郷土料理・郷土食品の最近のブログ記事

秋田の笹巻き餅

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買ってビックリ、秋田の笹巻き。
新潟でいつも買っているのが、笹団子。
中身は団子というか、餅なのだけど、あんこ入りなのが惹かれる点。
同じものを秋田で見つけて、ためらいもなく買ったら、それはまったくの別物だった。
なんとご飯、たぶん餅米の米の粒の見えるおにぎりのようなものが中身だったのだ。

これを蒸して、温めて食べたら、餅米の甘い香りが立ち上がってきてうっとり。
あまりのうまさにビックリ仰天。
これぞ知らなくて大損をしていたな、と思う好物そのものだ。

普通はきなこをつけて食べるのだというが、柚みそをつけつけ食べて、感動するくらいうまかった。
こんなことがあるだけで秋田が好きになる。

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新潟県長岡市は上越線の線路をはさんで北側は工場地帯、南側は古い雁木の町並みが残る。
その古い町並みに摂田屋という曲がりくねった道にそった一角がある。
何の変哲もない、月並みな田舎道だなと思っていたら、点々と酒蔵、みそ・しょうゆの蔵などがある。
全国的知名度をほこる蔵本「吉乃川」もここにあったのである。
さんざん迷った末にたどり着いた摂田屋。
やっと摂田屋に着いたらしいと気がついたのが長谷川酒造の建物によってである。
ここで特別純米酒「雪紅梅」を買い求め、ちょっと女将さんに摂田屋のことを聞く。
「このあたりならではの食べ物ありませんか?」と聞き出てきたのが、しょうゆで色づけした赤飯なのだ。
お祭りなどのときに『越のむらさき』という醤油醸造元が作っていると言うが、本日は「け」の日。

結局、「スーパーならいつでも売っています」と『越のむらさき』で聞き車を曲がった鉄砲玉のように走らせる。
ほどなく見つかった「原信」の大きな駐車場に入り、総菜のコーナーにいったらすぐに見つかった。
赤飯とあるが、小豆やササゲを使ったものはなく、総て「正油赤飯」ばかりだ。
餅米をしょうゆで煮染めて、具は大正金時のみのものと、ゴボウ、ニンジン、油揚げなどを加えた五目赤飯の2種類がある。
当然、両方カゴに放り込む。
このスーパーで、他にも地元ならではの食材をいっぱい買い込む。
実は地元ならではの食材を探すならスーパーに行くに限るのである。

この醤油味の赤飯がなんともうまいのだ。
塩加減がほどよく、ほんのり醤油の香りが立つ。
『越後製菓』というメーカーの作ったものだが、なんともよくできている。
これを食べながら浮かんできたのが、落語・品川心中に出てくる「おこわ」である。
「おこわ」=「赤飯」と思われているが、実は「赤飯」は「おこわ」の1種であって、「=」ではない。
また「赤飯」の定義は小豆やささげを使った「おこわ」というものだ。
なんだか複雑になってきたが、とにかく長岡市で「赤飯」というのは「醤油味のおこわ」だということだ。

越後製菓

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毎日立ち寄る、八王子綜合卸売りセンターの土屋食品。
この頃、ところてん、コンニャク作りは一段落。
ちくわぶ作りに忙しい。

さて、竹輪麩(ちくわぶ)って知っているだろうか?
まあ小麦粉で作り出すものだから、麩なんだろうけど、どちらかというとしっかりしたすいとんのようなもの。
土屋食品のオヤジサンに言わせると、関東関西、おでんの違いは
「関東のちくわぶ、関西の牛筋」
なんだという。
関西人にはなにがなんだか、白くて得体の知れないものが、おでん(関東炊き)に浮かんでいるのだけど、これがちくわぶだ。

