旅・無駄歩きの最近のブログ記事

ダッコウした

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「ダッコウした」というと、脱肛か、それは気の毒になんて言われそう。
いやいや目出度い方の、脱稿なのですよ、とまだまだ仕事は重なっているのに気が緩んでしまった。
姫が来たので町田へ出かける。
電車の中で姫が菅直人に会ったという話をする
菅直人か、お父さんは首をかしげるのだよ。
私、今のところ民主党に1票のつもりがだ、民主党のとりえはなんだろう。
最近おかしくなってきている。
自民党は自然破壊党と言い換えてもいいくらいに自然や環境のことを考えていない。
「自然など銭に替えるために壊せばいいのだ」
どんなに美しいところでもコンクリートで固めてしまえ、というのが自民党。
ハレンチな、非常に下等な諫早湾の締め切りに反対しているのが民主党なんだから、まだましか?
というくらいでしかない。
しかもボクが嫌いなのが巧言令色、そして年功序列。
この2つは唾棄すべき。
なのに菅直人だけではないだろうけど、民主党は、法務大臣をこのいけない、基準で選んでしまった。
やめた法務大臣は代議士、大臣失格ではなく、「人間やめてください」級の下等さだから、菅直人もそく代議士、総理大臣を辞めるべきだ。
普通のお父さんとしては思うな。

閑話休題。
横浜線を乗り継いで、町田に着く。
町田にはかれこれ30年近く前、馬肉を食べに来ているが、その後全く縁がない。
今回は姫の服と、膨大な乾物を買うために来たのだけど、まずは人の多さに呆然。
人の流れに流されて、彼の巨大服屋さんを探すが、ない。
仕方なく、乾物屋まわりをする。
一筋の商店街にあるはあるは乾物屋。
かたっぱしから、海産物、特に海藻のものを買う。
そして沖縄のアンテナショップに燕市、山形のまである。
ここで姫が「沖縄天ぷら粉」というのを買う。

この商店街が面白い。
町田はメタリック&グレイではないよ。
有機的だ!(生きているってこと)
感動していたら、「町田仲見世商店街」という迷路を見つける。

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入り口の雑貨屋さんがいい、中の各店舗も魅力だらけだ。
行列の出来る肉まんの店もあった。
のだが、姫は彼の巨大服屋に急いでいる。
お父さんは後ろ髪を引かれる思いで、大嫌いな巨大服屋につきあう。
ここでの小一時間がオヤジの身体にはこたえるのだ。
そして昼飯で姫とケンカ。
彼の有機的空間で、有機的ななぞなぞ飯を食いたいというと、駅を出て、最初に見た「千房」がいいという。
お好み焼きよりも、見知らぬ店の見知らぬ飯を食べたいお父さんは、あっけなく姫に負けてしまう。

さて、この今ではチェーン店となった、「千房」に始めて入ったのはいつだったろうか?
鶴瓶と新野新の「ぬかるみの世界」を聞いていたときだから、1980年代ということになる。
一緒に行った、女性(こ)は今何をしてるんやろ?

帰宅は3時過ぎ。
滋賀県長浜から大量の湖産加工品、イサザなどが届き、今日もハードなのだ。

 姫路(兵庫県姫路市)と言えば黒田官兵衛とは司馬遼太郎の影響大である。
 10月の13日、新幹線の時刻表を見て初めてのぞみが姫路に停車することを知る。
 目指すは鳥取なのだけど、姫路で智頭急行と言う路線を走る「はくと」という特急に乗るのが最短距離だと知る。
 それで7時50分の広島行きのぞみになんとかギリギリで飛び乗る。
 姫路駅到着が10時50分だ。
 姫路についたらとにかく途中下車をする。

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 南口に降りたのが大きな間違いであって、なんと昔ながらの商店街が続くのは北口なのだ。
 駅は全面的に(?)工事中であり、ぐるっと北口にまわる、その距離が長い。
 北口には姫路城にまっすぐ続く道があり、その左右に比較的大きな建物がある。
 その北口から右手北方向に商店街らしきアーケードが続く。
 このアーケードが縦横無尽、とにかく長い。
 休日のせいだろうか、やたらに行き交う人が多い。
 みなゆったり買い物や食事を楽しんでいるようで、急ぎ足なのはボクだけだ。
 なにしろ一時間半しか姫路に滞在できる時間がないのだ。
 駅からまっすぐまっすぐ続くアーケード。
 なんだか名店街のようなので右手に折れる。
 すぐまた左手に折れると本屋があった。
 残念ながら小さな本屋で兵庫県ならではの本は見つからない。

