2006年8月アーカイブ

 子供の頃、初めてインスタントラーメンを食べたのはやはり日清のチキンラーメンであって、次ぐのがエースコックのワンタン麺、そして明星食品の「チャルメラ」かな。これらは昭和30年代の終わりから昭和40年代にかけての出来事であった。面白いのは総てテレビコマーシャルで鮮明に覚えていることだ。すなわち、この頃からお菓子でも、このインスタントラーメンでも、カレーでも全国的に出回るもの総てがテレビコマーシャルと同時に発売、地方にも出回ったのだ。でもまあ四国の山奥に暮らしているとこの箱の中の世界はなんとまあ華やかで別世界であったことか。

 そんなときあか抜けないパッケージで登場したのが徳島製粉の「金鶴ラーメン」である。そしてこの「金鶴ラーメン」というのが「金ちゃんラーメン」と名を変えたのと同時に徳島のローカル局(四国放送)に唐突にコント55号が登場してきてきた。覚えているのはこれが「白黒」であったということ。我が家にカラーテレビが入ったのが中学の頃だが、万博はカラーで見ている。そして「金」がつく製品なので萩本欽一ひとりがコマーシャルに出るように変わったと記憶するが間違っているかも知れない。

 コント55号の全盛期というのは1960年代終わりから数年ではないだろうか? 徳島県人としては地元徳島製粉の「金鶴ラーメン」のコマーシャルにふたりが出てきたのにはかなり驚いた。どういった経緯で徳島という非常にローカルな地にあるメーカーのコマーシャルに当時人気絶頂のふたりが登場してきたのだろう。いつのころだろう、地元徳島県美馬郡貞光町の食料品店でも徳島製粉の「金鶴ラーメン」があって、そしていつの間にか「金ちゃんラーメン」と名を変えたものが大手のものと同等に並ぶようになったと思う。と言うことは初めて徳島製粉のインスタントラーメンを見たのは40年も前のことだろうか?

 初めて食べた時点では間違いなく「金鶴ラーメン」という名であった。他の大手のものより格安だった。これがどうしようもなくまずかった記憶がある。学校などでもそのまずさが話題になってなっていた。でもこれは他のメーカーが「全国放送」(四国放送じゃないということ)でコマーシャルを流していたのに対しての地元卑下の意識であったかも知れない。

 そして日清が1971年に発売したのがカップヌードルである。当初、これは大阪でしか手に入らなかったはずだ。それがテレビの人気番組に「ヤングおー! おー!」というのがあって繰り返し繰り返しカップヌードルという未知の食品を宣伝する。でもだれも食べたことがない。兄などは「ヤングおー! おー!」のカップヌードルプレゼントに何度かチャレンジしていたのだが、当たらなかった。

 そんなカップヌードルが珍しくなくなったときに徳島製粉からもカップ麺が出た。それが「金ちゃんヌードル」なのだ。実をいうと今回なぜか静岡県沼津市の「ユーストア」というスーパーで見つけたのだが、それで久しぶりに食べたのだが、たぶんこれが2度目くらいだと思う。なぜか20代、30代とインスタントを嫌悪していた時期があって実家からときどき送られてくるインスタント麺すら食べないでいたのだ。これは人生に置いて大失敗だったかな。

 さて、その「金ちゃんヌードル」の味わいだが思ったよりうまい。比較的あっさりしているのは徳島の風土のなせる技。京都の「はんなり」というが徳島も意外に「はんなりしとるんじゃ」。まあ感激するほどではないが、嫌みのない食べ飽きないものとなっている。しかし「金鶴ラーメン」また食べてみたいな。

●今回、徳島製粉の「金ちゃんヌードル」を購入したのは静岡県沼津市の「ユーストア」という大型スーパーである。どうして静岡に徳島ローカルな「金ちゃんヌードル」があるのだろう? 不思議だ。このカップ麺を買ったのが家人であり、残念ながら「金ちゃんラーメン」を売っていたのかどうかわからない。次回は必ず調べてみるつもり
●これは止む終えず、「お魚三昧日記」から移動したものです。コメントをいただいた方には申し訳ありません。

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徳島製粉
http://www.kinchan.co.jp/

 八王子綜合卸売センター「平成食品」は冷凍肉の専門店である。店主は通称「カバだぬき」と呼ばれている。コヤツ、まったく目立たぬ妖怪で「うんともすんとも」言わない。せっかく八王子綜合卸売センターでもっとも人通りのある「高野水産」の前にありながら商品を並べようともしない。それで、今回はボクが勝手に新商品を作ってみることにした。といっても最近我が家オリジナルで静かなブームとなっている「薩摩しょうゆ漬け」というものを売ってみたい、という好奇心のはけ口に「平成食品」を利用しているだけなのだ。
 作り方はいたって簡単。鹿児島県笠沙の「わかしお」さんが送ってくれた同河辺町の「ヤマガミこうくちしょうゆ」とみりんで豚肉を漬け込んだだけ。材料にほとんど添加物がなく、生鮮品なので土曜日限定とした。これが26日に店頭にだしたら総て売り切れ、また今週も作ってみたいと意気込んでいるのだ。
 今週土曜日9月2日の朝からまた限定で売り出すので、好奇心がある方よっといで! ということなのだ。

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八王子綜合卸売センター「平成食品」のことは
http://www.zukan-bouz.com/zkan/sagasu/toukyou/hatiouji/hatiouji.html

 学生時代にもあまりカップ麺を食べなかったためにこの「ペヤング焼きそば」とも縁がなかった。それが市場の商社でカップ麺の箱を見ていたら疲れたオヤジ(42歳だという。この歳でなんでこんなにボロボロなんだこの野郎)が
「オレの若い頃はこればっか食ってたんだ」
 と勝手に独り言をもらすのである。ちなみにボクはこのカップの焼きそばが大嫌いだ。昔、鹿島灘に釣りに行き沖合で真横の老人と仲良くなった。その方がデカイポットをバッグから取りだして作ってくれたのがこれなのだ。作り方まで丁寧に教わってお湯を捨ててソースを麺に絡める。これがうまくもなんともない。どうせならカップヌードルの方がよかったな、なんて思ったものだ。
 と、この「ペヤング」の箱を見ていたら「なぜこんな不思議な名前なんだろう。ペヤングとは会社名なのだろうか」なんて疑問が湧いてきた。それで1箱(これが市場では1000円前後)買って駐車場に向かっているともうひとり話しかけてきた。この人、八王子で小さなスーパーを経営している。
「これ自宅で食べるの」
「そうだよ、でも1年くらいかかるだろうけどね」
「これが出たときに、うちの息子が大学受験でさよく食べてたよね。それでねオレも食べてみたらうまいよな。うちの母ちゃんも好きでさ」
「それ何年くらい前」
「そうだな万博よりは後だから、内の息子が今年45だから27年くらい前かな」
「そうなんだ。この会社の名前が面白くて買っただけなんだよね。オレはこれほとんど食べたことがない」
「ペヤングね。これはアベック(古い)のことペアっていうだろ。それから来ているの。うちでもずーっと扱ってるけどコンスタントに売れるのよ」
 自宅で改めて食べてみた。これがやっぱりうまくない。でも太郎は「うまいよ」と言って食べている。
 自宅で改めて食べてみた。これがやっぱりうまくない。でも太郎は「うまいよ」と言って食べている。
 それなりに「ペヤング」というのも調べてみると1975年発売の世界初(よその国にソース焼きそばなんてないよな)のカップの焼きそばである、そしてブランド名はやはり「ペアヤング」の略であること。群馬の「まるか食品」のというのが作っている。なんてことがわかった。そして食べてみて、やはり「焼きそば」は焼くからうまいのだ、と改めて思った次第。

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まるか食品 群馬県伊勢崎市戸谷塚49-1

 16号から八王子市街へ向かう広い道路ぞいにあるとは言え、まったく目立たない在り来たりの外観なのが八王子ラーメンの名店「おがわ屋」なのだ。間口2間ほど、暖簾をくぐり右が厨房、カウンターとテーブル席2つ。厨房のなかには仲の良さそうなご夫婦。
 この「おがわ屋」、市場のラーメン好きが真っ先に挙げた店。期待大でとうぜんお願いするのはラーメン大600円。出てきたのが、まさしく典型的な八王子ラーメンなのである。スープは醤油味、そこに油が浮かんでいて、濃厚に見えてあっさりしている。それなのに味わいにコクがある。トッピングはチャーシューにメンマ、のり、真ん中に刻み玉ねぎ。ストレートで黄色みがかった麺。
 八王子ラーメンは数々あれど、ここのスープの旨さは郡を抜いている。まず、一口すすってうなるほどうまい。そこにあっさり刻み玉ねぎが来て、麺と共にすすり込む。この全体のバランスもいいのである。普通、大盛りラーメンを食べていると「飽き」を感じてしまうが、ここのはコクがあるせいか最後のひとすすりまで味わいが落ちない。
 当然、八王子ラーメンにはご飯が合うので、普通盛りをつける。この昼飯はボクのもっとも好む所であるが、我が人生を縮めそうである。

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東京都八王子市大和田町5-27-11
多摩地区のラーメンに関してはここを見るべし
八麺会
http://www.hachimen.org/hachimen/
さやぴぃのラーメンデータ
http://www.geocities.jp/sayapie3838/database.htm

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 ボクの八王子ラーメン事始めは、隣町である日野市の「みんみん」から始まる。そこで食べたのは非常に醤油の色合いも味わいも濃厚な、しかも油(これはなんの油かわからない)が上部にふわりと層をなしていながら、スープは澄んでいるもの。トッピングはチャーシュー、メンマ、のりであり、麺は鹹水の割合の多そうなつるりとしていてストレートな代物。すすってコクのあるものだが、後味は思ったよりもさっぱりしている。そのさっぱり感を生み出しているのが、もちろんスープのよくアクとりをした上品さにもあるが、それ以上の効果を生みだしているのがみじん切りの玉ねぎ。そう八王子ラーメンの最大の特徴が刻み玉ねぎなのだ。
 これを八王子の土着の人々に話すと「どうもこのスタイルを始めたのは初冨士という店であるらしい」、その同時期かやや後に楢原の「みんみん本店」があって、そこで「修業したのが日野のみんみんの今はなき店主である」ことなどである。そしてかねがね楢原の「みんみん」行ってみたいと思っていたのだ。
 八王子綜合卸売センター「市場寿司 たか」の渡辺隆之さんにその店の様子は聞いていたものの。そんな名店だろうからと、かってに大きな店を想像していた。その「みんみん本店」がまことに目立たない、しかもちょっとみすぼらしい建物なのだ。だいたい暖簾がちぎれてひらひらして野卑ではないか。
 メニューはいろいろあるが初めてであるので注文するのは当然「ラーメン並480円」。「大580円」「特大630円」と量を選べるのも日野の「みんみん」と同じである。
 出てきたのが今どきの店からするとやや小振りのラーメン丼に入った「まさしく八王子ラーメン」である。色合いからすると日野よりも淡い。そして醤油味が生な感じがする。表面にはやはり透明な油が浮かんでいるのにとてもあっさりと醤油辛い。ボク好みの、ある意味でラーメンの原点ともいうべき味わいである。ここなら毎日通っても飽きないだろう。飽きたらバリエーションである「ネギラーメン」を注文すればいい。
 またこのコクのある味わいにはとてもライスが合うのだ。ボクはライスは「半」よりも「普通盛り」をお勧めする。若ければ特大、並盛りライスでも平気だったのになー。

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みんみんラーメン本店 東京都八王子市楢原町437-1
●詳しくは八麺会
http://www.hachimen.org/hachimen/

 実を言うと丼物は「どんぶり」に入っていて欲しい。例えばカツ丼、親子丼、他人丼、玉子丼、鰻丼、ともに重箱に入ったヤツはきらいだ。でも大方の店で「カツ重」「たまご重」「うな重」と「重」を明記しているだろう、と言うかも知れないがそうでもないのだ。この猿楽町の「浅野屋」には時々昼飯を食いに行く。ちょっと遠いのだが、知り合いにも会わないし時刻を外すと空いていてほっとできる。そこで空きっ腹で食べるのはカツ丼なのだが、これが上になると「重」になるようなのだ。でもかれこれ4,5年行ってないから「丼」はやめて「重」に変えたのかな。でもとにかく「重」でカツ丼を食べると不愉快でならない。
 ちなみにボクは自前ではぜったいに上は注文しない。神保町周辺で仕事をしていると気を利かせて昼飯や夕ご飯にこんなものをとってくれるのだ。でもどうしてボクには「なにを頼みたいのか」聞かないでいつもカツ丼をとってくれるのか最近とても気に掛かる疑問点だ。
 ここで断っておく必要があるのだけれど、「江戸老舗 神田蕎麦乃地図(神田当たりのそば屋でもらえる)」というパンフレットを見るとこの「浅野屋」は創業128年の歴史があり、また街の素朴なそば屋としてとてもうまい店なのだ。当然、カツ丼も適度な甘味と、カツが軟らかくてうまい。その上、もりやざるを頼むと並盛りでも大盛りなのも偉い。ここで言いたいのはカツ丼が「重」であるのがきらいだと言うこと。
 なにしろ「重」には保温性保湿性がある。ということは入れたご飯が適度に冷えないし乾かない。はあいいかというと、ぜんぜんよくないのだ。保湿性保温性があるということは、とうぜん蒸れるということだ。この蒸れ蒸れが大嫌いなのだ。それにもう一つ、ワッシワッシとかき込めない。それでも「浅野屋」のカツ丼(重)はまだいい。それは丸いからである。はっきり言って四角い重にカツ丼が入っていたらボクは耐えられない。「ごめんなさい」と言って金を払わないで出てくる。
 はっきり結論づけよう「丼」とあって「重」は犯罪行為だ。

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浅野屋 千代田区猿楽町2の6の7

 さてなんども書いているが「食育」とか「スローフード」とか言う言葉には強い嫌悪感を感じる。ただし商売として使うのは大賛成であるから誤解しないでもらいたい。こんな言葉が必要な人と言うのは食に対しての感受性が低いのだと思う。ボクは食うことも好きだが食を巡る総てのことに惹かれる。それは明らかに太陽系の大きさではなく銀河系に勝るとも劣らない。こんな広大無辺な世界を誰が教育するのだ愚か者。
 国は「食育」を法律化してしまったようだ。これは例えば国家資格で「食育師」とか「食のソムリエ」だとか「マイスター」とでも言うような吐き気のするような名称をつけたりするんだろうか? いやだいやだ大嫌いなのだ。昔池袋の百貨店だったろうか日本酒のプロのような人物の写真が貼ってあって、そいつが選んだ日本酒を「特別なもの」、「選ばれた日本酒」とでも言うがごとく売っていた。そして愚かにもソヤツの顔写真がそこここに貼ってあるのだ。言わしてもらえば食の世界に無駄で愚かな自己顕示は必要ない。ようするにうまけりゃいいのだ。
 先週だっただろか「毎日新聞」に「食育」のプロのような怪しい大ばか野郎が出ていて小学生に料理の楽しさを教えているのが出ていた。まったくなんというわけのわからんことやっているのだと一つ目国に入り込んだような不思議な思いに沈み込んだ。あきらかに無味乾燥なつまらないことだ、これは。子供で食に惹かれるヤツならすでに何らかの形で「食う」ことに微量だが執念のようなものを芽生えさせている。そんなときにアイデア料理なんて持ってきてどうするの。
 とここまで好き勝手、思ったことを書いてきて「何がいいたいか」というとボクなりの「食育論」を少しずつ挙げていくのだ。