土屋食品でちくわぶを作り出したら、秋なんだな、と感じる。
これが市場歳時記とでも言えそうな気がするね。

八王子の市場に関しては
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 滋賀県近江八幡周辺で作られる「赤いコンニャク」を初めて見たのは京都だった。
 確か市内のデパート食品売場。
 今考えてみると、市内のあっちこっちに赤いコンニャクが売られていて、これが京都のものではないというのもいつの間にか知っていたのだ。

 珍しさから、買い込んだものの普通のコンニャクとかわることのない味わい。
 拍子抜けするほどに普通のコンニャクだったのだ。
 でも「赤」というのは強い色で、逆に普通のコンニャクの濃いネズミ色というのがむやみに目立たない。
 料理のなかで沈み込んでしまう、見た目、姿を隠してしまっているコンニャクが、赤くなると主役になりえる、というのを今回証明してみたい。

 さて、近江八幡の赤いコンニャクを買ったのが大阪の木津市場。
 もどした国産ゼンマイを買ったら、その反対側の豆腐などを売る店にこれがあったのだ。
 ゼンマイとコンニャクとなったら、後用意する物は少ない。
 青味(緑)のドジョウインゲン、油揚げ。
 コンニャクはゆでこぼし、適宜に切っておく。
 鍋に胡麻油、そこに材料をどんと放り込んで炒め煮にする。
 味醂、少量の砂糖、少量の酢、醤油。
 炒め煮ほど簡単な料理はない。

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 さて出来上がった我が家の定番的な惣菜。
 なかでも一際目を引くのが赤いコンニャクだ。
 ここでは間違いなくコンニャクが主役。
 炒め煮を作ったときは一合ほどご飯を余計に炊かねばならぬ、ならぬのだ。

赤こんにゃくどっとこむ
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砂糖醤油で味つけした卵焼きの基本はけっして混ぜすぎないこと、白身の層がくっきり出るくらいがうまい

 1974年、東京に出てきて一人暮らしを始める。
 江戸川区小岩というところに住み、たまに定食屋に入っていたのだけど、そこで食べた卵焼きに強い衝撃を覚える。
 おかずは皿にのったのを自分でとるという形式。
 陳列ケースに黄色くない、むしろ黒っぽい卵焼きを発見する。
 卵焼きなのは一目瞭然、脇に大根おろしというのも目新しかったのである。
 これが面と向かって東京風(下町風?)醤油砂糖味の卵焼きを食べた初めだった。
 うまいのか、まずいのかという以前に驚くべき味だった。
 卵焼きは醤油で塩辛く、それ以上に砂糖で甘すぎる。
 いけないものを食べているような後ろめたさを感じながら、その濃厚な卵焼きに、東京の持つ大胆さ、もしくは野暮ったさを感じてしまう。
 東京というのは料理に関しては野暮ったくて、粗野なのだと確信したのは、この卵焼きと、真っ黒な汁の立ち食いそばのせいである。

 醤油砂糖味の濃厚な卵焼きは、現在にも生きる東京の「むかしの味」なのだ。
 池波正太郎と殿山泰司の本に、東京風の卵焼きの作り方が詳しく載っているが基本的には同じ。
 卵に醤油と砂糖をたっぷり放り込んで、くるくる巻き巻き香ばしく焼く。
 殿山泰司が子供の頃に自ら作る卵焼きなど、「これでもか」というほどに砂糖を「ぶっこんで」いたのだ。

 この醤油砂糖味の卵焼きを久しぶりに作ってみる。
 醤油には大量のアミノ酸が醸し出されている。
 そして卵にも必須アミノ酸をはじめ甘み、旨味が備わっている。
 これだけでも濃厚なところに砂糖が来るわけだから、フォアグラの上にアンキモをのせて、その上からフグの白子をのせてしまったような、屋上屋をなすような味になる。
 ちなみに小岩の食堂で食べたような黒い卵焼きは、どうしてもボクには作れない。

