2006年7月17日アーカイブ

 沼津駅前で生まれ育った生粋の沼津っ子、飯塚栄一さんの今回のおすすめの店が『航』である。沼津駅南口からロータリーを左に沼津ホテルの並びにある。「洋食」という文字があるものの一見なんの店かわからない。こんな店は飯塚さんに案内されなければ見つけられない。この店の自慢がカレーとコーヒーである。
 まず出てきたコーヒーがなかなかいい。初っぱなからコーヒーというのは睡眠ゼロの強行軍できているための飯塚さんの配慮。そして出てきたのが静岡県特産の等牛山ポークを使ったカレーである。
 この丹念に作られたカレーの味わいは、残念ながらまだ発展途上の味わい、でも充分惹かれるところがある。イギリス風のカレーを目差しているのだろうか、スープに凝っていると思われる? ただ、これがご飯との相性に問題があるのだ。これなどは東京神田神保町の『ボンディー』のカレーなどで研究してみるといい。ご飯に合わせるとき、酸味よりもほろりとした甘みがメインでなければだめなのだ。そして後からかなり遅れてくる辛み。
 でも、この店のなんとも言えない好ましさは、「時々来てみたい」と思わせるに充分。沼津は、味どころでいい店が目白押しなのだが、ここも間違いなくおすすめできる。

kou.jpg

静岡県沼津市三枚橋町5の27
http://homepage2.nifty.com/e-clair/

 仕事場からお茶の水に帰るためには駿河台の坂道を上っていかなければいけない。この坂道が嫌いなのだ、だいたい並ぶ商店にろくな物がない。確かに楽器店、レコード店、楽譜屋などお茶の水らしさを感じるのであるが、ほんの一握りの商店が痕跡的に残っているほかは総てチェーン店ばかりである。だいたいチェーン店や無駄に大きなビルを開発するヤカラは文学的知性の欠乏をきたしているに違いない。そうでなければこんなに冷血的な街を作れるわけがない。

 ということで用もないのにしばしば地下鉄神保町駅に下りる。そしてしばしば寄り道・無駄歩きをする。そんな寄り道ルートでもっとも時間的な余裕のないときに選ぶのが丸の内線ルートである。丸の内線で新宿を越えて荻窪で古本を探す。新高円寺、南阿佐ヶ谷でおりて、小さな古本屋を冷やかしながら北を目差して中央線に乗り換える。ともども古い店、また今時の店ながら不思議な店が多くて楽しいルートなのだ。

rukiriguti.jpg

 今回は新高円寺で下車、「高円寺ルック」を抜けて中央線に乗り換える。ここは歩行者専用の道、ゆっくりぶらぶらと北を目差す。古本屋があるたびに時間を費やして、北に向かう道すがら、『ベルゲン』というパン屋さんを発見した。我が家からクルマで10分ほどのところに同じ名前のパン屋さんがあって、我が家では食パンはいつもここで買っている。そして行くたびに店名の由来を聞こう聞こうとしてもう10年以上たってしまっている。たしかベルゲンというのはドイツの町の名前であるはずだ。

 そして右手にぼろぼろのさびたトタンをむき出しにした元店舗らしい建物。引き戸4枚は硬く仕舞っている。そしてその隣に古着屋と古本屋が同居した店があって風呂のすのこに「アニマル洋子」と書かれている。ここ通るたびに入ってみたいと思うのだが果たせない。

animulyoyo.jpg

 ほどなくアーケードがついてなんだか薄暗くなる。この左手に『愛川屋』という練り物屋。この店で過去になんどか薩摩揚げを買っているのだが、年に2、3度このルートで帰るわけで、当然、いつも「初めて買います」という芝居をする。

aikawakinnda.jpg

 また北上すると大きなT字路がある。この北に向かって右側に肉屋がある。この肉屋さんではコロッケなどを売っているのだが、この時期はいつも近所の子供に阿波踊りを教えている。この光景、確か3年くらい前にも見ている。これを股上の超短いデニムパンツをはいたお姉さんたちが笑って通り過ぎていく。このお姉さんたちも小学生のころ習ったという感じ。

awawaodorubah.jpg

 そこからまた北に入って左手に曲がると長い長い飲食店街が続く。この入り口にある食堂で昼抜きの夕食ともいえそうにない定食を食べる。確かここは6年振り、安くてうまいので、またまた感激。