 その前に魅力的な食堂『さかゑちゃん』、『えきそば』というのを見つける。

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 体調が万全なら『さかゑちゃん』だが、『えきそば』でうどん。
 この店、いたって平凡な味だった。
 そのまま駅の方向にすすむとコップ酒をやる人のいる古そうな酒屋、豚まんを売る中華料理店などがあって、いつのまにかまた駅前に出る。
 もういちど折り返して姫路城に向かって歩く。
 この商店街は面白みに欠ける。

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 姫路ならではのよさを空しく抜き取ったような店ばかり。
 それでも「練り製品」の製造販売の店を何軒か見る。
 また明珍火箸を売る金物店があって、これも姫路ならではだろう。

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 時刻はすでに正午を回っている。
 あまり時間がないので足早に姫路城を正面に見る大通りを渡る。
 北にあるのが国宝で世界遺産の姫路城。
 個人的にはこのような遺跡には興味がない。
 人が暮らしてこそ、みる価値があるのだ。
 黒田家、木下家、榊原家、酒井家と戦国江戸時代の城の歴史には興味深々ではあるが、今回は一枚だけ撮影してお仕舞い。

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これが所謂国宝で世界遺産というヤツですな。私的には古びた食料品店にある、その土地ならではの安い豆腐以下の価値しかない

 渡ったところが西二階町というアーケード。
 ここは人通りまばら、入り口近くのがらんとした化粧品店の古びた軒の上を見ると「白牡丹」の文字。
 ここは以前は酒屋だったのだろう。

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昔はさぞや繁盛した酒屋だったのだろう

 そこから大通りをもどって目に付いたのが『ハトヤ蒲鉾』。
http://www.hatoya.gr.jp/index.html

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 天ぷら(関東での薩摩揚げ)、蒲鉾などに不思議なものをみつける。
 それはコロッケ状のもので「ハトミン」という。
 また「穴子かまぼこ」というのがあって、気になったので「ハトミン」とともに買い込む。

 時刻が差し迫り、駅近くで地下にもぐり込む。
 ここが別世界だった。
 地上よりも賑やかで、意外に庶民的だ。
 駅近くにある酒屋で姫路の酒『龍力ワンカップ』を買い求める。
 220円だった。
 そして駅の改札口まで来ると、なんと山陽本線は人身事故で大幅に遅れがでているのだという。
 1時間は遅れるでしょうというので、もういちど賑やかな地下街に引き返す。
 この地下街がいいのだ。
 庶民的な臭いがする。
 魚屋があって、ここで数々の発見をする。
 特にコノシロが開かれて、酢漬け用に売られていたのは大発見。
 この地下街を地上に出ると、駅の歩道橋から最初に見た姫新バスの看板の出ていたビルであった。
 ここから少し、また北に歩く。
 少し歩いて見つけたのが大きな看板がビルの上にのった「すし宗」という店。
 ここに「このしろすし」というのを見て、当然の如く店に入る。
 この店が面白かったのだけど、これは寿司図鑑に書く。
 一時間ほどおくれて智頭急行特急はくとに乗り込む。
 ほんの数時間の姫路だったけど賑やかで楽しい街だった。
 また機会があったら、ゆっくり歩きたい。

ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑(いちばぎょかいるいずかん)へ
http://www.zukan-bouz.com/

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 ボクの「魚貝類を探す旅」ではまず旅館やホテルに泊まるなんてことはない。
 クルマなら車中泊、電車・汽車ならその街の一番安いホテルにする。車中泊が多いので苦労するのがお風呂である。最近はどこにでもスーパー銭湯というのが出来ているが、ただお風呂に浸かるだけで1000円以上もかかってしまうのは困りもの。
 目的は魚貝類と街自体なのだから、まったくのんびりしたいとか、快適な時間が欲しいなんて夢にも思わない。ただただ最低限の疲れを取り清潔に保ちたい、トイレを確保したいだけのこと。そんなとき昔ながらの銭湯がいちばんありがたい。

 生粋の沼津っ子である甲殻類学者である飯塚栄一さんに「沼津って銭湯とかないのでしょうか?」と聞くと。「まだ二軒営業しています」という。そこでネット検索で位置を確認すると一軒目の朝日湯の方が駐車場に近い。また沼津の本来の中心は本町という地域らしく、朝日湯はそのやや南寄りにある。古い沼津の街並みと銭湯という取り合わせも魅力的ではないか。
 沼津魚市場から沼津駅に向かう道を愛車青い稲妻号を走らせる。途中、右手に永代橋を見ると、通りの右手が古くは魚市場のあった魚町、左手が本来の沼津の繁華街本町である。道を左に折れて本町の通りに入る。並ぶ商店は作りが古さびて、やや寂れた感じがする。その通りにぐっと引っ込んで、すぐに朝日湯を見つけることができた。
 路地を入って突き当たり。そこに間口二間ほどの入り口がある。面白いのはやっぱり「右側が男」「左が女」ということ。たぶん全国的にも、この形がいちばん多いはずだ。