 結局どんなに大胆に作っても、醤油甘いだけの卵焼きで、醤油と砂糖で甘辛い重い重い獣めいた味にはならない。
 救いは醤油と卵の焼かれた香ばしさであって、そこには微塵の爽やかさもない。
 これを作るたびに東京の料理の基本形は、野暮ったくて粗野なのだという考えに改めて到達する。

 話はそれるかも知れないが、東京生まれの人に多くみられることに「権威主義の傾向」がある。
 食でも、音楽でも、学校学歴でも、「●●だから上等」とか、「●●でなければ」なんて本気で思っているらしく、田舎ものであるボクにも、ときにそれを押しつけてくる。
 野球の世界にナベツネという老人がいて「野球は巨人」との信念を世間にも強要するがごとき振る舞いをしている。
 この老人は明らかに東京的権威主義の典型だと重う。
 例えば「セリーグ」、「パリーグ」とあって、パリーグ出身の名監督(落合、野村)がいて、たぶん監督としての能力は今現在頂点だろうのに、MBCの監督にはしないといったことをやる。
 権威主義的に赦せないから、あえて無能な監督を選出するごときこともやる。
 考えてみると現代のスポーツ界に爽やかさは微塵もなく、あえて言えば汚らしく感じることの方が多い。
 もしも巨人軍が優勝したら銭金で買ったものだし、オリンピックの選手を製造するのもお金のなせるわざとなりはてている。
 これら総てが明らかに権威主義のもたらすマイナス面である。

 その野暮ったい、思い込みの激しい江戸文化(東京文化)が作り出したのが江戸前ずしであり、すし玉(すし用の卵焼き)なのだ。
 この、すし屋ならではの卵焼きを築地場内・場外、そして日本橋人形町に探すというのが、ボクの今年の課題だ。

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塩だけで味つけした卵焼き。卵焼きの基本はけっして混ぜすぎないこと、白身の層がくっきり出るくらいがうまい

 最近、卵焼きのことを「調べてはいない」けど、いろいろ思いを巡らし、「卵焼き(玉子焼き)」とは「なんぞや」なんて考えているのだ。
 なぜなら、すしの世界に卵焼きは欠かせないもので、半世紀以上生きているが「卵焼きのないすし屋」には出合っていない。
 すしを調べていく限り、卵焼きは避けては通れない品目なのだ。

 卵焼きのことを考えると思いは遙か子供の頃にまで遡る。
 ボクの生まれ故郷は徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)というところ。
 徳島市から徳島本線で一時間以上、急行に乗っても50分もかかる。
 吉野川べりの小さな古い町だ。
 高校時代、二駅汽車(ディーゼルカー)に乗り、典型的落ちこぼれ高校に通っていた。
 給食はなかったので弁当を持っていくのだけど、おかずは毎日同じ。
 母はボクが小学校に上がる前に死んでしまっているので、作り手は祖母。

 微かに変化があったのかも知れない。
 でも基本は動かず赤いウインナーソーセージと卵焼きだった。
 長方形の当時流行ったブック型弁当箱、おかずは弁当箱内に収納するこれまた「長方形のフタをぱちんと留める小箱」であって、弁当容器の3分の1ほどがおかず、3分の2がご飯だった。
 弁当箱の側面にかっこよくスライド式に収納するスマートな箸箱がついている。
 ふたは教室でお茶(酸味のある阿波番茶)を飲むときに使う。
 ハンカチで包んだ弁当箱の生温かい感触が懐かしい。