 そのまま路地を進んで曲がると仁王像が左右に建つお寺の山門。ここを曲がると小さな魚屋がある。この魚屋の刺身の鮮度、また品揃えただもんじゃない。こんど涼しい時期だったら買ってみたい。

koeuensakanaya.jpg

 もう駅が近いのが人の数から感じられる。この右手に大阪寿司の店があるのを知らなかった。どうして気づかなかったんだろう?
 時間がないので後半は駆け足となった。高円寺駅、スイカで入って階段を駆け上がると、ちょうど高尾行きがするすると入ってきた。車内はかなりの混み具合。えいや! と身体を割り込ませて無駄歩きが終わる。

 新宿西口を利用することになったのは1975年前後だろう。以来我が人生でなんども通り過ぎることとなって、その30年ほど前の出来事が思い出される。学校の仲間と西口で待ち合わせ、昼飯を食べて京王線に乗ろうとなってなぜか5人ともカレーが食べたいという。その食べたいカレー屋が二手に分かれてしまったのだ。貧乏学生なので「安い」が先決。
 私が真っ先に浮かんだのが「C&C」で、当時280円だったかな? これでジャガイモがひとつ入っていたのだ。そして後の4人が行こうと言ったのが西口地下街の角の店。店名は知らなかったのだが、「C&C」を選んだのはのはひとりだけ、カレーごときにむきになり、寂しく立ち食い。当時から一匹狼だったのだ。
 さて今回ほとんど初めて入って「ハウス11イマサ」という店名を知った。我ながらそのときの友との議論(どっちがうまいか? なんてくだらないこと)を西口を利用するたびに思い出して30年間も足を踏み入れていないのだから意地っ張りだ。
 この店、その昔、造りがなかなか凝っていて。ちょっと色合いからして1960年代、70年代のサイケなもの。椅子も70年代っぽく、テーブルからしてシュールな形をしていたはず。
 そんな面影は影をひそめているが、改めてその丸い樽型の椅子にすわり、メニューを見ると思ったよりも多彩である。これは「C&C」が立ち食いそばの延長線上にあるオヤジ型店舗としたら、こちらはファミレスのカレー判、言うなれば若者型店舗なんである。それでスタンダードなカレーにメンチカツ(これで450円)を注文。これがあれっと思うくらいにありきたりなカレー。それほどに特徴がないのだ。やっぱりここに通っていた同級生のTはバカだな、なんて薄笑い。ハハハ、「C&C」の方がやはりうまいじゃないかと一人心の中で鬱屈を溶かしているとテーブルに不思議な瓶がある。これが辛みを出すスパイスであるという。こういったものはすぐに試してみることにしている。これを早速かけるとカレーの味わいが一転した。好みなんだなこの辛さ。これは「C&C」と対等か、少し上のクラス。知らなかったと少し後悔する。こんどは「印度カレー」にするかな。

