ソース図鑑: 2006年8月アーカイブ

 神戸の「オリバーソース」の創業は1923年だとある。これは関西で日本初のスターソースが生まれてから30年近く後、決して早い創業とは言えそうにない。ただ、この会社が歴史に名を残すのはトンカツソースを開発したことにある。トンカツソース(濃度のあるソース)は、ウスターソースがイギリスからの輸入ものを模索し作ったのと違い、まったく新しい発想のソースである。
 そんな「オリバーソース」の「どろソース」を初めて知ったのは、確か15年以上前。我が故郷から上京する途中、必ず京都か大阪に立ち寄るのだけれど、その大阪難波で買い求めたと記憶する。そのときは珍しいラベルだというだけで、「どろソース」という存在はまったく知らなかった。
 そして帰宅してさっそく使って驚くとともに、以後、我が家での常備調味料となってしまっている。だいたい西日本ではウスターソースの使用頻度が高く、ときに何にでもかけてしまう。我が子供の頃には天ぷらにかけるのは当たり前だったし、お祭りの屋台で売るタコの天ぷらには、あらかじめソースがかかっていた。このソースの匂いにアセチレンガスの光が懐かしいな。まあ、まあ、それは置いておくとして、我が家で普段使っているのは「イチミツボシ 加賀屋」のお好み焼きソースである。これがかなりの甘口。本来お好み焼きに使うものをフライなどに使っているので、それに加えてボク用にブルドッグのウスターソースが並ぶ。でもこれは味わい的に好みのものではなく、それでも家族が勝手に買ってくるもので言うなればイヤイヤ使っているのである。ここに登場するのがオリバーの「どろソース」である。ブルドッグに、少し「どろ」を加えるととたんに味が良くなる。またときには「どろソース」だけというのも刺激的。
 さて「どろソース」とはなんぞや、という話が後になってしまった。これはウスターソースを造るときに熟成期間が必要となる。そのときに熟成タンクの底にたまった「泥」のような部分。ここには野菜から出る旨味も、スパイスも高濃度で溜まっている。その味わいはスパイスの刺激が強く辛い、酸味旨味も強く濃い。
 我が家でフライを食べるときには、まずブルドッグで食べて、「どろソース」で締めるのを常としている。またせん切りキャベツやサラダには「どろソース」というのが私流。これにレモンで口中すっきり感があって、肥満気味のオヤジには満腹感を助長してくれるからうれしい。
 ついでに最後につけ加えるとオリバーの「どろソース」は関東でもっとも手に入れやすいもの。他社にも「どろソース」もしくは同様のソースがある。あれこれ試してみたいのだが、なかなか近所で見つからない。ああ、こんなことを考えていると関西にソースを買いに行きたくなる。

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オリバーソース
http://www.oliversauce.com/

 ソースと言えば関西、もしくは西日本というイメージであるが東京にもソースのメーカーは多いのだ。その中でユニオンソースは日本橋「たいめいけん」の1階で見つけたもの。ただし「たいめいけん」のテーブルに置いてあるのは瓶が丸く、市販しているのは真四角なのだ。この真四角のを京橋の「明治屋」で見つけて、「丸い瓶はないんですか」と聞いた覚えがあるが、結局「たいめいけん」の丸い瓶は見つからない。
 まあ、それでも同じメーカーなのでユニオンソースを見つけるととにかく買うことにしている。ボクはとにかくウスターソースが大好きである。
 18世紀にインドから持ち帰った香辛料を使ってイギリスで作られたウスターソース。我が国では明治半ばまでイギリスからの輸入品しかなく高価なものであった。それが明治の後半にはやっと国産品が登場してくる。これが日本が誇る「洋食」の普及とあいまって、日本各地にたくさんのソースメーカーが誕生したようだ。その点、ユニオンソースの1949年創業はけっして古いものではない。でも文京区根津という土地柄と、「たいめいけん」で慣れ親しんでいる味わいなのでなんだかレトロな感じがする。
 このユニオンソースの味の特徴は酸味にある。この酸味がちな味わいのお陰で味わいが軽く、キャベツなどにかけるととてもうまい。またライスカレーにかけるならぜひともユニオンソースが欲しい。なぜだろう、このソースがやたらにライスカレーの味を高めてくれる。
 これは余談だが、このソースに見返りのペンギンが描かれている。このため長い間、「ペンギンソース」というのだと勝手に考えていた。その由来はホームページを見るべし。

