旅・無駄歩き: 2006年9月アーカイブ

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 今、ボクが致し方なく家族と離れて暮らすことになる。たった一人っきり、じゃあどこに住みたいかというと南千住都電荒川線三ノ輪橋近辺もそのひとつなのである。ここで寂しく悲しい時を送りたい、しみじみ人生を嘆きたい。そして、ボクと同じように寂しい美しい人がいる、なんてことはないだろうが、とにかく一人暮らしするなら南千住がいちばんいい。

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 ボクの三ノ輪無駄歩きは荒川線荒川一中前から始まる。ここから北に向かって1本目の通りに東京でももっとも賑やかで魅力的な商店街があるのだ。この商店街、今の名前を「ジョイフル三ノ輪」と言う。でも川本三郎さんの本を読んでいるとその昔は「南千住銀座」と呼ばれていたらしい。ボクとしては昔の名前の方が断然いいと思う。

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 さて、商店街を西から東に向かう。すぐの所に薬屋がある。ボクは子供の頃から薬屋をのぞくのが大好きだった。白衣、薬を調合するガラス張りの部屋。そのまま進んで左右にシャッターが目立つのは時刻が遅いせいである。
 左手にみそ屋、その先にしまっているが「専門の店 わたなべ 洋傘・ショール・スカーフ」という古びたカンバンがある。右手に惣菜を売る「大津屋」で煮物が専門であるようだ。

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 餃子屋、和菓子の「相州屋」。また惣菜の店があり、ここは揚げ物専門店。

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 左手に「砂場」があり、確かここは各地にある砂場の総本店であると記憶する。

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 そして兵之助刃物店。

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 そして鮮魚の「小川屋」。この店の刺身がうまそうであるが熱い時期で買って帰るわけにはいかない。

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 そして「パンのオオムラ」でイギリスパン(?)を2買う。ここのパンはとてもおいしい。

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 そこから少し歩いて魚屋を見つけるがすでに店仕舞いの最中。

 そのまま南千住駅に向かうべく東に向かうと「三ノ輪橋商店街」という暗い路地があり、そこに写真館がある。

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 またもっと暗い空間にお婆さんが新聞雑誌を売っている。ここまでくるとまるで昭和30年代に逆戻りしたような不思議な気分に陥る。

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 三嶋大社の四つ角から三島大通りを西に走る。この通りが少しも面白みがない。西に向かって右手に「クマノミ雑貨店」という古い家屋を利用した今風の店があり、これは街作りのひとつの方向性があっていい。このお手本は飛騨高山ではないか? ボクのようなオヤジにはとてもついていけない品揃えではあるが。

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 そこを過ぎると左手に三石神社。このように商店街にぽつりと神社があるのが、とてもいい感じである。その隣が地元の人もすすめてくれる鰻屋である「桜屋」。

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 そして伊豆箱根鉄道の踏切を超えると右手が三島広小路駅。広小路というのは上野を考えてみてもわかるように特別な意味をもった場所であるはず。例えば幹線道路の交わるところ、また幹線道路が分枝するところ。当然、人が集まってくるわけでここには市が立ち、見せ物などが集まってくる。

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 この広小路界隈が活気がある。そこからまたまた西に向かう。実を言うと沼津から三島に来るときに、この通りを来たのであるが、気になる店を見つけたのだ。

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 それはほどなく左手に見えてきた。店の前に自転車を止めて、とにかく店内に入る。そこには古めかしい佃煮などを入れるケース。みその桶。店の奥の暖簾に「林屋のつくだ煮」とある。「ごめんください」となんどか声をかけてとても感じのいい女将さんが出てきた。でも残念ながら佃煮の製造はやめてしまっているという。自家製なのはみそと煮豆だけ。これはせっかくだから買ってきた。

 そこから一本北の通りに向かっているとこぎれいな魚屋を発見。ここで味付けマグロというのを買って、すぐに通りにぶつかる。これを東に向かったら、さっき通った広小路の駅にぶつかる。もう一度踏切を超えて、本町の「魚貞」さんにもどる。ちょうどご主人が大きなクエと格闘しているところ。これをしっかり撮影して、もう一度広小路に。ここで「魚政」さんから教えてもらった食堂を見つけるが正午からの開店であるという。少し広小路界隈を自転車で走る。そして正午、その「広小路食堂」に戻ると二軒隣に人だかりが出来ている。そしてお婆さんが倒れていて。「頭から血が出てるよ。早く救急車を呼べ」「動かすな、動かすな」「お婆さん、どうした」と取り囲んだ人たちの声が飛ぶ。