imasa0001.jpgimasa0002.jpg

ハウス11イマサ
http://www.nishishinjuku.info/shop/shop.php?sn=84

torifusa0001.jpg

 立石の街の賑やかさは、周辺に小さな工場が密集して、そこではお父さん、お母さん、お婆ちゃんまで一家総出で働いている。当然、食事を作るなんて出来ないわけで、いつの間にか無数の惣菜屋さんが出来た。また当然、居酒屋、寿司屋、そば屋も集まって来た。ここは日本の中小企業が作りだした理想の街とでも言えそうである。
 その賑やかな通りに、忽然と建ち存在感を見せつけているのが「鳥房」である。いたって小さな店で、派手なところがあるわけでもないのに、誰もが「ほー」と見てしまうのはどうしてだろう。その地中海的な色合いか? 「鳥房」の大きな文字なのか? はたまた店内のお兄さんがなにやら大鍋と闘っている姿なのか?
 とにかく近寄って見たいと思いながら、「いかん、いかんな」と一度通り過ぎてしまった。そうしてまた舞い戻り、店頭を行きつ戻りつしていたら脇に紺色の暖簾がかかっている。まあ「おいでおいで」しているような。はたまた可憐な乙女に「今日寂しいわ」なんて言われたときのような衝撃が走る。それで思わず引き戸を引いてしまった。
 なかは外とはうって変わって賑やかなこと。左手に座敷があって、そこはあらかた満杯、右手がカウンターで2つ席が空いている。カウンター奥に二人連れの若い女性、手前にかなりお年をめしたオヤジさん。カウンターの中にはオバサン3人がいて、まるで見張られているかのようだが、そんなに感じ悪くもない。その後ろには戸があって、そこから料理が出てくる。どうもこの板戸一枚隔てて、あの店と繋がっているようだ。 

torifusa0002.jpg

 カウンターのオヤジさんの横に座るようになんとなく指図され、なんとなく座ると、座り方が悪いと言われる。
「椅子をまっすぐにして」
 椅子が斜め20度ほど左に向いている。これを修正すると
「はい、いいかな」
 まるで小学校低学年の担任教師のような物言いである。
 そしてメニューを見て「何にしようかな?」と考えていると
「鳥唐揚はぜったいたのんだほうがいいよ」
 親切なオヤジさんのアドバイス。
「唐揚は580円、680円、780円のどれにします」
 これは小、中、大であるようで、小にする。
「それと、ぽんずさしはいかがです」
 素直に従う。あと燗酒1本。

torifusapon.jpg
「ぽんずさし」の奥に見えるのが突き出しの鶏の皮の煮つけ。これはうまくなかった

 まず出てきたのが「ぽんずさし」。表面を霜降りにした胸肉にネギ、唐辛子風味のポン酢がかけられている。これはうまい。そして待つことしばし、出てきたのが「鳥唐揚」。「ぽんずさし」が手前にあったのを入れ替えてくれた。なんと若鶏の半分を揚げたものでキャベツなどの上にドデーンと寝ておわす。
 これには唖然。手をこまねいていると、
「初めてかな」
 やおらボクの割り箸をもって唐揚げを抑えて、腿をねじり引きちぎる。
「よく見ててね。次からは一人でやるんですよ」
 あっという間に手羽、腿、胸のあばら骨までバラバラに外してくれた。
「このね太い骨は食べられないけど、これ、この細いのは熱い内なら食べられるからね」
 そう言えば、唐揚げをたのんだらすぐに白い紙が置かれたのは、このためだったのだ。後はどんどんむさぼり食う。
「キャベツは後でね。ぽんずさしのタレで食べてね」
 これで唐揚げと「ぽんずさし」の位置の入れ替えの理由がわかった。やるな、このオバサンたち。

torifusakaraage.jpg
これが、分解されて
torifusakaraato.jpg
こうなるのだ!

 しかし、この塩コショウのきいた唐揚げのうまいこと。とくに軟骨の香ばしさにうっとりする。若いときなら3本は軽くいける。それほどにうまい。生冷酒を追加して総てむさぼるように食い尽くした。
 ほっと一息入れると、面白いことを発見。意外にウーロン茶(缶入り)を注文してアルコール抜きで唐揚げだけを食べている人が多いのだ。そして目の前の品書きを見るとウーロン茶がいちばん左にある。また焼酎類がないのが残念なのだけど、ここは飲み屋ではない。唐揚げが主役の店なんだなと納得する。

