管理人: 2007年12月アーカイブ

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 土浦は霞ヶ浦では最大の町であり、その昔、東京からの高瀬舟、蒸気船の終着港として栄えた。この江戸、江戸川、利根川、霞ヶ浦の航路は今で言うところの主要幹線道路にあたり、物資・船の行き来が盛んであった。
 名著『土浦風土記』(文/佐賀純一・絵/進絵 常陽新聞社)の中にはその鉄道以前の水上の都市である土浦の街の情景があり、また繁栄を思わせる白壁の街並みが描かれている。
 この美しい本の中の絵を見て、市内に足を踏み入れたのが大失敗であった。その駅前からして無味乾燥、とりつく島もない、それこそ「土浦」という名をつける意味がない有様となっている。

 駅前から、徐々に遠ざかる道が蛇行している。これがその昔、船着き場のあった川口川のなれの果てであるらしい。そのまま歩くと、左手に古めかしい二階屋があり、店の前に「ほたて」と書かれた灯籠が置かれている。蛇行する道路沿いということはその昔は川に面して、この店があったことになる。そして店の前まで来ると、そこで天ぷらを揚げて売る店(売店)があり、暖簾が下がる。

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 この店は霞ヶ浦市民協会の萩原さんに教わった。そして今回の旅は愛知の、うなたろう君との霞ヶ浦の魚貝類を探すためのもの。本当は北浦まで足を伸ばすつもりだったので、少々慌ただしく、店を通り過ぎて、どこまで行っても古い美しい街並みなどないのを確認してから引き返す。どうやら土浦で風情のある地域は中城町(現中央)だけらしい。
 中城町を貫く道は旧陸前街道にあたる。鉄道がくる前には東京から船便で土浦に、そこから常陸の国を目差したのである。江戸時代には府内常駐の水戸光圀(私好きではない)も、ときにはこの街道の行人となったはず。この一角だけ、古くからの日本家屋、しかも飛びきり美しい建物があり、『ほたて』と老舗のそば屋があって“食べる”ということからも歩く楽しみがある。

 さて、ここで『土浦風土記』に戻ると、『ほたて』は明治期には「保立食堂」と呼ばれていたことがわかる。この前の通り、元川口川には、銚子などでとれた魚が運ばれてきて、ちょうど『ほたて』の橋を渡って対岸にあった魚河岸に荷揚げされていた。すなわちとても賑やかな場所であったわけで、そこで働く人たちに食事を提供するために食堂が出来たように思える。

 店は長方形であるが、食事をするところは薄暗く真四角、ちょうど建物の真半分ほどだろうか? 入ると長く大きな机が4つほど。そのひとつで昼酒を楽しむ人がいて、その前には小学生。店内は家庭的だ。
 とりあえず、品書きを見る。店の看板に「天ぷら ほたて」とあるように天ぷら各種、天ぷら定食、刺身定食の札が下がる。考えるほどもなく、うなたろう君と天ぷら定食をお願いする。注文して後に、下がった品書きの木札に「あら汁」というのを見つけて、追加をお願いすると、
「あの、それは定食についてます」
 厨房の方から声がかかり、
「おたくたち、どちらから?」
 昼酒の男性が、ゆったりした茨城弁で問うてくる。うなたろう君の愛知、ボクが東京というと、
「ここのおじいさんの絵を見せてもらったらいいな。それと、ここの、あら汁は名物なんだよ。これで酒を飲む人も多い(総て少しずつ茨城県訛りなのだけど表現できない)」
「うらやましいですね。昼酒、うまそうで」
「休みの日だけね。これが楽しみです」
 ぜひとも見せていただきたい、とお願いし、定食が出てくる間だ店内を見せてもらう。

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 小さな居間を思わせる座敷があって、そこに「保立」と書いた木の岡持が積み上げられている。これが魚河岸のあった頃の名残ではないだろうか?

