故郷貞光の飯田食堂で日替わり定食

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 ボクの生まれたのは徳島県美馬郡貞光町南町。
 四国で二番目に高い山、剣山への街道筋にあたる狭い道路が商店街になっていて、それはそれは小さな街だ。
 宮尾登美子の「天涯の花」では隣町の太田というのも町域に入っているが、本来の貞光はまことに狭い地域であった。

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二層うだつのあがる街並み

 市街地は貞光川にそって広がっている。
 子供の頃には大衆浴場三軒、ガメラや海底大戦争、若大将シリーズを観た映画館(今もある)、鄙には希な大きな長屋が道沿いにある。
 そして貞光の街を特色づけるのが江戸時代、明治期、大正期、昭和初期の商家の建物であり、その黒い瓦屋根にあがる二層のうだつだ。
 これが今でもちゃんと残って人が暮らしている。

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町に今でも残る巨大な長屋

 さて、ボクは商店街に生まれた。
 その家から北に歩いていくと、いろんな店が連なっている。
 通りを隔てた前が貞光薬局、金川金物店、真鍋の下駄屋、谷米屋、和菓子の一屋、時計屋さん、阿川酒造。
 隣の家が阿佐商店、そのとなりが藤本、造り酒屋の折目があり、美人のお姉さんがいた谷医院、飯田の散髪屋(さんぱっちゃ)、福島楽器店、そしてまたまた北に歩いて明治橋を越えると果物屋、鞄屋、洋品店などがあり、武田人形店、魚屋の三崎屋、千代の屋、そして現在でも営業している飯田食堂がある。
 商店街にはたくさんの食堂があったのに、古くからの店はたった二軒だけとなっている。

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 特に飯田食堂はたぶん明治か江戸時代の貞光ならではの建物であって、そのまま改築することなく営業が続けられているのだ。
 懐かしいので帰郷するたびに必ず飯田食堂にだけは立ち寄る。
 だんだん衰退していく徳島うどんをだす希少な店でもあるし、昭和三十年代いらいの懐かしい中華そばだって、徳島ならではの“ばらずし”、“きつねずし(いなりずしではない)”だって食べられる。
 一年ぶりの今回はかなり腹減り状態だったので、日替わり定食を食べる。

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 出てきたのは単なる家庭料理的なハンバーグ、焼き鶏、なすのみそ煮、大正金時、みそ汁。
 平凡極まりないものだろうと、ひとくちハンバーグを食べてみて、じわじわと驚きが脳裏に広がってくる。
 これが懐かしい手作りの味だった。
 ちゃんと丸めて、平たくして作っていて、ファミレスの焦げ目すら計算され尽くした無機質さの対岸にあるもの。
 みそ汁の、味噌の味がこれまた昔ながらのものだし、ナスの炒め煮、飯田食堂自慢の焼き鶏もいい。
 そしてそしてだ。
 ボクがいちばん感動したのは大正金時の煮豆。
 我が故郷では、ばらずしにだって煮豆が入っている。
 そして煮豆といったら大正金時以外には考えられない。
 これをほっくりと甘さ控えめに、粉を吹かせて炊いてある。

 全部手作りの温もりのある定食が650円。
 ここで昼を食べるたびに、「故郷で暮らしたい衝動」が起きる。

飯田食堂 徳島県美馬郡つるぎ町貞光字町24-1
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑(いちばぎょかいるいずかん)へ
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コメント(2)

ご無沙汰しています。
ここですね、お話に聞いたことがある故郷。
いい感じの所ですねえ。
飯田食堂、行ってみたいですねえ。

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エンテツさん、島根の仕事をするようになってご無沙汰してます。
県の仕事をするのが思った以上に大変で驚いています。
さて、我が故郷の飯田食堂は表も凄いのですけど、奥に入っても面白いはずです。
間口はほどほど何ですけど、奥行きがあって、ときどき借家、畑があったりします。

また下町で呑みたいですね。

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このページは、管理人が2008年12月 1日 08:16に書いたブログ記事です。

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