ボクが普段から感じていることなのだが、交通機関の大きな団体(JRを中心として)が食に参入する。また系列に食に関するものを持つというのは「やめるべき」だと思っている。それは明らかに商業行為としては正しいが、食文化の深みを阻害する。その際たるものが関東JRの駅構内にある「あじさい」とか「小竹林」である。ちょっとは交通機関が食文化に対して敬意を持っているなら、これらのチェーン店は不要であることくらいわかるだろう。出来れば駅の立ち食いそばは周辺にある、そば屋や食品関連の企業に個性のある「立ち食いそば」の店をやらせればいい。もしくは若い起業家に任せてもいい。
とにかく「あじさい」とか「小竹林」は無味乾燥、硬質で味気ないのだ。いつからこの国の人たちは、ある程度のレベルさえクリアしていれば、下町だろうが山の手だろうが、はたまた多摩地区だろうが同じ味でいいと思い始めたのだろう。情けないな。
ちなみにマクドナルドだって、下町なら「コッペパンバーガー」、例えば愛知県なら「みそ味ぷんぷん味噌カツバーガー」の店を作って欲しい。各地でこの大型チェーン店を見るとこの国は食文化の衰退期にあるのだなと嘆かざるを得ない。そろそろ人々よチェーン店に嫌悪感を持つべきだ。
そして「小竹林」の立ち食いうどんだが、これが気持ち悪る過ぎる。たぶん有名大学を優等生として卒業した優秀なヤカラが、ここまでのレベルを達成したいと作り上げた「鋳型にはめられたような味」そのものだ。こんなもの食っていて団塊の世代の大人は大丈夫か? 僕たち昭和30年代生まれだって大丈夫なのだろうか? 若いヤツも子供も大丈夫か? まるで死の世界そのもののディズニー(ここには人間以外の生き物がまったく存在しない)に夢のようなものを見ている、ふざけた人間になってはいないだろうか?
ボクは心配でならない。こんな無機質さが次の世界大戦を平気で始めてしまうのだ。
とにかく食は「揺れ」がなくちゃいけない。例えば本来関東の立ち食いそばの正しいあり方、醤油辛くて底が見えない奈落のような汁、そしてふやけたそば、うどん。はたまた今はない宇高連絡船の、立ち食いうどん。みんな誰かの個性や地方性で味が成り立っている。
その上、この「小竹林」のそばうどんというのはゆるーくまずいのだ。何がいけないかというと上にある天ぷらと麺である。この天ぷらに香ばしさに欠ける。また衣が分厚く、どてっとしている。麺は表面がぬらぬらして噛むと粘液質に粘り着く。これを「モチモチ感」「こし」などと思ってはだめなのだ。麺の表面は清潔でさっぱりしていなくてはいけない。そして噛むと「シコっとして噛み切りやすい」、それが最上の立ち食い用うどんである。
また汁の味わいはやや深く、やや醤油辛い。これをしてよく考えた、程良い味なんて思っていないだろうか? これが大間違いなのである。すなわち、ここに「揺れ」がない。まるでマクドナルドのハンバーガーを食べているように、「小竹林」のうどん、そばを食べているような。
ボクとしては、この食の画一化だけは「赦せない」のである。
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八王子魚市場内『まつえ食堂』のにょろにょろ定食700円くらいかな?
今は昔、銀座の「テアトル東京」で2001年宇宙の旅をみたときのことである。目の前に展開する未来社会にうっとりしながら、「えっ」となったシーンがいくつかあった。月へのシャトル便でもそうだし、木星へ向かう宇宙船の中でも出てきた宇宙食を食べるシーンだ。その宇宙食、いかにも工業製品、なんともまずそうで、どんなに明るい未来が開けてもあんなものだけは食べたくはないと思った。それから時は過ぎ、東京に安価に天丼を食べさせるという「○ ○ や」という店が出来、物珍しさから食べに入ったときのことである。その店舗では何と天ぷらを機械が揚げていた。よくは覚えていないが、全自動で天種を水で溶いた小麦粉にくぐらせ、短いコンベア状の物につるされて揚げ油に投入され、時間が来ると引き上げられてバットに落ちてくる仕組みになっていた。唖然とした。思い出したのはその映画の宇宙食である。こんなモノは人間の口にする物ではないと思った。
食べられれば何でも良いというモノではない。
しかも堂々と客の目にさらされるカウンターの中で行われていた。
その後、お櫃の底からロボットが握った寿司がひょっこり現れるという機械というモノも目にした。どこぞのチェーンの回転寿司店である
逆のこともある
今から20年近くも前のことであるが初めて北海道は函館を訪れたことである。彼の地の「ラッキーピエロ」というハンバーガーショップでは「烏賊踊りバーガー」なるモノがあってうれしかった。早速買い込んで近くの海っぺりでぱくついた。東京では食べられないおいしさだった。ローカルバーガーなんて言葉の無かった頃である。
結局は、大であれ、小であれ、個人であれ、こと「食」に携わる以上は、「こだわり」と「食への愛」がないとだめなんだ、そう思う。
Minervaさん、初めまして。2001年宇宙の旅の時代も懐かしいですね。遠い昔のような気がします。
またボクはスローフードという言葉が大嫌い。人の心情をひとつの言葉にくくるのに嫌悪感を感じるのです。でもイタリア人はコーヒーいっぱいバールで飲むのにも、あれこれ注文をつける、というのを読んだことがあります。日本人も少しは個を大切にしなければ。