島根県隠岐に関する情報がありましたらお教え下さい。
隠岐では「べこ(アメフラシ)」、海草類、また様々な水産物に出合いたい。
また隠岐ならではという酒、食品、加工食品、野菜などにも大いに期待が出来そうです
食堂などおいしいお店もお教え願えるとありがたい。
●一般的なものはこのブログに、個人的な部類、商業的なものはメールにていただけるとありがたいです。
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zkan@ZUKAN-BOUZ.COM
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島根県浜田市浜田漁港の弱点はうまい朝飯を食わす店がないことだ。仲買市場にも一軒あることはあるが、なんだかあまりにも在り来たりで、しかも味まで「ちょっとね」という困った店。できれば今回は「ちょっとね」だけには入りたくない。
この思いは同道したヤマトシジミさんとトーボさんにも通じるものがあった。そんなとき漁協の建物の前にトラックが止まっていて、その上に「ラーメン、うどん」とある。
これは地獄で仏に会うようなうれしさ。大急ぎでトーボさんがクルマを乗り付ける。
そこにあったのが理想の朝飯だった。
トラックには年齢不詳の女性が座っていて、その後ろに品書きが並ぶ。
そしてそして手前におでんの鍋があって、お握りがたっぷり並ぶ。ヤマトシジミさんが「店の名前見ました」というので前に回り込むと、ローマ字大文字で「MESAMASHI」とある。
これを関西弁で言うと「(早う)目、覚まし」と命令文になる。
朝5時から水揚げを見ており、疲れている上に、飢えている。ラーメンを注文して目の前の、おでんを3つとる。西日本の定番である牛すじ串、卵、薩摩揚げ。これがまことに醤油辛くて、冷えた身体にしみ通るようだ。この塩分はまさに疲れた身体に染み染みするもので「うまいまずい」を超越したものだ。
黙然と座っている女性の手はどんどんゆで鍋にうどんを放り込んでいく。でもラーメンは一向に入れようとしない。丼にうどんを入れて卵を割り炒れる。出来上がると「●●さん」と呼びかけて、漁協の中からうどんを取りに出る。
ボクのすぐ隣でも卵入りのうどんを手に取り、なんとお握りを入れてかき混ぜている。これがかなり気持ち悪い。この雑炊のようなうどんはうまいのだろうか? とても真似ができない。と今度はおでんの皿にお握り。汁に湿っても、どうでもいいようだが、「おでんの汁に入れるんじゃなくて、おでんとお握りを別々にとるのが面倒」という理由のようだ。
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おでんの皿とお握りの皿は分けないのが浜田漁港風。これは汁が少ない例であり、もっとお握りをどっぷりというのもある
たくさんの漁業の地を旅してきた。観光地化されたところや、それこそ純粋に漁業だけの土地。この双方で見受けるのが、魚を求めに来た旅行客相手の飲食店。
これらがろくなもんじゃない、というのは不愉快なほど強く感じた。この国の人のみみっちさと、貧乏くささ、親切心のなさに絶望を感じてもいるのだ。それからすると「MESAMASHI」は、市場で仕事する人間のための、それこそ飾り気を捨てた飯屋である。この市場の「飯屋」というのはどこでも魅力一杯だ。まず不満を感じることがない。
ボクが注文したのが、おでん3つにラーメン。注文していたのに、なかなか出来上がらないのは、やっと市場の人が仕事が一段落して、ワッと「MESAMASHI」に殺到したからである。そして出来上がりを待つ人は漁協の建物に入って待っている。だから年齢不明の女性が「●●ちゃん」とか「●●さん」とか呼ぶと、なかから順番にうどんやラーメン、チャンポンを取りに出る。
この長々とラーメンを待つ時間が楽しい。「浜田漁港に来たなー」と実感する。
かなり待って出来上がってきたラーメンは豚骨の白濁したスープで鹹水の入った黄色い麺。上にのるのはキクラゲともやし、チャーシューなので、ひょっとしたら「MESAMASHI」のルーツは九州なのではないか?
ちょっと生臭みを感じるものの、腹減りの極みなので、気にならない。むしろうまい。
あまりにも気になったので、おでんを食べている若い市場の方に、
「浜田ではうどんにお握りを入れるんですね」
と聞く。
「ええ、入れないかなー。ああ入れるね。そういやー。無意識じゃないよな」
隣の同僚らしき人が
「忙しいときにお握りとうどんを別々に食えないからですよ。この辺では普通にやってます」
今回のボクの失敗は、せっかく浜田漁協前に食べているのに、この「浜田漁港風」の食べ方をしなかった点にある。
これは島根食の冒険家であるヤマトシジミさんも感じたことだろうね?
島根県庁
http://www.pref.shimane.lg.jp/
島根県水産課
http://www.pref.shimane.lg.jp/industry/suisan/
JFしまね
http://www.jf-shimane.or.jp/
今回の長旅の締めくくりは岡山となった。当然といっては我が儘な話となるが宿泊は倉敷は酒津の武内家となる。
そして前回と同じ布団を敷いていただいたのが陶器が置かれた部屋であり、今回、初めて感じたのであるが、作家ものの器というのは、夜明け前に一瞬、生命を得て、話しかけてくるのだ。
まだ明けやらぬために蛍光灯の光で見る器は、青ざめて見えるが、その存在感が言語となって放出されてくる。いくつかの器が、「ぼうずコンニャクさんのところに行きたいわ」とささやいているのだ。
そこで黙然と布団の上に座り込んで、じっくり武内作品と対話する。ボク好みの、また魚貝類を撮影するのに、欠くべからざる面々が机に上に並ぶ。この器が我が家に来ると、明らかに撮影する魚貝類の色彩、また表情が変ぼうして、ボクのカメラ人生も変わるだろう。
我が儘至極であるが、友と見込んで武内さんに「この子達を連れて帰りたいなー」とお願いする。
武内さんは「この子達が行きたいと思ってるんだからどうぞ」と快くうなずく。
どうやらボクが単に器が「欲しい」と思っているわけじゃない、というのがわかってくれたようだ。
武内さん、アンタは偉い!
ほどなく届いた、器に、既に何度も戦いを挑み、ときに負けて、ときに勝つ。なんという楽しい時間であることか。
この器を作り出した、生みの母である、武内さんに感謝。
これからは、この器たちの父親として、心して生きていかねばならぬ。
そう言えば、武内さんが生みの母で、ボクが育ての父なら、我々は夫婦と言うことになる。ちょっと気持ち悪いが、どうしてもそうなるんだから仕方がない。