 間口二間の入り口から、中の状況はまったく想像できない。わくわくしてドアを手前に引く。靴を脱いで、その置き場にとまどいを感じる。下駄箱に入れる、鍵があるのだが、掛け方がわからないのだ。普通、鍵はアルミの板状のものが差し込んであって、蓋を閉めて横手のレバーを押し込むとちょっと浮き上がり、鍵が掛かる。それがここのはアルミのプレートを外すだけで鍵がかかるのである。
 やや低い番台(女湯は覗いてないぞ)で入浴料360円を支払う。この料金も高くなったものだ。ボクが初めて上京しての、小岩の銭湯が確か120円くらいではないだろうか?(『値段の風俗史』朝日文庫でも120円となっている)
 そして脱衣所、脱衣所の右手に服をいれる棚があり、ここの鍵も下駄箱と同じ作りになっている。改めて浴場の方を見て、総て木造なのに感激する。浴場は手前が洗い場であり、奥に浴槽がある。この造りは関東のもので、関西の古い銭湯は中央に浴槽となっている。
 ケロリンの桶と腰掛けを持ち、いちばん浴槽側の並ぶ蛇口、シャワーに座る。ケロリン製薬の黄色い桶は懐かしい。見上げると天井は上に行くほど狭く、三角形の空間を広々と作っている。その斜面も木であり、やや水色のペンキがかなりはげてしまっている。これが現代建築の古さびると汚らしいのとは違って、どこか風雅なものを感じる。湯船の奥のペンキ絵は富士山ではなく、駿河湾と伊豆の山。
 湯の蛇口を幾ら押しても、冷たい水がでるだけ。仕方ないので低すぎる位置にあるシャワーをひねるとぬるいけれどお湯が出る。

 昨日は午後11時に自宅を出ている。戸田村には午前2時半到着。うつらうつら3時過ぎまで仮眠したものの。ほとんど睡眠ゼロのまま底引き網にのっているのだから、朝日湯の湯船につかる、このときが疲労の頂点である。湯船は2つに分かれていて、左手が深く、下からぶくぶくと泡が出ている。左手はタダのお湯。まずは右手でじっくり身体を温める。下町の銭湯に馴染んでいたので、ここのはややぬるめに思える。それでも体中にびりびりと湯の癒しが染みこんでくる。ほんの5分ほどだろうか、手がふやけて白くなっている。子供の頃、風呂にちゃんと入ったのを手の白くなったのを祖母に見せていたのを思い出す。そう言えば、こんなことも久しぶりだ。最近では日々忙しく、ゆっくり風呂に浸かることもなくなっている。
 右手の湯船は深く、足の裏をあぶくが刺激して、これもなかなかいい気持ちだ。そう言えば、火曜日の夕方だというのに、お客が少なくゆったりしている。ボクとしてはありがたいのだけれど、銭湯の経営は大丈夫だろうか? とても気に掛かる。
 沼津という街にこんな昔ながらの銭湯がある。それが新鮮に感じるし、また街の魅力を倍増してもいる。この朝日湯も長く続けて欲しいものだ。
 さて風呂上がりにはオレンジ牛乳かコーヒー牛乳と決まっている。またコカコーラという選択肢もある。そう言えば初めてコカコーラを飲んだのも故郷貞光町の南風呂だった。ボクのウチには内湯もあるのになぜか銭湯にいっていたのだ。ボクが生まれた1956年、街には北、中、南と三軒の銭湯があった。今も残っているのだろうか?
 自動販売機に向かおうとして、ふとどうせ焼鳥屋で生ビールを飲むのだから、我慢する。外に出ると四月だというのに風がなま暖かい。

朝日湯 静岡県沼津市下本町9

市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/

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 富士吉田は懐かしい街だ。その中心を貫く商店街は、それこそ昭和30年代そのものだし、月江寺の裏通りには、全盛期の日活映画に出てくるような盛り場がある。
 その日は風が強くて、空には一片の雲も見えない。季節は2月初旬だというのに、日だまりで温もりを感じるほどである。標高の高い富士山麓でこれほど気温が高いなんて、なんだかおかしい。

 ちょうど正午過ぎに富士吉田に到着した。街の中心を貫いているのが富士みち。これが寂れてはいるものの長い長い富士山からの下り坂に出来た商店街。その下吉田の有料駐車場にクルマをとめる。お昼ご飯は富士吉田名物の、うどん。そこからとにかく街を迷路のように歩く。

