昔、占いが趣味という人に「四柱推命」で運勢を見てもらったことがある。いろいろ言ってくれたがほとんど記憶に残っていない。ただひとつだけ覚えているのが人には運命を決める神さんが何人かいるのだが、私についているのは総て食の神さんなんだそうだ。どうもこれで食べる事自体にも興味があるのだけれど、加えて食にまつわることならなんでも目に飛び込んできてしまうらしい。
さて、食に感心があるといっても「自然食」とか「スローフード」とか「伝統食」とか「食育」とかいった言葉は大嫌いなのは前にも書いて置いた(これは私の生活に置いての話、好きな人は好きでいいので変に間違った方向性でとらえないで欲しい。すなわち勝手気ままがいいということだ)。私的には食べ物は自分の本能で食えばいいのであって、変な言葉をかぶせたくはない。
しかしそれでも敢えて書くが「食育」なんて法律になったんだな。これなど嘆かわしいことだ。だいたい親が子供に料理を作らないんだから「食育」なんて意味がない。できれば「子供の朝夕食には最低でも1時間ずつは料理しないと逮捕するぞ」という法律を作るべきなのに「食育」なんてつまらない言葉遊びをする、だからダメなんだ。面白いのは子供の教育や課外活動、また防犯のための集まりや連絡を多くの父兄が夕食を作るべきときにやっている。また学校に集まっている。こんなことやっていて料理作れるわけないだろう。大バカ野郎。
例えば朝食にペットボトルに入った炭酸飲料とパンという家庭もあるらしい。まあこれはこれでいいのだ。だいたい「食育」なんてこんな家庭の親が気にかけるわけがない。まあこれはイカンと思っていて食の向上を目差すなら街に出て魚屋で魚を、いろいろ利用法を聞きながら買うとか、当然野菜もそうだ。黙ったままスーパーの買い物カゴにどさりでは無理だな。
まあ、もう一度書くが、ぼうずコンニャクは「自然食」とか「スローフード」とか「伝統食」とか「食育」という言葉は大きなワンワンよりも高い所よりも何十倍も嫌いだ。
だいたい私の作る料理自体が「食材が作ってくれ」と言っているとおりに、自分の本能とせめぎ合わせて作っている。後は懐具合もあるけれど、どうも貧乏な方が食に奥行きが出るようだ。
さて前置きが長くなったが、食神に憑かれている、ぼうずコンニャクが気になっているものに決して青山の「紀伊國屋」には売っていない「B級食品」がある。化学調味料や砂糖、スパイスや香辛料などが、どばっと入っているので「スローフード」とか「自然食」とかに凝り固まっている向きには受け入れられないだろうな。でもここには秘密めいた花園がありそうに思えないだろうか?
それは昭和30年代、まだ子供の頃のことだ。八百屋や小さな食料品店の棚に、ひっそりと置かれた定番的な食品があった。その多くのパッケージが個性的で、また古めかしく、当然懐かしい雰囲気を残している。これら愛らしいものたちを仮に「B級食品」と呼びたい。またプロがこっそり使っている「B級食品」もある。これも取り上げるが、基本的には私の原体験的に懐かしい、愛おしいと思うものである。この懐かしいものには「チキンライスの素」とか「渡辺のジュースの素」とかもある。コヤツら今でも売っているのだろうか?
そして、これら懐かしくも怪しい食品が個人商店の減少とともに絶滅の危機にあるのではないかと思い始めている。それで機会を見つけてはこれらB級食品を買いあさることにする。
お断りするが洒落のわからない人は読まないで欲しい。
●これは「お魚三昧日記」があまりにもカテゴリーが増えすぎて自分でついていけなくなって、転載したものです。コメントをいただいた方、ごめんごめん
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