイプの洋食もの(カツやコロッケなど)定食でいちばん好ましいといった模範的なもの。こんな食堂があるだけで木更津に来て良かったと思う。
 話はそれるが、だいたい今時の懲りすぎた店は嫌いだ。外観ばかりに凝ってろくなものを食わせない。それに反してなんと『木村屋食堂』の好ましき佇まいであることか? こんどはオムライスと中華そばを食べることに決めたのだ!

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木村屋食堂 千葉県木更津市富士見2丁目1-6

 いつも前を通るたびに入ってみたいと思う店ってあるだろう。そのひとつが飯田橋の『まさみ』であった。そしてやっと食事時に前を通りかかり暖簾をくぐる。しかし年をとっても初めての店に入るのは緊張する。と入った途端に「いらっしゃい」と可愛らしい女性のここちよい声。これを聞いて気分がほっとする。
 思った以上に店内は狭い。正面に4、5人座れそうなカウンター、左手にテーブルが4つ置かれている。カウンターの右手が厨房である。厨房からのやりとりから家族でやっていますという雰囲気が伝わってくる。
 梅雨が明けたか? と疑いたくなるほど青い青い空が広がり、炎暑となっている。ほんの十数分歩いただけなのに、ポロシャツから汗が染み出してくるほどである。思わず、ビールを飲みたくなるが、ぐっと我慢。たっぷりと仕事が待ち受けているのだ。

 品書きを見ると野菜炒めなどの中華が中心となっていて、これに加えてしらすおろしや冷や奴がある。またカツ丼があるが豚カツ定食はない。考えた末に初めてなので本日の定食(600円)にしてご飯は大盛り、ついでに冷や奴。全部で820円也で、腹ぺことはいえ少し贅沢だ。
 待つほどもなく、やってきたものにビックリ。まずご飯を大盛りにしたのが大失敗。この店、どうやら並でもかなりの「盛り」であるようだ。そしてナスと挽肉を炒めたものもたっぷり皿から盛り上がって見える。いきなり並んだ定食にムクムクと闘争心が湧いてくる。
 まずみそ汁をひとすすり、やや塩辛いみそ汁が炎熱地獄を歩いて、びっしょりと汗をかいた身に染みる。そこにナスを挽肉のあんにからめてムハっと口に持っていく。「おー、うまい」。なかなか地味な店構えに反比例して、うまい・うまーい。それをたっぷりご飯にのせてワシワシと口にかき込む。「あ!」心地よく、これが食道を下っていく、下っていく、そして収縮した胃にどんどん吸い込まれていく。幸せいっぱいな気分で、また汗がどばっと噴いてくるが、これはオヤジだから仕方ないのだ。合いの手の冷や奴、キュウリもいいな。そしてナスがあらかたなくなって最後は生卵で超大盛りご飯の制覇をなしとげることができた。ほっと一息ついて、お腹のあたりから名状しがたい満足感が浮き上がってくる。いい昼飯だ。

 神保町から西神田もしくは九段下からグランドパレスを経て飯田橋というのはお気に入りの無駄歩きコース。もうこの店の前も何十回(百回以上かな)も通っているはず、そのつど気になって20年近い年月になる。猛暑のなか、日本橋川を渡りながら「うまそうな店だと思ったら、とにかくすぐに入って食ってみるべし」と肝に銘じたのだ。

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まさみ 東京都千代田区飯田橋2丁目3-1

 山梨に行くとする。塩山だったり、勝沼だったり。ここでいつも困ってしまうのが、どこでお昼ご飯を食べるかということ。山梨名物といえば「ほうとう」なのだが、麺類では寂しいなと思いながら20号線を下っていく。ときには町々を見て歩き、また食堂らしきものがあるとクルマを止めてみる。それでもなかなか魅力的な食堂が見つからない。
 結局、もうすぐ大月というところで見つけたのが「いなだや」。「いなだや」は20号線が急カーブを切るその湾曲に立っている。民宿も兼ねているようで、釣り客にでも利用されているのだろう。