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 さて、先日、亀戸駅周辺を歩いていた。そこにうまそうなお総菜屋さんがある。ボクはこのような店が大好きなので何も買わなくてもすーっと引き込まれていく。すると店にはオジサンとオバサン。そしてお客のお婆さん。そのお婆さんが今日の夕食を何にするか、かなり迷っているらしい。
 オジサンが、
「あのさ、お婆ちゃん、お魚きらいでしょ。だからお弁当にすれば」
「………」
 こんどはオバサン。
「決められないのよ」
 全然何を買うか決められないお婆さんにオジサンとオバサンが気長に対応している。前にはたくさんの小学生が通り過ぎる。ボクはこの小学生にときどき、こんなお総菜屋で買い物してもらいたい。ここで買い物をすることが「食育」だと思うのである。子供は「お婆さんも魚が嫌いなんだ」とか「今日はハンバーグにしようか」とか、「これはジャガイモかな」とか、あれこれ考える。すなわち「忙しいお父さん、お母さんがもし夕食が作れなかったら、それはそれでいい。このように会話が存在する店にお使いにやらせろ」すると学校で教える宇宙距離倍の意味合いがある。
「こまったね。お婆ちゃん急がなくていいからゆっくりね。お客さんは何にする」
「ハンバーグうまそうだなな。これ3つ」
「それなら、こっちのパック入りにしとく、30円安いからね」
 オジサンはハンバーグにたっぷりナポリタンのオマケを入れて
「はい450円ね。ナポリタンはつけ合わで食べてね。おいしいよ」
 こんな一時を子供や今時の若者にあげたい。それが「ボクの食育」である。でも、この個人商店がどんどんなくなっていく。もし本当に「食育」が大切ならできるだけ商店街を利用して親が積極的に会話をしながら買い物をすべし。そしてこの「個人商店」を守るのだ。

 明治末、大正期を経て戦後に爆発的に増えたのがいわゆる「大衆食堂」であることは前にも書いた。詳しいことは『大衆食堂の研究』(三一書房 遠藤哲夫)、エンテツさんにお任せするとして。その「大衆食堂」に三本柱がある。それは煮つけやお浸しなどの家庭料理の延長のもの。そして「中華料理」と「洋食」である。この両者ともに中国やフランスやイギリスから影響は受けているけれどもまったくの日本料理であることは覚えておいて欲しい。
 すなわち「大衆食堂」というのは「家庭料理(もしくは江戸時代からある煮売り屋など)」と海外の影響を受けて明らかに日本で生まれた「日本食」である「中華料理」と「洋食」の総合体なのだ。これが近年どんどん姿を消して行っている。生物の世界なら「レッドデータブックス」に載せたいくらいだ。
 そこで今は少なくなった「大衆食堂」を探すとして、どこにあるかととりとめもなく街を歩く、まず見つかるのはそのものずばり「大衆食堂」、もしくは「食堂」と明記されたもの。そして「中華料理店」と「洋食屋」も加わってくる。たぶん分類学的には「大衆食堂」なのだけれど店主などの得意な料理のせいで、もしくはもとを正せば中華専門店や洋食専門店から「大衆食堂」に変化したもの。これが例えば「中華料理店」だと明記されていたとして実は「大衆食堂」なのだと判断する目安はラーメン、タンメンからレバニラ炒めに炒飯という「中華メニュー」があるのに加えてオムライスやカレーライス、カツラライスなどの「洋食メニュー」が混在している点が重要なのである。
 と考えているときに見つけたのが八王子市八幡町の「中華料理 一番」である。この店前述の定義からして「中華料理店」ではなくて「大衆食堂」に分類されると思われる。ここには定番的中華メニューに加えて、カレーライス、チキンライスにカツライス、カツ丼まである。この大発見に「中華料理」と銘打った店に入り、「大衆食堂」らしいオムライス750円を注文してみる。そこに現れたのは少々ヘタクソだが好感の持てるオムライス。のっている楕円の皿にはときにはレバニラ炒めなどものるんだろう。そして中華スープ。味わいを書く気はさらさらにないが、中華スープの味わいからしてラーメンはいけそうである。
 またついでに書くと八王子市街横山町、八日町、八幡町とつづく甲州街道、開発が遅れているせいか古い呉服店(松任谷由実の「荒井呉服店」も健在)や漆器店、和紙店、八百屋に肉屋など散歩していてなかなか楽しいのである。ボクもまた猛暑が去れば自転車での街巡りを再開するつもりだ。

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店頭にサンプルが置いてあるウインドウがある。このサンプルを置く店が少なくなっている

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 八王子の西にそびえるのが高尾山。国道20号線、現甲州街道から裏通りに入り、高尾山の北方、小仏まで抜ける道に入る、これが江戸時代からの甲州街道なのだ。ここには古い寺もあるし、当然ながら高尾山の動植物に出合える得難い地なのである。ただ、残念なのは未だに「人にも、未来にもちっとも役に立たない圏央道」の高尾山貫通という暴挙が進んでいて、最近この高尾山の大天狗様が困っているのだ。
 まあ話はそれすぎてしまいそうなので、峰尾豆腐店に話を移す。峰尾豆腐店は裏高尾の道を奥に奥に入って、摺差という不思議な部落にある。そのそっけない店舗と製造所で、この裏高尾の豊かな水を使って作られるのが「するさしの豆腐」である。豆腐は木綿豆腐(120円)の一種類というのもいい。それに寄せ豆腐(210円)とがんもどき(110円)や生揚げ(130円)、油揚げ、おからドーナッツ(5つ350円)。
 我が家がいつも買うのはボク用に木綿豆腐、家族は寄せ豆腐となる。この木綿豆腐がいかにも毎日でも食えそうな、淡麗でしかもそこそこに豆の甘味や旨味も堪能できる。これが「豆腐」だという本来の形なのがいい。
 帰りには、断りを入れて地下水もお土産にするといいい。これで「湯豆腐」というのが最高の贅沢となる。

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峰尾豆腐店
http://www.mineo-tofu.com/

 これも八王子そごうで買い求めたもの。200円近い値段の納豆なので、たぶんいいものを使っているんだろう。その段で味もいい。小粒で納豆の旨味がよく感じられる。
 また納豆の名前も「黒森納豆」というのがわかりやすい場所にあって後々買い求めやすいだろうと思う。ただし会社名の「Kuromori」というロゴ、少々うるさくてせっかくパッケージが「北国」らしいのに残念。そろそろこのような味のないロゴで今時の新しさを求めるのはやめた方がいいのではないだろうか?

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くろもりアフファフーズ 酒田市大字浜中小浜78-1

 名古屋には不思議な食い物が多いというが、私的には「そうかな」と疑問に思う。天むすにしてもきしめんにしてもうまいもんがてんこ盛り、味の街とでも言えないだろうか?
 それでも「ヨコイのソース」を買ってくるたびに、やはり名古屋はすげーだが! と思うのだ。実を言うとヨコイに一度だけ入ったことがある。ボクの記憶が正しければ「スパゲッティハウス」とあるがご飯もあったはず。30年近い昔。そのときに注文したのは忘れてしまっていて思い出せないのであるからこの「ミラカン」と呼ばれる食い物ではないと思う。これが今更ながらに後悔しきり。はやく食べていたら、もっと名古屋の奥深くに入っていけたかも?
 さて、あんかけスパゲッティというとどんな味わいを想像するだろうか? 見た目は茹でて炒めたスパゲッティとベーコンや野菜にトロリとしたソースがかかっている。このソース、私的には甘酸っぱい中華のような味わいだと思いこんでいた。それが食べてみると大違い。味わいの中心にあるのはトマトかも知れないが、その全体に和風の出しの味わいがあるのだ。そしてピリリと辛い。これが一度食べたときにはアレっと思うもののうまいとは感じない。甘酸っぱいソースだと思ったのにがっかりした。それが、なぜだろうな、もう一度食べたくなるのだ。ちなみに家庭で「ミラカン(スパゲッティ)」を作るとき出来るだけ太目のスパゲッティを用意するといい。細いとうまくない。
 スパゲッティハウス ヨコイで食べていないので、店とレトルトのソースが同じなのかわからないが、我が家では常備してもいい味わいだ。

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愛知県津島市マックス津島店で購入。250グラムレトルト2パック4人前680円
スパゲッティハウス ヨコイ
http://www.ganet.gr.jp/shop_frame.asp?shop_id=001685
日本製麻株式会社
http://www.mall.ne.jp/shop/yokoi.html
●ぼうずコンニャクの「お魚三昧日記」があまりに混雑してきたので水産物以外をこちらに移している

 宮城県白石市といえば伊達政宗の股肱の家臣片倉小十郎景綱の城下町として有名なところ。伊達政宗といえば必ず登場するのが片倉景綱なので、どうしてもその印象が強い。そしてここに「温かい麺」とかいて「うーめん」と呼ぶ短い乾麺がある。素麺の産地が近く、ほとんど欠かしたことのない生活を送っている。そのせいかこの温麺を食べたことはほとんどなかった。それを市場で見つけて比較的手頃な値段であったので買ってきてみた。
 そこで「温麺」の基礎知識。素麺や稲庭うどんなどは生地を作り、それを手で伸ばしていく。これが手延べなのであるが、このときに食用油を使うのだ。それがために伸ばした麺が互いにくっつかない。それを温麺では使っていないのだ。当然、長く伸ばすのは難しいわけで、この長さになっているようだ。
 油を使っていないので3分前後茹でて、素麺のようになんども手でもみ洗いしなくてもよい。また、この温麺は冷やして食べるよりも暖かな汁にして食べた方がうまいのだが、これはどうも温麺に素麺ほどの腰がないためであるようだ。
 この温麺の暖かな汁は確かに穏やかにうまい。残念ながら冷やして食べるには素麺に一歩も二歩も譲るが、この暖かな汁は冬の夜などにうってつけだろう。

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4束357円

きちみ製麺
http://www.tsurigane.com/

 これはソバの実を脱穀してかなり長時間茹でて、そして天日乾燥したもの。徳島では「そばごめ」、長野では「そばまい」と言う。これは製粉以前のそばの古い形の食べ方。徳島ではこれを下ゆでして酒塩味で根菜類などと澄まし仕立てにする。ボクが子供の時から食べてきた「そば米雑炊」である。
 使い方は簡単
1/やや多めのお湯で10前後茹でる。
2/ゆでたものを水洗いして、水切り。
3/別にかつお節だしか煮干し出しで温めると出来上がり。
 かつお節出しは水に昆布を漬け置き、火をつける沸き上がってきたら昆布を取りだし、鰹削り節を入れて漉したもの。これに塩酒で味つけ。下ゆでしたゴボウ、ニンジン、油揚げ、そして「そば米」を入れて一煮立ちさせる。野菜は他に三つ葉、レンコン、ジャガイモなどを使ってもいい。また鶏肉などを入れても当たり前だがうまい。
 徳島の山岳部ではもっとも日常的な食べ物。「そば米雑炊」を食べると間違いなく懐かしさがこみ上げてくる。
●徳島県では米屋などで普通に売っている

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倉科製粉 長野県大町市大国町2248
http://www.sobakoya.com/

 沼津生まれ、沼津育ちの飯塚さんは「沼津の味の案内人」のひとり。その飯塚さんお勧めの店が今回の「多津家」なのだ。
 沼津魚市場と道一つ隔てたところには問屋さん、市場の事務所、そして無数の魚屋、乾物屋、肉屋が密集している。そこは観光客が押し寄せる寿司屋、飲食店も多いのだが、地元の人や市場関係者しか行かない穴場的な店も当然だがあるのだ。その一軒が中華の「多津家」である。非常に細い路地の奥にあり、とても観光客では見つけられないだろう。ただ、市場周辺を歩いている地元の方に聞くと間違いなく教えてくれる店。
 薄暗い路地を入ってたどり着く「多津家」はいたって普通の中華料理店である。そこでは市場関係者が炒飯や野菜炒めなどで新聞を読みながら朝飯を食べている。市場に隣接するので焼き魚などがあるのがこの店の特徴かも知れない。
 この店で飯塚さんおすすめなのが「半ちゃんラーメン」である。これは神保町の「伊狭」、「ラーメンさぶちゃん」でもお馴染みのもの。そして出てきたものがラーメンが「伊狭」の味に似ているのだ。飯塚さんは学生時代をお茶の水で送っている。てっきり、この味わいに「伊狭」でも思い出しているのかと思ったら、「半ちゃんラーメン」は「多津家」で初めて食べたのだという。
 典型的なしょうゆラーメンが「チャーシュー、メンマ、なると」の具が揃うことであるとしたら、それに近いもの。「なると」が珍しいことに「赤い蒲鉾」に取って代わっている。でもスープは鶏ガラに少々煮干しか、海産物の旨味が加わっているものでまさに浅草「来々軒」や初期のラーメンと同様のもの。まあ、取り立ててうまくもないが、この平凡さゆえに「また食べたくなる」というのも神保町「伊狭」と似ている。

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飯塚さんの海の世界
http://www.numazu.to/sea/

 八王子綜合卸売センター「大商ミート」は豚肉の専門店である。鶏肉も牛肉もあるにはあるが、なんといってもケースの中は豚だらけ。ロース、肩ロース、すね肉にバラ肉、そして豚トロホホ肉。超お買い得な豚こままで目移りすること必至である。今回は久しぶりに「豚の頬肉」である「豚トロホホ肉」を買うことにした。頬とはいうがどうも豚の頭部の側面についている肉であるという。
 そんな店頭での店長との会話。

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「これ(豚トロホホ肉)いつぐらいから売り出したのかな」
「そうだね。ちょっと前までは、これを小さく切って豚こまに混ぜてたのよね。豚肉屋はこれが売れるようになって助かったの」
「でも、これが豚こまに入っていたなんて、昔のこまの方がうまかったわけだね」
「そうかな。豚こまは買い時はあるよな。いろんな部分が入るから」
 こんな立ち話をして、その「豚トロホホ肉」を買って帰って、ちょうどその夜、テレビ東京の「アドマチック天国」という番組を見ていたら「ブタトロ」という名で旭川の焼き肉屋が登場していた。なんと豚の頬から後ろにかけての肉を「ブタトロ」として使い始めたのは5,6年前のことなのである。
 その「豚トロホホ肉」はあまり手を加えないで塩コショウで焼いて食べるのがいちばん。出来る限り焼きたてを、間髪入れずに食べる。当然、焼き方であるお父さんは、余れば食べられるが、ときとして一切れも食べられないときもある。
 我が家で食べる豚肉のほとんどは「大商ミート」のもの。その入荷の状況によって店長が勝手にあれこれ考えてくれて、それを素直にもって帰るのだ。どうも肉屋とじっくりつき合って、言われるままに購入するのがもっとも賢い買い方であるのがわかってきた。
「今日は肩ロースにしな」とか「ロースこの辺切ってあげようか」と声をかけられたときの豚肉の軟らかくて芳醇なうまさは例えようもない。しかも「大商ミート」の豚肉は激安なのである。

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八王子の市場のことはこちらから
http://www.zukan-bouz.com/zkan/sagasu/toukyou/hatiouji/hatiouji.html

 このところカツ丼が食べたくて、食べたくて仕方がない。でもトンカツは揚げている。その上、卵でとじているのだからカロリーが高い。こんなことで悩んでいたら浮かんできたのが「他人丼(たにんどんぶり)」である。
 でも「光陽」に他人丼があるだろうか? 玉子丼はある。玉子丼は玉ねぎを甘い汁で煮て卵でとじる。これじゃあまりにもの足りない。
「おかあさん、他には丼物ないかな」
「そうね玉ねぎと肉を卵でとじた肉丼があるわよ」
「それ他人丼じゃないの」
「他人丼、そうよ他人丼よ。名前が出てこなかったの」
 そして『光陽』で出てきたのが驚いたことに豚肉を使ったもの。そう他人丼の「他人」が豚肉なのだ。この他人丼のうまいこと。これでみそ汁、お新香つき500円だから、土曜日は他人丼に決めてもいいくらいだ。

 これで暇そうな年寄りにいろいろ聞いてみた。「当たり前だろ。他人丼は豚肉で作るの」。そして飛び出してきたのが「開化丼」という丼の名前。それが牛肉と卵を合わせたもの。でも子供の頃の記憶をたどると、それが他人丼だったはず。
 さて最後に整理してみよう。ボクの記憶が間違いなければ関西、四国での「他人丼」は牛肉を使っていた。関東での「他人丼」は基本的には豚肉を使う。牛肉を使ったものは「開化丼」となる。そう言えば関西とか四国に「開化丼」というのはあっただろうか? 