 待つこともなく定食がやってきた。盛り合わせになった天ぷらには名物のレンコン、ワカサギ、エビに野菜のかき揚げ。丼ご飯にお新香があって、大きめの豆腐が入ったあら汁がある。あら汁の中身はサバであって、味噌はやや色合いの黄味がかった薄いものだが、味は濃いめだ。
「あら汁は夏はいなだ(ブリの若魚)で寒くなるとサバです」
 定食を運んできた女性が、あら汁を珍しそうに見るのに説明してくれる。
 ここで水郷なのになぜ海の魚なのだろうか? と疑問に思った。でも店の対岸には銚子からの魚を売る河岸があったわけで、しかも昔は贅沢だったろう食堂の料理だから、敢えて“海の魚”が使われたのではないだろうか。ブリ(いなだ、わらさ)とマサバというのも銚子ではまとまってあがる魚である。

 天ぷらはカラリと揚がって、それぞれ種に味わいがあってうまい。それをやや甘めの天つゆにつけて、白いご飯を食う。そこに濃いめのみそ汁というのも、いかにも素朴なものだ。

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 これが850円というのは、まことに安い。神田神保町暮らしで500円天丼に馴れていても感激する豊かな盛り、そして値段である。ボクはこのように昔ながらの素朴な商いをしている老舗が大好きである。本来は庶民的な店が、いつの間にか今流にいうところのブランド化されて“お高い店”に成り下がる。そんな下品さはこの店には微塵もない。

 ちょうど食べ終わったとき、店のおじいさんが下りてきた。90歳を超えているというのに、美しい画帳を開き、いろいろ説明していただいても明晰だ。

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 東京からの定期蒸気船であった通運丸、高瀬舟、川口川下手からの桜橋、そして端もとの「保立食堂」。

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 これが美しい水彩絵の具で丁寧に描かれている。やや薄暗い店内にあって、一瞬、その昔の美しい土浦の街立ち戻ったような気持ちになり、店を後にする。
「ほたて」の皆さんありがとうございました。

ほたて 茨城県土浦市中央1の2の13
霞ヶ浦市民協会
http://www.kasumigaura.com/
うなたろうの部屋
http://www.geocities.jp/morokounataro/2top

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 定期的に催す「築地土曜会」。場内巡りはともかく、その後、もっとも活躍するのが、つきじろうさん。その驚異的な“築地うまいもの知識”で徐々にボクから人気を奪っていくのがわかる(もともと人気なんてない)。そのつきじろうさんの名を動詞的に今回「つきじろうする」というのを作ってみた。
 定義はとにかく朝昼晩複数回食べること。
 例えば朝食を2回、3回、4回、5回。たぶん6回まで食べると「つきじろう級」であって、それは九尾のキツネとか、柔道十一段とか儒教の世界で聖人とかいう到達できない領域。と言うことでせめてボクが「つきじろうする」のは朝ご飯を2回、もしくは朝4時起きなので3回食べるということ。
 この朝(12月8日)ボクは、場内関連棟のあまりの混雑にドトールコーヒー(生まれて初めて入った)でカプチーノ一杯しか口にしていない。それから場内を回り、11時過ぎに「たけの」で宴会。この時点で刺身、煮魚、天ぷら、ポテトサラダを食べたが、炭水化物は皆無。
 それで可愛い女性もいることだし、「お茶しよう(この言葉古いのかな。オヤジはこんなことが気に掛かる)」となった。このときボクは純粋にコーヒーでも、という気であったのだが、つきじろうさんが案内してくれたのは、そんな軽い店ではない。

 築地場内というと鮮魚乾物お茶、河岸玉子(卵焼き)、調理器具など古くからの店があり、最近やたらに増殖してきたのが「築地」を冠したくて出店してきた新興組。ひょっとしたら、そんなニューブランドに行くのかな? と思っていたら、場外の中心部。乾物屋、珍味屋などが密集するもっとも火災震災に弱いあたりを目差す。そこで鮟鱇さん馴染みの乾物屋『寿屋商店』を覗き、その前の階段をトントンとあがる。(注/鮟鱇さんが市場上級者である証拠が、この乾物屋に馴染んでいるのをみてわかる。恐るべし)

