2007年1月アーカイブ

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 たまたま神保町で打合せをしているとき、居合わせた女性が「青森県のラーメンってなんでしょうね?」と聞くので、「青森なら煮干し味じゃないでしょうか? 高いけど焼き干しというのもあってさっぱりした味わいですね」と青森ラーメンで話が盛り上がった。
 暮れなずむ白山通り、最近、神保町交差点から水道橋にかけてやたらにチェーン店が乱立する。教えられた通りに通りの向こうにマツモトキヨシを見ながら水道橋方面に歩く。やっと見つけた「青森のラーメン店」というのが「豚そば屋 けっぱれ」であった。一瞬、どう見ても青森らしさがなく、通り過ぎてしまった。でも「けっぱれ」だよな。山口瞳ファンなら必ずわかるのだけれど、これは青森弁で「がんばれ」の意味である。
 仕方ないので入ってみると典型的やりすぎの内装だ。イラストというか絵と手書き文字というのがわざとらしく、「つくられた」という雰囲気。その雰囲気を和らげているのが店員さんのダサイ対応ブリ。最近、どうもこの作りすぎの店が多くて困る。気色悪い。だいたい人気のあるラーメン屋ほど内装などは普通ではないだろうか。
 メニューを見るともっとも青森らしいと思っている、煮干し風味の醤油ラーメンがなく、それにあたるのが「コク醤油680円」であるらしい。あとは味噌や塩、味噌カレーなんてのもある。よく見ると「青森ねぶた漬け丼」というユニークなものもあり、好奇心が湧くが、やってきたラーメンの背脂が全面に張って(氷が張るように)いるのを見て諦める。
 見たところスープは乳白色である。一口すすると、そこにあるのは、みちのく青森の味わいではなく、完全にニューウエーブの作り出すもの。背脂の甘味と醤油と塩、スープは明らかに豚骨にほんの少し煮干しかなにかのアミノ酸も感じる。今、あちこちにある「花月」に似ている。でも「青森か!」と思ってはいるとがっかりするだろう。ボクなどは一日机に向かっているわけで、汗をかくような仕事ではなく、しかも今年は暖冬だ。とてもこのような濃厚で「旨い」ラーメンを食べたいとは思わない。
 またこのように内装や外装に凝るくらいなら、ラーメンの値段をもっと下げるべきだ。基本が680円は高いな。

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豚そば屋 けっぱれ 東京都千代田区神田神保町1-54-3 原田ビル1F

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 岩手銀河プラザにあったその名も「盛岡納豆」。まあ名前も地納豆らしくて魅力的だが、そのパッケージにある文字に惹かれる。
「大正10年盛岡高等農林教授村松博士指導 日本初 工業化第1号納豆」とある。盛岡高等農林とは彼の宮沢賢治の母校ではないか? またここにある「工業化」という文字が面白い。今時は手作りを売り物にするのはあるが、「大正時代」というのと「工業化」という文字でより素朴に感じるから不思議だな。
 納豆としてはタレなしの庶民的なものである。味わいもそれほどに傑出しているようには思えない。でもこの岩手山とも思える山、そして擬宝珠の橋という古風な絵柄とで地納豆としての魅力大。