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 この永谷園の「お吸いもの」だが発売当初は「松茸の味お吸いもの」であったことを今回初めて知る。昭和39年というからボクが8歳のとき、この頃、それまで加工食品で全国的なものは少なく、またテレビという媒体もこの頃から主役化している。そんなときに発売と同時に我が四国の片田舎にも入ってきている。確か、旧徳島県美馬郡貞光町で初めてのスーパー「マルサン」が出来たのもこの頃のこと。なぜだか青空に煙火が上がり、その落ちてくるパラシュートを子供ながらに街中走り回って拾おうとしたのを覚えている。あのパラシュート誰が拾ったんでしょうね?

「ありゃな、松茸と書いてあるけんど、ウソじゃ」
 何がウソかというと、ボクの同級生でいつも辛辣なことを言うヤツが
「中には松茸がはいっとらんのでよ」
 こんなことを宣うのだ。このとき少々驚きを感じたはずだ。確かにテレビなどで松茸は高いものだと知っていた。でも秋になると松茸はどこからともなく来て、父などが食べていたけれど、それをうまいなんて思ったこともない。むしろその頃、父の実家からシイタケが生で来て、その方が豚のまめ(腎臓)などとともに焼いてうまいものだと子供心に思っていたのだ。

 その永谷園の「お吸いもの」だがもっと驚いたのは高校生になって修学旅行で東京の旅館だか、旅行の移動中のお昼ご飯かに一袋置かれていたことである。これをお椀に入れて、お湯を注いでくれる。そのとき初めてじっくり味わったはずだ。
 それが全然うまくもなんともない。だいたい徳島でのお吸いものというとゆで卵がごろんと一個入っている。それだからこそうまいのであって、この庄内麩だろうかそんながらんとしたものはつまらなかった。

「面白いよね。これはね、今でもコンスタントに売れているんだよね。これが切れると文句がでる」
 八王子のこんな加工食品を売る、商社ではそんなことを言うのだ。

 余談だが子供心に松茸は嫌いであった。これが好きになったのは大人になってから。思い出したのは今はなき兄と山間部に雑貨品を配達に行ったとき。貞光の町中から端山に向かい山に入り、目もくらむような山の細道。軽四輪で行っても行ってもその家が見つからない。やっと畑の脇に表札があって、そこから荷物を背負って届けるのだが、そこからも20分くらい、しかも2往復もしたのだ。帰りにお土産をもらってそれが肥料袋いっぱいの松茸。
 これほどの松茸、為すすべもなくほとんどを腐らせて捨ててしまったのだ。もったいないのは今の感覚であり、若い身空ではそんなものどうでも良かったのだ。

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永谷園
http://www.nagatanien.co.jp/

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 大磯にある「真壁豆腐店」は関東にあってもっとも好きな豆腐店である。もともと大磯は相模湾を臨む一漁村であった。これを国民健康のために海水浴を取り入れようとした松本良順が、日本初の海水浴場を開いたのが明治18年。以後、伊藤博文など政府高官の別荘地として発展してきた。明治39年創業という「真壁豆腐店」もそんな別荘族のために出来た大磯の老舗群のひとつだろう。
 今でも近所には敷居の高そうな蒲鉾屋や和菓子屋などがあるがここはいたって庶民的な店。この店に吉田健一の父であり、元首相の吉田茂が豆腐を求めていたのは有名な話だが、店内に入ってもそんなこと気振にも感じない。ちなみに吉田茂が買っていたのは、この店のもっとも値段の安い木綿豆腐。これだけでこの気骨がありしかも今時の政治家に微塵も存在しないリベラルな考え方を多大にもった政治家であったというのがわかる。ついでにボクもいたってリベラルで人道的、しかも平和主義者なので買って帰ってくるのは普通の木綿豆腐。これはお金がないからでは、ぜんぜんなくないが、ほとんどない。

 伊豆や小田原まで行くと、帰りは料金の高すぎる小田原厚木道路で厚木に出るのが早い。それを遠回りして1号線を信号機につかまりながら、しかも時々渋滞に悩まされて、大磯にたどり着く。
 いつも買うのは木綿豆腐1丁140円と辛子豆腐180円、油揚げ120円(2枚入り)である。「笹のつゆ」という高い豆腐もあるのだが、これがうまいにはうまいが、その旨さが酒を引き立たせない。そう言えば、ボクが普通の木綿豆腐を好きなのも日本酒好きだからかも知れない。日本酒に珍味佳肴をなんて言う人がいるが、これがまったくわからない。おかしいと思っている。また辛子豆腐は家人の好物でボクが自分にもと3つも買ってひとつだけ下さいな、といってもなかなか分けてくれない。しかし軟らかい、きめの細かい、微かな苦みと甘味のある豆腐にすかっと辛いあんこを入れるなんて誰が考え出したものだろう。ボクならノーベル豆腐賞をあげる。
 この主役である普通の豆腐のうまさは、まさに水が大豆と仲良く混ざり合ったうまさだ。微かな苦汁や大豆から出てくる苦み、そして大豆の香り、甘味があって、それが全部ほどほどなのが良い。そう言えば今時の高い豆腐ばかり作っているヤカラはどうもこのような普通の豆腐の真味がわかっていない。そこに岐阜県の「三千盛」でもクイっといくと、もう極楽浄土(ボクは死んでしまう)なのだ。

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 初めて真壁の豆腐を知ってから、もうかれこれ20年以上が立つが、未だに伊豆・小田原などに行くと手が勝手に大磯を目差す。立ち寄れないと、なんだかもの足りない。関係ないけど釣り師としては真壁豆腐店に立ち寄るために無理矢理「アジ釣り」に出かけたことがある。面白いのは大磯での釣り船の名が「とうふや丸」。なんでだろうな?

真壁豆腐店
http://www.makabenotofu.jp/index.html

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 夕食を食べたいと思ってうまそうな店を探している。ここは亀戸駅前からほど近く。無駄歩きで亀戸天神まで行ってみるか? と駅を出ると驟雨沛然。これでは傘を差してもすぐにずぶ濡れである。今日は駅前だけ散策するかと、遅い昼ご飯を食べるべく駅から続く路地に入り込んだのだ。そんな矢先、白地に赤い字で「ぎょうざ」の文字を発見したのだ。あまりの空腹感にいきなり店に入ろうとしたら引き戸のところに数人がとりついているではないか。そのボクを中にいた白衣のオバサンが目ざとく見つけて「ひとりね。それじゃなんとかなるわ」と入り口近くの席を指さした。年の頃60あまり、この年頃のオカンには弱いので、ずるずると言われるままに席に着く。そしていきなり大量の辛子が塗りたくった小皿が飛んできて、「飲み物は?」と聞かれた。考えてみるとこの間10秒と経過していない。
 とても品書きなど見る余裕はない。でも間髪入れずに聞かれたので「とりあえずビール」をお願いすると、なんと久しぶりに見る大瓶である。やっと落ち着いて周りを見る。すると驚いたことにはご飯もライスもなく、カウンターの上は餃子、そしてときどきビールくらい。皆が一様に餃子を食っているというのは意外に不思議な光景なんだと思った。
 店内に入って楕円形のカウンター、それがほとんど満席で、外を見ると席が空くのを待って行列が出来ている。それが皆、数人のグループであり、そんなときに一人客のボクがするすると店内に横滑りしてしまったようだ。
 待つほどのこともなく餃子が5つ乗せられた皿がくる。その餃子がどれもあらぬ方向に投げ出された馬券のように見える(競馬はやらないが)。その餃子の底に部分がしっかり焦げている。思わず何もつけないで食いつくと、その焦げているところがさくっととても香ばし〜い。そしてしっかりした焦げ板の上にはたぶん野菜と豚の脂が作り出す甘味を持った具、そして上部の蒸し上げられた皮が軟らかい。餃子はいくらでも食えるがビールの大瓶を持てあます。ボクは不思議なことに日本酒ならかなり飲める口だが、ビールはコップ3杯でもう辛いのである。これがために最初の5つで、かなり満腹になってしまっている。それでも餃子はうまい。

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 ちなみにここの餃子はニンニクを使ったいたって在り来たりなものだが、いたってできのいいものだと思える。それを出色のものに代えているのは入り口正面にいる餃子焼きマシンのお兄さんであるようだ。このお兄さんが餃子鍋3つと凄まじい格闘をしている。そして焼き上がった餃子にハイエナのように店のお姉さんがた3人が群がり取り合う。これは明らかに弱肉強食の争いであり、ボクの前の、ボクのために餃子を取るかかりのお姉さんが、この3人の中ではいちばん遅い。それでなかなかもう一枚が来ないのだ。

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 もう一皿がやっと来て、焼き上がった餃子のお運びが終わった隙を見て、店のシステムを聞いてみる。すると
「店にはいるとね餃子は2皿以上から、後は飲み物ね。餃子は1皿250円だから2皿で500円(当たり前だ)」
 ご飯のことを聞こうとしたら、また忙しい波がきてしまった。店の隅から隅まで見て、食べ物は餃子しかないこと、と言うわけで席に着くと、とにもかくにも餃子が2皿間をあけてくる。追加は自由。後は飲み物でビール、五加皮、紹興酒など。驚いたことにこの店ではただただ餃子を食うというわけだ。
 この店にはまた、ときどき立ち寄りたいものである。暇を見つけては江戸時代から昭和までを感じることが出来る場所を散策しているので亀戸天神巡りをしたら、ここで餃子を4皿くらいに紹興酒というのがいいかも。

亀戸餃子 東京都江東区亀戸5-3-3

 いまではあきる野市となってしまった五日市の醤油「キッコーゴ」。これが我が家の日常使うものである。キッコーゴというのは「亀甲五」のこと、野田のキッコーマンとの繋がりがあるのだろうか? この醸造元の由来もわからずあまりにコストパフォーマンスが高いので使っている。
 この醤油と出合ったのは15年ほど前。五日市から秋山村までの旅をしていて偶然渋滞に巻き揉まれたのが「近藤醸造」の前という奇縁からである。醤油を見つけたら絶対総て買ってしまうということで、思い切って1升瓶で持ち帰った。
 これが素晴らしいものだった。醸造過程で生み出された適度な甘み旨味が最初に来て、ほどよい塩分で辛すぎない、その上、味わいに切れがあるのだからすごい。また生でも熱を通しても味も風味もだれないというのがいい。よく高級な醤油で醸造香が高く、なめても旨味の強いものがあるが、じっくり味わってみると後口が悪かったり、また熱を通すとダメダメというのが見受けられる。そんなものからすると遙か上を行くのがキッコーゴなのだ。
 我が家では刺身にも、煮物にもこれななくして成り立たない状況にある。

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●多摩地区では取り扱っている店も少なくはない。また八王子総合卸売協同組合、十一屋ジャパンには、ぼうずコンニャクが頼み込んで置いてもらっている
近藤醸造 東京都あきる野市山田733
http://www.bekkoame.ne.jp/i/kondou/

 神戸の「オリバーソース」の創業は1923年だとある。これは関西で日本初のスターソースが生まれてから30年近く後、決して早い創業とは言えそうにない。ただ、この会社が歴史に名を残すのはトンカツソースを開発したことにある。トンカツソース(濃度のあるソース)は、ウスターソースがイギリスからの輸入ものを模索し作ったのと違い、まったく新しい発想のソースである。
 そんな「オリバーソース」の「どろソース」を初めて知ったのは、確か15年以上前。我が故郷から上京する途中、必ず京都か大阪に立ち寄るのだけれど、その大阪難波で買い求めたと記憶する。そのときは珍しいラベルだというだけで、「どろソース」という存在はまったく知らなかった。
 そして帰宅してさっそく使って驚くとともに、以後、我が家での常備調味料となってしまっている。だいたい西日本ではウスターソースの使用頻度が高く、ときに何にでもかけてしまう。我が子供の頃には天ぷらにかけるのは当たり前だったし、お祭りの屋台で売るタコの天ぷらには、あらかじめソースがかかっていた。このソースの匂いにアセチレンガスの光が懐かしいな。まあ、まあ、それは置いておくとして、我が家で普段使っているのは「イチミツボシ 加賀屋」のお好み焼きソースである。これがかなりの甘口。本来お好み焼きに使うものをフライなどに使っているので、それに加えてボク用にブルドッグのウスターソースが並ぶ。でもこれは味わい的に好みのものではなく、それでも家族が勝手に買ってくるもので言うなればイヤイヤ使っているのである。ここに登場するのがオリバーの「どろソース」である。ブルドッグに、少し「どろ」を加えるととたんに味が良くなる。またときには「どろソース」だけというのも刺激的。
 さて「どろソース」とはなんぞや、という話が後になってしまった。これはウスターソースを造るときに熟成期間が必要となる。そのときに熟成タンクの底にたまった「泥」のような部分。ここには野菜から出る旨味も、スパイスも高濃度で溜まっている。その味わいはスパイスの刺激が強く辛い、酸味旨味も強く濃い。
 我が家でフライを食べるときには、まずブルドッグで食べて、「どろソース」で締めるのを常としている。またせん切りキャベツやサラダには「どろソース」というのが私流。これにレモンで口中すっきり感があって、肥満気味のオヤジには満腹感を助長してくれるからうれしい。
 ついでに最後につけ加えるとオリバーの「どろソース」は関東でもっとも手に入れやすいもの。他社にも「どろソース」もしくは同様のソースがある。あれこれ試してみたいのだが、なかなか近所で見つからない。ああ、こんなことを考えていると関西にソースを買いに行きたくなる。