 どうして「いなだや」にクルマを止めたかというと、その簡素な作りにある。右手が食堂、左手が居酒屋であるようだ。中にはいると昼間から小上がりで酒を飲んでいるグループがいる。またボクの後からすぐに入ってきたのが、この辺りを営業で回っているらしきサラリーマン。
 ここで食べたのが豚カツ定食850円である。となりに味噌カツ定食800円というのがあって惹かれるところ大であったが、まあ味噌カツは名古屋に限るな、と思って豚カツにする。
 さて、運ばれて来たのはいたって普通の豚カツ定食。豚カツの大きさも普通なら、千切りキャベツも程良い山加減。豚カツの柔らかさからすると850円は山国なら安いし、みそ汁はシジミで薬味が三つ葉。お新香は寂しいのが残念だが、いい昼ご飯だったかな。

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大月 いなだや
山梨県大月市大月町真木2823

 高円寺はときどき歩く町。ときどきといっても1年に1度か2年に1度。新高円寺から「高円寺ルック」を抜けて古本屋に引っかかりながら北上し、そして中央線高円寺駅にたどりつく。この少ない高円寺歩きで、なんどか夕食を食べているのが『富士川食堂』である。この店、とにかく安い。定食のほとんどが400円台。冷や奴と組み合わせても500円でおつりがくる。

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 さて、まず高円寺にあって下町気分が味わえるのが「高円寺ルック」。この道を北上して、そろそろ駅に近いなと思ったら右手に広い道、左手に狭いが飲食店の多い道の十字路に行き着く。ここを左手に折れてすぐにあるのが『富士川食堂』である。正面に大きく「食事処」とあり明らかに食堂なのであるが、なぜか造りは喫茶店なのである。入るとL字型のカウンターがある。そしてLの左と下側が客席。内側が厨房となっている。その厨房の背面に膨大な量のメニューがある。このなかでいちばん高いのがエビの天ぷらだろうか、定食で570円、他は総て400円前後だと思われる。今回、この壁の品書きに対面するに頭がクラクラして思考がとまってしまった。それで思わず、「コロッケ定食400円」あと「冷や奴50円」にしてしまった。どうせならエビ天ぷらにすればよかったのだ。
 そして厨房のふたり、たぶんご夫婦かな? 手際よく、てきぱきと役割をこなして、ほどなく定食が前に。
 この定食の味があなどれないのだ。コロッケは手作りだろうか? 判然としないがなかな味がいい。つけ合わせのナポリタンもキャベツのせん切りもほどよい量であるし、ここにルビーグレープフルーツの6分の1カット。冷や奴は3分の1かな、ここに血合いありながら香りの高いかつお節、ネギにショウガ。ご飯もふっくらとうまいし、白菜と油揚げのみそ汁も作り置きではないようだ。

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 市場がよいを始めてはや20年、流通の裏側を少し知るようになってきた。そこから鑑みても、この組み合わせで500円以下では、どうにも安すぎて「間尺に合わない」だろうと思う。

 朝ご飯を食べてから昼食抜きで、今、夕方の5時過ぎである。かなりの飢餓状態をここに癒すことが出来て、しかも支払は500円でおつりがきた。『富士川食堂』には感謝なのだ。

 蛇足だが、高円寺が住宅地として開発されたのは、大正から昭和のこと。隣町の阿佐ヶ谷、荻窪とともに小説家や画家などが多数暮らすところとして有名であった。上林暁の小説にもしばしば高円寺の飲み屋が登場するし、林房雄は住んでいたはずだ。また大学教授やサラリーマンなどの知的職業のひとたちが住むとともに、若者たちの街でもある。当然、この街の食堂は下町の食堂とは趣が違っている。例えばこの『富士川食堂』にしても、どこか若者が安いから通ってくる。そんな青春の臭いがする。これが下町の食堂ではまったく違っている。そこは明らかに生活の場であり、言うなればオヤジの生命線とでも言えそうな重さがある。ボクもそろそろ人生の重みに潰されてしまいそうな年頃となってきた。そしてどうにもこの高円寺の居心地が悪いのだ。