丸勘商店 岩手県八幡平市松尾寄木12-1-25

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 ボクは田舎も片田舎、ある意味山奥の小さな町に生まれたのだ。だから東京に出てきて「初めて食べた」というものも数知れずある。そんななかにカキフライがある。そのカキフライを初めて食べたのは「どこだったかな」が思い出せないのだ。そこで思いめぐらすに最初に住んだ世田谷区弦巻、お金があったときに立ち寄った洋食屋さんだろうか? でも確か偏食気味にチキンフライばかり食べていた。それでは小岩だろうか? でも確かに食べたという記憶がない。そんななかで間違いなくカキフライを食べたという記憶が存在するのが神保町の『ニューポート』である。その1970年代に間違いなくカキフライをこの油っこい店内で食べているのをまざまざと記憶する。一緒に入ったというのが同年の明大生。ボクの学校のなわばりからするとやや離れている金華小学校の前あたりにあって、店名を忘れてしまったパチンコの人生劇場前のすき焼き屋(安いのだ)、ラーメンの『伊峡』『天丼のいもや』『とんかつのいもや』とともに当時は贅沢をしに明大から坂を下っていた。
 すき焼き屋は遙か昔になくなり、2店舗あった『伊峡』は本店がなくなり、『天丼のいもや』のオヤジさんはお亡くなりになったという。また『とんかつのいもや』はどちらかというと従業員の移り変わりが激しく、懐かしさに欠けるのである。そんななか30年のときがなかったかのように『ニューポート』があるのだ。
 この前は年に何回も通り過ぎる。でもなぜかいつも「準備中」の札を見るばかり。どうしたんだろうと、久しぶりに通りかかったらやっと開いていたのだ。
 入ったら店内も30年前と変わらない。べたべたする床もまったく「べたべたする」し、カウンター奥のオヤジさんもおんなし。
「やっぱりカキフライかな」と思った。でも待てよ、ここでトンカツを食ったことってあるんだろうか? それで今回はロースカツ750円にする。また昨年から今年にかけてカキフライを食べ過ぎた。ノロウイルスの原因は決してカキにだけあるとは言えないのに、暮れにはカキが仲卸でも売れなくて困っていたのだ。それがこちらに回ってくる。こんなところ、日本ていう国は困ったものだ。
 ひとしきり待って出来上がったのが目の前に。これがなんとも普通でいいのである。そこにドバドバっとソースをかけて白いご飯と……。そうだここはみそ汁に豚肉が入っている。すなわち味噌仕立ての「豚汁」だったのだっけ、と思い出す。
「20年以上になるんです。前に来たのは」と言うと「来年にはウチもしめちゃうからね」とのこと。それはあまりにも寂しいではないか?
 いたって良くできたスタンダードなロースカツはとても魅力的なものだ。うまい。『とんかつのいもや』とはひと味違ってときどきはこちらにも来たいと思ったところなのだ。
 いろいろ話をして店を出てから、前々から知りたいと思っていた店名の謂われを聞き忘れたことに気がついた。友達と初めてきたときに店名から浮かんできたのは「ニューポートジャズフェスティバル」のこと。たしかその頃に『真夏の夜のジャズ』が再上映されていて話題になっていたように記憶する。1960年が日本初上映だと言うことだからオヤジさんあたりの年代とも符合する。とんかつ屋に馴染まない店名の由来は「ニューポートジャズフェスティバル」なんだろうか?

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ニューポート 東京都千代田区神田神保町1丁目2

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 市場の惣菜などを売る店は楽しいのだ。買い物をしなくてもついついのぞきたくなる。そこには明らかに古くからの定番的なお総菜があってそこに数々のドラマや歴史がある。「ケンちゃん餃子」もそのひとつ。
「今日はケンちゃん餃子ないの?」
 不安そうに聞くと
「これ絶対売れるね。だから毎週持ってきてるわけよ。だから売り切れるのも早いんだ。欲しいんなら、予め取っておいてって言えよ。バカだな」
 八王子綜合卸売センター「ユキ水産」のユキちゃんが、“うざったいオヤジだな”とでもいうような目つきで言うのだ。
 バカは余分だが、残念ながらその日には焼いていない生しかなかったのである。
 生でもいいのだけど我が家で購入するのは焼いたヤツ。これをほんの数分フライパンで焼き直すというのが手軽で便利。困ったときの「ケンちゃん」と言った感じだ。これが大きさのちょうど良くて、焼き加減も中身の味わいもいい。美味なのである。下手な中華料理屋より「ケンちゃん」の方が上だ、といっても過言ではない。
 市場仲間でも「ケンちゃん」大好きというヤカラは多い。そのなかに「小学校の頃よく食ったよ」と言うオヤジがいた。おかしいなオイラよりも年上かと思っていたら。この「ケンちゃん餃子株式会社」の創立が1970年であって、年勘定が合わない。
「ひょっとしてアンタ30代だったりする」
 と聞くと首を一生懸命に縦に振っている。お前老けすぎだ! こんなことで自分の年老いていくのを自覚させられたらたまったもんじゃない。でもそんなつまらないことなんてどうでもいい、とにかく昭島生まれの居酒屋のオヤジにとって子供の頃から慣れ親しんだ「味」なんであることだけは確かだ。
 そして肝心のどうして「ケンちゃん」なのかと思ってホームページの「会社概要」を見てみると簡単にわかってしまった。そこに「ケンちゃん」がいたのである。「な〜んだ」なのである。知りたい方は勝手に見て欲しいホームページを。