 ちょうど昨年イルカの話を聞いた『魚進本町店』の前に古めかしい、瀬戸物屋を見つけた。ガラス戸の奥に瀬戸物が並んでいるものの、一見仕舞た屋にしか見えない。店がまだ営まれているのか、不安を感じたが、枯れた桟のガラス戸を引き、声をかけると、奥から老人の声がする。
 この瀬戸物屋がなんとも時間を忘れるほどに面白い。置いてある品物はたぶん新しくても20年近く前のもの。ボクの生まれ育った家も瀬戸物屋(徳島では唐津屋)なので、皿や小鉢の絵柄がなんとも懐かしい。

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 そして家人が手に取った子供用の絵皿、そこに描かれる漫画のキャラクターも古いのだという。

 そこから瀬戸物の袋を下げて、坂道を下り、月江寺の商店街に折れ込む。
 富士吉田の街は中央を貫く富士みち、富士山に向かって左手は住宅地、そして銀行などがある。そして右側は混沌とした飲食店街と商店街が無数にある。
 この一角はまだレストラン、喫茶店、豆腐屋さん、惣菜店などが営業している。そこから富士急行月江寺駅に向かう。
 商店街を抜けると滝のある池にでる。その坂道を上ると大きなお寺となる。その墓地の先の富士が雄大である。たぶん北からであろう強風で山頂の雪が吹き上がっている。

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 どうもこの大きなお寺が経営しているとおぼしき高校を右手に見て、細い道を抜けると、また商店街となる。富士吉田は商店街と商店街が続く町なのだ。そこからすぐのところに月江寺駅の駅があった。これが拍子抜けするほどに小さな駅。あたりは閑散として人影を見ない。また駅から続く商店街の多くは閉ざされている。富士吉田の町は周辺部に出来ている大型店舗や、繊維織物の衰退で急激に寂れているように思える。

 駅からはとりとめもなく歩く、食堂や食料品店がやたらに多い。その居酒屋の多くに「英勲」のカンバン。伏見の酒と、この山梨の町との関わりは謎である。でも通りかかった酒屋にもずらりと「英勲」の一升瓶が並んでいる。
『べんけい』という店で大きな茶饅頭を、太郎のために買ってやる。太郎は茶饅頭なら10個は一度期に食べてしまう。
 そこから坂を下り気味に「富士みち」に近寄りながら、細い路地に入っていく。

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 この曲がりくねった、路地と路地の、迷路のような空間が富士吉田の昔の、繁栄していたよすがを見せてくれる。右手にロマネスク調とでも言うのだろうか釣り鐘型の窓と、入り口の不思議な建物が日差しを受けている。そこから路地へ、もっと奥へ入っていく。

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 そこにあったのは三階建てのバランスを少し崩した、和船を思わせるような料亭らしき木造建築。最上階には円形の窓、松皮菱を透かし彫りにした手摺り、二階の戸袋が白く塗られて屋号が書いてあるが読めない。屋号の横には食堂の文字。こんな店で食事が出来たら楽しいだろう。

 路地は続き、その先にはスナックやバーの文字が見える。モザイクのタイル、適度に作られたアール、そして店と店の間にある死角。この古めかしい盛り場は今も生きて営業しているんだろうか? その扉の奥から小林旭やエースのジョー、白木マリが出てきそうに思える。

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 さて、富士吉田の2時間ほどの無駄歩きは家人のケータイがなって終了となる。昭和の街からふと我に返り、坂道をクルマで下ると、現(うつつ)まではほんの1時間しかかからないのだ。

 地下鉄浅草駅を松屋デパート口から出る。面白いことに、浅草は建物が変わっても道行く人は、どこまでも浅草らしい、どこかあか抜けないのだ。馬道通に出るといきなり不思議な格好の演歌歌手が自身のCDを露店販売している。襷がけに「雪美さくら」とある。

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 こんな光景も浅草には似合っている。

 馬道通を北上する。すでに4時を回っており、夕暮れは近い。今回の目的は吉原大門跡を見るため。できれば、このまま三ノ輪橋、樋口一葉の竜泉も見て回りたいが、難しそうだ。
 馬道を北上、ほどなく浅草寺二天門を左に見る。馬道通とはいっても道幅は広く、左右はビルに挟まれて歩いていても楽しくも何ともない。

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 さっきから何台も観光バスが北に、そして次の四つ角を左折していく。また逆に右折してきて南下していく。どうも浅草寺裏手に観光バスの駐車場がある模様だ。
 この四つ角の東西に言問通、とするとこの味気ない道路の東側が花川戸であったわけだ。「花川戸助六」しか思い浮かばない知識の貧困さに我ながら反省しなければ。ちなみに「助六」という野暮ったい名前が歌舞伎の世界で、言うなればヒーローとなったのは、延宝初年(1673年)に万屋助六という実在の人物が、京都島原の遊女、これまた実在の揚巻と心中した事件から取ったものだという。どうして京都から花川戸に場所を移してきたのか、歌舞伎の世界は奥が深い。(『歌舞伎十八番』戸板康二 中公文庫)また歌舞伎、「助六由縁江戸桜」で花川戸に住む助六が揚巻を尋ねるにしても、ほんのねきの距離だったという設定にもなるわけだ。