富士川食堂 東京都杉並区高円寺南3丁目46-2

 早く用事を済ませてしまって、今日も無駄歩き、これがいちばん楽しみなのだけど、この時間をあけるのが至難。今回の押上散歩もほんの1時間だけと限っての決行。押上といっても東京ローカルな地、山手線から西に住んでいると知らない人の方が多いだろう。そんな押上に新東京タワーが出来るんだというのを新聞で読んでから一度行ってみたいと思っていた。
 それで半蔵門線に乗り込み、深々と暗い隅田川を越えて押上に至る。ここには東武、京成電車の本社があり下町の起点と言ったところ。長いエスカレータを地下から地上に出るとがらんとした空き地。ここに東京タワーが出来るんだろうか?
 駅前にはパン屋のサンエトワール、am-pmがあり、今時のやたらに短いスカートの女子高生がたむろしている。そして駅から押上通り商店街に出て散策。
 押上は裏通りを歩いていると面白そうな店や小さな作業場があってそれなりに情緒があるのだがメインの四ツ目通りの方が寂しい。その四ツ目通りにあるのが「押上通り商店街」である。なぜかここには時間が何十年も前から止まってしまったような店が多い。四ツ目通りに出て角にあるのが「伊勢元百貨店」。百貨店とあるが、いたって普通の荒物屋であるし、「斉藤洋品店」の「洋品店」というのも今時、古い商店街でしか見かけない。押上通り商店街のこの寂れ方もなんだか懐かしい光景で、ふと我を忘れてしまう。

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 さて、この商店街を歩いていて見つけたのが「押上食堂」である。大振りの紺のれん、その左に縦組みで「大衆」とあるのがなんとも惹かれるところ。見つけたのは道の反対側なのだけど大急ぎで信号を渡って店の前まできた。この歩道のアーケード下にカンバンがあって、ここに「東京都指定食堂 押上食堂」とある。この「東京都指定食堂」というのは、また後日、詳しく書いていくつもりだが、戦後の混乱期の「外食券食堂」が起源となっているようだ。当然、「押上食堂」の創業も古いと言うこと。

 さて、紺の暖簾をくぐると思ったよりも狭い店内。左右にカウンター、中央にテーブル、置くにずらりとおかずが並ぶ。定食はないようだ。
「好きなものを取ってください」
 いきなりそう言われたが、トレイもないし、ととまどっていると、
「どうぞ取ってください」
 また繰り返されて、とりあえず冷や奴をテーブルに置くと、これで正解のようだ。この冷や奴がなんと1丁まるごと。
「ご飯は大中小、ありますが」
 品書きを見て
「中でお願いします。このサンマの煮つけ、ありますか」
「今日はなくて、カレイでいいですか」
 カレイの皿を電子レンジで温めて、温かいみそ汁と、大盛りかと見まごうご飯。もうひとつ、なんか欲しいなと考えていたら常連さんが、あれこれおかずをカウンターに運んでいる。女将さんとの呼吸も見事である。きっとこの方など毎日のように来ているんだろう。

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 機を逸して仕方なく、みそ汁をすする。ちょっと濃すぎるのだが、味はいい。そしてカレイの煮つけが甘辛くてこれもうまいではないか。この煮つけの甘さは東京下町風とでも言おうか、煮汁の色合いこそ醤油っぽいが甘味の方が勝っている。これを、ご飯にのせてワシッとかき込む。このご飯もほっかほかで香り高い。合いの手の冷や奴とともに一気に食い終わって、まだ少し骨にこびりついたカレイの身をこそこそほじくる。そうだ、日本酒でも頼めばよかったんだ。そしておかずをもう一品。見回すと周りでのテーブルには瓶ビールが見える。仕舞った、と後悔しても今更どうしようもない。
 代金650円を支払って店を出ようとすると奥から
「ありがとうございました」
 気持ちのいい声がかかった。

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 ふと思うのだけど、押上に新東京タワーなんていらないんじゃないだろうか? まさかと思うが、ここに新東京タワーが建ったとして地元になんかいいことあるんだろうか? むしろ住みづらい、硬質で陰険な土地と化して住む人を不幸にする。そんな気がするがいかがだろう?