 弁当箱を黒い鞄に入れ、一番前のいつもの車両に乗り込む。
 朝の通学時間、池田発の車両内は満席、半数以上が立つという状況だった。
 今でもそうなのだろうか? 帰郷したら希にワンマン・二両編成となった徳島本線にのるがいつもガラガラである。
 話題はいつもギターのことだし、吉田拓郎とか加川良のことで、ボク一人だけサイモンとガーファンクル、PPMに入れあげていて、五つの赤い風船、フォークル以外の日本の音楽はつまらんなんて思っていたのだ。
 黒い鞄に雑誌『ガッツ』、『新譜ジャーナル』なんて忍ばせてた世代だ。
 当時、女子の話題の中心と言ったら西城秀樹に郷ひろみ、ギターを持っていない男子は中三トリオ(山口百恵、森昌子、もうひとりは誰だっけ)。
 我ら1956・1957年生まれが卵焼きが贅沢には思えなかったのは、子供の頃から普通に食べていたからだろう。
 主に好みから卵はご飯にかけるものだったけど、卵焼きに驚喜した記憶はない。

 卵は古代から贅沢、高級なものだった。
 石坂洋次郎の小説『青い山脈』の最初に主人公二人が出合う場面がある。
 そのとき雑貨店の店番六助に米を売りに来た新子が昼ご飯を作るってやるのだけど、その料理というのが目玉焼きだったはず。(映画と小説を混同しているかも)
 卵焼きは、事ほど左様に戦争が終わって、どんどん生活がよくなる、という明るいイメージを醸し出す象徴的な食べ物だったのだ。
 それが高度成長期とともに卵の値段は急速に下落する。
 急速に物価が上昇した時期に、卵だけが値を下げていった(インフレの最中にあっては価格が上がらないということも、下落と同義だ)というのが面白い。(参考/『値段の明治大正昭和風俗史』朝日文庫)
 我々、1950年代中後半生まれは、「卵が高級」であるという思いからは脱した世代だともいえそうだ(地域差はあるだろうけど)。

 そして今回の主役の卵焼きになるのだけど、ボクが幼い頃から慣れ親しんでいたのは塩だけで味つけしたもの。
 ちょっと塩辛いくらいの卵焼きで、白いご飯に相性がよかったのだ。
 それこそ物心ついたときから卵焼きは塩味だけで育ってきたわけで、特に高校三年間は朝昼晩の三連続塩味卵焼きということもあった。
 祖母の育ちは隣町美馬町(現美馬市)の素封家で、代々教師の家だったらしい。
 嫁ぎ先が古い商家であり、この塩味の卵焼きはどちらの料理法なのか判然としない。
 父の実家も隣町美馬町、大規模な農家で、ここには大きな食堂があった。
 ここで食べたのが、卵にほんの少しの砂糖、醤油をチョンと垂らすという代物。
 子供心にも甘い卵焼きだな、と思ったくらいだから砂糖はたっぷり入っていたのかもしれない。

 そう言えば、幼なじみの女の子の家では卵焼きに砂糖が入っていた。
 砂糖が入っている方が高級なのか? という疑問、もしくは確信が沸き上がったことがあった。
 そして記憶をたどっていく。
 ボクの生まれた家の前に金物屋さんがあって、ここにも同級生の女の子がいた。
 我が街は剣山に向かう街道の起点にあたり、江戸時代くらいからの古い街並みが(今でも)続いている。
 例えば、ここに木枯らし紋次郎が歩いていても、それでいいような街道に沿った江戸の街並み。
 その一軒一軒の間口も広いのだけど、奥行きはその何倍もある。
 だから母屋(店舗)があって、奥に食堂(釜屋)があってという造りが多かった。
 前の金物屋の奥にはモダンな感じがする食堂があり、そこでこっそり見たのが黄色くない卵焼きだった気がするのだ。
 これがまことにうまそうな匂い。
 醤油を熱したときに出る、そんな匂いだった。
 もっと卵焼きをじっくり見たいなと思ったのだけど、同級生の母親から、「お昼ご飯を食べてから遊びに来てね」と言われてそそくさと家に逃げ帰ってきたのだ。