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ユニオンソース
http://www.unionsauce.co.jp/

 徳島ではどの市町村でも子供相手のお好み焼き屋さんがあると思う。1960年代などは街角街角にお好み焼き屋があり、子供には暖簾に書かれた文字が読めなくて「おぬやき」って書いて「お好み焼き」って言うの変だなと思っていた。夏はお好み焼きをやめてかき氷を出したり、そう言えばお好み焼き屋には必ずおでんもあった。

 私は徳島県美馬郡貞光町という辺鄙な町に生まれた。この町、不思議なことに農業というのはほとんどなく商店街だけの町。この貞光町というのは後に太田、端山などが合併したが、ここでは狭い意味の町のこと。本来は葉煙草、材木、牛などの集散地としての小さな地域でしかなかった。子供の頃などまだ我が家の前の端山、一宇村からの道を馬が材木をひいてくるのを見ている。(貞光町は2005年3月より現つるぎ町となった。貞光、太田、小島、半田、端山、一宇が合併して広大な町域となっている)

 子供の頃、我が町には部落ごとにお好み焼き屋があった。そこに必ずあったのがマンガ本。お好み焼き屋は子供達の社交場でもあったのだ。ここで初めて触れた「暗闇五段(字が間違っているかも)」、「オレはスカタン(これも)」なんて懐かしい。漫画本を読んでいる間にお好み焼きが焼き上がる。確か焼くのは店の人の役割、自分で焼く店の記憶はない。
 そこで使っていたお好み焼きソースは間違いなく「イチミツボシ 加賀屋醤油」のものだったと思う。当時は一升ビン。これを鉄板脇のソース入れにとくとくと注ぐ。そう言えば東浦の「新田」という店。南町の「みどり屋」なんてもうないんだろうな? また当時お好み焼きと呼ばれていたけれども、屋台をひっぱって、おじいさんが焼いて売っていたものがあった。今思うにこれは一銭洋食というものではなかったろうか? 小麦粉の薄い生地を鉄板に薄く伸ばす、そこにキャベツ、天かすなどをのせて焼き上がったらソースを塗り、くるっと巻いて紙に包んでくれる。あのおじいさん、もう生きているわけがない。

 さて大阪など関西でもそうだが、夕食に家庭でお好み焼きということがある。面白いのは昔の食卓というのは丸く真ん中が開いていた、そこにガス台を置いて鍋物やお好み焼き、ホルモンなどを焼いて食べる。この穴あきのちゃぶ台は1966年に大阪ガスが売りだしたものである。(『大阪あほ文化学』読売新聞本社 講談社+α新書)
 丸いテーブルに家族が揃って、まず小麦粉を練り、具は四国では牛肉とキャベツだけだったと思う。他には天かすかな。父などはゆるりと刺身を食べて酒を飲み、ときたまお好み焼きをつまむ。当時貴重というか高かった卵は確かひとり1個と決められていた。真正面のテレビ画面には「三バカトリオ」。懐かしい。
 そこに当然のごとく「お好み焼きソース」が置かれていて、これが他の地域よりも甘い。広島の「おたふくソース」よりも甘く、まろやかである。これが徳島のソースの特徴。たぶん貞光町では総て「イチミツボシ 加賀屋」のものであるはず。我が家など醤油も「加賀屋」だった。
 この加賀屋(かがや)の「お好み焼きソース」であるが今、我が家にはなくてはならないものとなっている。ボクはブルドッグでも下町のユニオンソースでもなんでもいいのだが、子供達はカツ、コロッケ、はたまたハンバーグにもこれをかける。

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加賀屋醤油
http://www.kagaya-syouyu.co.jp/

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