丸美屋の「のりたま」

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 丸美屋の「のりたま」というと「エイトマン」だろう。克美しげるの歌(作詞者が前田武彦というのが意外だ)とともに硬直して走る画面は今でも思い出す。このエイトマンの放映開始が1963年であるからちょうど小学校に入ったばかりの頃。画面はまだ白黒、夕食時の7時から始まったので丸美屋の「のりたま」のCMは夕ご飯を食べながら見ていたのだ。また「のりたま」と言うとエイトマンのシールである。透明なシートにエイトマンの絵。これを下敷きなどに当てて鉛筆などでこすって貼り付けるのだけれど、これがなかなかうまくいかなかった。このところどこと絵柄がかけたシール、これを見て兄が「おまえがやったらいかんきんな」とシールをなかなかくれなかったのも思い出だな。
 テレビコマーシャルで覚えているのが落語家(当時は日活の俳優というイメージが強かったという)の桂小金治が横縞のシャツに水兵の帽子、船の舵を回しながら「面舵いっぱい、のりたまで3ばい」というコマーシャル。また「すきやき」というのが発売されたときの牛のアニメ(動いていたかな)のコマーシャルも思い浮かぶ。しかも感慨深いのは実際にこのコマーシャルを見ながら「のりたま」を振りかけていたこと。若くして死んでしまった兄が右に父が左に正面が姉で、また84で死んでしまった明治生まれの祖母がいた。机は丸いやや大きめのもの。テレビは当然白黒で居間に向けたり、食事をする部屋に向けたり。姉が「すきやき」の方がいいと言ってから一時期「のりたま」が消えた時期もあったと記憶する。とにかく懐かしくて困ってしまうのが「のりたま」である。
 まあ「のりたま」を見ると味よりもエイトマンなのだけれど、香ばしい海苔と乾燥した卵の味わいが子供心にも好きだったのだ。と、昔のことばかり書いてしまったが、今現在も我が家では「のりたま」を食べているのだ。しかもいちばん末っ子の姫はこれを食べるためにカレーのときでも最後に別のお茶碗を出してきて軽く一膳食べてしまう。まあ子供の好き嫌いには緩やかな波があり、いま「のりたま」の波は末娘が高いと言うだけだが。
 また、埼玉県日高市の国道407を通っているとき「のりたま」の大きなカンバンを見る。ひょっとしたら「のりたま」は埼玉で作っているんだろうか?

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パッケージが大きく変わってしまったのが残念!
丸美屋
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ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
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このページは、管理人が2006年8月13日 09:25に書いたブログ記事です。

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