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 言問通りの角に鬘屋がある。これは浅草らしい。言問通りを超えると浅草三丁目。通りを渡ると現在の浅草六丁目であるが、本来の猿若町。ここは天保の改革で江戸三座が移転してきたところ。遠山金四郎が歴史に残るのは江戸三座を廃止しないで、浅草に移したことによる。それを、「浅草六丁目」なんてわけのわからん町名にしたやつは誰だ「おろかもの」、知的な頭みそゼロではないか? 出来るだけ早く旧町名を復活して欲しい。
 浅草四丁目、交差点の角に「長崎ちゃんぽん ハイラル」というのがある。こぢんまりした店舗で絵になるのだけれど「うまそうな」気配が感じられない。お昼抜きで歩いているので、少しだけ心が動かされたが、ときには自分の感を信じて通り過ぎる。右手に懐かしい作りの「散髪屋」がある。そう言えば徳島では理髪店とは言わず「さんぱっちゃ」と言っていた。東京でも「散髪屋」というのだろうか? 右手に灯りが見えてきて、その隣に丸く張り出した暖簾。暖簾に「大木」とあり、洋食屋さんであった。夕食はここでいいかなと思いながら、これまた通り過ぎる。冬至を過ぎてから、東京の夜の迫りは急なのである。

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 道が左にゆるくカーブする。ほどなく町名が「千束」となる。そして旧町名が新吉原、江戸町、角町、京町。誰が吉原の町名を嫌ってしまったのだろう。だいたい今でもこのあたりには風俗関連が密集している。そして道を渡ると東浅草一丁目、二丁目。急日本堤、山谷である。山谷の歴史も調べないと昭和という時代はわからない。
 吉原大門あたりに来たが何があるでもない。道路の向こうに「土手の伊勢屋」が見えてくる。隣が「桜肉鍋中江」。天ぷらでも食べたいなと思ったら今日はお休み。

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 そのまま「いろは会商店街」に入る。入った途端に左手の酒屋前に老人たちがワンカップや缶ビールを手に集団で立っている。別に会話を交わしている風でもなく、少し寂しい。右手には豆腐店、肉屋。商店街にシャッターを下ろした店が目に付く。そしてときどき座り込んで酒を飲む人たち。「いろは会商店街」はこぎれいな、アーケードの通り、そこをゆらゆら歩く老人がひとり、ふたり。夕闇は休息に下りてくる。行き着いてまた引き返してくる。

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 このまま三ノ輪橋まで北上するべきか悩んだ末に、「大木洋食店」に惹かれるところ大、ということで浅草に引き返す。「いろは会商店街」で見た光景から気持ちが落ち込んで、寂しくて仕方がない。あたりはすっかり夜となってしまったのだ。

 たつきしごとが終わり、まだ5時前だというのに夕暮れ迫る街に出る。ときどきのぞく古本屋に本がないので表で50円均一を一冊もって奥へ行く。
「あの、本がありませんね」
「あ、そうなんです。明日から浅草松屋で古本市があって、そちらに送っちゃって」

 地下鉄神保町駅から半蔵門線で隅田川を超える。時間がないので押上から、業平、横川、錦糸町と短い距離を歩く。この無駄歩き、本当に得るものがなかった。

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やっと下町らしい煎餅屋を見つけたら。「もうここでは焼いていないんです」という寂しい答えが

 落胆して錦糸町駅そばの「洋食 斉藤」という店でメンチカツを食べる。このメンチカツはおいしかった。
 そして駅前から突然聞こえてきたのがケーナとチャランゴの「コンドルは飛んでいく」。赤いマントが見えて、間違いなくペルーの人、名演だ! 懐かしい! サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」を始めて聞いたのが確か中学二年のとき。アルバム「明日に架ける橋」は3度買い直している。

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 たぶん30年振りに錦糸町、総武快速のホームに立つ。ホームの東よりにコンビニがあり、中央年のオヤジがいっぱい群れている。何をしているのかというと缶ビールやワンカップを買っているようなのだ。それをホームの椅子に座って飲む。なんとも空しく寂しい光景であることか、でも身につまされるな。
 錦糸町から総武快速で東京駅。ちょうど滑り込んできたのが中央快速の新車両。
 車内は山手線と同じじゃないだろうか。4人、7人、7人がけの座席、そしてシルバーシート。椅子が一人ずつ区分されているのがいい。またドアの上に画面があり、中央線で青梅行きにのったのか、高尾行きにのったのか? などがわかって便利だな。でも片方の画面の映像はまったく意味がないもの。ニュースなどを文字で流して欲しい。また明らかに振動が軽減されて乗り心地がいい。駅に止まる直前に腹の虫のように「クウウウウウウー」と泣くのもいい感じだ。また一番端っこは居眠りしやすいぞ。

