2006年7月10日アーカイブ

中野「永楽」

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 この中野でアルバイトをしていたのが今をさること30年も昔のこと。当時の中野といえばブロードウェーこそ賑やかだが早稲田通りにでると途端に住宅地となり、また小さな工場もあるといった静かなところであった。その中野通りと早稲田通りの交差点近くにあるのが「永楽」である。
 この店、30年前、外見的にはいたって普通の一戸建ての中華料理の店。あまりきれいとは思えなかったので、その時点で開店からかなりの月日が流れていたのだろう。それがビルに入って少し狭くなっているように思える。メニューも当時は確か餃子や炒飯もあって、そこにうまい「つけそば」があるといったものだった。味がいいのは界隈でも有名であったようで昼時は並んだものだ。また並ぶにしても周辺の工場で働く人たちやサラリーマンといった客層がほとんどだった。今ではカンバンに「和風つけめん 永楽」とある。並ぶのもいかにも有名店を食べ歩いているといった若者たちばかりだ。
 当時から注文されるほとんどは「つけそば」であった。考えてみると、ここではほかのメニューをたのんだことがない。そして30年振り、やっぱり「つけそば大」を注文する。
 出てくると、まず驚くのが麺の太さと盛り加減。そこに平凡などんぶりに汁が入っている。まず、旨さの秘訣は汁にありと思う。醤油色の汁にメンマやなるとを刻んだもの、チャーシューに海苔がかかっている。この具をかき分けて口に入れるとすぐに酸味が感じられるがこれは酢ではないような。旨味というかイノシンからくるものだろうか、もしくは少ないながら酢も使っているのだろうか。当然イノシンなのだからかつお節風味である。そしてかなり塩分濃度が強く、しょうゆ味で鋭角的な味わいとなっている。その強い味わいだからこそ太い麺が来ても負けないのだ。
 久しぶりに対面する大盛り過ぎる麺が最後まで飽きないで食べ終えることができた。これは麺の旨さとともに汁の力である。
 初めて食べたときから病みつきになり、毎日毎日欠かさず通ってきた。それが、まさか30年も途絶えるとは思ってもみなかった。今回入店して、店自体は変ぼうしているが厨房の雰囲気は変わっていないのに気づく。それ以上に味も変わっていないのに驚いた。麺を食べ終えたら汁のどんぶりを厨房に持っていく、するとスープを加えて返してくれる。これがまた絶品である。フワンと立ち上るのはカツオ節の風味、そこにプラスの旨味があってこれは鶏ガラだろう。またどうしてもわからないのが酸味。当然、明日も来てやると思いながら店を後にする。
 でも次は何年後にくるのだろう?

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 東京神田の神保町は本屋ばかりの我がパラダイス。その昔には勧工場、東洋キネマや吉本興業などもあり、また武田百合子さんの努めていた「リオ」などもある。それが高度成長期からめっきり本屋と学生の街になったようだ。その真ん中を通るのが、すずらん通り。このやや西寄りに『キッチン南海』がある。
 初めて入ったのは大学一年のとき。お茶の水の学生となると必ずここでカツカレーを食うことに決まっているのだ。ああ、なんとあれから30年も通っている。若い頃はお金のことから月に一度だけだったけど、近頃は肥満と高血圧のために四季ごとに食べる程度になってしまった。
 すずらん通りは今を去ること30年以上前には、総て二階屋、それも独特のモルタル建築が軒を並べていた。それが近年、ビルが目立つようになってじょじょに神保町らしさが消え去ろうとしている。それなのにまるで変わらないのが『キッチン南海』なのだ。ここには未だに1970年代が残っている。

 さて、店内に入ろう。右手が厨房である。ここにコックが3人(?)、フライパンを動かしている音、カツを揚げる音、キャベツを切る音。そこにもやーっと立ち上るのは大量の油脂を含んだ煙である。この油脂が壁と言わず、床と言わず長い年月に染みこんでしまっている。そう言えば昔、ここで危うく転びそうになった。また学生の頃、ここで定食を食べてゼミにいったら、我が大学では貴重な女子が近づいてきて「『キッチン南海』に行ったでしょう?」とずばり当てられたのには驚きを禁じ得なかった。その厨房を取り囲むようにカウンターがあり、壁際と奥にテーブルがある。このテーブル席は一人で座っても、3人で座っても、どんどん合い席となるので、恥ずかしがり屋のボクは出来るだけ座らないようにしている。いちばん落ち着くのは奥の4人ほど座れるカウンターである。
 メニューは揚げ物を合わせた定食風(700円前後)のもの。これにカツやエビフライがある。まったくの単品はカレーのみである。注文されるのは揚げ物とショウガ焼きなどの盛り合わせ定食類、それにカツカレーが勢力を二分する。学生の頃はときどき定食を食べていた。さくっと揚がったカツにややもったり重いショウガ焼き、つけ合わせのスパゲッティがナポリタンに見えてそうではない。表面にべっとりついているのはいったいなんなんだろう。これが近年、やや持てあますものとなった。

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 そしてオヤジになってもやめられないのがカツカレーなのである。初めて食べたときはカツ抜きであった。その真っ黒なルーには驚いた。香ばしさ、また適度な辛さはあるものの、うまいのかまずいのか判然としないものであった。ただし翌週も食べに行っているのだから、中毒性があるに違いない。アルバイトでもして余裕があるときにはカツカレーとなる。この店に限ってはカツをのせるかいなかで味わいが驚天動地するほど違ってくる。揚げたてのカツは白いご飯を覆い隠すようである。そしてどう考えても不必要だとしか思えないキャベツのせん切りがある。一度キャベツ抜きでお願いしたいと思っているのだが面倒くさがり屋のボクはいちども言えないでいる。そこにかの漆黒のカレールーがドバーっと、ドバーっとかかるのだ。食おうとして顔を近づけるとメガネがこれまたドバーっと曇る。チルチル揚げたてのカツを真っ黒で香ばしいルーに浸して食う、そして食う。やっとここで白いご飯が登場して、これをルーの方にかき寄せて混ぜ合わせる。ここでやっと一息。できれば冷たい水を飲んで欲しい。濃厚な味わいのカツとカレールーの組み合わせに、ご飯とカレールーは不思議なことに安らぎと待てしばしの余裕をもたらし、じっくり味わっていこうじゃないか、という決意をさせてもくれるのだ。
 さてカツもご飯もあらかたなくなって最後に残ったのが継子のようなキャベツである。ボクはこれをルーで汚れないように気をつけて最後にレモンとソースをかけて単独で味わうことにしている。まあ口直しかな。
 さて『キッチン南海』には30年以上も通っていることになる。後何年通えるのかオヤジの心にはしみじみ悲しみが湧いてくるのだ。

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