永谷園「お吸いもの 松茸の味」

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 この永谷園の「お吸いもの」だが発売当初は「松茸の味お吸いもの」であったことを今回初めて知る。昭和39年というからボクが8歳のとき、この頃、それまで加工食品で全国的なものは少なく、またテレビという媒体もこの頃から主役化している。そんなときに発売と同時に我が四国の片田舎にも入ってきている。確か、旧徳島県美馬郡貞光町で初めてのスーパー「マルサン」が出来たのもこの頃のこと。なぜだか青空に煙火が上がり、その落ちてくるパラシュートを子供ながらに街中走り回って拾おうとしたのを覚えている。あのパラシュート誰が拾ったんでしょうね?

「ありゃな、松茸と書いてあるけんど、ウソじゃ」
 何がウソかというと、ボクの同級生でいつも辛辣なことを言うヤツが
「中には松茸がはいっとらんのでよ」
 こんなことを宣うのだ。このとき少々驚きを感じたはずだ。確かにテレビなどで松茸は高いものだと知っていた。でも秋になると松茸はどこからともなく来て、父などが食べていたけれど、それをうまいなんて思ったこともない。むしろその頃、父の実家からシイタケが生で来て、その方が豚のまめ(腎臓)などとともに焼いてうまいものだと子供心に思っていたのだ。

 その永谷園の「お吸いもの」だがもっと驚いたのは高校生になって修学旅行で東京の旅館だか、旅行の移動中のお昼ご飯かに一袋置かれていたことである。これをお椀に入れて、お湯を注いでくれる。そのとき初めてじっくり味わったはずだ。
 それが全然うまくもなんともない。だいたい徳島でのお吸いものというとゆで卵がごろんと一個入っている。それだからこそうまいのであって、この庄内麩だろうかそんながらんとしたものはつまらなかった。

「面白いよね。これはね、今でもコンスタントに売れているんだよね。これが切れると文句がでる」
 八王子のこんな加工食品を売る、商社ではそんなことを言うのだ。

 余談だが子供心に松茸は嫌いであった。これが好きになったのは大人になってから。思い出したのは今はなき兄と山間部に雑貨品を配達に行ったとき。貞光の町中から端山に向かい山に入り、目もくらむような山の細道。軽四輪で行っても行ってもその家が見つからない。やっと畑の脇に表札があって、そこから荷物を背負って届けるのだが、そこからも20分くらい、しかも2往復もしたのだ。帰りにお土産をもらってそれが肥料袋いっぱいの松茸。
 これほどの松茸、為すすべもなくほとんどを腐らせて捨ててしまったのだ。もったいないのは今の感覚であり、若い身空ではそんなものどうでも良かったのだ。

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永谷園
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このページは、管理人が2006年8月18日 21:44に書いたブログ記事です。

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