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オリバーソース
http://www.oliversauce.com/

 福島県の国道沿いのスーパーで見つけたもの。非常に廉価なもので、明らかに白河市周辺でのみ見られる「地納豆」と思われる。それが証拠に非常に簡単な文字配列、色合いの田舎臭いパッケージで、これは他の地域からきたものには好感が持てる。
 これはボクが勝手にやっていることだが地方に旅すると必ず「地納豆」を探す。そして「地納豆」があるという町や村は、たぶん見所のあるところだと思う。すなわち「地納豆」はその町の文化度の指標である(これは西日本を除く)。
 タレ辛子つきで味わいは値段からしても平凡なもの。でもしっかり納豆の味わいが感じられて、一日だけ我が家の朝食の主役となった。

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伊東食品 福島県白河市表郷金山百目木19
http://itousyokuhin.co.jp/top.htm

 ソースと言えば関西、もしくは西日本というイメージであるが東京にもソースのメーカーは多いのだ。その中でユニオンソースは日本橋「たいめいけん」の1階で見つけたもの。ただし「たいめいけん」のテーブルに置いてあるのは瓶が丸く、市販しているのは真四角なのだ。この真四角のを京橋の「明治屋」で見つけて、「丸い瓶はないんですか」と聞いた覚えがあるが、結局「たいめいけん」の丸い瓶は見つからない。
 まあ、それでも同じメーカーなのでユニオンソースを見つけるととにかく買うことにしている。ボクはとにかくウスターソースが大好きである。
 18世紀にインドから持ち帰った香辛料を使ってイギリスで作られたウスターソース。我が国では明治半ばまでイギリスからの輸入品しかなく高価なものであった。それが明治の後半にはやっと国産品が登場してくる。これが日本が誇る「洋食」の普及とあいまって、日本各地にたくさんのソースメーカーが誕生したようだ。その点、ユニオンソースの1949年創業はけっして古いものではない。でも文京区根津という土地柄と、「たいめいけん」で慣れ親しんでいる味わいなのでなんだかレトロな感じがする。
 このユニオンソースの味の特徴は酸味にある。この酸味がちな味わいのお陰で味わいが軽く、キャベツなどにかけるととてもうまい。またライスカレーにかけるならぜひともユニオンソースが欲しい。なぜだろう、このソースがやたらにライスカレーの味を高めてくれる。
 これは余談だが、このソースに見返りのペンギンが描かれている。このため長い間、「ペンギンソース」というのだと勝手に考えていた。その由来はホームページを見るべし。

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ユニオンソース
http://www.unionsauce.co.jp/

 この店に初めて入ったときの驚きをなんと表現したらいいのだろう。まず雰囲気がベストに近い、そして当然、味に期待を持って、実際に食べてみて、そしてうまかったのだ。最初の小諸そば体験は五反田であった記憶があるがはっきりしない。いちばん通ったのは日本橋。高島屋から日本橋に寄ったところにある店舗である。ここは女性が食券(ふだ)を売っていて、それをまた店員の方が厨房に伝える。そして好きな場所で待っていると、ほどなく持ってきてくれるのだ。この手際の良さ、また混雑している店内であるにもかかわらず煩わしさが皆無であったことなど、これだけで慌ただしい生活を送っているとありがたい。
 そしていちばんビックリしたのは盛りそばがあったことだ。すなわちここでは生そばを茹でて使っているのだ。
 生そばを使うというのがいかに画期的であったかは類似の店が増えてしまった今では思いも寄らないだろう。そしてその盛りがまた、画期的なうまさであった。当時、うまいそばを食うなら老舗の藪や並木で食べるか、うまくはないが街なかのコストパフォーマンスの著しく低いそば屋に入るかしか選択の余地はなかった。残念なことにこの老舗とまずい街のそば屋との価格差はなく500円から700円ほど。そして違いは老舗は盛りが少なく、街のそば屋は盛りが多いということでしかなかった。当然、街で知らないそば屋に入るのはまったく無意味に思えたのだ。そんな街のそば屋よりもぐーんとうまくて、値段も半額のそば屋が出来た、たぶんこれで神田や日本橋のサラリーマンなどの昼飯にもうひとつの選択肢ができたにちがいない。
 それ以来、日本橋で、八重洲でと小諸そばで、盛りそば(二枚盛り)というのは定番となった。また盛りではなければうどんになる。ここで問題なのは、かけそばである。常々、生そばを茹でてうどん兼用のつゆで食べるのには疑問を感じている。そば屋でいちばん好きなのは並木藪、まつ屋などであるが、ここでも温かいそばに満足を感じたことがない。思うにそばは温めてうまい食べ物とは言えないのではないか?(これに関しては別に書く)
 さて、そばやうどん自体の味わいに話を移すと。生そばの味わいはへたな街のそば屋を凌駕して香り高くうまい。うどんもそこそこいい味なのだから、それにも感嘆するしかない。また、それを受ける、つゆがよくできているのだ。かつお節の風味も塩分濃度も過不足なく、うどんにもそばにも調和していい味わいとなっている。これで盛り210円、かき揚げ330円というのだから驚き。
 ちょっと「小諸そば」をほめすぎているかも知れないので、ちょっと最近気になることも書く。それは店舗によって味わいや店員の質にバラツキが目立ち始めている。これは仕方がないのかも知れないが、これでは「小諸そば」なら安心というイメージが崩れる。

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これは「小諸そば」390円。ボクとしては温かいそばに山芋というのが理解できない

小諸そば
http://www.k-mitsuwa.co.jp/komoro/komoro1.html

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 埼玉県飯能市「とんき食品」で見つけたのが真四角のさいころ型の豆腐で、これに少なからず衝撃を思えたことを書いた。では飯能の他の豆腐店はどうだろう? と改めて探したのだが当日はあいにく夏祭りの最中。うるさい姫を連れてはあっちこっち動き回るわけにもいかない。そんな祭で露店が並ぶ大通りで見つけたのが「問屋豆腐店」なのである。
 通りから10メートル近くあけて古いモルタル造りの建物がある。その建物に「問屋」とあり、上に「豆腐・雑穀・食用油」の文字。どこにも屋号がなく、店の奥で老婦人がふたりおしゃべりをしている。そこに姫を連れて入っていく。

「あの、夏だから豆腐を買って帰ると言うわけにもいかないんですが、ここではどんな豆腐を作っています」
 まったく変な客なのである。
「どんなって大きいよ。こんなに大きいの。ウチの豆腐は夏だって1時間や2時間じゃ腐らないよ」
 と出してきてくれたのが本当に大きな大きな「もめん豆腐」なのだ。
「じゃ1丁だけ買って帰ってみます」
 と、昔から真四角の豆腐を作っていたのか、飯能の豆腐はみんな真四角なのかを聞いてみた。
「ウチは四角いけどね」
「あの、飯能銀座に『とんき』って言う豆腐屋さんがあるでしょ。あそこが真四角なんです」
「あれはね、ここから出たの。ここの子供だよ」
 すると「問屋豆腐店」「とんき食品」の豆腐が真四角である起源はここであることになる。
「昔はね。ここは市場だったの。いろんな食料品を扱っていたわけ。今じゃ豆腐を作っているだけだけど、昔はそれは賑やかでね」
 東飯能からまっすぐ西に向かう「中央通り」は広小路から高麗横町と交差する「問屋豆腐店」のあるあたり、そして市立図書館までを「大通り商店街」という、この当たり昔は近隣からの産物を集めて市が立ち、飯能でももっとも賑やかなところであった。そんな大通りを歩く内に気が付いた。「問屋豆腐店」のように道から数メートルさがって立つ建物があって、これは昔市場が立っていた名残なのではないだろうか?
「問屋豆腐店」がその古くから続く食品加工の店であったのなら、飯能の本来の豆腐=「真四角」という
が確定的になる。ちなみにボクの豆腐屋めぐりで買い求めた「形」を検証すると神奈川は総て長方形、千葉も長方形なのである。そして埼玉では飯能で2軒、日高市で1軒が真四角である。
 さて、これから2,3時間もかけて家までたどり着く。そしてさっそく夕食にいただいたのだが、容器から取りだしてビックリした。なんと「問屋豆腐店」のもめんは「へそつき」である。これは徳島の豆腐とそっくりだ。また豆腐はまったく傷んでいなくて、晩酌のともとして全部いただきました。しかし食べ応えのあるでっかい豆腐なのだ。

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小川幸男 埼玉県飯能市仲町21-19

 徳島に金鶴ラーメンありと市場で話していたら、そこに福岡県人(この人福岡市ではないという)が来て
「マルタイラーメンというの知らないだろう? チキンラーメンよりも古いんだぞ。子供の頃のお昼ご飯はこれが多かった」
 と割り込んでくる。いったいいつ頃の話だろうと聞けば、
「さあ、いったいいつの頃だっけ。子供の頃だから万博のあったくらい」
 そうしたら後日、その話はもっと古い時代であることが判明した。何しろこのオヤジ60歳を超えている。まったくオヤジが年齢隠してどうするの。
 我が家にある資料を見ると確かにマルタイラーメンが発売されたのは1959年のことだとある。これは早い、間違いなく日本でもっとも早い時期に発売されたインスタントラーメンではないか? ただしチキンラーメンに遅れること1年ではあったが。
 さて、チキンラーメンはあまり好きじゃない、もしくは嫌いだというのを書いたはずだが、どうして嫌いかというと麺を揚げているからだ。この揚げた麺を湯でもどした重さに耐えられない。それからするとマルタイラーメンはただの乾麺である。見た目は太目のそーめん、冷や麦と変わらない。たぶん鹹水をほとんど使っていないのだろう。マルタイではこれを「棒ラーメン」と呼んでいる。それを茹でると博多ラーメンに使われているストレート麺に近い味わい風味となる。そこにしょうゆ味とも、なんともつかないスープと調味液を加えて出来上がる。
 その間、たったの3分弱。
 味わいは、ややスープがくどいが腹減り状態ならむしろこれも歓迎か? また麺は2分強茹でてまだ腰があり、なかなかこれもうまいではないか。ここに紅ショウガ、ゴマなどを加えると博多ラーメン然とする。
 このマルタイラーメンは家人が自宅そばの西友で購入したもの。税込み130円也でラーメン2杯は安い。また「これなら、どこにでも売っているわよ」と言われて驚いたなもー。

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味のマルタイ
http://www.marutai.co.jp/

 信濃大町の小さなスーパー「ヤマトヤ」で買ったもの。このような古くて個人の経営する食料品店にはおうおうにして地域で古くから食べられてきた食料品があるもの。そんな店の棚で見つけたのがコレである。
 これは黒大豆を材料としたひしお(麹と醤油を合わせたもの)である。米と大豆の麹に醤油を合わせて作る「ひしお」は日本全国で見られるもの。乾物である麹と加工されて保存性のある醤油を合わせることで旨味のあるおかずとなる「ひしお」は徳島では「しょいのみ(醤油の実)」と呼ぶ。それが長野でもまったく同様に「醤油の実」と呼ばれているのだが、善光寺平周辺では「しょうゆ豆」に呼び名が変わるようである。
 この古くからの「しょうゆ豆」を黒大豆で作り上げたのがこの「山治」のもの。口に入れると、塩辛さよりも旨味と甘みが程良く感じられて、次に醤油の風味が浮き上がる。この醤油がやや甘口なのだろう。この穏やかさのお陰で酒の肴にも、当然ご飯のおかずにもなる。なかなか優れた一品である。

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山治 平林醸造店 長野県筑摩郡明科町大字中川手3737-1

 丸美屋の「のりたま」というと「エイトマン」だろう。克美しげるの歌(作詞者が前田武彦というのが意外だ)とともに硬直して走る画面は今でも思い出す。このエイトマンの放映開始が1963年であるからちょうど小学校に入ったばかりの頃。画面はまだ白黒、夕食時の7時から始まったので丸美屋の「のりたま」のCMは夕ご飯を食べながら見ていたのだ。また「のりたま」と言うとエイトマンのシールである。透明なシートにエイトマンの絵。これを下敷きなどに当てて鉛筆などでこすって貼り付けるのだけれど、これがなかなかうまくいかなかった。このところどこと絵柄がかけたシール、これを見て兄が「おまえがやったらいかんきんな」とシールをなかなかくれなかったのも思い出だな。
 テレビコマーシャルで覚えているのが落語家(当時は日活の俳優というイメージが強かったという)の桂小金治が横縞のシャツに水兵の帽子、船の舵を回しながら「面舵いっぱい、のりたまで3ばい」というコマーシャル。また「すきやき」というのが発売されたときの牛のアニメ(動いていたかな)のコマーシャルも思い浮かぶ。しかも感慨深いのは実際にこのコマーシャルを見ながら「のりたま」を振りかけていたこと。若くして死んでしまった兄が右に父が左に正面が姉で、また84で死んでしまった明治生まれの祖母がいた。机は丸いやや大きめのもの。テレビは当然白黒で居間に向けたり、食事をする部屋に向けたり。姉が「すきやき」の方がいいと言ってから一時期「のりたま」が消えた時期もあったと記憶する。とにかく懐かしくて困ってしまうのが「のりたま」である。
 まあ「のりたま」を見ると味よりもエイトマンなのだけれど、香ばしい海苔と乾燥した卵の味わいが子供心にも好きだったのだ。と、昔のことばかり書いてしまったが、今現在も我が家では「のりたま」を食べているのだ。しかもいちばん末っ子の姫はこれを食べるためにカレーのときでも最後に別のお茶碗を出してきて軽く一膳食べてしまう。まあ子供の好き嫌いには緩やかな波があり、いま「のりたま」の波は末娘が高いと言うだけだが。
 また、埼玉県日高市の国道407を通っているとき「のりたま」の大きなカンバンを見る。ひょっとしたら「のりたま」は埼玉で作っているんだろうか?