ケンちゃん餃子
http://www.ken-chan.co.jp/kenchandownpage.html
八王子総合卸売協同組合「ユキ水産」に関しては
http://www.zukan-bouz.com/zkan/sagasu/toukyou/hatiouji/hatiouji.html

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 中山道を歩いてみたい。そして十条に抜けて川本三郎(敬称略とする。なぜならばまったく未知の方であり、尊敬しているものの。「さん」をつける方がなれなれしく思える)のエッセイにあった酒場にも行ってみたい。と思って地下鉄東西線板橋市役所の階段をのぼる。そして旧中山道を十条に向かって歩いていたら、どこまでいっても環状七号線に行きつかない。そして現中山道に行きあたり、まったく逆の方向に来ていたのが判明。しかたなく板橋の駅を目差していて見つけたのがこの店。店構えにわざとらしさがなく素朴で、きっとうまいものを食わせてくれそうだ。
「てもみラーメン」とあったのでとりあえずそれにする。そしてカウンターのメニューを見るとなんとこれが380円なのである。どこかで酒でもひっかけて帰ろうかと思っているので、夕食は軽くでいい。でも中華系のレバニラ炒めや餃子がうまそうだ。でもとりあえずお願いしたラーメンが来たので、とりあえずひとたぐり。これがうまいのである。なるとはないものの、チャーシュー、海苔にメンマ、そしてワカメ。ワカメが入っているのはいけないにしても素直にうまい。スープも全部飲んでしまいそうだ。これ本当に380円でいいの。
 国道沿いにある創業何年と書いてある店よりも何倍も味がいい。ボクなど板橋住まいならなんども来てしまいそうだ。

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新しん 東京都板橋区板橋1丁目49-5 03-3579-8882

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 下町には洋食屋が似合う。これはボクの勝手な思い込みかも知れないが、無駄歩きのついでに洋食とビールというのが本当に楽しいのだ。そう言えば何でもありの「食堂」というのにも“洋食系”と“中華系”があって、ボクは洋食メニューの多い方が好きだ。
 すでにあたりは暗闇となった錦糸町、駅がすぐそこという所にきて見つけたのが「洋食 斉藤」である。外見はなんとなく暗いイメージ。その店頭にあるご託宣の多さが少々気に掛かる。また値段は1000円前後と高めでもある。でも最近はほとんど昼食抜きなので、思わず入り口のドアを押してしまった。あまりの空腹に理性が失われているのである。
 入った店内が思わず後ずさりするほど整然としている。そして女将さんらしき人の雰囲気がやたらに硬く感じられるのだ。入って正面左に厨房とカウンター、右にテーブルがある。そしてこの店が外見からすると意外なくらいに奥行きがない、細長い。カウンター奥の席に着くと、厨房の店主らしき人がいかにも洋食屋然としている。なんだか神経質そうである。そして水を持ってきた女将さんがいきなりライスは別ですからと、とってつけたようなことを言うのだ。
 初めて入った店なので無難にメンチカツ950円とライス200円。注文を受けると、なにやら店主はメンチカツの中身をこねているような。そしてなかなか揚げようとしない。ボクの後に続くように一人二人とお客が入ってくる。気がかりなのはカウンターの出口あたりに巨大な女性が座ってしまって、どうも出られそうにない。その二人が注文したのが“ハンバーグシチュー”というもの。どうもこれがこの店の名物らしい。
 メンチカツはなかなか来ない。空腹感を我慢しながら厨房を見ると、店主が神経質そうにメンチを揚げ始める。そして刻んでいるのはキャベツだろうか? なんだか繊細な動きだな。
 そして女将さんがメンチを持ってきて、「ご飯は左ですよ」と言って置いていったのだ。これには驚いたなモー。この店、ひょっとして逆に置くとレッドカード退場なんてこともあるんだろうか?(レッドカードが退場だっけ、それともイエローカードが退場かも。間違ってたらご免の助)
 まあ、女将さんの態度は気にしないことにしてと、このメンチがこれ以上ないというほど端正なのである。つけ合わせの野菜も美しい。しかも、その見た目通りにメンチもうまい。ご飯もみそ汁もいい味で完璧ではないだろうか。
 でもその喜びはお隣に“ハンバーグシチュー”が来たことで総て消えてしまった。それがあまりにうまそうだったからだ。

