土浦は霞ヶ浦では最大の町であり、その昔、東京からの高瀬舟、蒸気船の終着港として栄えた。この江戸、江戸川、利根川、霞ヶ浦の航路は今で言うところの主要幹線道路にあたり、物資・船の行き来が盛んであった。
名著『土浦風土記』(文/佐賀純一・絵/進絵 常陽新聞社)の中にはその鉄道以前の水上の都市である土浦の街の情景があり、また繁栄を思わせる白壁の街並みが描かれている。
この美しい本の中の絵を見て、市内に足を踏み入れたのが大失敗であった。その駅前からして無味乾燥、とりつく島もない、それこそ「土浦」という名をつける意味がない有様となっている。
駅前から、徐々に遠ざかる道が蛇行している。これがその昔、船着き場のあった川口川のなれの果てであるらしい。そのまま歩くと、左手に古めかしい二階屋があり、店の前に「ほたて」と書かれた灯籠が置かれている。蛇行する道路沿いということはその昔は川に面して、この店があったことになる。そして店の前まで来ると、そこで天ぷらを揚げて売る店(売店)があり、暖簾が下がる。
この店は霞ヶ浦市民協会の萩原さんに教わった。そして今回の旅は愛知の、うなたろう君との霞ヶ浦の魚貝類を探すためのもの。本当は北浦まで足を伸ばすつもりだったので、少々慌ただしく、店を通り過ぎて、どこまで行っても古い美しい街並みなどないのを確認してから引き返す。どうやら土浦で風情のある地域は中城町(現中央)だけらしい。
中城町を貫く道は旧陸前街道にあたる。鉄道がくる前には東京から船便で土浦に、そこから常陸の国を目差したのである。江戸時代には府内常駐の水戸光圀(私好きではない)も、ときにはこの街道の行人となったはず。この一角だけ、古くからの日本家屋、しかも飛びきり美しい建物があり、『ほたて』と老舗のそば屋があって“食べる”ということからも歩く楽しみがある。
さて、ここで『土浦風土記』に戻ると、『ほたて』は明治期には「保立食堂」と呼ばれていたことがわかる。この前の通り、元川口川には、銚子などでとれた魚が運ばれてきて、ちょうど『ほたて』の橋を渡って対岸にあった魚河岸に荷揚げされていた。すなわちとても賑やかな場所であったわけで、そこで働く人たちに食事を提供するために食堂が出来たように思える。
店は長方形であるが、食事をするところは薄暗く真四角、ちょうど建物の真半分ほどだろうか? 入ると長く大きな机が4つほど。そのひとつで昼酒を楽しむ人がいて、その前には小学生。店内は家庭的だ。
とりあえず、品書きを見る。店の看板に「天ぷら ほたて」とあるように天ぷら各種、天ぷら定食、刺身定食の札が下がる。考えるほどもなく、うなたろう君と天ぷら定食をお願いする。注文して後に、下がった品書きの木札に「あら汁」というのを見つけて、追加をお願いすると、
「あの、それは定食についてます」
厨房の方から声がかかり、
「おたくたち、どちらから?」
昼酒の男性が、ゆったりした茨城弁で問うてくる。うなたろう君の愛知、ボクが東京というと、
「ここのおじいさんの絵を見せてもらったらいいな。それと、ここの、あら汁は名物なんだよ。これで酒を飲む人も多い(総て少しずつ茨城県訛りなのだけど表現できない)」
「うらやましいですね。昼酒、うまそうで」
「休みの日だけね。これが楽しみです」
ぜひとも見せていただきたい、とお願いし、定食が出てくる間だ店内を見せてもらう。
小さな居間を思わせる座敷があって、そこに「保立」と書いた木の岡持が積み上げられている。これが魚河岸のあった頃の名残ではないだろうか?
待つこともなく定食がやってきた。盛り合わせになった天ぷらには名物のレンコン、ワカサギ、エビに野菜のかき揚げ。丼ご飯にお新香があって、大きめの豆腐が入ったあら汁がある。あら汁の中身はサバであって、味噌はやや色合いの黄味がかった薄いものだが、味は濃いめだ。
「あら汁は夏はいなだ(ブリの若魚)で寒くなるとサバです」
定食を運んできた女性が、あら汁を珍しそうに見るのに説明してくれる。
ここで水郷なのになぜ海の魚なのだろうか? と疑問に思った。でも店の対岸には銚子からの魚を売る河岸があったわけで、しかも昔は贅沢だったろう食堂の料理だから、敢えて“海の魚”が使われたのではないだろうか。ブリ(いなだ、わらさ)とマサバというのも銚子ではまとまってあがる魚である。
天ぷらはカラリと揚がって、それぞれ種に味わいがあってうまい。それをやや甘めの天つゆにつけて、白いご飯を食う。そこに濃いめのみそ汁というのも、いかにも素朴なものだ。
これが850円というのは、まことに安い。神田神保町暮らしで500円天丼に馴れていても感激する豊かな盛り、そして値段である。ボクはこのように昔ながらの素朴な商いをしている老舗が大好きである。本来は庶民的な店が、いつの間にか今流にいうところのブランド化されて“お高い店”に成り下がる。そんな下品さはこの店には微塵もない。
ちょうど食べ終わったとき、店のおじいさんが下りてきた。90歳を超えているというのに、美しい画帳を開き、いろいろ説明していただいても明晰だ。
東京からの定期蒸気船であった通運丸、高瀬舟、川口川下手からの桜橋、そして端もとの「保立食堂」。
これが美しい水彩絵の具で丁寧に描かれている。やや薄暗い店内にあって、一瞬、その昔の美しい土浦の街立ち戻ったような気持ちになり、店を後にする。
「ほたて」の皆さんありがとうございました。
ほたて 茨城県土浦市中央1の2の13
霞ヶ浦市民協会
http://www.kasumigaura.com/
うなたろうの部屋
http://www.geocities.jp/morokounataro/2top
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/
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