押上食堂 東京都墨田区押上1-12-7

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 立石の街の賑やかさは、周辺に小さな工場が密集して、そこではお父さん、お母さん、お婆ちゃんまで一家総出で働いている。当然、食事を作るなんて出来ないわけで、いつの間にか無数の惣菜屋さんが出来た。また当然、居酒屋、寿司屋、そば屋も集まって来た。ここは日本の中小企業が作りだした理想の街とでも言えそうである。
 その賑やかな通りに、忽然と建ち存在感を見せつけているのが「鳥房」である。いたって小さな店で、派手なところがあるわけでもないのに、誰もが「ほー」と見てしまうのはどうしてだろう。その地中海的な色合いか? 「鳥房」の大きな文字なのか? はたまた店内のお兄さんがなにやら大鍋と闘っている姿なのか?
 とにかく近寄って見たいと思いながら、「いかん、いかんな」と一度通り過ぎてしまった。そうしてまた舞い戻り、店頭を行きつ戻りつしていたら脇に紺色の暖簾がかかっている。まあ「おいでおいで」しているような。はたまた可憐な乙女に「今日寂しいわ」なんて言われたときのような衝撃が走る。それで思わず引き戸を引いてしまった。
 なかは外とはうって変わって賑やかなこと。左手に座敷があって、そこはあらかた満杯、右手がカウンターで2つ席が空いている。カウンター奥に二人連れの若い女性、手前にかなりお年をめしたオヤジさん。カウンターの中にはオバサン3人がいて、まるで見張られているかのようだが、そんなに感じ悪くもない。その後ろには戸があって、そこから料理が出てくる。どうもこの板戸一枚隔てて、あの店と繋がっているようだ。 

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 カウンターのオヤジさんの横に座るようになんとなく指図され、なんとなく座ると、座り方が悪いと言われる。
「椅子をまっすぐにして」
 椅子が斜め20度ほど左に向いている。これを修正すると
「はい、いいかな」
 まるで小学校低学年の担任教師のような物言いである。
 そしてメニューを見て「何にしようかな?」と考えていると
「鳥唐揚はぜったいたのんだほうがいいよ」
 親切なオヤジさんのアドバイス。
「唐揚は580円、680円、780円のどれにします」
 これは小、中、大であるようで、小にする。
「それと、ぽんずさしはいかがです」
 素直に従う。あと燗酒1本。

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「ぽんずさし」の奥に見えるのが突き出しの鶏の皮の煮つけ。これはうまくなかった

 まず出てきたのが「ぽんずさし」。表面を霜降りにした胸肉にネギ、唐辛子風味のポン酢がかけられている。これはうまい。そして待つことしばし、出てきたのが「鳥唐揚」。「ぽんずさし」が手前にあったのを入れ替えてくれた。なんと若鶏の半分を揚げたものでキャベツなどの上にドデーンと寝ておわす。
 これには唖然。手をこまねいていると、
「初めてかな」
 やおらボクの割り箸をもって唐揚げを抑えて、腿をねじり引きちぎる。
「よく見ててね。次からは一人でやるんですよ」
 あっという間に手羽、腿、胸のあばら骨までバラバラに外してくれた。
「このね太い骨は食べられないけど、これ、この細いのは熱い内なら食べられるからね」
 そう言えば、唐揚げをたのんだらすぐに白い紙が置かれたのは、このためだったのだ。後はどんどんむさぼり食う。
「キャベツは後でね。ぽんずさしのタレで食べてね」
 これで唐揚げと「ぽんずさし」の位置の入れ替えの理由がわかった。やるな、このオバサンたち。

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これが、分解されて
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こうなるのだ!

 しかし、この塩コショウのきいた唐揚げのうまいこと。とくに軟骨の香ばしさにうっとりする。若いときなら3本は軽くいける。それほどにうまい。生冷酒を追加して総てむさぼるように食い尽くした。
 ほっと一息入れると、面白いことを発見。意外にウーロン茶(缶入り)を注文してアルコール抜きで唐揚げだけを食べている人が多いのだ。そして目の前の品書きを見るとウーロン茶がいちばん左にある。また焼酎類がないのが残念なのだけど、ここは飲み屋ではない。唐揚げが主役の店なんだなと納得する。

「初めてだったんですね」
 隣のオヤジから声がかかる。
「ここはね、席が空いてることは滅多にないの。あんたついてるね」
 そうなんですか、ボクはついているんだな。勘定を支払って店を出ると驚いた行列が出来ていたのだ。夕闇迫る駅前通、店の前にくるとやはりお兄さんが鍋で作っているのは「若鶏の唐揚げ」。かなりの高温で揚げているようで持ち上げた唐揚げが「ジュアー」と悲鳴を上げている。考えてみるともう一本ぐらい食べられたかも知れない。