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 我ながらつくずく勘の悪いヤツよと嘆く。それは今更、後悔しても後悔しきれるものでもない。仕方がない、改めてここに来るしかないのである。そして寂しく店を出ようとしたら、やはりカウンター出口の女性は大きすぎた。そのこには負けるが、ボクだって誰が見てもデブなんである。店から出るのに悪戦苦闘数分。まるで虎の穴から脱出するようだった。


洋食 斉藤 東京都墨田区錦糸2-5-7

 地下鉄浅草駅を松屋デパート口から出る。面白いことに、浅草は建物が変わっても道行く人は、どこまでも浅草らしい、どこかあか抜けないのだ。馬道通に出るといきなり不思議な格好の演歌歌手が自身のCDを露店販売している。襷がけに「雪美さくら」とある。

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 こんな光景も浅草には似合っている。

 馬道通を北上する。すでに4時を回っており、夕暮れは近い。今回の目的は吉原大門跡を見るため。できれば、このまま三ノ輪橋、樋口一葉の竜泉も見て回りたいが、難しそうだ。
 馬道を北上、ほどなく浅草寺二天門を左に見る。馬道通とはいっても道幅は広く、左右はビルに挟まれて歩いていても楽しくも何ともない。

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 さっきから何台も観光バスが北に、そして次の四つ角を左折していく。また逆に右折してきて南下していく。どうも浅草寺裏手に観光バスの駐車場がある模様だ。
 この四つ角の東西に言問通、とするとこの味気ない道路の東側が花川戸であったわけだ。「花川戸助六」しか思い浮かばない知識の貧困さに我ながら反省しなければ。ちなみに「助六」という野暮ったい名前が歌舞伎の世界で、言うなればヒーローとなったのは、延宝初年(1673年)に万屋助六という実在の人物が、京都島原の遊女、これまた実在の揚巻と心中した事件から取ったものだという。どうして京都から花川戸に場所を移してきたのか、歌舞伎の世界は奥が深い。(『歌舞伎十八番』戸板康二 中公文庫)また歌舞伎、「助六由縁江戸桜」で花川戸に住む助六が揚巻を尋ねるにしても、ほんのねきの距離だったという設定にもなるわけだ。

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 言問通りの角に鬘屋がある。これは浅草らしい。言問通りを超えると浅草三丁目。通りを渡ると現在の浅草六丁目であるが、本来の猿若町。ここは天保の改革で江戸三座が移転してきたところ。遠山金四郎が歴史に残るのは江戸三座を廃止しないで、浅草に移したことによる。それを、「浅草六丁目」なんてわけのわからん町名にしたやつは誰だ「おろかもの」、知的な頭みそゼロではないか? 出来るだけ早く旧町名を復活して欲しい。
 浅草四丁目、交差点の角に「長崎ちゃんぽん ハイラル」というのがある。こぢんまりした店舗で絵になるのだけれど「うまそうな」気配が感じられない。お昼抜きで歩いているので、少しだけ心が動かされたが、ときには自分の感を信じて通り過ぎる。右手に懐かしい作りの「散髪屋」がある。そう言えば徳島では理髪店とは言わず「さんぱっちゃ」と言っていた。東京でも「散髪屋」というのだろうか? 右手に灯りが見えてきて、その隣に丸く張り出した暖簾。暖簾に「大木」とあり、洋食屋さんであった。夕食はここでいいかなと思いながら、これまた通り過ぎる。冬至を過ぎてから、東京の夜の迫りは急なのである。