 山手線は緑、総武線は黄色、中央線はレンガ色。これは大昔からの仕来り、決まり事なのである。それが遙か昔に山手線の緑は消えてしまった。今は車両に上品なラインとなって残るのみ。次は総武線。そしてまさかと思っていたのが中央線。このダサイ、野暮ったいレンガ色の車両がかわることはあるまいね。「まさか」と勝手に思いこんでいたふしがある。
 それが8月になって東京駅で並んでいるとカメラをもった「いかにも」というヤカラを見かけるようになった。
 彼らがホームで突然、声を掛け合うのだが非常に不思議な光景となる。
「あの、どこの方ですか」
「●●です」
「おたくは?」
「私は●●です」
 それからの会話がなんなんだろうね? さっぱりわからない。
 どうしてこんな人種が来るようになったのかと思って車掌さん(運転手さん?)に聞いてみた。
 すると、
「中央線の車両がかわるんです。このオレンジ電車が中央線からは消えてしまうんです」
 だって。「がーん」と衝撃を受ける。中央線はこのままでいいだろう。

 そしてついに昨日、豊田駅で新車両を見たのだ。「ええ?」と言うくらい無個性な、味わいに欠けるデザインの電車を。これじゃ「中央線という個性が消えてしまう」。ほとんど徹夜続きの疲労困憊した脳天に怒りがこみ上げてきた。
「なんとか出来ないのか」
 そんなときふとこのオレンジのラインの上に永島信二の絵をロゴとして使えば? とか滝田ゆうでもいいなとか思っているといつの間にか中央特快が走り込んできた。あとは熟睡。
 あとあと調べてみると新車両は12月、すなわち今月からぼつぼつ登場して来るという。寂しいな、まったく。

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このいかにも中央線らしい車両が

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この無個性、無機質にかわってしまうのだ

埼玉県「入間の旅」

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 ぽつんと時間があいたときに、ほんの数時間の旅に出る。出来れば6時間以内、間違っても半日にならない旅。それで今日はなにもないと決まったら地図を見ることから始めるのだ。近年、通っているのが埼玉西部。我が家から1時間ほどでたどり着けて、あまり大きすぎない街。そんな条件で探し当てたのが埼玉県入間市。でも入間市の中心は入間駅周辺でいいんだろうか? この市は思った以上に広い。まあ市役所もあるし、市街地を示す色合いの地域も西武入間駅周辺にしか見あたらない。とにかく入間市役所を目差す。
 国道16号、11時を過ぎて右に見ているのはアメリカ空軍基地。昭島市を抜けるのに1時間以上かかったことになる。16号の反対側は雑貨店や格好いい飲食店が並んでいて違法駐車の多い地域だがさすがに道路交通法の改正のせいかクルマはまばら。

 入間市役所には正午過ぎに到着した。駐車場にクルマを入れて、4階の観光課で地図やパンフレットをもらう。使いづらいが飲食店の地図、観光ガイドなどが揃っている。ここで見つけた『71市町村のうまいもの ごちそう埼玉』は思わぬ拾いもの。お役所とJRが作った割に良くできている。
 ここで観光課の女性に「市役所の駐車場に2時間ほど止めさせていただけませんか?」という我が儘なお願いをする。「あの、駐車場は市役所を利用する方のために出来れば開けておきたいのですが」と奥に消えて上司らしき方と協議。止めてもいいとありがたいお言葉。お礼というわけではないが、入間市役所でもらってきた観光案内も、また教えてもらった情報も地方公共団体としては「上」の部類に入る。
 観光課のやさしくて可愛いお姉さんに教えてもらった古い商店街「町屋街道」に青い稲妻号を走らせる。ここもシャッター通りかと思ったらどうも水曜日が定休日であるようだ。ここでうまそうな洋食屋とコロッケの幟を立てた肉屋を発見。また古い街並みを撮影する。そして入間駅に向かう交差点に、驚いたことにお香の専門店を発見する。でも敷居は高そうだ。

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さかぐち屋は町屋通りと駅前の無味乾燥地帯との境の交差点に建つ。おもわず入ってみたいと思ったがボクのようなオヤジが入るには敷居が高い。香の店 さかぐち屋へhttp://sakaguchiya.jp/