 卵焼きにもいろんな作り方があるのだ、というのは当時ボクの大好きだった「きょうの料理」(NHK)でわかってはいた。
 我ながら不思議な子供であった。
 間違いなく学校に上がる前から料理番組が大好きだった。
 「きょうの料理」を見ては料理を作り、また作りというのが楽しかったのだ。
 ある日、(魚肉?)ソーセージを巻いた卵焼きというのをやっていた。
 野菜を巻き込むというのもあったし、炒り卵の存在もそこで知ったのだ。
 子供の頃からとにかく料理を作ることが好きだったので、当然、卵焼きに変化を求めても良かったはずだけど、上京するまで、なぜかガンコにも、なぜか塩以外の卵焼きの道には踏む出せなかったのはどうしてだろう。
 ことほど左様に卵焼きというのは保守的で各家各様のものだ、ともいえる。

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 毎朝、クルマのフロントグラスが凍り付くようになってきた。
 東京都とはいえ、多摩丘陵は寒いのだ。
 なかでもとりわけ底冷えするのが八王子。
 北野町八王子総合卸売センター『土谷食品』の夫婦が早朝からちくわ麩作りに励む。
 この、ちくわ麩というのが東京ならではのもの。
 別に高度のグルテン食品(麩)でもなく、ただの、うどん粉を練っただけのもので、ようするに竹輪型のうどんといったものが、その正体だ。
 そんなにうまいもんじゃないよな。
 五十路のボクはおでんに浮かんだちくわ麩を敬遠するが、恐るべし我が家の娘どもは「ちくわ麩なくしてでんはない」というほどに愛して止まない。

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 なかでも土谷食品の、ちくわ麩は最高にうまいんだという。
 朝からせっせと、ちくわ麩をつくる。
 これぞ八王子市場での冬の風物詩である。

八王子市場案内
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 このところ仕事がらみで築地に行くことが多くなっている。だから築地行が増えているのにもかかわらず場内をゆっくり見て回る暇がなくなってしまっている。
 そんな慌ただしく通り過ぎる場内でぱっと目に飛び込んできたのが、この「ひや汁」である。

 我が家の夏の定番のひとつが「ひや汁」だ。
 この「ひや汁」には3種類ある。ひとつはこの「日向のひや汁」と同じもの。
 もうひとつは埼玉県で作れられているものをアレンジしたもの。
 最後は同じく宮崎県の「ひや汁」でも海辺に近い地域で作られるものだ。
 今回はそれぞれの「ひや汁」を語るのは煩わしいので省く。
 おいおい総て取り上げていくことになる。

 本製品の製造元「向栄食品工業」は海辺からやや遠ざかった国富町というところにある。
 これが『聞書き 宮崎の食事』でいう山間部にあたるのか宮崎平野部にあたるのかは疑問だが、どちらかというと山間部に近いようだ。
 宮崎県の郷土料理「ひや汁」には必ず魚が使われる。この魚であるけど、海辺では焼き魚、平野部では焼いて干したもの、山間部では「いりこ」となる。
 ここで使われているのは「いりこ」であって、これをから煎りして、ごま、みそとする。
 これを水で溶いて、夏の香辛野菜を加えると「ひや汁」が出来上がる。
「日向のひや汁」にはみりん、落花生(ピーナッツ)などが入っていて、これが特徴であるようだ。
 みそがあまり辛すぎず、とても食べやすい、また味のよい「ひや汁」となっている。

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 我が家ではキュウリ、ミョウガ、青じそ、ネギを加えて、炊きたてのご飯にぶっかけて食べた。
 当然「ひや汁」なのだからたっぷり氷を入れて、冷や冷やにひやして。
 暑さから食欲の落ちてきているときに、「何杯でもご飯が食べられる」と、「ひや汁」は夏のカンフル剤でもある。