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 道が左にゆるくカーブする。ほどなく町名が「千束」となる。そして旧町名が新吉原、江戸町、角町、京町。誰が吉原の町名を嫌ってしまったのだろう。だいたい今でもこのあたりには風俗関連が密集している。そして道を渡ると東浅草一丁目、二丁目。急日本堤、山谷である。山谷の歴史も調べないと昭和という時代はわからない。
 吉原大門あたりに来たが何があるでもない。道路の向こうに「土手の伊勢屋」が見えてくる。隣が「桜肉鍋中江」。天ぷらでも食べたいなと思ったら今日はお休み。

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 そのまま「いろは会商店街」に入る。入った途端に左手の酒屋前に老人たちがワンカップや缶ビールを手に集団で立っている。別に会話を交わしている風でもなく、少し寂しい。右手には豆腐店、肉屋。商店街にシャッターを下ろした店が目に付く。そしてときどき座り込んで酒を飲む人たち。「いろは会商店街」はこぎれいな、アーケードの通り、そこをゆらゆら歩く老人がひとり、ふたり。夕闇は休息に下りてくる。行き着いてまた引き返してくる。

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 このまま三ノ輪橋まで北上するべきか悩んだ末に、「大木洋食店」に惹かれるところ大、ということで浅草に引き返す。「いろは会商店街」で見た光景から気持ちが落ち込んで、寂しくて仕方がない。あたりはすっかり夜となってしまったのだ。

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 納豆の名に「末廣丁」とあって、そして日本橋なら、きっと日本橋での老舗納豆屋に違いなしと思う。ちなみに古くは「丁」は「町」と同じ意味合い。両用されていたのだ。また日本橋で「末広」というと「人形町 末広」も思い浮かぶのである。話はどんどん横道にそれるが、日本橋の人形町が未だに人の歩く街なのに対して、箱崎はまるで近未来の非人間的な“ケース”とも言えそうだ。そこにはいろいろな機能を納めてはいるが人のよりどころがない、そんな対比がこの狭い地域に見られるのが皮肉な感じである。
 その箱崎に近い浜町に「光食品」はある模様だ。ここは言うなれば製造会社であって、小売りはしていないんだろうか、もししているなら買いに行きたい。そんな素朴なパッケージである。だいたい「末廣」で「扇」の絵なんてわかりやすくて微笑ましい。
 中身はいたって良くできた納豆であった。納豆菌が作り出す旨味もあり、豆の旨さも感じられる。また芥子はつけているがタレなしというのがいい。

光食品 東京都中央区日本橋浜町3丁目8-4

「麺・DINNING 毘沙門天」は豊田駅から住宅地へ北上しての目立たない場所にある。昨年の12月にこの前を通ったら「12月20日オープン」とあって、「新しいラーメン屋が出来るんだ」と楽しみにしていた。そして店名が「麺・DINNING 毘沙門天」なのである。外見からしても「今時の店だな」、っと思って今年になって実際入って見ても「今時の店だな」と思った。こぎれいな店ではあるが気楽にラーメンを食べるという気分になれない。酒が飲めるし、おつまみや一品料理もある。そこでオヤジには来てほしくないのかも知れない。「ある程度オシャレな店にしたいのか?」、とするとオヤジバリア設計かも知れない。
 また店員の服装はこのようなものではなくて「渡る世間は鬼ばかり」のあれがいちばんだとオヤジは思うけど、若者はTシャツや黒ぽい前掛けや、普通の格好が落ち着けるのだろうか? 今時のラーメン屋の姿形が気色が悪い。