 無味乾燥な駅周辺を抜けて長い下り道。国道16号を超えようとしたら横断歩道がない。その上、歩道橋には自転車用の平らな測板もないので階段を自転車を抱えて越える。そのまま小さな流れにかかる橋を過ぎて、正面に見えてきたのが「キッコーブ」繁田醤油である。この醸造所、門の横に大釜が置かれていて数年前大里村へ向かう途中で見つけていた。その広い敷地に入るが中は無人。やっと事務所を見つけて醤油と「なめもの(金山寺味噌)」を買う。この事務所の方に「近くにお昼ご飯を食べられるところはありませんか?」と聞くとわざわざ、近くのうどん屋さんまで案内してくれた。繁田醤油の方には感謝。

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入り口は長屋門、その脇に大釜、「キッコーブ」の文字は右から書かれている。このホーローカンバンいいな

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暗い倉庫の中で見た「キッコーブ」の一升瓶。なかなかデザインがいいのだ。今時のへたくそなラベルには絶対変えないで欲しい

 この住宅街にひっそりとある「つきじ」のうどんはうまかった。

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この店、有名なんだろうか? こんな住宅街にうまいうどん屋があるなんて

 ここからまた16号を超えて坂を上って入間駅まで行く。西武線なので駅にはペペがあり、見た目は非常に硬質。そこからマルヒロ百貨店、アイポットというマックが聞いたら怒りそうなビルまである。この街の特徴は露面店のないこと。あったとしても今時どこにでもあるチェーン店ばかり。非常にセンスのない街造りでこんなところで生活していたら子供の心も殺伐とするだろう。当然大人も癒されない。このようないかにも無味乾燥な街作りをする傾向は明らかにビルなどの設計士の能力欠如もあるだろうが、地方公共団体がなんら方向性をもっていないからだろう。駅前に古い家屋がぽつんと孤立。

入間駅前で見るべき物はこの寂しい仕舞た屋だけだった

 この硬質な場所にも和菓子屋があり、なんと飯能で見たのと同じ「焼きまんじゅう」があった。
 水曜日のためかマルヒロ百貨店は休み、「エイムス」というスーパーに入って埼玉らしい食品を探すが皆無である。醤油も遠路はるばる流通してきたもの。納豆も大手のものですくいようがない。つまらない。いかにスーパーがものを動かすだけの流通業だとされていても少しは血の通った仕入れをして欲しい。

 また町屋通りを扇町へもどる。やはりお香の専門店は敷居が高い。家人が好きであるのはわかっているが通り過ぎる。この街の中ほどで見つけた洋食屋に入ってみる。さっきうどんを食べたばかりだが、さすがに炭水化物が主体で消化が早い。我がでかすぎる胃は隙間だらけだ。『手づくりハンバーグの店 タジマ』という店で、席に着くと可愛らしい女性がメニューを運んできてくれる。ボクはテーブルにメニューを置きっぱなしにするか、必要なときだけ持ってきてくれるか、このどちらも好きなのだけれど洋食屋さんの場合は後者の方が好きだ。ここでいちばんスタンダードなハンバーグ600円を注文。これにはご飯とみそ汁、もしくはスープが付いている。このハンバーグとても美味だ。『タジマ』の隣が肉屋の『まるしょう』。ここにコロッケの幟がはためいていて、すなおにコロッケ65円を5つ買うとハムカツをひとつオマケしてくれる。『まるしょう』さん、ありがとう。ちなみにこのコロッケもうまかった。

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『タジマ』のハンバーグは安くてうまい。しかもこのカンバンのイラスト、コックさんかな、顔がどことなく藤村有弘に似ている。またこの顔がなかったら『タジマ』の魅力は外見的には半減する

 無駄歩きは2時半過ぎまで、考えてみれば2時間近く自転車をこいでいたことになる。しかも入間は坂が多いのだ。町屋通りから裏通りに入って、坂道を市役所に向かうがペダルが重い。
 この裏通りにお茶の製造所・問屋が何軒か軒を並べている。後でわかったことだが、狭山茶の中心地は入間であり、本来の「狭山」というのは現在の入間市にあたる地域。隣の狭山市があるのが本来の「入間」の地だと言うから非常にややこしい。また狭山茶の本場はほとんどの人が狭山市が本場だと思うはずで、歴史的なことだとしても当時の「狭山市」を市政した人のなんといかがわしいことよ。まあ、狭山茶の本場は入間市なんだとわかったのも収穫だ。
 3時近くまで入間にいて、帰路16号は空いていて帰宅は4時過ぎ。思ったよりも収穫多い入間の旅であった。
●これは「お魚三昧日記」から移動したものです