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パッケージが大きく変わってしまったのが残念!
丸美屋
http://www.marumiya.co.jp/index.html

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 八王子総合卸売協同組合の丸秘うまいものの決定版かも知れないのが『コリアンフーズ』のビビンバである。これはナムルを作りあまったら朝ご飯用に作るもの。当然まかないである。

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コリアンフーズの前には多摩地区一安い肉屋が並ぶ。当然、土曜日のは混雑するのだ。

 コリアンフーズが出来たのはそれほど古いことではない。まだ5,6年といったところだろう。キムチや韓国食材を売る店であったのだが最初は手探り、試行錯誤の繰り返しであったようだ。在日韓国人の朴さんにとっても、だんなさんの成さんにとってもテレビなどでたびたび取り上げられる激安市場、八王子総合卸売協同組合での生き残りは大変だったのだ。
 そのキムチの味わいは年々他を圧倒するものとなっているし、イカの塩辛や、焼き肉のタレなどは八王子のでも人知れずファンを増やしている。
 と、こんなことを書いてきて、さてボクにとってはこの店で最大のお気に入りなのはなんだろう? と考えると、なぜかキムチでもカクテキでもなく、焼き肉のタレでもない。ましてやナムルでもない。
 それは朴さん夫婦の食べる朝ご飯なのだ。これは石の鍋は使わないものの韓国の家庭の味であるビビンバ。これが朝食としては絶品なのだ。

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うまいビビンバの作り方の秘訣はとりあえずゴマ油はたっぷり。これでご飯をお焦げにする。

 材料のナムル、コチジャン、ゴマ油は自家製のものだが、ご飯はあの「サトウのご飯」。これは市場でも小さな区画であるコリアンフーズでは致し方ないもの。たぶん韓国でも家庭料理としてのビビンバはこんなものだろうのが身近な八王子で食べられるということである。こんなざっかけないものなのに、まさにこのビビンバが絶品というかうまいのだ。

 お腹空いたなと「コリアンフーズ」でのたまえば奥さんの朴さんが「サトウのご飯」を買いに走る。そしてガスコンロにいきなりたっぷりのゴマ油。煙が立つほどに脂が暖まったらご飯を入れる。そこにナムル。今回のはもやし、ニラ、ゼンマイなのだが、これをご飯にのせて、そのままふたをする。ジュージュー言うのを知らんぷり。そのままふたをして焼き、香りが立ってきたらお焦げをひっくり返す。ここに大量のコチジャン。これを混ぜ合わせ、またフタをする。そして香ばしくなったら出来上がり。仕上がりに胡麻をふる。

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出来上がりはそれほどうまそうには思えない。でもこれがやめられない味わいなのだ。

 冷えたコーン茶とぴりっと辛いビビンバ。夏に疲れ果てたボクにはかけがえのない覚醒効果のある食べ物だ。


八王子の市場にことなら
http://www.zukan-bouz.com/zkan/sagasu/toukyou/hatiouji/hatiouji.html

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 飯能祭のときに見つけた小さなてんぷら屋さんである。飯能大通りは昔、定期的に近隣から産物が持ち寄られて市の立ったところ。古き良き家並みが残っているのだが、飯能夏祭りの日で、それはたくさんの騒がしい露店の奥に隠れている。そんな一角にまだ真新しい、とてもこぎれいな店があり、そのガラス窓の向こうに、ご夫婦で天ぷらを揚げているのを見つけた。そのにこやかに、てんぷらを揚げている女性の優しそうな雰囲気がとてもいい。

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 店内をのぞいてもテーブルも座席もないので持ち帰り専門であるようだ。

 ついふらふらっと店内におじゃま虫。姫と一緒にあろうことか、ここでてんぷらを食べさせてもらう。これがいい味なんである。てんぷらの衣自体にも味つけがされているらしく、まずいただいたイカてんが、それだけ食べてもうまい。衣のさくっとしたのとイカの適度な柔らかさ、「ここに生ビールがあったら最高なのに!」と改めて買ってきてしまいそうになる。このイカてんをあっという間に平らげてもうひとつ。

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「なにかお勧めなのありますか?」
 ワクワクしながら聞くと、お二人はにこやかにあれやこれや考えて、
「かき揚げかな。これはねイカ、サクラエビに玉ねぎといろんな野菜が入っているんだ。まあこれだけ入ってるのは珍しいと思うよ」
 さっそく、かき揚げをむしゃむしゃ。姫はチョコバナナに夢中で「くれ」とは言わない。多種類の具のせいだろうか? 味わいにふくらみがある。その全体をまとめているのが玉ねぎであるようだ。

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 さて、真夏ではなく、また祭の日ではなく、クルマで来ているときのお土産は「小川」でかき揚げと決めてお店を後にした。

 ボクは町の良さは、風景の一部となりきっている個人経営の小売店が並んでいることだと思っている。この「てんぷら 小川」などご夫婦共々、飯能の街並みになくてはならないものであると、よそ者のボクでも思う。こんなことを同じように思っている小学生や中学生は多いのではないだろうか。ボクの幼い日にそんな思いで通り過ぎていた店は、今でも瞼の裏に焼き付いている。
 それとこれは「飯能の豆腐は真四角なのだ」の続きなのだが、この大通りの一角に「問屋」という昔は食料品の市場を運営していた豆腐屋さんがある。そこが小川さんなのであるが、この「てんぷら 小川」さんが「問屋」からの分家、また真四角な豆腐を作っている「とんき食品」も分家なのだ。この「問屋」さんが市場を運営していたときというのはどのようなものだったのだろう。例えば個人経営の市場は各地にあり、例えば八王子綜合卸売センター、八王子総合卸売協同組合なども「公設」ではない。「公設」ほどの規模はなく、小さな地域の流通の要としての市場ってどんなものなんだろう?

 これ八王子祭(毎年暑さに疲労困憊する)で疲れ果てて、夕べに豆腐でも食べたいな、と思いあまって八王子そごうの地下で買ったものだ。太郎が買っているそばから「うまい豆腐がいい」というのでなんと300円を超える大枚をはたいてしまった。はたしてこの豆腐に300円以上の価値があるか?
 ないのではないかと思う。なぜならば120円前後の神山豆腐店、峰尾豆腐店、日野の三河屋と比べてどうか? ぜんぜん傑出していないのだ。どうもこのように最初から高い材料を使い、凄いものを造ってやろうともくろむ人には庶民的な味わいの豆腐ではいいものが作れない。この値段で例えばこれも嫌いと言えば嫌いなタイプの三和豆友(「男前豆腐」、こちらの方が安い)と比べても味わいは劣るのではないか?
 確かに大豆の旨味を感じるし、甘味もあるだろう。でも味わいはいかにも平凡である。個人的にこの味わいで出せる限度額は200円以下である。ただし、この高い値段で儲けようとしているのではなく「国産大豆農家を助けたい」ということなら支払ってもいいかな300円以上を。
 またアメリカ産の大豆を使ってもうまい豆腐を造る店はあると思うので、個人的には「材料を誇る」ヤカラは嫌いだ。だいたい客から「どうしてこんなにうまいんでしょう?」と聞かれて初めて「うちでは国産の大豆を材料としています」と答えるくらいがすがすがしいな。格好いい!
 ただし、この値段には八王子そごうというデパートの上乗せがあるのだろうか? もしくは商売上の戦略かもしれない。面白いのは大阪のデパートでは「ただ高い」なんて商品は許されない。むしろデパートの方が安いということもある。ところが関東では未だにデパートでは高くてもいいと思っているようだ。
 最後にボクには微妙な味わいの違いはわからない。だいたいわからなくていいと思っている。ほんの微々たる違いには往々にして当人の美意識や思い入れなど無駄なものが上乗せされる。でも120円と300円以上の差は大きすぎる。大失敗であった。

 蛇足で「スーパーイシカワ」石川栄二さんの名言を
「どっちの料理ショーだけはゆるせないな。いっぱい金かけて、日本中飛び回って、なにが料理だっての。こっちはいろいろ考えて仕入れして、出来るだけうまいもんを安く売るのに毎日苦しんでるだろ。あんなのおかしい」
 ちなみに「スーパーイシカワ」は八王子でももっとも安くうまい刺身を売る魚屋である。

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豆匠たかち「一丁庵」
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 子供の頃から食べていたB級食品を思い出していて目の前にあったのが「きゅうりのキューちゃん」である。今回、改めてみたら「キューちゃん」なのに驚いた。ずーっと「Qちゃん」だと思っていたのだ。
 これを初めて食べたのは、間違いなく小学生の頃であると記憶する。なぜならどこで買っていたかを覚えているからだ。それは貞光町内を乳母車でパン、惣菜やアサリ、干物に豆腐を売り歩いていたおばさんがいた。「きたぐちさん」と言ったのだけど(漢字はわからない)、毎朝我が家の店の前に乳母車を止める。商売をしていたので店を開ける前に判で押したように売りに来る「きたぐちさん」のような存在はありがたかったに違いない。このおばさんは中学になったらなぜだか来なくなったのだ。これは田舎町とはいえ、「木村屋」というパン屋さんが出来たり、小さなものであったがスーパーマーケットが開業したり。なかなか乳母車を押しての行商が立ちゆかなくなったのだと思われる。
 このおばさんからボクがどうしても買ってもらっていたのが「きゅうりのキューちゃん」なのだ。なぜ、このキュウリの古漬けが好きになったのか、今ではわかる気がする。それは自家製のたくわん漬けや漬物が季節によっては漬けすぎであったり、また苦みを持ったりするなか、醤油味もほどよい漬物が子供心にもうまかったのだろう。また商家なので朝ご飯はパンで済ませたり、ご飯のときも塩鯖やフィッシュカツなど加工食品や簡単なおかずだけであったと記憶する。姉や兄にもお好みのものがあって「きたぐちさん」から買っていたように記憶するがどんなものであったか思い出せない。
 またなぜか「きゅうりのキューちゃん」で坂本九が浮かんでくると思ったら、1963年にはテレビコマーシャルをしていたのだ。小学生の頃から、今現在も食べ続けているものは我が家ではほかにない。これが1963年からだとしたら40年を超える愛用品である。ただし最近、主にこれを食べているのは太郎であって、これをポリポリご飯を食べているのを見るとなんだか懐かしくなる。

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東海漬物
http://www.kyuchan.co.jp/

 神田神保町、本の町の住人になって30年になる。当時からの店はほとんどなくなっているのだけれど、半ちゃんラーメン(チャーハン半人前とラーメン)の『伊峡』は相変わらずである。『伊峡』のある一角は、古本屋街とは靖国通りを挟んで反対側、しかも裏通りにある。ちなみに靖国通りの北側に古本屋がないのは南向きで日差しが入るため、本の保存や陳列に向かないためだ。このあたりは安いカレー屋があったり、そば屋があったりするものの古本屋があるわけでもないので、かなり神保町に詳しくないと来ない場所であった(最近、靖国通りの北側に面白い古本屋が増えてきて、本当に穴場的な場所となっている)。
『伊峡』はもともとは今ある角の店の前角にもっと大きな店があり2店舗併設であった。その前角の店では野菜炒めなど一品料理でご飯、こちらではラーメンを食べるというのが常識であった。これは明大付属からずーっとここが地元であるという仲間から聞いたこと。前角でラーメンを頼んだとき彼が「こっちではラーメンは頼まないの」と言われたことを今でも思い出す。
 考えるに『伊峡』を知らない神保町人はいないだろう。腹減り学生の頃には、迷うことなく半ちゃんラーメン。これがどれほどご馳走だったことか。また本を買いすぎて懐が寂しくなったら、ここに来てラーメンだけをすする。本の街の住人ならこんな経験を持つ人多しだろう。また最近知人と立ち寄ると、ともに注文したのがワンタン麺なのである。これも考えてみると学生時代にはいちども食べていない。

 この店のラーメン、ワンタン麺、チャーハンなど、別にうまいわけではない。ラーメン380円、ワンタン麺480円という値段でもわかるように学生に優しい値段で、その学生が就職しても、また定年を迎えようとしても、まだ続けて食べている。この店のいいところは取り立ててうまいわけではないが、まずいわけでもない。ただただ平凡に徹している。それが長〜く人を惹きつけているのだと思う。これは余談だがこの店で気になるのは茹でた麺の水切りが悪いことだ。これが旨味の弱いスープをより味のないものにしている。今回も「麺の水切りもっとしっかりやってよ」と思いながらワンタン麺をすする。
 さて、この店のラーメンはやや濃いめの醤油味、とりたててスープがうまいとは思えないが鶏ガラの香りがときどきフワリと浮き上がる。そこにストレートで鹹水の香りが残る麺。小さなチャーシューに醤油でよく煮染めたメンマ、海苔。とても平凡ながら、なぜかずーっとつきあえる、また惹かれ続ける味わいである。また来週来ようかな? なんて店内では思わないのに金華小学校の前なんかを通っているとき、ふと立ち寄りたくなるのだ。

 さて蛇足だが、話は「半ちゃんラーメン」に移る。この小盛り(『伊峡』のは小盛りではない)のチャーハンとラーメンという取り合わせ、けっして神保町だけのものではないことがわかってきた。沼津の多津屋、都内各所でこれが見られるのだ。神保町の『さぶちゃん』は『伊峡』からののれん分けとしても、いったい「半ちゃんラーメン」を初めて出したのはどこなんだろう?

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大人になって初めて知ったワンタン麺の味。学生のときには一度も頼んだことがない

伊峡 千代田区神田神保町1-4

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 昨年の糸魚川の町歩きは楽しかった。ヒスイばかりが名物であるかのように思えたのだが、糸魚川の街も素晴らしい観光資源だ。ヒスイなんて、素人にはなかなか見つからないなら街を歩くことをおすすめする。楽しさからいって大人なら飛騨高山よりも上だぞ。
 糸魚川駅から日本海に向かって大きな通りがある。駅から海に向かって歩いても、この通りは大きいだけであまり面白い店は見つからない。そんなときに左手に雁木の軒先が見えて、可愛らしい絵馬が飾っている。この通りがまことに楽しい。造り酒屋、古そうなそば屋、京屋という仏具を扱う店があったり、また昔は繁盛していただろう雑貨屋さんがあり、またそれと対照的な真新しいケーキ屋もある。
 そんな雁木の通りで見つけたのが「こだま食堂」である。暖簾はなく、漆塗りであるような重々しい扉、その脇に不思議な石像がある。「営業中」と書かれた木札がかかっていて、いったいなんの店なのか? わからないので店内を覗くと明らかに食堂である。
 思わず、入ったら中はいたって普通の田舎の食堂。この外観とのギャップが面白い。店内はガランと広く、その割にテーブルは少ない。右手奥に小上がり、左手に厨房がある。
 品書きを見ると中華を中心として、カツ丼など丼物もあるという、古い形の「大衆食堂」そのものなのだ。ただここでなぜか気になるのが「焼きそば」。でも考えた末にボクはカツ丼、家族はラーメンにする。
 ラーメンはすぐに出来上がってきた。これが面白い。チャーシューは今時の在り来たりのものだが、オレンジ色のなるとが入っている。この練り製品の入ったラーメンというのは古い形なのだ。ラーメンが誕生したのは明治43年浅草に出来た来々軒において。その「支那蕎麦」(支那の文字は歴史を語る上で使用しているもの)の具はチャーシュー、ネギになるとなのである。(「文化麺類学 ラーメン篇」奥山忠政 明石書房)この練り製品はときに蒲鉾になる。

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 姫が「あまり食べたくない」というので少しわけてもらう。これがまことにうまい。なによりもスープの味がさっぱりした塩しょうゆ味。それをよく縮れ麺がからめて食べていてまことに軽く感じる。あんまりうまそうに食べていたので(まずそうに食えばよかったのだ)姫の食欲が復帰。残念ながら3分の1で我慢。そしてやっと来たカツ丼は平凡なものであった。残念、「こだま食堂」ではラーメンに軍配。
 さて、思いもかけぬ糸魚川で古いタイプのラーメンを発見して、その上、うまかったのだから大満足。「また来たいな」と思いながら、そろそろ一年が経ってしまうのである。


こだま 新潟県糸魚川市本町6-9

 徳島ではどの市町村でも子供相手のお好み焼き屋さんがあると思う。1960年代などは街角街角にお好み焼き屋があり、子供には暖簾に書かれた文字が読めなくて「おぬやき」って書いて「お好み焼き」って言うの変だなと思っていた。夏はお好み焼きをやめてかき氷を出したり、そう言えばお好み焼き屋には必ずおでんもあった。

