川崎駅の地下街に迷い込んだのは午後5時近かったと思う。広大な空間に案内板はほとんどなく、非常に不親切である。これなど東京駅八重洲地下街と比べて地元以外の人に対する思いやりに欠ける。またこの地下街も大きいばかりでデザイン的にも、また地上に出ることなど配慮に欠ける部分が多いのはなぜなんだろう。川崎駅と言い、この広大な地下街といい、もっと人間味のある人物に造ってもらいたかったな。
川崎駅に入って、また地下に潜り込む。さっきの地下街と、駅の地下街は繋がっているのだろうか? 駅の地下街は逆に狭く全体にごみごみしている。「腹が減った」という太郎のために鮟鱇さんに教わったラーメン街に。ここを回ってみて、とてつもなく混雑している店と、ほとんど客のいない店があり、その極端なのに驚く。ながなが行列が続く店はうまそうだし、一人も客の見えない店はまずそうだ。
我慢の限界に近い太郎は1階にあった豚丼の店がいいというので、その『豚丼和幸』に入る。明らかにチェーン店。向かえてくれた店員のやるきのなさが気になる。このアルバイト、まったく接客をしている雰囲気がない。メニューはいろいろあったが単純に豚丼500円というのを注文する。松竹梅の「梅」である。これは竹松とどう変わるのかがわからなかったためだ。例えば松竹と肉が多いのか、またご飯はどれくらいなのか、わかりやすいメニューなどが見あたらなかった。
注文して、すぐに来るのかと思った豚丼がなかなか来ない。腹が減って死にそうだという太郎は泣きそうな顔をしている。まあ、そんなに目くじらを立てるほどでもなく豚丼3つが来る。
タレで焼いた豚肉、シジミのみそ汁、お新香。すぐに太郎が丼を抱え込んだ。豚丼はタレが甘く、そして香ばしさやうまさに深みのないもの。豚自体もそんなにいいとは思えない。これは作り手の不手際があるのかも知れない。火加減をもう少し強くして焼いたときの香ばしさが出るようにする。また焼いたときの脂が染み出してジューっと音を立てているようだともっといい。もしくは香ばしさが感じられないのはレトルトなのかも知れない。近年レトルトはよくできている。
ただチェーン店の丼として考えるとよくできている。500円でここまでやれるのか、と思うと街の食堂はびびるだろうな。だいたい、シジミのみそ汁がうまいし、ほんの少しとはいえ漬物もいい。
太郎は「量が多いんなら松にしたかった」という感想。これは牛丼のない吉野屋よりいいかも?
2006年8月 5日アーカイブ
もうかれこれ30年近く通っているのが「天丼いもや」である。連れて行ってくれたのは明治大学に通っていた予備校からの仲間。「いっしょに受験しようぜ」といってボクも明治を受けて、なぜだか滑って転び、彼もボクと一緒に駿河台の大学を受けて、こんどは反対に彼が滑って転んだ。
この明治大学裏はどちらかというと明治のなわばりであって、古本屋街に向かうにも回り道になって死角となっていた。でも今考えると彼と行ったのが「天ぷらいもや」であったのか「天丼いもや」であったのは判然としない。まあ、どうでもいいか?
さてここで食べるのが「天丼並盛り500円」。これを大盛りにすると650円だっただろうか? 若い頃はいつも大盛りにした。そしてご飯粒ひとつ残さないで食べると、これが並盛りと同じ500円になる。毎年明治の新入生が初めて来店する。すると先輩らしき学生がこのシステムをそっと教えているのが見られたものだ。でも最近、あまりこの光景ない。むしろ出てきた並盛りに「ボク全部食べられるかな?」なんて情けないのがいる。
その並盛りだが長い間、450円であった。これを500円にしたときのオヤジさんのすまなさそうな顔を覚えている。まさに誠実でしかもありがたい店なのだ。
さて週に一度は通っていた「いもや」であるが最近は2,3ヶ月に一度丼をかき込みに行く。天ぷらはきす、いか、えび、かぼちゃ、板海苔。これは30年来まったく変わっていない。これに辛口の丼つゆ。この辛口のどんつゆにからりと揚げたての天ぷらがうまい。「いもや」の味わいは、みそ汁もそうだが、どこまでも江戸風の塩辛い味わい。これがなぜかしら腹減りの身にしみるのだ。
食べ終わったらお茶をもう一杯飲み干して店を出る。この言いしれぬ満足感、味わって見ないとわからね〜だろうな。
天丼いもや 東京都千代田区神田神保町1-22
埼玉県飯能市への冬の旅はもうひとつ収穫に欠けるものだった。購入した日本酒ははずれ、期待したうどんは食べられない。そんななかで大発見をしてしまったかも知れないのだ。
それは飯能銀座商店街の「とんき食品」で買った木綿豆腐、これが真四角なのだ。関東のとうふは長方形だと思いこんでいたのでビックリ。今考えると油揚げを買ってこなかったのは今回最大の失敗かも(後にいなり寿司を見て俵型なのを知る)。これで油揚げが四角なら、いなりずしの形はどうなうのだろう?