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鳥房 東京都葛飾区立石7丁目1-3

 八王子南口から歩いて4〜5分のところ、人影まばらな広い道路沿いにひっそりある。白い暖簾に細すぎる書体、開きすぎた文字間隔で「大國」というのも気が抜けていて、逆に微笑ましい。ボクはこのような気の抜けた感じが大好きである。その暖簾の下に昼の定食が書かれたボードがあり、定食は千円以下でこれにも惹かれる、惹かれる。
 実はこの日、腸にポリープが見つかって「取りましょう」と言われたばかり、非常に落ち込んでしまって、ダメよ、ダメよと言われている揚げ物をどうしても「死んでもいいから食べたい」と思ったのだ。しかも固形物を食べるのは18時間振り。さすれば飢餓状態だろう、と思われるかも知れないが、病院での3時間の内にすっかり食欲はなくなっているのだ。なぜ、病院というのはこのように、とても身体に悪いのか? 誰か教えてくれ!

 そして白い暖簾をくぐると明らかな関西訛りで「いらっしゃいませ」ときた。左にテーブル、右にカウンター、小さな店であるが清潔で気持ちがいい。そしてオープンキッチンに、どう見ても関西方面のおばちゃんがいる。新聞をテーブルで見ていたおじいさんがゆるゆると熱〜いお茶を持ってきてくれる。「何がいいですか」、注文を聞かれて「関西の方なんですか?」と思わず聞き返した。「和歌山なんです。南部町ね。梅干しの南高梅の」。この関西訛り(和歌山も含めて)を聞くとすっかり病院でかちかちに緊張していたのもほぐれてくる。やっぱり関西弁はいい。
「お勧めはありますか」と聞くと
「とんかつ屋ですからね、そうや昼の定食メニュー、出してないね」
 そこにまたおじいさんがゆるゆると昼定食のメニューを持ってきて、「とんかつを食べたい」と入ってきたのに、なぜかメンチカツが食べたくなった。
「メンチカツにします。そうだ大盛りにしてください」
 注文を受けてからメンチカツの中身の形を作り、パン粉をまぶして揚げる。具だくさんのみそ汁、お新香、そして大盛り過ぎるご飯(これなら並でよかったかな)、そしてメンチカツ。
 メンチカツは軟らかくジューシーであるのはさすが、味わい的にはやや平凡だけど、好ましいもの。みそ汁もうまいし、ご飯もうまい。お新香も適度な量でうれしい限り。半分ほど定食を平らげたときに、さすが南部町出身のご夫婦の店だなと思えるおいしい梅干しを小皿に出してくれる。次回は「ロース山椒定食」というのが気にかかるな!

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とんかつ大國 東京都八王子市子安町4丁目26-6-102

 早朝6時半、飛騨高山陣屋前の朝市は店が並び始めているところ。そんな朝市に大きな土瓶を運ぶ女性がいる。その女性が出てきたのが、どうも食堂らしい建物。赤かぶや野菜などを買ってから、道を渡るとまだその店はやっていないという。仕方なく宮川の朝市を見て、また陣屋前までもどってきた。
 その陣屋前の『細江屋』で朝食をとる。朝市の店にお茶を配達しているところから比較的観光地的な店ではないとみて入ったのが正解であった。
 高山ならではの落ち着いた店内。決してとってつけたような民芸調ではない。品書きも、麺類が500〜700円、定食も「ほうばみそ定食」は確か1500円であるがそれ以外は手頃である。
 店に入ってテーブル席を避けて、小あがりに落ち着く。
 品書きを見て、朝定食800円と煮いか、家人は「飛騨牛の肉うどん」700円、太郎は「てんぷらうどん」700円、姫様が「ざるそば」。
 煮いかは店の方に「どんなものですか?」と聞いて「イカを茹でたものです」と言うので好奇心から注文したのである。これが後日調べて長野県、岐阜県などで塩鰤、塩いかとともに重要な伝統食であるのが判明する。正月、なかなか庶民の手に届かない塩鰤に「せめて煮いかでも」といった存在であるという。
 朝定食はいたって簡素であるが甘めの煮つけなど味がいい。肉うどんも、そしてつゆの味わいも上々で、なかなか満足至極な朝食となった。

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「煮いか」は岐阜長野などで普通に見られるもの。本来は年取り魚として食べられたもの

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