 そして初めて入った店で必ず注文するのは、いちばんスタンダードなもの。品書きを見ると「ラーメン」があって、当然これしかない。
 出てきたらなんとステンレスだろうか、受け皿に乗っている。これが不安定な感じでいやだな。また丼の選び方もいいとは思えない。どこか今時の女性が好みそうな絵柄、形。
 そこに半熟の煮たまご、チャーシュー、海苔にちらしてあるのはワケギだろうか? それとゴマ。このあたりの取り合わせは好きでも嫌いでもない。でも煮たまごは「オヤジ殺し」だ。またスープは比較的澄んでいる。
 そしてスープから。この味わいはいい。やや塩分濃度辛目、鶏ガラの風味がある、そして適度なアミノ酸の旨味。ここに少しだけ、魚貝類のアミノ酸が加わるといいかも。でもこのスープはいいな。そして麺であるが、嫌いと言うわけではないが、好きじゃない。あえてこれを選んだわけがわからない。ボクの行きつけの岩本製麺(八王子)などならもっとこのスープに合うのがあるように思える。
 さて、この毘沙門天は「店の作りと雰囲気は大嫌いだ! けど、もう一度行ってみたいな」と思わせる店。手放しにうまいとは思えないがラーメンに関してはボクは好きだな。塩味の「鶏そば」というのもあって、それにも惹かれる。

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ボクの感想はアテにならないので、詳しいことは「さやぴぃさんのデータベース」へ
http://www.geocities.jp/sayapie3838/database.htm

 八王子綜合卸売センター『伸優』に「ちくま味噌」というメーカーものが揃えてあって、そこに「信州みそ」というのがある。それで「ちくま」=「千曲」すなわち長野県の会社かな? と勝手に思っていた。そうしたら東京の会社であり、独自の味噌もあるもようだが、全国の味噌も販売しているのであった。まぎらわしいな。
 でもこの「信州みそ」は、麦麹味噌の信奉者であるものからしても、なかなかいい。だいたい、あまり信州味噌自体に感心がなかった。何しろ味噌屋を見つけると全部買ってしまうというくらいに「味噌オタク」なので信州味噌も数知れず買っている。確か松本城の近辺にあった味噌屋はよかったし、上田でかったのもよかった。でも信州味噌の特徴がわからない。大手といえばタケヤみそだろうか、これは確か徳島での子供時代にもあった。そしてこれは白みそみたいにクリーム色なのだ。では甘口なのかというと塩辛い。そして実際に長野に行って買った見ると白くないのだ。そして今回の「信州みそ」の色が薄めだ。
 作っているのは「上高地みそ」(長野県松本市)である。この味噌もやや塩分濃度は高いようだ。でも味がいいのだ。1キロ300円弱と明らかに下級品なのに塩分と旨味のバランスがいい。また麦麹のものよりも野菜などの持ち味を引き出してくれる。「そうか、甘口のまったりしたものよりも、信州味噌の塩分高めの方が具の味わいを引き出すのか」という発見をする。
 またこの薄目の色合いに白みそを合わせて鍋の汁を作っても面白いのではないだろうか? こんどクロソイなんどでやってみたい。

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上高地みそ
http://www.kamikoutimiso.co.jp/index.htm
ちくま味噌
http://www.chikuma-tokyo.co.jp/index.html

 たつきしごとが終わり、まだ5時前だというのに夕暮れ迫る街に出る。ときどきのぞく古本屋に本がないので表で50円均一を一冊もって奥へ行く。
「あの、本がありませんね」
「あ、そうなんです。明日から浅草松屋で古本市があって、そちらに送っちゃって」

 地下鉄神保町駅から半蔵門線で隅田川を超える。時間がないので押上から、業平、横川、錦糸町と短い距離を歩く。この無駄歩き、本当に得るものがなかった。

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やっと下町らしい煎餅屋を見つけたら。「もうここでは焼いていないんです」という寂しい答えが

 落胆して錦糸町駅そばの「洋食 斉藤」という店でメンチカツを食べる。このメンチカツはおいしかった。
 そして駅前から突然聞こえてきたのがケーナとチャランゴの「コンドルは飛んでいく」。赤いマントが見えて、間違いなくペルーの人、名演だ! 懐かしい! サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」を始めて聞いたのが確か中学二年のとき。アルバム「明日に架ける橋」は3度買い直している。