考えてみるといなりずしも買う必要があったのだ。豆腐の形がいなりずしの形を決めてしまうのは当然のこと。だから関西や四国の、きつねずし(いなりずし)はずきん型なのだ。それが関東の豆腐は長方形ゆえに油揚げも長方形、それで、いなりずしは俵型となる。
ひょっとして埼玉の豆腐は真四角なのだろうか? もしくは「とんき食品」だけが真四角? これでまた飯能に行かなければならなくなったわけである(問屋という屋号の豆腐も真四角なのだが、それが飯能の豆腐の一系統である)。
さて、忘れてならないのが「とんき食品」の豆腐の味わい。やや平凡ではあるが丁寧に作られた、うまいものだった。
飯能銀座商店街
http://www.hanno-ginza.com/
ここで南から来る県道二本木・飯能線と合流。この角に青果店の『かすや商店』がある。このやや古びた店舗の後ろに立派な蔵が見える。この曲がり角の左右にはすでにたくさんの屋台店が並んでいる。姫はまず手始めにかき氷を買って、自分で蜜をかけるのに戸惑っている。その屋台の前にあるのが『八百梅』というやきとり屋らしくない名のやきとり屋。ここでカシラと皮を一本ずつ買って生ビールをグビリ。
この店から見る祭の風景がなかなかいい。ここで飯能の夏祭のことを書く必要があるのだが、そのよるところはまったくわからない。また残念ながら祭が嫌いなのでそのものに関して調べる気になれない。
気になる方は「飯能すたいる」へ
http://blog.livedoor.jp/kurasinotanosimi/
祭のなかに突入した途端に姫がわくわくし始める。「父ちゃん、300円」といってクジを買い、100円ショップでも売っていないようなつまらないものを引き当てて喜んでいる。子供はこのクジが大好きなのだけど、最低でも200円から300円もかかる。今時こんな高価な遊びは子供でも「浮かれない」と出来るものではない。子供を持つ身としては不愉快極まりない。でも昔から大人にとっては「そのようなものだったんだ」ろうな。
祭というと大嫌いなのでこれだけでうんざりするのだが、飯能のよいところは商店街のほとんどが営業していることである。『八百梅』の先に『イチノ陶器』という陶器ガラス器を売る店がある。ここはかなりの老舗であるようで見ていると昭和30年代の陶器などの在庫もありそうに思える。こんどはじっくり見てみたい。また飯能では陶器を売る店は「瀬戸物屋」と呼ばれていたのかどうかも知りたいところだ。
ここから「飯能大通り商店街」にはいる。もうここはまさしく祭が始まっている。姫は水の中を大小のボウルが流れているのに目を奪われている。ここでも300円を手にして信じられないほどつまらないものを手にして明らかに不満足なのだが、満たされないままにまた欲望をつのらせている。これを見て約40年前の我を思いだして切なくなる。
この銀座通りと中央通りの交差するところが広小路。そこから西にかけてが大通り商店街と名を変える。ここはかつて近在からの産物を売るための市の立っていたところ。
この通りにも魅力溢れる建物がいっぱいある。「銀河堂」、うだつの上がる「山に甚」店?。ここにも呉服店がある。飯能には呉服店が多い。明治期から飯能では機織りが盛んになり、今の見事な家並みも「織物の街」の面影なのかも知れない。
残念ながら店を閉めていた古めかしい薬屋。ここで正露丸を買うなんていいだろうな
アールデコーとでも言うのだろうか、「モダン」という文字がぴったりくる美しい建物。これを見て近代建築を調べたくなった
これはいったい何を商う店であろうか? これは見事しかいいようのない外観。素晴らしい