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 ちょうど正午なのに「広小路食堂」が開く気配がない。仕方なく引き戸を開けて「まだですか」というと「どうぞ入ってください」という。ここで美味しいサバみそ煮定食を食べる。満足して、三島大通りを東に、お土産を探したが、結局なにも買わないで三島を後にした。

 今回、沼津魚市場仲買の菊地利雄さんに三島市本町の魚屋「魚貞」さんを紹介されている。それで市営駐車場にクルマを入れて三島大通りを三嶋大社の四つ角から西に向かう。
 古そうな酒屋、履物店、食堂に銀行、そしてまた南北に伸びる大きな通りにぶつかって北に向かう。するとすぐにあったのが古本屋の「北山書店」。入ってみると思った以上に面白そうで懐が寂しいのもあって早々に出る。

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 そこからまた北に向かって下着専門店の角を西に折れたところに「魚貞」さんがあった。「魚貞」さんはちょうど沼津から帰り着き、荷を下ろしているところ。
「11時くらいには魚が並んでいる」というので、また南北の通りに戻り、東海道線・伊豆箱根鉄道の三島駅に向かう。この通りが適度に庶民的で面白かった。北山書店の通りを隔てたところに古い理髪店、隣が時計屋、そこに路地があって不思議な空間が出来上がっている。商店街に生まれるとわかるのだが、こんな路地が子供には貴重なのだ。

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 通りを北上すると古めかしい食堂。また食堂。「びっくりぜんざい」に中華麺類、餃子とあって店名が「宮福」。この通りの不思議でさびれた感じがとてもいいのだ。


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 そして坂道になって左三島駅という表示かあり、その手前に「桃太郎玩具店」。この黄のカンバンの素晴らしく時代遅れであることよ。そして端っこの「M」とあって「MOMOTARO」というロゴデザインの見事さはどうだろう。

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 そこから坂を上ると三島駅。これがちょっと無味乾燥な寂しいもの。うろうろしても洪作少年の影すら見つけられずに、こんどは駅前の通りを西に向かう。朝方とうって変わって太陽が燦々、間違いなく気温は遙かに30度を超えて、激しく喉が渇く。仕方なくセブンイレブンに飛び込んでポカリスエットを買ったらレジの横に「静岡おでん」という缶詰が置かれている。これが315円なので、買ってしまう。
 駅前にあるのが楽寿園という公園。このような施設にはまったく興味がないので、また三島大通りに下る。

 東名を西に走らせて、沼津にはなんども足を運んでいる。その沼津のほぼ隣町が三島市なのであるが一度も立ち寄っていない。この隣町に行ってみたいと思ったのは井上靖の「夏草冬濤」の洪作少年が沼津の中学に通うべく暮らした街であるし、また修善寺まで走る「伊豆箱根鉄道」の起点でもある。すなわち伊豆の玄関口は東伊豆が険しい山岳地帯が海になだれ込みふさがれていて、明らかに半島の西にあるのであって、陸路でのものが三島、海なら沼津なのだ。たぶん殷賑を極めたであろう三島の街をただただなんにも考えないで無駄歩きをする。
 それでもあまりにも行き当たりばったりでは時間が幾らあっても足りない。少々調べてみようとして思い浮かべたのが三嶋大社、「のーえ節」など。でもこんなものに興味はない。また魚にミシマオコゼというのがいて、これが「三島おこぜ」なのかという渋沢栄一の文章は有名だが、街自体とは関連が薄い。あとは唐津焼きの「三嶋手」といわれるものは器の表面に細かい文様が彫り込まれていて、これが「三嶋暦」に似ているための呼び名。でもこれも街とはなんら関連がないのであるなあ。
 仕方なく街歩きの前に市役所に立ち寄る。ところがここにはなんの情報もないのだ。地図と言えば明らかに観光的なもの。街を訪れる人間に用意されている地域の情報と言ったら観光的なものだけでいい、というのが日本の地方公共団体の考えた方なのはもう散々思い知らされているが、ここ三島などその最たるもの。市内の街並みにどんな特徴があるのか「色町」なのか「庶民のマーケット」であるのか、はたまた老舗の多い古くからの繁華街なのか、無駄なモニュメントや建物を立てるくらいなら街の詳しい地図を作って欲しいものだ。また市役所職員でもっと地域に詳しいヤツはおらんのだろうか?
 と、ここまで書いてきて思ったことは「町歩き」「街歩き」が趣味だという人は少ないのだろうな、ということ。「三島に来たら三嶋大社」で、街にはなんの興味もないという大バカ野郎たち。また「街に残る古い店や、昭和の名残など、まったく無駄だ」と考えて排除したいヤカラも多すぎるのだろう。だから長崎新幹線(これを作りたいと思う奴らは人にも自然にも優しくないバカ野郎だ)などの街殺しの大型公共事業を愚かにも考えてしまうのだろう。
 いかん閑話休題。
 ともかく何も考えないで三島の街を「青い稲妻号」で無駄走りするのだ。

