沼津魚市場の関連棟に納豆や惣菜を売る店があり、そこを通り過ぎようとしていたらウチの母ちゃん(妻である)から
「父ちゃん(とうちゃん)、変なものがある」
そんな一声があって立ち止まったら、確かにそこにあったものは変なものであった。
話はかなり遠く離れるが若い頃に
「ボクは子供が出来たら『父ちゃん(とうちゃん)』と呼ばれたい」
そんな話をしたことがある。すると聞いていた仕事の先輩格にあたる人が
「それはおかしいだろ。下品だろ」
と言ったのだ。
仕事では凄い人だと思っていたのが人格的にまったく疑問符のつく人になった。ボクは人間は総てに対してリベラルでありたい。言葉に対してもである。ボクなど子供の頃、父親のことは「父ちゃん」なのだ。だからボクの息子や娘、総勢5人に対しても「父ちゃん」と呼べと言っている。(工藤孝浩さんちもそうであった。工藤さんの素晴らしい業績もそうだが「父ちゃん」同士として親近感を覚える)それを下品とは無知蒙昧、アホだろうとこの人を見る目が数百段さがってしまった。この方、普段から東京生まれ、東京育ちを端々に出していたが半分冗談であると理解していた。まさかそんなものマジで振りかざすとはね、愚かなり。だいたい今の東京での言葉は本来の江戸の言葉ではない。所謂山の手、旗本やご家人の使っていた方言を薩摩藩などが適当に使いやすく当たり障りのないものに作り替えた味も素っ気もないものだ。そんなものに価値観を見いだしておきながら、ときどき江戸の庶民の土着的な「御御御付け(おみおつけ)」、「おむすび」なんて言葉を使う。なにしろ言葉は多様でなければいけない。四国の人はどもまでも四国人の痕跡を残せ、また九州でも東北でもそうだ。
いかんいかん閑話休題。
見るからに真っ黒でまん丸くて「それはなんだろう」という代物。まじまじと見ていたらそこに仕入れ(市場だから食料品店。もしくは魚屋の店主)に来ていた人が、
「これは昔からあるもので沼津じゃ珍しくはないね」
と、店主を呼んでくれた。そこで「柿田川納豆」とともに買ったのだ。
だいたい静岡の食べ物でイルカの「たれ」、静岡おでんなど真っ黒なものは多いのだ。だいたい「黒はんぺん」なんてものもある。
そして帰宅して食べたのだが
「これはお菓子じゃないの」
というのは子供達の感想。見つけた家人さえ
「半分でいいかな」
なんて言うのだ。
でもボクはこの甘〜くて“カフッカフッ”な食感になぜか惹かれるのだ。そして今緑茶の友として食べている。言うなれば茶菓子ですな。それがなんだかいける。
これって静岡ならではの味なんだろうか?
伊藤食品 静岡県沼津市平沼554-2