屋台店の奥には薬屋酒屋など個人商店が元気に営業している。11時を過ぎているのにクルマが通る。屋台店で興奮する姫は道をなんども横断するのだが、これが非常に危なっかしい。本町通を少し西に歩いた北側で姫がまたクジを引く。またまたハズレで、余計にまた引きたくなる。そんなとき小さな天ぷら屋さんを発見する。食堂ではないようでお持ち帰り専門の店のようだ。思わず入って天ぷらをいただく。かき揚げがうまい。
そして祭の屋台がとぎれた左側に豆腐屋を見つける。この店の屋号が「問屋」というのだが、これはここで市場を経営していたためだという。飯能銀座の「とんき食品」、そして天ぷらを食べた「小川」もここから分家したのだという。そして「問屋」の豆腐が真四角。昔ここが都心や近在からの食料品を集めていたところだとしたら、小川家は飯能にあって重要な家である。
「問屋」のお婆さん。とても優しい、そして気品のあるお婆ちゃんであった
本町通を行き着くところまで行って、そこが図書館。こぢんまりした小さな建物だけど、川への眺望が素晴らしい。ここで姫のトイレを借りる。姫を待つ間、図書館の陳列台を見ていると打木村治という作家の本が展示されている。これに関しては後に『あるから』という飯能の地域小冊子で、そのおおよその人となりを知ることができた。そしてまた大通りを東に歩く。
少しもどって前回来て気になっていた通りに入ってみる。ここは高麗横町というらしい。横町に入ってすぐ右手にあるのが「明治39年創業」とある「小槻時計店」。その先が「江州屋」という古い商家に入ってみる。ここは春に来たときに道に迷って見つけた。古い商家の建物、なかにL字がたにアールをえがく陳列棚を見つけて入ってみようとして前で駐車スペースを探そうとしていて後ろから大型トラックにクラクションをならされて断念した。どうしてこんな狭い道に大型トラックなんて無粋なものが通るのか、不思議でならない。さて、この店内に飾られてあったのが可成幸男さんのオブジェと陶器。じっくり見ていたかったのだが姫にだだをこねられて諦める。この「江州屋」は昔は醤油・味噌などを扱っていたようだ。その店先だった土間で見つけたのが「キッコーブ」の木のカンバン。
大通りはクルマが入れなくなって、いちだんと祭らしくなってきている。ここでまた姫がクジを引く。これで3回ともハズレ。
正面から屋台が引かれてくる。姫はこの屋台には目もくれない。ひたすら欲望の迷路を彷徨っているかのようだ。
お昼となって「腹減ったな姫」と声をかけるがチョコバナナ、あんず飴、かき氷に焼き鳥を食べているので反応なし。そんなときに古風な食堂を見つけた。厨房のあるらしいあたりに「つけめん」の貼り紙があって。これはうどんではないらしい。お願いにお願いしてお昼ご飯に入る。この「住田食堂」の「つけめん」が面白かった。
ここから飯能銀座商店街に入ると向こうから神輿が来る。祭だ、祭だ! と浮かれてもいいようなものだが、こちらは親子してクール。これは血筋だろうか。それよりも「英国屋」という名のパン屋に引かれる。我が国へパンが入ってきたのは最初は幕府とフランスの関係から「フランスパン」、それが瓦解して薩長とイギリスとの関わりから「イギリスパン」へと変わったのだ。こんど入ってみたいものだ。
ボクとしては街にこのようなパン屋があるとそれだけで「この街好きだな」と思う
飯能という町、しかし見尽くせない魅力がある。商店街が好きで好きで堪らないのだが、我が隣町の八王子は商店街の破壊が進みすぎている。対するに飯能は見事としかいいようがない。さて、こんどはいつ参ろうか?