この店に初めて入ったのは大学に入学してまもなく。と言うことはすでに30年も前。最初は、値段からいってなかなかおいそれとは食べにいけなくて、ちょっと贅沢な店だなといった存在であった。
その頃から長い間友達と飯を食いに行くに交差点そばの「あの食堂」とか「おやじの店」と呼んでいて屋号を知らなかった。それが数年おいて、また神保町暮らしをするようになって、ときどき夕食を食べに行くようになった。当時通っていたのが岩波書店そばの「末広」、「亀半」などであるが、この店のみが生き残っていて今では貴重で懐かしい店だ。
また通うようになって、改めて屋号を聞いた。それがかれこれ20年以上前のこと。このとき初めてそのオヤジと口を利いたことになる。その無骨なオヤジが「おおみや」だと言った。それが漢字にすると「近江屋」だとわかったのはまたまたかなり後のこと。すなわち屋号などどうでもよかったのだ。それから仲間と夕食をとるために、遅れてくるひとりのためにメモを残した。「近江屋にいってるよ」と書くと「や」は平仮名じゃなかったかな? と合方が言う。まあ、これもどうでもいいか?
ここの名物が竹の子ご飯、実をいうと一度も注文していない。我ながらガンコに、基本とするのはサバ焼き。これに懐具合と相談してごま和え、きんぴら(ともに180円)、納豆(130円)、冷や奴などを追加する。これで700円から800円となる。ちょっと贅沢をして肉豆腐(200円だったか250円だたか)を追加することも可であるし、玉子焼きというのもあり得る。しらすおろし、なめこおろし、焼き海苔、大根の煮物もあった。それにサバを真ん中に持ってこないでサケやサンマでもいいのだ。とにかくボクは「近江や」では白飯にこだわっている。
魚は客の注文を受けて焼き始める。確か昔はガス台に魚焼き器で焼いていた。それが今は天火の焼き台。この魚焼き器の変換期に店自体も改築している。改築したばかりのときにはオヤジがなんども、この焼き台に悪態をついていたのが思い出せる。
「せっかく高い金だしたのに、なかなか焼けやしない。バカ野郎」
この光景がいかにも滑稽であったな。
いつも注文するのはサバと言うがいわゆる「文化干し」である。これをこんがり焼いてたっぷりの大根おろし。初めて入ったときにサバ自体に醤油をかけて、訳知り顔の同級生に「大根おろしにかけろよ」と言われたっけな。この焼きたてのサバのうまいこと。つい食べ過ぎておかずが足りなくなるので副菜のごま和えやきんぴらが重要になるのだ。みそ汁もあつあつ、そして少し塩辛い。腹減りで「近江や」に入って、ご飯をがっしがっしとかき込むときの幸せなこと、だれかわかってくれないだろうか?
「店を開いて40年だ」と頑固そうなオヤジは言った。こちらは神保町暮らしもとびとびながら30年ほど。仕事場は逆方向ながら、「たまには来ないとダメだな」と来るたびに思い。また2,3年経ってから「近江や」ののれんをくぐるのだ。
手前が「近江や」、一軒あけて右が神保町名物半ちゃんラーメンの「さぶちゃん」。その先が白山通りで通りに面して「グラン」という洋食屋がある。これ総て兄弟なのだ。そう言えば「グラン」が開いていなかった。どうしたのだろう?
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埼玉県東松山市「江野豆腐店」