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 今、ボクが致し方なく家族と離れて暮らすことになる。たった一人っきり、じゃあどこに住みたいかというと南千住都電荒川線三ノ輪橋近辺もそのひとつなのである。ここで寂しく悲しい時を送りたい、しみじみ人生を嘆きたい。そして、ボクと同じように寂しい美しい人がいる、なんてことはないだろうが、とにかく一人暮らしするなら南千住がいちばんいい。

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 ボクの三ノ輪無駄歩きは荒川線荒川一中前から始まる。ここから北に向かって1本目の通りに東京でももっとも賑やかで魅力的な商店街があるのだ。この商店街、今の名前を「ジョイフル三ノ輪」と言う。でも川本三郎さんの本を読んでいるとその昔は「南千住銀座」と呼ばれていたらしい。ボクとしては昔の名前の方が断然いいと思う。

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 さて、商店街を西から東に向かう。すぐの所に薬屋がある。ボクは子供の頃から薬屋をのぞくのが大好きだった。白衣、薬を調合するガラス張りの部屋。そのまま進んで左右にシャッターが目立つのは時刻が遅いせいである。
 左手にみそ屋、その先にしまっているが「専門の店 わたなべ 洋傘・ショール・スカーフ」という古びたカンバンがある。右手に惣菜を売る「大津屋」で煮物が専門であるようだ。

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 餃子屋、和菓子の「相州屋」。また惣菜の店があり、ここは揚げ物専門店。

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 左手に「砂場」があり、確かここは各地にある砂場の総本店であると記憶する。

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 そして兵之助刃物店。

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 そして鮮魚の「小川屋」。この店の刺身がうまそうであるが熱い時期で買って帰るわけにはいかない。

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 そして「パンのオオムラ」でイギリスパン(?)を2買う。ここのパンはとてもおいしい。

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 そこから少し歩いて魚屋を見つけるがすでに店仕舞いの最中。

 そのまま南千住駅に向かうべく東に向かうと「三ノ輪橋商店街」という暗い路地があり、そこに写真館がある。

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 またもっと暗い空間にお婆さんが新聞雑誌を売っている。ここまでくるとまるで昭和30年代に逆戻りしたような不思議な気分に陥る。

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 三嶋大社の四つ角から三島大通りを西に走る。この通りが少しも面白みがない。西に向かって右手に「クマノミ雑貨店」という古い家屋を利用した今風の店があり、これは街作りのひとつの方向性があっていい。このお手本は飛騨高山ではないか? ボクのようなオヤジにはとてもついていけない品揃えではあるが。

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 そこを過ぎると左手に三石神社。このように商店街にぽつりと神社があるのが、とてもいい感じである。その隣が地元の人もすすめてくれる鰻屋である「桜屋」。

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 そして伊豆箱根鉄道の踏切を超えると右手が三島広小路駅。広小路というのは上野を考えてみてもわかるように特別な意味をもった場所であるはず。例えば幹線道路の交わるところ、また幹線道路が分枝するところ。当然、人が集まってくるわけでここには市が立ち、見せ物などが集まってくる。

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 この広小路界隈が活気がある。そこからまたまた西に向かう。実を言うと沼津から三島に来るときに、この通りを来たのであるが、気になる店を見つけたのだ。

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 それはほどなく左手に見えてきた。店の前に自転車を止めて、とにかく店内に入る。そこには古めかしい佃煮などを入れるケース。みその桶。店の奥の暖簾に「林屋のつくだ煮」とある。「ごめんください」となんどか声をかけてとても感じのいい女将さんが出てきた。でも残念ながら佃煮の製造はやめてしまっているという。自家製なのはみそと煮豆だけ。これはせっかくだから買ってきた。

 そこから一本北の通りに向かっているとこぎれいな魚屋を発見。ここで味付けマグロというのを買って、すぐに通りにぶつかる。これを東に向かったら、さっき通った広小路の駅にぶつかる。もう一度踏切を超えて、本町の「魚貞」さんにもどる。ちょうどご主人が大きなクエと格闘しているところ。これをしっかり撮影して、もう一度広小路に。ここで「魚政」さんから教えてもらった食堂を見つけるが正午からの開店であるという。少し広小路界隈を自転車で走る。そして正午、その「広小路食堂」に戻ると二軒隣に人だかりが出来ている。そしてお婆さんが倒れていて。「頭から血が出てるよ。早く救急車を呼べ」「動かすな、動かすな」「お婆さん、どうした」と取り囲んだ人たちの声が飛ぶ。

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 ちょうど正午なのに「広小路食堂」が開く気配がない。仕方なく引き戸を開けて「まだですか」というと「どうぞ入ってください」という。ここで美味しいサバみそ煮定食を食べる。満足して、三島大通りを東に、お土産を探したが、結局なにも買わないで三島を後にした。

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