向栄食品工業 宮崎県東諸県郡国富町大字竹田991

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 九州大分には「ゆずこしょう」という名産品がある。これはユズの皮、青唐辛子をすり下ろして、塩をくわえて混ぜて発酵させたもの。これを刺身や湯豆腐のときにちょっとつけると素晴らしい香りと辛みが楽しめていいのである。
 今回のものはユズの替わりにカボスを使ったもの。ユズの香りは強く、やや甘ったるい。それに比べてカボスは香りに甘さがなく、より青味を感じるのである。ボクはユズを使ったものよりも、どうやらカボスの方が好きらしい。
 ときどき富士吉田を無駄歩きするようになって、当然食べるのは“うどん”となる。釜揚げあり、ふつうのかけありで吉田のうどんは多彩なのだけれど、必ず添えられるのが唐辛子みそ、もしくは山椒みそである。これいいなと思っても買ってこれるわけでもなく、あれこれ思案していたときに見つけたのが「釜揚げうどんをかぼすこしょうで」というもの。これがなんともうまいのである。我が家ではカツオ節をきかせた汁を作るのだが、それが無用というほどに充分旨味がある。

大分みどり農業協同組合
http://www.ja-oitamidori.jp/index.html
八王子綜合卸売センター「伸優」
http://www.shinyuu-ok.com/

 農文協の「聞き書 千葉の食事」にどうしても理解できない食べ物がのっていて、長年気になっていた。それがある日、「永六輔の土曜ワイドラジオ東京」を聞いていたら、タレントのラッキー池田が千葉県市原市にその「とうぞ」を探しに出かけていた。そして実際に市販されているというのだ。
 市原はクルマでよく通るところ。市街地らしい場所も見つけられないでいる。これでは無駄歩きのしようがないのだ。それで外房への山越えでは通り過ぎるだけの町となっている。

 あるというのはわかったものの業者の名前は聞き逃してしまった。しかたなく市原市役所に電話で問い合わせ、「赤石味噌麹店で造っているのだ」と判明。そして「赤石味噌麹店」に「とうぞ」を売る、「房の駅」というお土産屋を教えてもらう。

 そんな「とうぞ」探しをしているとき、我が仕事場にその市原で生まれたという戦前生まれのオヤジと言うよりおじいちゃんの警備員の方がいて「とうぞ」を知っているというので、わざわざ聞きに行ってみた。すると「とうぞ」とはどうも味噌を造るときの煮汁に、また煮た大豆を加え、そこに麹も加えて、切り干し大根を細かく切り込んで塩味をつけたものであるという。これをご飯にかけて食べるのだが「子供心にいや〜な食い物だった」という。
 確かに味噌豆を煮た汁はいい匂いがして、造るたびに捨てるのがもったいないなとは思っていた。でも飲んでうまいものだと思えない。それに塩味、煮た大豆、麹を入れて、しかも切り干し大根。どこをどう想像しても「うまい要素」はないではないか。それでも食材マニアの血が騒ぐ。エイヤ! っと「赤石味噌麹店」に思い切って宅配してもらった。

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 そして届いた「とうぞ」なのだが、思ったよりもドロリとした、ひしお状のもの。中には大豆、麹はあるものの、面白いなと感じていた切り干し大根が入っていない。ひとすくい食べてみるとやや塩辛くて味噌豆そのものの味わいに麹の風味とほんの微かな甘味、そしてドロリとした食感。覚悟していたほどにはまずくはない。むしろ味噌豆が大好きなので、うまいとさえ思える。これをご飯にかけて食べて「なかなかいけるじゃないか」と思っていると家族は味見程度になめただけで見向きもしない。
 どうもこれは大人の男、すなわちオヤジにしかわからうまさであるようだ。ここに切り干し大根が入っていたらもっと良かったんではないだろうか。

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 さて、市原で手に入れた「とうぞ」であるがどうも千葉県山間部、内陸部にはてんてんと存在し、昔から造られていたようだ。そして本来は味噌造りの副産物といったもの。味噌豆をゆで上げるときの「ゆで汁」まで利用するとは千葉県人は賢い。

赤石味噌麹店 千葉県市原市南岩崎32

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