富士吉田で「うどんを食うのだ!」について

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 意外に知られていないのでは? と思うのが富士山麓斜面にある富士吉田市がうどんの町だと言うこと。小さな町であるにも関わらず60以上のうどん屋が密集する。八王子は山梨との縁が深く、市場にも山梨から仕入れにくる。そして山梨出身者も多いので「富士吉田」=「吉田(の)うどん」というのをなんども聞いている。
 でもその「吉田うどん」がいったいどんなものかは皆目見当がつかないのだ。どうも市場関係者といっても「食」に感心があるとは限らず、実際に富士吉田で食べ歩いたという人は皆無。せいぜい「配達のついでに食堂で食べた」とか「近所のうどん屋にはよくいく」という程度である。ある人は「吉田うどん」は「つけめん」だと言い、ある人は「肉の入ったうどん」だといい。それで実際に富士吉田を歩き、また市役所などに問い合わせて調べたら以下の2点が「吉田うどん」の特徴であることが判明した。
 まず具は「たっぷりの茹でた(生?)キャベツ」、「肉(牛か牛か馬)」、そして温かいかけうどんというのが基本らしい。また富士吉田では馬肉を売る店が目に付く。すなわち「馬肉」=「肉」というのが富士吉田の古くからの形であるようだ。考えてみると肉食の普及が進んだ明治期に、まだまだ牛の供給は少なく、日露戦争などで需要が高まり高騰したときにはしばしば廉価な馬肉が「牛肉」として売られたことがあったという。それだけ馬肉は安く、身近なものであったのだ。これなど今のように馬肉の値段があがってしまった時代には想像がつかない。
 また富士吉田で目に付くものそれは「甲州名物馬刺」の幟、「馬肉」の貼り紙のある、カンバンのある肉屋。長い坂道を休み休み上っていく老夫婦に「馬肉を売っている店が多いんですね」と聞くと「昔は牛より安いんでよく食べました。今は高くなったけど、まあうまくもなりましたね」、「お土産に買っていてみなさい」と教わった。
 さて、実際に富士吉田を歩くに、富士吉田駅周辺から無駄歩きを始めたのは最大の失敗であった。市街地は富士吉田駅周辺「上吉田」と、富士山の斜面をまるで滑り台のような本通りを下って富士急行月江寺周辺からなる「下吉田」に分かれている。この上吉田は富士講、御師の家が点在し歴史的には見るべきところはあるかも知れないが織物で栄えた町の中心は下吉田なのであり、「うどん屋」「食堂」「魚屋」「和菓子屋」、そして時計店、洋品店、雑貨屋など人の暮らしの垣間見える家並みは下吉田にあったのだ。そしてたぶん織物業で需要が高まったであろう外食の古くからの店も下吉田に多いに違いない。
 クルマを富士吉田駅の駐車場にとめて青い稲妻号を組み立てる。そして本通りに下ると突然大粒の雨が落ちてきた。無駄歩きの幸先悪し。

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富士吉田駅から本通りを上っていく。左手に御師の家


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このページは、管理人が2006年9月29日 08:27に書いたブログ記事です。

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