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 たぶん30年振りに錦糸町、総武快速のホームに立つ。ホームの東よりにコンビニがあり、中央年のオヤジがいっぱい群れている。何をしているのかというと缶ビールやワンカップを買っているようなのだ。それをホームの椅子に座って飲む。なんとも空しく寂しい光景であることか、でも身につまされるな。
 錦糸町から総武快速で東京駅。ちょうど滑り込んできたのが中央快速の新車両。
 車内は山手線と同じじゃないだろうか。4人、7人、7人がけの座席、そしてシルバーシート。椅子が一人ずつ区分されているのがいい。またドアの上に画面があり、中央線で青梅行きにのったのか、高尾行きにのったのか? などがわかって便利だな。でも片方の画面の映像はまったく意味がないもの。ニュースなどを文字で流して欲しい。また明らかに振動が軽減されて乗り心地がいい。駅に止まる直前に腹の虫のように「クウウウウウウー」と泣くのもいい感じだ。また一番端っこは居眠りしやすいぞ。

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 相模原の市場はまことに混沌として、また雑然として、そしてとらえどころがない。四方八方に棟があり、肉屋、魚屋、そば屋に寿司屋、などがバラバラに存在しているのだ。こんな空間が横浜に向かう国道16号に隣接していること自体驚異を感じるのだが、個人的にはこの闇市の雰囲気の感じられる空間が大好きなのである。
 私的意見ながら相模原はつまらない。ただのベッドタウンである。そんじょそこいらのサラリーマン氏にはやっとたどり着いたマイホームの地かもしれないが、あなたたち現在主流の人種が作り出す街はぜんぜん面白みがない、つまらないのコンコンチキである(この辺、昔の中村錦之助になったつもりで読んで欲しい)。そこに唯一華を残すのが相模原綜合卸売市場なのである。まさに有機的な人間味あふれるところなんだよ、ここは。
 そこで不思議な店を発見。外見は喫茶店としか思えない。でも定食、ラーメンの文字があるんだから食堂だろうか? 面白いので入ってみる。そして勇気を出して「ラーメンお願いします」。

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 奥からどことなく上品そうなオバチャンが出てきて、濃いお茶を出してくれる。目の前にはなかなかそうそうたるうまそうな品書きが並ぶ。よく考えると早朝から走り回って、腹ぺこペコなのに思い切って入ったので冷静さにかけていた。見るとハンバーグ定食、焼き肉に、中華の野菜炒め、チャーハン、そしてカレーにオムライス、焼き魚まである。あまりに大きな失敗に頭がクラクラしていたらラーメンが来た。
 ふと見回すと外からの光が柔らかく、そして暖かい。なんとも居心地のいい空間で、これなら相模原に来たらここで飯を食うのもいいなと思ってしまう。そしてラーメンだが、いたって平凡なあえて言えばうまくもまずくもないもの。でも400円は安いだろうし、のんびり新聞でも読みながら、ここで一時を過ごすだけで、それ以上の価値がある。

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相模原綜合卸売市場
http://www.sagamihara-ichiba.co.jp/

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 北千住を無駄歩きした。そんな町歩きをしていて店を見るだけで、「ここは間違いなく良い店だ」と思えるときがあるが、ここもまさにそんな店。いかにもうまそうな豆腐屋があって、初めての店なので1丁だけ買って、そして後悔した。
 それでなんどか豆腐を買ってしまっているのだが、ハズレがない。まことに大豆の風味、甘味があってうまい。
 他にもうまそうながんもどきや豆腐のメンチカツ、お総菜なども売っている。こんどはもっといろいろ買ってこよう。

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トウフショップ むさしや
http://www.senjyu-tofu.com/

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 岩手銀河プラザで買ったもの。あまりに旅に出られない寂しい日々を地納豆を買うことで購ってしまっている。
 パッケージには雪国の「わらし」、そこに丸大のマークとなかなか地納豆として情緒がある。
 中身の方も岩手産の大豆の味わいが生きていて、とてもうまい。

岩手県盛岡市愛宕町2-42

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