 そして辿り着いたのが、見事に「1970年代風」の喫茶店である。店の名前が「4SEASON」というのはなんと直球であることか? この店名自体にも70年代風が見て取れる。
 考えてみると万博のあった頃からの10年間はまだ生き方、暮らし型に真面目さがにじみ出ていた。

 店内に入ると、そこは場外の騒々しさからは別世界、ゆったりとした空間が広がっていた。ここでますます、つきじろう凄いと恐れおののくのだ。いつの間にか合流していた尻高鰤さんも加わって席に着く。(注/「いつの間にか」という言葉は尻高鰤さんのためにある。例えば可愛らしい女性が参加したり、一緒に飲むという機会があると、尻高鰤さんは「いつの間にか」そこにいる。そして可愛い女性の隣に座り、ボクを尻目に楽しそうに会話していたりする。悔しいなー)
 ボクは最初から「つきじろうする」つもりだったので、つきじろうさんに品書きの説明を受ける。お勧めはカレースパ、「私は焼きスパにします」と言う。
 ええ? カレーとスパゲッティは合わないだろう。このあたりがボクが凡人たる所以である。それでボクが焼きスパ、つきじろうさんがカレースパとなる。
「そうですか、初めてならカレースパの方がいいんですけど」

 そんなやりとりとは関係なく尻高鰤さんは気取ったマフラーを巻き、やや座席に斜めがけ、固形物には目もくれず、スーパードライを飲んでいる。まあおつまみに来たピーナッツを分けてくれたから赦せるけど、なんだかカッコつけで嫌だなー。その上、古草さんやキヌバリさん(勝手に名前つけてご免なさい)とも盛んに会話が弾んでいる。
 ちょっとこの場面では影が薄いのだけど、鮟鱇さんは明らかに呆れていたはずだ。

 ほどなくカレースパがやってきた。この「ほどなく」というのが優れた喫茶店の証拠。店の定番メニューで長々待たせるのは最低の店だ。

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 まさにそれはカレースパである。やや固ゆでらしいスパゲティに、ややチョコレート色めいたルーがかかる。そこまではいいのだけど、その頂点にボクの琴線を揺さぶるものが乗っているのだ。それはゆで卵。自慢じゃないけど、オムライスだって、カレーだって、お弁当だって、そばだって、なんでも、なんでもいいのだけど、ゆで卵があると思わず、「ヘニョー」といかれてしまうのだ。まさかゆで卵くれ、とは言えず、よこからちょっと試食。「これはうまい!」、うまいねー。カレーとスパゲッティというわかりやすい組み合わせだが両者の混在具合が見事。それになにより、この店のカレーがいいのだ。
 横から見るとゆがんだホームベースにしか見えない、つきじろうさんの顔が神々しく見えてきた。それに、この人、食べ物を“食べる”、“取り分ける”ときの動作が上品である。
「どうですか、うまいでしょう?」
 そのオバサンとオジサンを足して半分に割ったような声も、確かに説得力があって、この人にならついていけそうだ、と思わせる魔力がある。

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 やがて来た焼きスパは、細麺固ゆでのスパゲティを焼きそば風にしたもの。これもうまいことはうまいが、カレースパの方が上だ。

 ここまできて考えた。ひょっとすると、つきじろうさんは、店の品書き総てを食べているのではないか? 間違いなくそうに違いない。ボクのように30年通った天丼屋で並以外食べていない、というぐうたらな性格からすると「つきじろうする」ことの偉大さが見えてきた。

つきじろうの「春は築地で朝ごはん」
http://tsukijigo.cocolog-nifty.com/blog/

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