なんども書いてきているのだが、長い間築地場内を見て歩くようになって、場内での食い物に「日常的なもの」を感じるようにはなったが、幻想を抱くことは皆無となった。場内には良くできた飯屋があるものの決してそれ以上のものはない。例えばある店では、よくマスコミに取り上げられる割には揚げ物が油がびちゃびちゃしていたり、その油が古すぎるのか苦みがあったりする。また有名寿司屋にいたっても都内にある良心的な店と大きく変わることはない。
そしてこの豊ちゃんだが、ここもよくできた良心的な店のひとつだ。ちょっといいなと思うのが、今でも朝早くなどプロ達の利用が多いこと。さすがに築地を生活の場としているだけに注文も早いし、食うのも早い。ちなみにボクも食うのはエイトマンのように早い。
この店でボクがお願いするのは、カツ丼であることが9割方。ときにカツライスということもある。その昔、築地にくると、とにかくここでカツ丼というのがお決まりであったが、これも既に遠い昔である。今では年に1度くらいのペースだから、そんなに豊ちゃんの店を評論する資格はないかもね。
さて今年に入って初めての豊ちゃん、そしてお決まりのカツ丼を食う。
丼はやや小さめである。この丼の大きさには誰も言及していないように思える。しかしこの大きさには非常に大きな意味があるのだ。最近開店しました、といった店ではやや大きめであることが多々ある。それはカツ丼の醍醐味を知らないのである。まあこのような店の店主は料理は多少出来るだろうが(出来ないヤツも多い)カツ丼学のイロハがわかっていないのだ。丼の大きさの基準はロースカツを一枚のせるとはみ出すくらいの開口部、そして深さはその開口部の直径と同じくらいか、やや浅くないとダメなのだ。だからカツ丼の「煮カツ」をのせたら、「気をつけて食わないと大変だぞ」とまではいかないが、先にご飯だけ食うにはカツを非難させる隙間がないほどがいい。この小振りの丼だと、素直にまずはカツから箸をつけるだろう。そしてカツの下では、煮カツの熱と、汁とで高温となり、カツよりもご飯の方が「熱々」となっている。だから「腹減りだから、無闇にかき込みたい。でも熱い、でもかき込みたい」というせめぎ合いが起きる。この躊躇するほどの熱を帯びているのが、食うということに適度なブレーキとリズムをくれるのだ。また話は変わるが完全に冷え切ったカツ丼にも大いなる魅力がある。でもこれはまたの機会に触れたい。
またカツを煮る汁だが、出来れば出汁(だし)ではない方がよく、もしも出汁汁(味醂を使ったうまだし八方)を使っていても旨味が薄い方がいい。だからそば屋のカツ丼で、そばつゆを使うという店もあるが、あれは明らかにダメだ。出汁の風味は控えめでいい。その方が豚肉の旨味も衣の香ばしさも殺さない。
この2点とも豊ちゃんのは満たしている。そして肝心なカツだが、とても良質な豚肉であり、柔らかい。この優れた豚肉を手に入れられるのは繁盛店だけが出来ること。ボクは今、豚肉学を八王子綜合卸売センター『大商ミート』で学んでいるが、毎日大量に仕入れる店ほど、いい豚肉が手に入れられるのがまざまざとわかる。そして玉ねぎもよく干したヒネを使い、甘味が感じられる。天盛りはもっともカツ丼に合う三つ葉なのもさすがである。
豊ちゃんのカツ丼はまさしく理想型に近いもの。出来る限り素早くかき込みと、まことに満足至極。また食いたいと思うこと間違いない。
蛇足だが、カツ丼を食っているとき、隣に「築地に観光に来たの」というカップルが座っていた。
ボクの真横に座った娘が、
「あのさ、この店でー、有名なのってー、なんだっけ」
ちょっと豊満すぎる上半身、太過ぎる脚に今時流行のマイクロミニ。そのマイクロミニが肉のふくらみではじけそうだ。見ていて恐怖感が湧く。その向こう側にひょろりとした顔色の悪い陰険そうな男がいて
「ちょっと待ってー、ケータイで聞いてみる」
彼らよりも後に入ったボクのカツ丼はすぐに出来上がり、この時点で半分を残すのみ。この娘の素肌の脚に乗るのは、ぎょぎょ、、、ケリーバッグじゃないの。築地に持ってくるのには大きすぎるだろう。でも確か40〜50万はするはずだから、無理して買ったんだろうな。だから持っているバッグはこれだけってことかな?
待つこと暫し、どうもケータイの相手も「有名なのー」は知らないらしい。ボクがカツ丼を注文して食い終わるまで、このふたり、ずーっとこんな無駄な時間を、外に待つ人がいるというのに浪費していた。豊ちゃんの店の方の偉いのは、これをただ黙って知らんぷり、無視していたことだ。でもこれって築地らしくないよね。後はどうなったんだろうなー。もっと観察していたかったけど、食い終わったので店を後にする。