旅・無駄歩き: 2007年2月アーカイブ

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 富士吉田は懐かしい街だ。その中心を貫く商店街は、それこそ昭和30年代そのものだし、月江寺の裏通りには、全盛期の日活映画に出てくるような盛り場がある。
 その日は風が強くて、空には一片の雲も見えない。季節は2月初旬だというのに、日だまりで温もりを感じるほどである。標高の高い富士山麓でこれほど気温が高いなんて、なんだかおかしい。

 ちょうど正午過ぎに富士吉田に到着した。街の中心を貫いているのが富士みち。これが寂れてはいるものの長い長い富士山からの下り坂に出来た商店街。その下吉田の有料駐車場にクルマをとめる。お昼ご飯は富士吉田名物の、うどん。そこからとにかく街を迷路のように歩く。

 ちょうど昨年イルカの話を聞いた『魚進本町店』の前に古めかしい、瀬戸物屋を見つけた。ガラス戸の奥に瀬戸物が並んでいるものの、一見仕舞た屋にしか見えない。店がまだ営まれているのか、不安を感じたが、枯れた桟のガラス戸を引き、声をかけると、奥から老人の声がする。
 この瀬戸物屋がなんとも時間を忘れるほどに面白い。置いてある品物はたぶん新しくても20年近く前のもの。ボクの生まれ育った家も瀬戸物屋(徳島では唐津屋)なので、皿や小鉢の絵柄がなんとも懐かしい。

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 そして家人が手に取った子供用の絵皿、そこに描かれる漫画のキャラクターも古いのだという。

 そこから瀬戸物の袋を下げて、坂道を下り、月江寺の商店街に折れ込む。
 富士吉田の街は中央を貫く富士みち、富士山に向かって左手は住宅地、そして銀行などがある。そして右側は混沌とした飲食店街と商店街が無数にある。
 この一角はまだレストラン、喫茶店、豆腐屋さん、惣菜店などが営業している。そこから富士急行月江寺駅に向かう。
 商店街を抜けると滝のある池にでる。その坂道を上ると大きなお寺となる。その墓地の先の富士が雄大である。たぶん北からであろう強風で山頂の雪が吹き上がっている。

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 どうもこの大きなお寺が経営しているとおぼしき高校を右手に見て、細い道を抜けると、また商店街となる。富士吉田は商店街と商店街が続く町なのだ。そこからすぐのところに月江寺駅の駅があった。これが拍子抜けするほどに小さな駅。あたりは閑散として人影を見ない。また駅から続く商店街の多くは閉ざされている。富士吉田の町は周辺部に出来ている大型店舗や、繊維織物の衰退で急激に寂れているように思える。

 駅からはとりとめもなく歩く、食堂や食料品店がやたらに多い。その居酒屋の多くに「英勲」のカンバン。伏見の酒と、この山梨の町との関わりは謎である。でも通りかかった酒屋にもずらりと「英勲」の一升瓶が並んでいる。
『べんけい』という店で大きな茶饅頭を、太郎のために買ってやる。太郎は茶饅頭なら10個は一度期に食べてしまう。
 そこから坂を下り気味に「富士みち」に近寄りながら、細い路地に入っていく。

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 この曲がりくねった、路地と路地の、迷路のような空間が富士吉田の昔の、繁栄していたよすがを見せてくれる。右手にロマネスク調とでも言うのだろうか釣り鐘型の窓と、入り口の不思議な建物が日差しを受けている。そこから路地へ、もっと奥へ入っていく。

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 そこにあったのは三階建てのバランスを少し崩した、和船を思わせるような料亭らしき木造建築。最上階には円形の窓、松皮菱を透かし彫りにした手摺り、二階の戸袋が白く塗られて屋号が書いてあるが読めない。屋号の横には食堂の文字。こんな店で食事が出来たら楽しいだろう。

 路地は続き、その先にはスナックやバーの文字が見える。モザイクのタイル、適度に作られたアール、そして店と店の間にある死角。この古めかしい盛り場は今も生きて営業しているんだろうか? その扉の奥から小林旭やエースのジョー、白木マリが出てきそうに思える。

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 さて、富士吉田の2時間ほどの無駄歩きは家人のケータイがなって終了となる。昭和の街からふと我に返り、坂道をクルマで下ると、現(うつつ)まではほんの1時間しかかからないのだ。

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