 私は徳島県美馬郡貞光町という辺鄙な町に生まれた。この町、不思議なことに農業というのはほとんどなく商店街だけの町。この貞光町というのは後に太田、端山などが合併したが、ここでは狭い意味の町のこと。本来は葉煙草、材木、牛などの集散地としての小さな地域でしかなかった。子供の頃などまだ我が家の前の端山、一宇村からの道を馬が材木をひいてくるのを見ている。(貞光町は2005年3月より現つるぎ町となった。貞光、太田、小島、半田、端山、一宇が合併して広大な町域となっている)

 子供の頃、我が町には部落ごとにお好み焼き屋があった。そこに必ずあったのがマンガ本。お好み焼き屋は子供達の社交場でもあったのだ。ここで初めて触れた「暗闇五段(字が間違っているかも)」、「オレはスカタン(これも)」なんて懐かしい。漫画本を読んでいる間にお好み焼きが焼き上がる。確か焼くのは店の人の役割、自分で焼く店の記憶はない。
 そこで使っていたお好み焼きソースは間違いなく「イチミツボシ 加賀屋醤油」のものだったと思う。当時は一升ビン。これを鉄板脇のソース入れにとくとくと注ぐ。そう言えば東浦の「新田」という店。南町の「みどり屋」なんてもうないんだろうな? また当時お好み焼きと呼ばれていたけれども、屋台をひっぱって、おじいさんが焼いて売っていたものがあった。今思うにこれは一銭洋食というものではなかったろうか? 小麦粉の薄い生地を鉄板に薄く伸ばす、そこにキャベツ、天かすなどをのせて焼き上がったらソースを塗り、くるっと巻いて紙に包んでくれる。あのおじいさん、もう生きているわけがない。

 さて大阪など関西でもそうだが、夕食に家庭でお好み焼きということがある。面白いのは昔の食卓というのは丸く真ん中が開いていた、そこにガス台を置いて鍋物やお好み焼き、ホルモンなどを焼いて食べる。この穴あきのちゃぶ台は1966年に大阪ガスが売りだしたものである。(『大阪あほ文化学』読売新聞本社 講談社+α新書)
 丸いテーブルに家族が揃って、まず小麦粉を練り、具は四国では牛肉とキャベツだけだったと思う。他には天かすかな。父などはゆるりと刺身を食べて酒を飲み、ときたまお好み焼きをつまむ。当時貴重というか高かった卵は確かひとり1個と決められていた。真正面のテレビ画面には「三バカトリオ」。懐かしい。
 そこに当然のごとく「お好み焼きソース」が置かれていて、これが他の地域よりも甘い。広島の「おたふくソース」よりも甘く、まろやかである。これが徳島のソースの特徴。たぶん貞光町では総て「イチミツボシ 加賀屋」のものであるはず。我が家など醤油も「加賀屋」だった。
 この加賀屋(かがや)の「お好み焼きソース」であるが今、我が家にはなくてはならないものとなっている。ボクはブルドッグでも下町のユニオンソースでもなんでもいいのだが、子供達はカツ、コロッケ、はたまたハンバーグにもこれをかける。

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加賀屋醤油
http://www.kagaya-syouyu.co.jp/

 長野県大町市での買い物は食材マニアには楽しいものだった。その一つがそば、それも乾麺である。乾麺のそばでうまいというと山形県小川屋などが八王子でも定評がある。でもそばどころ長野では、どうだろう? と思っていたのだ。そして見つけたのが大町市大通りのはずれにあった倉科製粉所。
 そこは目立たない事務所のような建物、でも一歩足を踏み入れるとたくさんの乾麺が置かれている。目移りする中、初めてなのでもっとも基本的な「二八そば」というのを買ってきた。一束が持ち重りをするほどのたっぷり束ばねてあって165円なのだ。我が家では、これで二人前となる。
 この味がよかったのだ。なによりそばの香りがいいし、麺の感触というか喉越しがいい。これならへたな生麺よりもよっぽど優れていそうだ。

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倉科製粉 長野県大町市大国町2248
http://www.sobakoya.com/

 市場には鮮魚や生鮮野菜を売るところと加工品などを専門に扱うところが分かれている。その加工品を扱うところで見つけたのがこれである。見つけてかれこれ3,4年になるだろうが夏にはなくてはならないものとなっている。
 透明なパックに入っているのはキュウリ、みょうが、ししとう、なす、ねぎ、大葉、昆布、唐辛子などのみじん切り、これを独特の出汁で和えたもの。塩味がきいていて、そこに昆布ベースの出汁、ご飯にのせて噛むほどにキュウリやナス、ネギなどの野菜の味わいが浮き上がってくる。
 夏ばてして食欲のない時期などに炊きたてのご飯にたっぷりかけてかき込むととても元気が出る。また冷凍庫に残ったご飯でも冷凍臭が消えておいしく食べられる。
 さて、この「だしっ」であるが同じような加工品が山形には多いようである。そのどれもが味わいを違えて、また絶品である。どうも山形には野菜や漬物を刻んで食べる郷土食があるようだ。それにしても「だしっ」というのは引かれる名称である。これ、昔からある料理なのだろうか?

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尾花沢食品 山形県尾花沢市大字萩袋1311 電話0237・25・2203
http://www7.ocn.ne.jp/~rescue/tsukemono/obanazawasyokuhinn.htm

 神田多町(たちょう)はその昔、やっちゃ場のあった場所。多くの野菜商、食料を扱う店が軒を連ねていたのだ。そんな多町には今でも古き東京の名残がある。そのひとつが『鳥正』なのだ。ちなみに屋号には「鳥」、鶏肉の「鶏」ではないので間違えてはいけない。と言いながら、最近、鶏肉屋・もしくは鶏肉専門店の屋号で使われるのは「鳥」であるのに気づいたのだ。まぬけだ! またこの店の品書きは総てカタカナ、そのにレジ袋の屋号には「鳥ショウ」の文字も見える。このカタカナ使いがモダンであった頃の名残かも知れない。

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 いつも「鳥正」に立ち寄るときには神保町から靖国通りを東に歩き、神田多町の路地を神田駅に向かう。なぜかこのあたりは夜になると暗くて都心にあってどこか取り残されたようなところである。木造建築も残っているし、「サカエヤ・ミルクホール」、行司の二十二代木村庄之助が始めた「庄之助最中」の灯りが闇にポツンと浮かんでいる。そして歩くことしばし、左手に木枠の引き戸が見えて灯りがこうこうともれてくる。そこが「鳥正」なのだ。

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 店の右手では揚げ物を揚げているし、左手にはコロッケや鶏肉を買いに来たお客さんが順番を待っている。そんな一般客にまじって真っ白な割烹着を身につけた料理人が鶏肉を取りにくる。ここは鶏肉専門店として見事な鶏肉、また砂肝や肝が置いてある。ときには刺身用の正肉、砂肝、レバーがあり、これもまたうまいのだ。
 店に入ると揚げ物をしている正面のタイルに品書きが見える。ハムカツ120円、トンカツ300円などもあるが中心となるのは何と言っても鶏肉を使ったもの。上トリカツ250円、並200円、ササミカツ170円なんてあり、メンチコロッケ160円もコロッケ120円も鶏肉が入っている。コロッケは注文を受けてから揚げる。この時間が長〜く感じるのはなぜだろう。そして揚げたてを経木に包んでくれる。そのいい香りが中央線でも注目されること必然なのだ。ちょっと恥ずかしいけど我慢我慢。
 さて、持ち帰った「鳥ショウ」の神田コロッケ、大急ぎで経木を開こう。そしてなにもつけないでかぶりつく。ホックリしたジャガイモの味に鶏のミンチからジワリと鶏肉の脂が染み出す。塩加減もほどよく、まあお父さんはビールといきますか。

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多町や神田周辺のことは「西平の神田探偵団」を見るべし
http://nishihei.com/

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 福島県浜通にある浪江町は小さいけどいい町であった。その夕暮れ時に入ったのが『大室屋』。なんといってもその無骨だが古めかしいツタの絡まる外観に惹かれた。このコンクリートなんだか木造なんだかわからない建物って、ボクの年頃には懐かしいな。
 丼と麺類だけの店で、入った途端に失敗したなと思ったのだが、2階からどかどかと下りてきた高校生達。その誰もがラーメン代金を支払っている。これ、懐かしい光景だ。高校時代に徳島本線、穴吹駅前の『穴吹食堂』と言うのがあって、お腹がすくと、ここでラーメンやカレーを食べた。こんな店はみな味がいいのだ。ボクが高校生でこの2階から下りてくるようなデジャビュを感じる。
 その『大室屋』、外観の古めかしさから思わず入ってしまったのだが、中に入った途端にその薄暗い古色をおびた店内にまた心がざわめく。1階は狭いテーブルが並ぶが2階があって、どうも宴会なども出来るのではないだろうか。その一人客としてボクの目の前のテレビは福島のローカルニュースが映し出されている。そこに場違いな刀剣が飾ってある。これは浜街道にあって会津を思わせる。まあそんな関係ではなくご主人の趣味の世界であるようだ。

 トイレに行きたくなって、とりあえず燗酒とおつまみの天ぷらを注文して、薄暗い店の奥に案内される。その奥への廊下が長い。廊下から垣間見える厨房も驚くほど古めかしく、なにかを揚げる音が響いてくる。トントントンと音がして揚げる音、これはどうも豚カツのようだ。しまったおつまみは豚カツにすればよかったんだ。でもこれは出前用のもの。テーブルにもどると精進揚げに海老天ぷら、そして燗酒が待ち受けていた。

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こんな素朴な天ぷらが出てくるなんて、ここは大衆食堂なんだなと実感する

 そして肝心のラーメンだが、これがなんとも絶品だった。まず浮かんでいるのがなるとである。練り製品が使われているのは老舗の証拠。この店の開業は昭和なのか大正なのか? スープは昔ながらのしょうゆ味、鶏ガラスープに微かに魚貝の旨味。長方形の薄いチャーシューも豚の風味が生きていてうまい。そして麺だが、これが残念なことに茹ですぎ。これさえなかったら理想的なラーメンだったのに。でも食堂などで注文すると、こんなことはままあることではないか。偶然とはいえ、こんなうまいラーメンに出合えるなんて。福島県浪江町恐るべし。また行きたいと思っているのだ『大室屋』。

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大室屋 浪江町権現堂字下続町7 0240-34-2052

 愛知県津島市に天王川公園という桜の名所がある。その前にあるのが吉川屋という食堂。ここはあきらかに食堂なんであってラーメン屋ではない。そんな食堂を見つけて、あまりの普通さ加減に惹かれてふらふらと入ってしまった。そこにいたのはかなり肥満気味の男性店員とかなりかなりお年を召している老婦人ふたりの客。目の前の天王川公園は桜が満開、しかも土曜日なのだ。公園の駐車場は満杯、公園の土手を行く人の多いこと。しかもクルマから見ても驚くほどに美しい桜花である。
 そんな喧噪どこ吹く風、ここには静寂さが沈殿している。この静かさに老婦人の箸の音さえ聞こえるのだ。注文を聞かれてしばし絶句。思い浮かばないので中華そばをお願いする。男性店員は不機嫌なのか、それとも無口なのか愛想がすこぶる悪い。
 そして、かなり待たされて出てきた中華そばにまたまた絶句してしまった。今までいちども見た覚えのないものなのだ。やや醤油色のスープが多すぎるのだろうか具も麺も丼深く沈んでいる。そこにポカリと浮かんでいるのが赤く紅で染めた麩。やや沈んでいるのが赤い蒲鉾、豚肉、ゆで卵。その下に麺が深く深く沈んでいてまったく見えない。「面白いなコレ」、割り箸を押っ取り刀で割り、深い沼の底に差し入れる。
 出てきたのはとてもラーメンではない、ソーメンである。そして一口すすると、ななななななんとスープだろうか、これはむしろうどんのつゆの塩分濃度の強いもの。スープを飲むほどに鶏ガラ風味旨味が感じられて、やはり中華そばなんだなと思い。ソーメンのようなラーメンをスープ共々すすり込むと、これがなかなかうまい。ここに練り物が入っていてうまいなと思うのはうどん汁に近いせいだ。豚肉もいいし、わけぎでも白ネギでもないネギも初めてであるが香りがある。ゆで卵もこの味わいにマッチしているからさあ大変だ。なんだこれは? 頭が混乱する内に中華そばを一滴のスープを残すことなく食べてしまったのだ。
 津島市で出会った不思議な中華そば、これは吉川屋だけのオリジナルだろうか? それとも津島市独特の「津島ラーメン」だろうか? 謎だ!

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愛知県津島市橋詰町2 天王川公園北 吉川屋 ラーメン450円

 甲州街道を山梨にむかって高尾駅を過ぎると斜めに中央線の線路が横切る。そしてすぐまた右斜めに入る道があり奥へ奥へと行くと美しい火の見櫓がある。そのまま奥へ奥へと行くと峰尾豆腐店、そこからまたまた奥へ行くと『ふじだな』という店に行き当たった。正面には大きな桂の木の林、そして高尾山がある。
 この店の前に「本日のコーヒー200円」という文字があって喫茶店かなと思って入ったのだが、どうもコーヒー豆の店らしい。この店のコーヒーがうまい。あまりコーヒーを飲まないのだが、それでもうまいものはうまいのだ。
 またこんなところに美人はいないだろうと思っていたら、先客はきれいな方ばかり。その美人さん達に聞くところによると、ここは高尾山への登山口に当たるのだという。今や国土交通省と道路公団のために破壊の危険にさらされている、高尾山。ここに来てうまいコーヒーでも飲んで「圏央道より高尾山の自然が大切だ」と知るべし。
 閑話休題。
 さて、ここで「ふじだなブレンド」というコーヒーを買い求めてきた。コーヒー好きの知人によると、この味わいで480円は安いという。またクッキーや地元の野菜を売っているのもいい。

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八王子市裏高尾町1254番地
TEL0426-61-0798

 この店には学生の時にはあまり縁がなく初めてはいったのは大学卒業を前にした頃である。それでも25年以上前になる。お茶の水・神保町で昼ご飯を食べるというと店は決まっていて、その基準はただただ値段であった。
 お茶の水駅から駿河台を下ってきて明大を通り過ぎて斜め右手の通りにはいる。そして住友銀行をすぎて靖国通りを渡ると神保町の古本屋街となる。この横断歩道を渡ったところに画材屋がありとても目を引く人物像が飾ってあった。そのバストアップの絵が今では思い出せない。そこからすずらん通りに抜けるのだが、三省堂は当時は確か3階建ての古めかしい建物で中にはいると迷路のようであった。

 そのすずらん通りに「ス井ート ポーヅ」が開店したのはいつの頃なのだろう。神保町界隈で生まれた友に聞くと「戦前、中国から引き上げてきて、たぶん戦後すぐからここにあったんじゃないかな」と言う。昭和30年代くらいまでは白山通りを隔てた、さくら通りには東洋キネマがあり(この建物はバブル期までは確かに残っていたのだ)、今で言うところの新宿のような賑わいが神保町界隈にあったようだ。そこに満州から引き上げてきて餃子(ポーヅ)の店を開店した。これも調べてみると面白そうだ。