「初めてだったんですね」
 隣のオヤジから声がかかる。
「ここはね、席が空いてることは滅多にないの。あんたついてるね」
 そうなんですか、ボクはついているんだな。勘定を支払って店を出ると驚いた行列が出来ていたのだ。夕闇迫る駅前通、店の前にくるとやはりお兄さんが鍋で作っているのは「若鶏の唐揚げ」。かなりの高温で揚げているようで持ち上げた唐揚げが「ジュアー」と悲鳴を上げている。考えてみるともう一本ぐらい食べられたかも知れない。

torisfusag.jpg

鳥房 東京都葛飾区立石7丁目1-3

B級食品事始め

0

 昔、占いが趣味という人に「四柱推命」で運勢を見てもらったことがある。いろいろ言ってくれたがほとんど記憶に残っていない。ただひとつだけ覚えているのが人には運命を決める神さんが何人かいるのだが、私についているのは総て食の神さんなんだそうだ。どうもこれで食べる事自体にも興味があるのだけれど、加えて食にまつわることならなんでも目に飛び込んできてしまうらしい。
 さて、食に感心があるといっても「自然食」とか「スローフード」とか「伝統食」とか「食育」とかいった言葉は大嫌いなのは前にも書いて置いた(これは私の生活に置いての話、好きな人は好きでいいので変に間違った方向性でとらえないで欲しい。すなわち勝手気ままがいいということだ)。私的には食べ物は自分の本能で食えばいいのであって、変な言葉をかぶせたくはない。

 しかしそれでも敢えて書くが「食育」なんて法律になったんだな。これなど嘆かわしいことだ。だいたい親が子供に料理を作らないんだから「食育」なんて意味がない。できれば「子供の朝夕食には最低でも1時間ずつは料理しないと逮捕するぞ」という法律を作るべきなのに「食育」なんてつまらない言葉遊びをする、だからダメなんだ。面白いのは子供の教育や課外活動、また防犯のための集まりや連絡を多くの父兄が夕食を作るべきときにやっている。また学校に集まっている。こんなことやっていて料理作れるわけないだろう。大バカ野郎。

 例えば朝食にペットボトルに入った炭酸飲料とパンという家庭もあるらしい。まあこれはこれでいいのだ。だいたい「食育」なんてこんな家庭の親が気にかけるわけがない。まあこれはイカンと思っていて食の向上を目差すなら街に出て魚屋で魚を、いろいろ利用法を聞きながら買うとか、当然野菜もそうだ。黙ったままスーパーの買い物カゴにどさりでは無理だな。
 まあ、もう一度書くが、ぼうずコンニャクは「自然食」とか「スローフード」とか「伝統食」とか「食育」という言葉は大きなワンワンよりも高い所よりも何十倍も嫌いだ。

 だいたい私の作る料理自体が「食材が作ってくれ」と言っているとおりに、自分の本能とせめぎ合わせて作っている。後は懐具合もあるけれど、どうも貧乏な方が食に奥行きが出るようだ。

 さて前置きが長くなったが、食神に憑かれている、ぼうずコンニャクが気になっているものに決して青山の「紀伊國屋」には売っていない「B級食品」がある。化学調味料や砂糖、スパイスや香辛料などが、どばっと入っているので「スローフード」とか「自然食」とかに凝り固まっている向きには受け入れられないだろうな。でもここには秘密めいた花園がありそうに思えないだろうか?
 それは昭和30年代、まだ子供の頃のことだ。八百屋や小さな食料品店の棚に、ひっそりと置かれた定番的な食品があった。その多くのパッケージが個性的で、また古めかしく、当然懐かしい雰囲気を残している。これら愛らしいものたちを仮に「B級食品」と呼びたい。またプロがこっそり使っている「B級食品」もある。これも取り上げるが、基本的には私の原体験的に懐かしい、愛おしいと思うものである。この懐かしいものには「チキンライスの素」とか「渡辺のジュースの素」とかもある。コヤツら今でも売っているのだろうか?
 そして、これら懐かしくも怪しい食品が個人商店の減少とともに絶滅の危機にあるのではないかと思い始めている。それで機会を見つけてはこれらB級食品を買いあさることにする。
 お断りするが洒落のわからない人は読まないで欲しい。

●これは「お魚三昧日記」があまりにもカテゴリーが増えすぎて自分でついていけなくなって、転載したものです。コメントをいただいた方、ごめんごめん

このアーカイブについて

このページには、2006年7月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2006年7月16日です。

次のアーカイブは2006年7月18日です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。