ほどなくどんよりとした曇り空の下、中川の川辺、本奥戸橋のたもとに出る。下流の小岩に住んでいたときに何度も総武線で渡った中川。中川、新中川の東西は有名な海抜0メートル地帯。大学に入ってすぐに住んだ小岩は決して住みやすいところではなかった。世田谷、杉並、府中と引っ越しを繰り返したが、生き物密度は最低であった。その上、排水ポンプの工事の地響き、夏の暑さと言ったら耐えるに耐え難いものだった。小岩でも総武線の北側には椎名誠さん、木村弁護士などが集団生活を送っていた。そのユーモラスで逞しい暮らしぶりと比べてひ弱だったものだ。そしてほぼ30年振りに見る中川、とてもきれいととは言えないながら豊かな流れを見るとなんだか気分が和らいでくる。本奥戸橋を中程まで渡り、ふとため息をついて、また引き返してくる。
立石の駅から仲見世と平行に伸びているのが「立石駅通り」。この踏切までの区間がチェーン店が多くつまらない。なかほどにぽつんと和菓子屋、またぽつんと呉服店があり、ここに昭和の商店街の破片を見るようだ。
京成線の踏切を渡るとまた賑やかな通りに変わり、飲食店が多くなる。見ると古本屋らしいのがあるが、時間をとられるので入らない。右手に「鳥房大東店」という魅力的の外観を肉屋を見つける。間口の狭い店の右手には鶏肉が並ぶが左手では男性が大鍋でなにやら作っている。そのまま進み、この通りを抜けると斜めに道が交錯し、手焼きせんべいの店がぽつんとある。
道の北側は住宅地であるようだ。駅方面にもどろうと曲がったのが「立石すずらん通り」。ここに古めかしい酒屋を発見、その店先にカウンターがある。覗いていると店主らしき老人が出てきた。
「古そうなお店ですね」
「そうだね、古いことは古いけど、ここいらでいちばん売上の悪い店って言われてね」
「立ち飲みやってるんですか」
「だめ、昔はやってたんだけど、今は足腰がダメでね」
この店の奥にあった木のカンバン。これはいったいいつ頃のものだろう? またこの酒蔵はまだ健在なのだろうか? 「君が代」、土肥酒造本家の「晴菊」、一得酒造の「一徳」どれも飲んだことがない
そこからまた「立石駅通り」に戻り「鳥房」の脇を見ると暖簾がかかっている。思わず引き戸を開けると、右手にカウンター、左手に座敷。店内は8割方埋まっていて繁盛の様子。ここでお銚子1本、冷酒1本と名物鳥の唐揚げ。かなり酔っぱらって、いい気分である。そのまま駅にもどろうと踏切で通過電車を待っていると自宅からケータイ。何か買ってきてというので仲見世に舞い戻る。
駅を下りてから2時間も経っていない。それが店をのぞくと惣菜などはあらかた売り切れている。仕方なく行列の出来ている駅前の「愛知屋」でコロッケなどを買い、立石を後にする。
立石の駅に滑り込んできたのは京浜急行の電車。野球少年たちと乗り込むが車内はガラガラ、しかも少年達の大人しいこと。ふと目を上げると車窓から夕闇迫り来る荒川が見える。鉄橋、灰色から闇に変わる雲の重なり、これを背に健康そうな娘が夢中になってケータイメールを打っている。京成線を半蔵門線に下りて少し長すぎる無駄歩きは終わりとなるのだ。
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お茶の水駅聖橋口「満松庵」