定食・食堂・料理屋: 2006年8月アーカイブ

 明治末、大正期を経て戦後に爆発的に増えたのがいわゆる「大衆食堂」であることは前にも書いた。詳しいことは『大衆食堂の研究』(三一書房 遠藤哲夫)、エンテツさんにお任せするとして。その「大衆食堂」に三本柱がある。それは煮つけやお浸しなどの家庭料理の延長のもの。そして「中華料理」と「洋食」である。この両者ともに中国やフランスやイギリスから影響は受けているけれどもまったくの日本料理であることは覚えておいて欲しい。
 すなわち「大衆食堂」というのは「家庭料理(もしくは江戸時代からある煮売り屋など)」と海外の影響を受けて明らかに日本で生まれた「日本食」である「中華料理」と「洋食」の総合体なのだ。これが近年どんどん姿を消して行っている。生物の世界なら「レッドデータブックス」に載せたいくらいだ。
 そこで今は少なくなった「大衆食堂」を探すとして、どこにあるかととりとめもなく街を歩く、まず見つかるのはそのものずばり「大衆食堂」、もしくは「食堂」と明記されたもの。そして「中華料理店」と「洋食屋」も加わってくる。たぶん分類学的には「大衆食堂」なのだけれど店主などの得意な料理のせいで、もしくはもとを正せば中華専門店や洋食専門店から「大衆食堂」に変化したもの。これが例えば「中華料理店」だと明記されていたとして実は「大衆食堂」なのだと判断する目安はラーメン、タンメンからレバニラ炒めに炒飯という「中華メニュー」があるのに加えてオムライスやカレーライス、カツラライスなどの「洋食メニュー」が混在している点が重要なのである。
 と考えているときに見つけたのが八王子市八幡町の「中華料理 一番」である。この店前述の定義からして「中華料理店」ではなくて「大衆食堂」に分類されると思われる。ここには定番的中華メニューに加えて、カレーライス、チキンライスにカツライス、カツ丼まである。この大発見に「中華料理」と銘打った店に入り、「大衆食堂」らしいオムライス750円を注文してみる。そこに現れたのは少々ヘタクソだが好感の持てるオムライス。のっている楕円の皿にはときにはレバニラ炒めなどものるんだろう。そして中華スープ。味わいを書く気はさらさらにないが、中華スープの味わいからしてラーメンはいけそうである。
 またついでに書くと八王子市街横山町、八日町、八幡町とつづく甲州街道、開発が遅れているせいか古い呉服店(松任谷由実の「荒井呉服店」も健在)や漆器店、和紙店、八百屋に肉屋など散歩していてなかなか楽しいのである。ボクもまた猛暑が去れば自転車での街巡りを再開するつもりだ。

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店頭にサンプルが置いてあるウインドウがある。このサンプルを置く店が少なくなっている

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 中央沿線には、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪と魅力的な街が続いている。どの街にも古本屋、活気のある商店街、また曰くありげな個性的な喫茶店などがある。中でも比較的足が向かないのが阿佐ヶ谷である。これは古本屋がないだけのことで、すずらん通りなどは魅力的。
 そのすずらん通りを歩いていてあまりの空腹感から飛び込んだのが『蘭花』。この店、驚いたことに店の横で鯛焼き、たこ焼きを売っていて、たぶん腹ぺこじゃなければとても入る気にならなかったろう。
 その店内にはオバチャンがひとり。まだ店を開けたばかりの夕方5時過ぎのことである。ラーメンは食べたいと思うものの、あまりに腹が減りすぎて「飯」が食いたいという欲求が強すぎる。そこにABCの定食。あんまり品揃えなど見ないでBにする。これはざく切りキャベツいっぱいの焼き肉、たくわん2切れ、オマケのコロッケ、中華スープ、ご飯で750円也である。ご飯はこれで並盛り。大盛りにしたら凄いだろうな。
 この焼き肉、やや脂が薄く、オヤジ向きである。そして味つけは甘口。この甘口がご飯にあう。またざく切りキャベツもソースをザブリと注いで合いの手によろし。コロッケ、たくわんはありきたりながら中華スープはなかなかうまい。これならラーメンもうまいだろう。阿佐ヶ谷『蘭花』腹ぺこオヤジにありがたき店である。

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杉並区阿佐谷南1の13の4

 この店に初めて入ったのは大学に入学してまもなく。と言うことはすでに30年も前。最初は、値段からいってなかなかおいそれとは食べにいけなくて、ちょっと贅沢な店だなといった存在であった。
 その頃から長い間友達と飯を食いに行くに交差点そばの「あの食堂」とか「おやじの店」と呼んでいて屋号を知らなかった。それが数年おいて、また神保町暮らしをするようになって、ときどき夕食を食べに行くようになった。当時通っていたのが岩波書店そばの「末広」、「亀半」などであるが、この店のみが生き残っていて今では貴重で懐かしい店だ。

 また通うようになって、改めて屋号を聞いた。それがかれこれ20年以上前のこと。このとき初めてそのオヤジと口を利いたことになる。その無骨なオヤジが「おおみや」だと言った。それが漢字にすると「近江屋」だとわかったのはまたまたかなり後のこと。すなわち屋号などどうでもよかったのだ。それから仲間と夕食をとるために、遅れてくるひとりのためにメモを残した。「近江屋にいってるよ」と書くと「や」は平仮名じゃなかったかな? と合方が言う。まあ、これもどうでもいいか?

 ここの名物が竹の子ご飯、実をいうと一度も注文していない。我ながらガンコに、基本とするのはサバ焼き。これに懐具合と相談してごま和え、きんぴら(ともに180円)、納豆(130円)、冷や奴などを追加する。これで700円から800円となる。ちょっと贅沢をして肉豆腐(200円だったか250円だたか)を追加することも可であるし、玉子焼きというのもあり得る。しらすおろし、なめこおろし、焼き海苔、大根の煮物もあった。それにサバを真ん中に持ってこないでサケやサンマでもいいのだ。とにかくボクは「近江や」では白飯にこだわっている。

 魚は客の注文を受けて焼き始める。確か昔はガス台に魚焼き器で焼いていた。それが今は天火の焼き台。この魚焼き器の変換期に店自体も改築している。改築したばかりのときにはオヤジがなんども、この焼き台に悪態をついていたのが思い出せる。
「せっかく高い金だしたのに、なかなか焼けやしない。バカ野郎」
 この光景がいかにも滑稽であったな。

 いつも注文するのはサバと言うがいわゆる「文化干し」である。これをこんがり焼いてたっぷりの大根おろし。初めて入ったときにサバ自体に醤油をかけて、訳知り顔の同級生に「大根おろしにかけろよ」と言われたっけな。この焼きたてのサバのうまいこと。つい食べ過ぎておかずが足りなくなるので副菜のごま和えやきんぴらが重要になるのだ。みそ汁もあつあつ、そして少し塩辛い。腹減りで「近江や」に入って、ご飯をがっしがっしとかき込むときの幸せなこと、だれかわかってくれないだろうか?

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「店を開いて40年だ」と頑固そうなオヤジは言った。こちらは神保町暮らしもとびとびながら30年ほど。仕事場は逆方向ながら、「たまには来ないとダメだな」と来るたびに思い。また2,3年経ってから「近江や」ののれんをくぐるのだ。

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手前が「近江や」、一軒あけて右が神保町名物半ちゃんラーメンの「さぶちゃん」。その先が白山通りで通りに面して「グラン」という洋食屋がある。これ総て兄弟なのだ。そう言えば「グラン」が開いていなかった。どうしたのだろう?

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