 1970年代後半、すずらん通りに出ると、そこはまさに古色をおびた古本屋、楽器店、画材屋、紙屋などが並んでいた。そこを白山通りに向かい左手にひっそりとあるのが「ス井ート ポーヅ」なのだ。記憶からしても店はまったく当時と変わらない。でも昔はサッシではなく、木のガラス扉だったろうか。
 ここでは苦い経験がある。友人に「ここは神保町でも有名な店だから卒業前に入ろうよ」と誘われた。そして優柔不断に注文して出てきたのが今で言う「餃子定食」。それはなかなかうまいものではあったが、値段が貧乏極まりない卒業前の身には応えたのだ。
 それが仕事で神保町に通うようになると、年に4,5回は食べに行くようになる。ここには餃子小皿8個483円(税込みだから細かい)、中皿12個724円、大皿16個966円というのがあり大方の客はこれを定食にするかビールを飲む。ほかに水餃子10個840円、店の由来になった天津包子5個787円もある。残念ながらここで注文するのはいつも中皿定食ばかり。これで1007円だから今でも決して安くない。
 さて、この店の餃子の形は変わっている。見たところ春巻きの巻きの不完全なもの、その底が平たく焦げ目がついている。といった風情。でもこの皮の味わいは明らかに小麦粉の甘味を感じるもので、うまいのか、うまくないのか、いつも答えが出ない。そして具は白菜なのだろうか豚の挽肉に混ぜ込んであり、ほんの少しだけニラが入っている。これを醤油と酢、そして練り辛子をつけて食べる。ボクとしてはなんだかもの足りない味わいなのだが、店はいつも満席に近く、我が神保町仲間にも通う人多しなのだ。
 ここに赤みそ仕立てのワカメにみそ汁、ご飯、キャベツの細かく切った漬け物がつく。このみそ汁も漬物もぜんぜんうまいものではなく、次回からは定食ではなく餃子ライスでいいのではと思いながら、また忘れて定食を注文しそうだ。

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ス井ート ポーヅ 千代田区神田神保町1の13

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 飯能市の大通り商店街は昔、近隣の村から産物を持ち寄って市の立ったところ。いうなれば近隣の村にとってはハレの日に訪れるところとでも言えそうである。そこに古めかしい切り妻造りの仕舞た屋風の建物をふたつ並べてあるのが「住田屋」である。その外見は古く、換気扇のファンの上には竈かなにかしらの煙突が見える。どうも市の立っていたときには売り買いが終わり在所に帰る前にこんな食堂で腹ごしらえをしていたのではないだろうか?

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 その引き戸を開けると、中は薄暗く、よく見ると祭衆も食事中であり満席。引き返そうとしたら4人がけの席に座っていたオバサンが、「合い席でいいならどうぞ」と言ってくれた。店は入って正面にテーブルが並び、その椅子机ともにいたって安物だ。そして漸次、薄暗さに慣れてくると奥には壁があり、窓もなにもない。右手に厨房がある。そのガラスの仕切が古くがたついている。見通せる厨房もなんだか明治や江戸を思わせる。
 メニューはカレーライスや焼き肉定食もある。が、やはり中華の品が多い。そして店内を見回して来店する人のことごとくが食べているが「つけめん500円」である。しかも麺の丼からの盛り上がり方からすると「大盛り600円」だろうか? 大に麺が、小の丼につゆが入っている。これどこかで見たような、と、考えてみると近所にあるうどんの「古久や」の「盛りうどん」と見た目がそっくりだ。違いは麺の太さ。
 一緒に飯能に出かけた姫は迷わず「つけめん」、ボクは好奇心からラーメンを注文する。この日はお祭りなのであり、姫はここに来るまでにチョコバナナ、あんず飴、かき氷などを食べている。当然、「つけめん」は半分しか食べられないだろうという計算も働く。注文を聞きに来た女性がスイングドアから出てきて、また厨房に消える。木の軽そうな戸が何度も何度もばたんばたんする。
 ほどなく前に座ったオバサンに焼き肉定食がやってきた。
「この店はね。飯能でもいちばん古いくらいの店だね。来る人はみんなつけめんかラーメンを食べていくね」
 姫と二人で店内を見回しているとオバサンが教えてくれる。
 そして「つけめん」が姫の前にくる。姫は早速、驚くほどの早さでめんをすすっている。

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「うまいの? 全部食べちゃいそう?」
 うんうんとうなずいているので、ちょっと味見する。これはなかなかいい味わいだ。麺は中華麺ではあるが鹹水などをほとんど使っていないストレートで個性のないものだ。むしろうまいのはつゆである。これは鶏ガラスープに和風の出汁が加わっているようだ。程良い塩分濃度、そして甘味。豚肉となるとが入っているのも「埼玉風盛りうどん」にそっくりである。
 そしてやっとラーメンが到来する。麺はつけめんと同じもの。そこになると、チャーシュー、めんまに海苔にネギが加わる。スープはいたって軽い鶏ガラ風味、そして微かに魚などから来るイノシンの旨味。これも毎日食べても飽きない普段着のラーメン。店が混んでいるわけは当然のうまさにある。

sumitayaramen.jp</p>

<p> さて、姫はとうとう「つけめん」を制覇してしまった。かねがねよく食べる娘だと思っていたが、改めてうまいものには目がないのが思い知らされる。<br />
 </p>

<p>住田屋 埼玉県飯能市仲町21-23<br /><a href=http://copost.hp.infoseek.co.jp/o-sumitaya.htmlg" width="150" height="98" border="0" />

 まあ、「下仁田納豆」というのは納豆界では有名な存在であるようだ。それが証拠にデパートなどでたびたびお目にかかる。それほどこれ見よがしにあると、手が遠のくのがボクの気性。
 でも食べたらうまかったのだ。これはデパートのバイヤーがわざわざ納入しているのだから当たり前だろうか? 豆の味わいがとてもいいし、甘味がある。タレも辛子もなかったっはずだけど、ボクはあまり添付の辛子もタレも使わないので忘れてしまった。
 そう言えば群馬にはいい納豆が目白押しである。この群馬でも抜きいん出ているんだろう。

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下仁田納豆 
http://homepage3.nifty.com/NATTOU/

 立ち食いそばでは都内でも屈指の店である。その立川駅下り線ホームのが良かったのだが、なぜか今はなくなってしまった。このあとに明らかにJRとのコネクションがあるだろう、つまらない「あじさい」、「小竹林」なんかが来ると困るんだが大丈夫だろうね。
 さて、「奥多摩そば」で夏に注文するのが、「冷やしかけ」300円、その他の季節は「おでんそば」380円である。今回の画像はスタンダードな薩摩揚げであるが、厚揚げ、卵にすることもできて、個人的には卵がすき。このゆで卵を箸で突きこわしながら、最後に汁と一緒にすするのが何とも言えずいい。
 このような食べ方が出来るのは出汁の味がいいからだ。たぶんしっかりさば節かなんかでとっていて、ついつい最後まで飲み干してしまううまさである。また麺もとりたてていいとというものではないが、無難なものを使っている。立川に来ていい昼飯屋が見つからなかったらお勧めの店であるし、途中下車して食っても満足できるはずである。

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「コーヒーと洋食の店」とあるので「入るべきかやめるべきか」考えてしまった。外見からするととても「入りたい」店なのだ。内海隆一郎の小説にでも出てきそうな、こぎれいで情緒に富んだ店の趣。しかもかなり空き腹である。これは近年昼食をほとんど食べなくなったせいだ。食べても軽く一膳、しかもお茶漬けだけだったり、お菓子でごまかしたり。
 そんな空腹で森下町交差点そばの「鍵」の前に立っているのだ。結局空腹に押されて店内に入る。テレビの前の席に老人が座っていて、入るや否や席を立ち、奥に消えた。どうもこの店の方らしい。そしてその奥さんだろうか出てきてメニューと水、おしぼりを置く。店内はチョコレート色の腰板、そしてテーブル、テーブルの表が白いだけで壁は沈んだ濃いベージュである。その壁にはメニューも、ポスターも貼っていない。なんとも清潔で静かな店内である。
 メニューを見るとハンバーグやカツ、オムライスなど。お勧めを聞くとハンバーグであるというので、それを注文。ライスは別であり、ハンバーグとビールもいいな。でも考えた末にビールではなくライスを注文する。合計850円。学生街から高額な都営地下鉄に乗り、森下町で下りる。学生街ならハンバーグライスが650円で食べられるが、下町にきて850円というのは、ちょっと贅沢なのだ、貧乏なオヤジには。でもでも、この「鍵」での一時がよかった。
 後からご婦人が来店してきた。この女性の座った席が奥に近いところ。100円玉をコロコロと置くと、この屋の老婦人が自然と前に座って、旅行や会の話を始めた。そしてコーヒーが来て。またご婦人方は話し始める。その話しぶりが、とてもいいのだ。浅草などでやたらに目立つオバサンに出くわし、堂々と大声で個人的、あまりに個人的な話をしているのに出くわす、また学生街では若者がそのようなことをしでかす。でも、ここでの話はつましく、しかも自然でふたりのご婦人、そして店主らしき老人も含めて適度な友好が見られてとてもいい。こんな些細なことから、ついつい森下町にたった一人で住んでみたくなる。いいな森下町とも思う。
 まあ、そんな一時があってハンバーグが到着。これがとても端正な昔ながらのもの。ハンバーグ自体は平凡だが、そのソースがとてもうまい。個人的には上質のドミグラスは味気なくもの足りないと思っているが、ここのはそんなもんではなく、ちょっと酸味があってしかも明確な味わい。ご飯に合う。
 食べ終わるのはあっという間だった。時計を見てコーヒーで長居したいのを我慢する。そして近所にスーパーがないか聞くと、「フジマート」までの道を懇切丁寧に教えてくれた。本当にいい気分で歩く、森下町であった。

「鍵」は新大橋通、馬肉の「みの屋」のそばにある。

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 中央沿線には、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪と魅力的な街が続いている。どの街にも古本屋、活気のある商店街、また曰くありげな個性的な喫茶店などがある。中でも比較的足が向かないのが阿佐ヶ谷である。これは古本屋がないだけのことで、すずらん通りなどは魅力的。
 そのすずらん通りを歩いていてあまりの空腹感から飛び込んだのが『蘭花』。この店、驚いたことに店の横で鯛焼き、たこ焼きを売っていて、たぶん腹ぺこじゃなければとても入る気にならなかったろう。
 その店内にはオバチャンがひとり。まだ店を開けたばかりの夕方5時過ぎのことである。ラーメンは食べたいと思うものの、あまりに腹が減りすぎて「飯」が食いたいという欲求が強すぎる。そこにABCの定食。あんまり品揃えなど見ないでBにする。これはざく切りキャベツいっぱいの焼き肉、たくわん2切れ、オマケのコロッケ、中華スープ、ご飯で750円也である。ご飯はこれで並盛り。大盛りにしたら凄いだろうな。
 この焼き肉、やや脂が薄く、オヤジ向きである。そして味つけは甘口。この甘口がご飯にあう。またざく切りキャベツもソースをザブリと注いで合いの手によろし。コロッケ、たくわんはありきたりながら中華スープはなかなかうまい。これならラーメンもうまいだろう。阿佐ヶ谷『蘭花』腹ぺこオヤジにありがたき店である。

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杉並区阿佐谷南1の13の4

 日高市の農産物直売所で見つけたもの。これがまさに真四角の木綿豆腐。大きい、重い、そして安いの三拍子揃った優れものの普通の豆腐。この日高市というのは「高麗」すなわち奈良時代の高麗郡の置かれたところ。当然、飯能も高麗郡の一部なのだ。高麗郡というのは関東周辺の7カ国から高麗人(朝鮮渡来人)を集めてきて一郡としたところなのだ。それと豆腐が真四角であるのが関係あるんだろうか? ないだろうな?

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むつみや食品 日高市大字台122番地1

 埼玉県の豆腐は真四角か長方形か? これは問題だぞ? そして今回は埼玉県にあって長方形の豆腐を紹介する。
 東松山の「江野豆腐店」を見つけたのはさんざん市内を自転車で走ったあとであった。この東松山駅周辺であるがなんにもない。夕方なら名物の焼きトンもあるだろうけど、駅周辺の寂しいこと。
 あまりの無駄歩き振りにうまそうな豆腐屋を見つけてときにはほっとしたのだ。それでいそいそと木綿豆腐と湯葉を買ってくる。これはなかなかうまい豆腐である。大豆の香りも高く、また甘味も感じられる。湯葉もまあまあのラインを確保している。
 でもどうして真四角じゃないんだろう。長方形と言うには控えめなのだが、やはり「長方形」なのである、真四角ではない。

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江野豆腐店
http://www.saitama-j.or.jp/~syougyou/genki/shop/w014_tohu.html

 この店に初めて入ったのは大学に入学してまもなく。と言うことはすでに30年も前。最初は、値段からいってなかなかおいそれとは食べにいけなくて、ちょっと贅沢な店だなといった存在であった。
 その頃から長い間友達と飯を食いに行くに交差点そばの「あの食堂」とか「おやじの店」と呼んでいて屋号を知らなかった。それが数年おいて、また神保町暮らしをするようになって、ときどき夕食を食べに行くようになった。当時通っていたのが岩波書店そばの「末広」、「亀半」などであるが、この店のみが生き残っていて今では貴重で懐かしい店だ。

 また通うようになって、改めて屋号を聞いた。それがかれこれ20年以上前のこと。このとき初めてそのオヤジと口を利いたことになる。その無骨なオヤジが「おおみや」だと言った。それが漢字にすると「近江屋」だとわかったのはまたまたかなり後のこと。すなわち屋号などどうでもよかったのだ。それから仲間と夕食をとるために、遅れてくるひとりのためにメモを残した。「近江屋にいってるよ」と書くと「や」は平仮名じゃなかったかな? と合方が言う。まあ、これもどうでもいいか?

 ここの名物が竹の子ご飯、実をいうと一度も注文していない。我ながらガンコに、基本とするのはサバ焼き。これに懐具合と相談してごま和え、きんぴら(ともに180円)、納豆(130円)、冷や奴などを追加する。これで700円から800円となる。ちょっと贅沢をして肉豆腐(200円だったか250円だたか)を追加することも可であるし、玉子焼きというのもあり得る。しらすおろし、なめこおろし、焼き海苔、大根の煮物もあった。それにサバを真ん中に持ってこないでサケやサンマでもいいのだ。とにかくボクは「近江や」では白飯にこだわっている。

 魚は客の注文を受けて焼き始める。確か昔はガス台に魚焼き器で焼いていた。それが今は天火の焼き台。この魚焼き器の変換期に店自体も改築している。改築したばかりのときにはオヤジがなんども、この焼き台に悪態をついていたのが思い出せる。
「せっかく高い金だしたのに、なかなか焼けやしない。バカ野郎」
 この光景がいかにも滑稽であったな。

 いつも注文するのはサバと言うがいわゆる「文化干し」である。これをこんがり焼いてたっぷりの大根おろし。初めて入ったときにサバ自体に醤油をかけて、訳知り顔の同級生に「大根おろしにかけろよ」と言われたっけな。この焼きたてのサバのうまいこと。つい食べ過ぎておかずが足りなくなるので副菜のごま和えやきんぴらが重要になるのだ。みそ汁もあつあつ、そして少し塩辛い。腹減りで「近江や」に入って、ご飯をがっしがっしとかき込むときの幸せなこと、だれかわかってくれないだろうか?