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三島市役所は簡素で無駄使いをしていないもの。これはともかくも市として合格

 夕暮れ迫る南千住というのは歴史を知る人なら鬼気迫る思いになるのではないか? なぜなら江戸城にとってここは鬼門。かの小塚原の刑場のあったところ。三ノ輪から南千住へ向かうということはすなわち刑場に向かうということなのだ。ちなみに「小塚原」というのは「骨が原」のことなのである。この仲通を抜けると、その小塚原にちなむ「コツ通」そして回向院に出る。

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 さて荒川線三ノ輪橋、すなわち終点で降りて、日光街道を超える。ここにいかにも繁盛していそうな焼きトン屋があって後ろ髪を引かれながら仲通を歩く。少々、時間がおそくて大方の商店は閉まっている。そんなときに右手に「酒処 居酒屋」と書かれた暖簾が下がり、引き戸を千鳥足のオヤジさんがガラッと開けて、「おっ」と声をかけると「遅かったな」と中から声がかかる。ついついつられて一緒に入ってしまいたくなる。

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 もんじゃ焼き、スナック、針灸マッサージ、その上に群青の夜空。ふと路地をのぞくと古めかしい酒屋がある。ここで見つけたのが蜂ブドー酒、デンキブラン、亀甲宮焼酎、ユニオンソースもあるのだ。この「ひこ屋酒店」、その昔は大きな倉庫をもって繁盛していたそうである。それを語るオバサンの懐かしそうな顔つき。

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 また仲通にもどると魚屋、和菓子店があるが閉店間際。結局、「ひこ屋」で亀甲宮、ユニオンソースを買っただけ、いつの間にか「コツ通」まで来てしまった。

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 通りを超えると常磐線南千住。そのまま無駄歩きをお仕舞いにするつもりがガード下で遭難。クルクルと景色が回るのをぐっと堪えて帰路につくのだ。後は記憶がない。

 今年の夏は辛い日々の連続であった。初夏にはガン検診に引っかかり、本業にも嫌気がさし、かといって「市場魚貝類図鑑」の改訂も進んでいない。その最悪の日々の最たる時間が中央線に乗り込むときなのだ。これに乗り込むと「素」を捨てて仮面を付けることになる。単調な小一時間、お茶の水に向かうときが変身の苦しみを感じるときである。そんなホームに見慣れぬ車両が滑り込んできた。
 中央線も味気ない造りだが、この電車もまことに特徴のない面突きをしている。なんだこれはと車掌さんに聞くと「南武線なんです」とさもつまらなさそうに言うのだ。南武線は総てが各駅停車という不思議な線。各駅停車しか走っていない線というと「八高線」「茅ヶ崎線」「横浜線」なんかがあるが、どれも多摩地区から都心を円周上に回るものばかり、放射線上のものは賑やかなのに、こちらはローカル線なのである。
 これをぼんやり見ていると、ふらふらっと南武線にでも乗って、どこでもいいから知らない街に降り立ち、あたりを無駄歩きしたくなる。でもそこに時間通りに中央特快が来て、乗ってしまうんだから夢から覚めるのは早いのだ。

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