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「店を開いて40年だ」と頑固そうなオヤジは言った。こちらは神保町暮らしもとびとびながら30年ほど。仕事場は逆方向ながら、「たまには来ないとダメだな」と来るたびに思い。また2,3年経ってから「近江や」ののれんをくぐるのだ。

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手前が「近江や」、一軒あけて右が神保町名物半ちゃんラーメンの「さぶちゃん」。その先が白山通りで通りに面して「グラン」という洋食屋がある。これ総て兄弟なのだ。そう言えば「グラン」が開いていなかった。どうしたのだろう?

 川崎駅の地下街に迷い込んだのは午後5時近かったと思う。広大な空間に案内板はほとんどなく、非常に不親切である。これなど東京駅八重洲地下街と比べて地元以外の人に対する思いやりに欠ける。またこの地下街も大きいばかりでデザイン的にも、また地上に出ることなど配慮に欠ける部分が多いのはなぜなんだろう。川崎駅と言い、この広大な地下街といい、もっと人間味のある人物に造ってもらいたかったな。
 川崎駅に入って、また地下に潜り込む。さっきの地下街と、駅の地下街は繋がっているのだろうか? 駅の地下街は逆に狭く全体にごみごみしている。「腹が減った」という太郎のために鮟鱇さんに教わったラーメン街に。ここを回ってみて、とてつもなく混雑している店と、ほとんど客のいない店があり、その極端なのに驚く。ながなが行列が続く店はうまそうだし、一人も客の見えない店はまずそうだ。
 我慢の限界に近い太郎は1階にあった豚丼の店がいいというので、その『豚丼和幸』に入る。明らかにチェーン店。向かえてくれた店員のやるきのなさが気になる。このアルバイト、まったく接客をしている雰囲気がない。メニューはいろいろあったが単純に豚丼500円というのを注文する。松竹梅の「梅」である。これは竹松とどう変わるのかがわからなかったためだ。例えば松竹と肉が多いのか、またご飯はどれくらいなのか、わかりやすいメニューなどが見あたらなかった。
 注文して、すぐに来るのかと思った豚丼がなかなか来ない。腹が減って死にそうだという太郎は泣きそうな顔をしている。まあ、そんなに目くじらを立てるほどでもなく豚丼3つが来る。
 タレで焼いた豚肉、シジミのみそ汁、お新香。すぐに太郎が丼を抱え込んだ。豚丼はタレが甘く、そして香ばしさやうまさに深みのないもの。豚自体もそんなにいいとは思えない。これは作り手の不手際があるのかも知れない。火加減をもう少し強くして焼いたときの香ばしさが出るようにする。また焼いたときの脂が染み出してジューっと音を立てているようだともっといい。もしくは香ばしさが感じられないのはレトルトなのかも知れない。近年レトルトはよくできている。
 ただチェーン店の丼として考えるとよくできている。500円でここまでやれるのか、と思うと街の食堂はびびるだろうな。だいたい、シジミのみそ汁がうまいし、ほんの少しとはいえ漬物もいい。
 太郎は「量が多いんなら松にしたかった」という感想。これは牛丼のない吉野屋よりいいかも?

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豚丼和幸
http://www.wako-group.co.jp/02shop_16butadon.html

 もうかれこれ30年近く通っているのが「天丼いもや」である。連れて行ってくれたのは明治大学に通っていた予備校からの仲間。「いっしょに受験しようぜ」といってボクも明治を受けて、なぜだか滑って転び、彼もボクと一緒に駿河台の大学を受けて、こんどは反対に彼が滑って転んだ。
 この明治大学裏はどちらかというと明治のなわばりであって、古本屋街に向かうにも回り道になって死角となっていた。でも今考えると彼と行ったのが「天ぷらいもや」であったのか「天丼いもや」であったのは判然としない。まあ、どうでもいいか?
 さてここで食べるのが「天丼並盛り500円」。これを大盛りにすると650円だっただろうか? 若い頃はいつも大盛りにした。そしてご飯粒ひとつ残さないで食べると、これが並盛りと同じ500円になる。毎年明治の新入生が初めて来店する。すると先輩らしき学生がこのシステムをそっと教えているのが見られたものだ。でも最近、あまりこの光景ない。むしろ出てきた並盛りに「ボク全部食べられるかな?」なんて情けないのがいる。
 その並盛りだが長い間、450円であった。これを500円にしたときのオヤジさんのすまなさそうな顔を覚えている。まさに誠実でしかもありがたい店なのだ。
 さて週に一度は通っていた「いもや」であるが最近は2,3ヶ月に一度丼をかき込みに行く。天ぷらはきす、いか、えび、かぼちゃ、板海苔。これは30年来まったく変わっていない。これに辛口の丼つゆ。この辛口のどんつゆにからりと揚げたての天ぷらがうまい。「いもや」の味わいは、みそ汁もそうだが、どこまでも江戸風の塩辛い味わい。これがなぜかしら腹減りの身にしみるのだ。
 食べ終わったらお茶をもう一杯飲み干して店を出る。この言いしれぬ満足感、味わって見ないとわからね〜だろうな。

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天丼いもや 東京都千代田区神田神保町1-22

 埼玉県飯能市への冬の旅はもうひとつ収穫に欠けるものだった。購入した日本酒ははずれ、期待したうどんは食べられない。そんななかで大発見をしてしまったかも知れないのだ。
 それは飯能銀座商店街の「とんき食品」で買った木綿豆腐、これが真四角なのだ。関東のとうふは長方形だと思いこんでいたのでビックリ。今考えると油揚げを買ってこなかったのは今回最大の失敗かも(後にいなり寿司を見て俵型なのを知る)。これで油揚げが四角なら、いなりずしの形はどうなうのだろう?
 考えてみるといなりずしも買う必要があったのだ。豆腐の形がいなりずしの形を決めてしまうのは当然のこと。だから関西や四国の、きつねずし(いなりずし)はずきん型なのだ。それが関東の豆腐は長方形ゆえに油揚げも長方形、それで、いなりずしは俵型となる。
 ひょっとして埼玉の豆腐は真四角なのだろうか? もしくは「とんき食品」だけが真四角? これでまた飯能に行かなければならなくなったわけである(問屋という屋号の豆腐も真四角なのだが、それが飯能の豆腐の一系統である)。
 さて、忘れてならないのが「とんき食品」の豆腐の味わい。やや平凡ではあるが丁寧に作られた、うまいものだった。

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飯能銀座商店街
http://www.hanno-ginza.com/

飯能夏祭りを歩く02

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 ここで南から来る県道二本木・飯能線と合流。この角に青果店の『かすや商店』がある。このやや古びた店舗の後ろに立派な蔵が見える。この曲がり角の左右にはすでにたくさんの屋台店が並んでいる。姫はまず手始めにかき氷を買って、自分で蜜をかけるのに戸惑っている。その屋台の前にあるのが『八百梅』というやきとり屋らしくない名のやきとり屋。ここでカシラと皮を一本ずつ買って生ビールをグビリ。

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 この店から見る祭の風景がなかなかいい。ここで飯能の夏祭のことを書く必要があるのだが、そのよるところはまったくわからない。また残念ながら祭が嫌いなのでそのものに関して調べる気になれない。
気になる方は「飯能すたいる」へ
http://blog.livedoor.jp/kurasinotanosimi/

 祭のなかに突入した途端に姫がわくわくし始める。「父ちゃん、300円」といってクジを買い、100円ショップでも売っていないようなつまらないものを引き当てて喜んでいる。子供はこのクジが大好きなのだけど、最低でも200円から300円もかかる。今時こんな高価な遊びは子供でも「浮かれない」と出来るものではない。子供を持つ身としては不愉快極まりない。でも昔から大人にとっては「そのようなものだったんだ」ろうな。
 祭というと大嫌いなのでこれだけでうんざりするのだが、飯能のよいところは商店街のほとんどが営業していることである。『八百梅』の先に『イチノ陶器』という陶器ガラス器を売る店がある。ここはかなりの老舗であるようで見ていると昭和30年代の陶器などの在庫もありそうに思える。こんどはじっくり見てみたい。また飯能では陶器を売る店は「瀬戸物屋」と呼ばれていたのかどうかも知りたいところだ。
 ここから「飯能大通り商店街」にはいる。もうここはまさしく祭が始まっている。姫は水の中を大小のボウルが流れているのに目を奪われている。ここでも300円を手にして信じられないほどつまらないものを手にして明らかに不満足なのだが、満たされないままにまた欲望をつのらせている。これを見て約40年前の我を思いだして切なくなる。
 この銀座通りと中央通りの交差するところが広小路。そこから西にかけてが大通り商店街と名を変える。ここはかつて近在からの産物を売るための市の立っていたところ。


 この通りにも魅力溢れる建物がいっぱいある。「銀河堂」、うだつの上がる「山に甚」店?。ここにも呉服店がある。飯能には呉服店が多い。明治期から飯能では機織りが盛んになり、今の見事な家並みも「織物の街」の面影なのかも知れない。

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残念ながら店を閉めていた古めかしい薬屋。ここで正露丸を買うなんていいだろうな

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これもなかなかいい趣の呉服店ではないか?

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アールデコーとでも言うのだろうか、「モダン」という文字がぴったりくる美しい建物。これを見て近代建築を調べたくなった

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これはいったい何を商う店であろうか? これは見事しかいいようのない外観。素晴らしい

 屋台店の奥には薬屋酒屋など個人商店が元気に営業している。11時を過ぎているのにクルマが通る。屋台店で興奮する姫は道をなんども横断するのだが、これが非常に危なっかしい。本町通を少し西に歩いた北側で姫がまたクジを引く。またまたハズレで、余計にまた引きたくなる。そんなとき小さな天ぷら屋さんを発見する。食堂ではないようでお持ち帰り専門の店のようだ。思わず入って天ぷらをいただく。かき揚げがうまい。

 そして祭の屋台がとぎれた左側に豆腐屋を見つける。この店の屋号が「問屋」というのだが、これはここで市場を経営していたためだという。飯能銀座の「とんき食品」、そして天ぷらを食べた「小川」もここから分家したのだという。そして「問屋」の豆腐が真四角。昔ここが都心や近在からの食料品を集めていたところだとしたら、小川家は飯能にあって重要な家である。

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「問屋」のお婆さん。とても優しい、そして気品のあるお婆ちゃんであった

 本町通を行き着くところまで行って、そこが図書館。こぢんまりした小さな建物だけど、川への眺望が素晴らしい。ここで姫のトイレを借りる。姫を待つ間、図書館の陳列台を見ていると打木村治という作家の本が展示されている。これに関しては後に『あるから』という飯能の地域小冊子で、そのおおよその人となりを知ることができた。そしてまた大通りを東に歩く。

 少しもどって前回来て気になっていた通りに入ってみる。ここは高麗横町というらしい。横町に入ってすぐ右手にあるのが「明治39年創業」とある「小槻時計店」。その先が「江州屋」という古い商家に入ってみる。ここは春に来たときに道に迷って見つけた。古い商家の建物、なかにL字がたにアールをえがく陳列棚を見つけて入ってみようとして前で駐車スペースを探そうとしていて後ろから大型トラックにクラクションをならされて断念した。どうしてこんな狭い道に大型トラックなんて無粋なものが通るのか、不思議でならない。さて、この店内に飾られてあったのが可成幸男さんのオブジェと陶器。じっくり見ていたかったのだが姫にだだをこねられて諦める。この「江州屋」は昔は醤油・味噌などを扱っていたようだ。その店先だった土間で見つけたのが「キッコーブ」の木のカンバン。

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「江州屋」の美しい陳列台

 大通りはクルマが入れなくなって、いちだんと祭らしくなってきている。ここでまた姫がクジを引く。これで3回ともハズレ。
 正面から屋台が引かれてくる。姫はこの屋台には目もくれない。ひたすら欲望の迷路を彷徨っているかのようだ。
 お昼となって「腹減ったな姫」と声をかけるがチョコバナナ、あんず飴、かき氷に焼き鳥を食べているので反応なし。そんなときに古風な食堂を見つけた。厨房のあるらしいあたりに「つけめん」の貼り紙があって。これはうどんではないらしい。お願いにお願いしてお昼ご飯に入る。この「住田食堂」の「つけめん」が面白かった。

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祭なので一様、こんな画像も載せるかな。

 ここから飯能銀座商店街に入ると向こうから神輿が来る。祭だ、祭だ! と浮かれてもいいようなものだが、こちらは親子してクール。これは血筋だろうか。それよりも「英国屋」という名のパン屋に引かれる。我が国へパンが入ってきたのは最初は幕府とフランスの関係から「フランスパン」、それが瓦解して薩長とイギリスとの関わりから「イギリスパン」へと変わったのだ。こんど入ってみたいものだ。

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ボクとしては街にこのようなパン屋があるとそれだけで「この街好きだな」と思う

 飯能という町、しかし見尽くせない魅力がある。商店街が好きで好きで堪らないのだが、我が隣町の八王子は商店街の破壊が進みすぎている。対するに飯能は見事としかいいようがない。さて、こんどはいつ参ろうか?

 八王子綜合卸売センター『カワベハム(相模食肉)』の店長はうまいものには目がない。当然料理も上手である。そしてとくに肉料理には抜群の冴えが見られる。まあ当たり前だと思われるかも知れないが、肉屋をやっていてもちっとも肉を食べようとしない、味わってみたこともないヤカラは多いのだ。
 その店長が「おい! ちょっと食ってけよ」と出してくれたのが賄いの牛煮込み。これがまことにうまい。何と言っても高い肉の切れ端を集めて丁寧に脂を除いてある。そのあっさりとしてトロリンコとした味わいは如何に表現するべきや。
「試食だけじゃつまらない。もうちょっとお土産にくれよ、ドラえもん」
 なんども繰り返して店に居座っていると
「しかなねーな。おれらの昼飯なんだぞ」
 と言いながらたっぷりくれた。
「ありがとうドラえもん(これ最近太郎とよく見ている「元祖デブや」のまね)」
 と言うことで太郎とボクの昼飯は『カワベハム特製牛丼』。

「いやあ父ちゃん肉屋の牛丼は最高だよね。またもらってきてよ」
 聞いてるかカワベハム。待ってるぞ!

 まあ、牛丼の旨さに頭が軽くなってしまったが、せっかくだから『カワベハム』の宣伝もしておくのだ。ここで有名なのが上州牛。ボクは値段からして、三角バラが大好きである。当然ロースやサーロインなんて最高なんだな。でも我が家で手が届くのが三角バラ。また少ないながら最近手がけているラムも店名の「カワベハム」もうまい。
 これからバーベキューなどの相談もここがいちばん親切で、しかも安い。八王子に来たら立ち寄っていただきたい。

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八王子綜合卸売センター『カワベハム』に関しては
http://www.zukan-bouz.com/zkan/sagasu/toukyou/hatiouji/hatiouji.html

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