2006年8月10日アーカイブ

 子供の頃から食べていたB級食品を思い出していて目の前にあったのが「きゅうりのキューちゃん」である。今回、改めてみたら「キューちゃん」なのに驚いた。ずーっと「Qちゃん」だと思っていたのだ。
 これを初めて食べたのは、間違いなく小学生の頃であると記憶する。なぜならどこで買っていたかを覚えているからだ。それは貞光町内を乳母車でパン、惣菜やアサリ、干物に豆腐を売り歩いていたおばさんがいた。「きたぐちさん」と言ったのだけど(漢字はわからない)、毎朝我が家の店の前に乳母車を止める。商売をしていたので店を開ける前に判で押したように売りに来る「きたぐちさん」のような存在はありがたかったに違いない。このおばさんは中学になったらなぜだか来なくなったのだ。これは田舎町とはいえ、「木村屋」というパン屋さんが出来たり、小さなものであったがスーパーマーケットが開業したり。なかなか乳母車を押しての行商が立ちゆかなくなったのだと思われる。
 このおばさんからボクがどうしても買ってもらっていたのが「きゅうりのキューちゃん」なのだ。なぜ、このキュウリの古漬けが好きになったのか、今ではわかる気がする。それは自家製のたくわん漬けや漬物が季節によっては漬けすぎであったり、また苦みを持ったりするなか、醤油味もほどよい漬物が子供心にもうまかったのだろう。また商家なので朝ご飯はパンで済ませたり、ご飯のときも塩鯖やフィッシュカツなど加工食品や簡単なおかずだけであったと記憶する。姉や兄にもお好みのものがあって「きたぐちさん」から買っていたように記憶するがどんなものであったか思い出せない。
 またなぜか「きゅうりのキューちゃん」で坂本九が浮かんでくると思ったら、1963年にはテレビコマーシャルをしていたのだ。小学生の頃から、今現在も食べ続けているものは我が家ではほかにない。これが1963年からだとしたら40年を超える愛用品である。ただし最近、主にこれを食べているのは太郎であって、これをポリポリご飯を食べているのを見るとなんだか懐かしくなる。

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東海漬物
http://www.kyuchan.co.jp/

 神田神保町、本の町の住人になって30年になる。当時からの店はほとんどなくなっているのだけれど、半ちゃんラーメン(チャーハン半人前とラーメン)の『伊峡』は相変わらずである。『伊峡』のある一角は、古本屋街とは靖国通りを挟んで反対側、しかも裏通りにある。ちなみに靖国通りの北側に古本屋がないのは南向きで日差しが入るため、本の保存や陳列に向かないためだ。このあたりは安いカレー屋があったり、そば屋があったりするものの古本屋があるわけでもないので、かなり神保町に詳しくないと来ない場所であった(最近、靖国通りの北側に面白い古本屋が増えてきて、本当に穴場的な場所となっている)。
『伊峡』はもともとは今ある角の店の前角にもっと大きな店があり2店舗併設であった。その前角の店では野菜炒めなど一品料理でご飯、こちらではラーメンを食べるというのが常識であった。これは明大付属からずーっとここが地元であるという仲間から聞いたこと。前角でラーメンを頼んだとき彼が「こっちではラーメンは頼まないの」と言われたことを今でも思い出す。
 考えるに『伊峡』を知らない神保町人はいないだろう。腹減り学生の頃には、迷うことなく半ちゃんラーメン。これがどれほどご馳走だったことか。また本を買いすぎて懐が寂しくなったら、ここに来てラーメンだけをすする。本の街の住人ならこんな経験を持つ人多しだろう。また最近知人と立ち寄ると、ともに注文したのがワンタン麺なのである。これも考えてみると学生時代にはいちども食べていない。

 この店のラーメン、ワンタン麺、チャーハンなど、別にうまいわけではない。ラーメン380円、ワンタン麺480円という値段でもわかるように学生に優しい値段で、その学生が就職しても、また定年を迎えようとしても、まだ続けて食べている。この店のいいところは取り立ててうまいわけではないが、まずいわけでもない。ただただ平凡に徹している。それが長〜く人を惹きつけているのだと思う。これは余談だがこの店で気になるのは茹でた麺の水切りが悪いことだ。これが旨味の弱いスープをより味のないものにしている。今回も「麺の水切りもっとしっかりやってよ」と思いながらワンタン麺をすする。
 さて、この店のラーメンはやや濃いめの醤油味、とりたててスープがうまいとは思えないが鶏ガラの香りがときどきフワリと浮き上がる。そこにストレートで鹹水の香りが残る麺。小さなチャーシューに醤油でよく煮染めたメンマ、海苔。とても平凡ながら、なぜかずーっとつきあえる、また惹かれ続ける味わいである。また来週来ようかな? なんて店内では思わないのに金華小学校の前なんかを通っているとき、ふと立ち寄りたくなるのだ。

 さて蛇足だが、話は「半ちゃんラーメン」に移る。この小盛り(『伊峡』のは小盛りではない)のチャーハンとラーメンという取り合わせ、けっして神保町だけのものではないことがわかってきた。沼津の多津屋、都内各所でこれが見られるのだ。神保町の『さぶちゃん』は『伊峡』からののれん分けとしても、いったい「半ちゃんラーメン」を初めて出したのはどこなんだろう?

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大人になって初めて知ったワンタン麺の味。学生のときには一度も頼んだことがない

伊峡 千代田区神田神保町1-4

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 昨年の糸魚川の町歩きは楽しかった。ヒスイばかりが名物であるかのように思えたのだが、糸魚川の街も素晴らしい観光資源だ。ヒスイなんて、素人にはなかなか見つからないなら街を歩くことをおすすめする。楽しさからいって大人なら飛騨高山よりも上だぞ。
 糸魚川駅から日本海に向かって大きな通りがある。駅から海に向かって歩いても、この通りは大きいだけであまり面白い店は見つからない。そんなときに左手に雁木の軒先が見えて、可愛らしい絵馬が飾っている。この通りがまことに楽しい。造り酒屋、古そうなそば屋、京屋という仏具を扱う店があったり、また昔は繁盛していただろう雑貨屋さんがあり、またそれと対照的な真新しいケーキ屋もある。
 そんな雁木の通りで見つけたのが「こだま食堂」である。暖簾はなく、漆塗りであるような重々しい扉、その脇に不思議な石像がある。「営業中」と書かれた木札がかかっていて、いったいなんの店なのか? わからないので店内を覗くと明らかに食堂である。
 思わず、入ったら中はいたって普通の田舎の食堂。この外観とのギャップが面白い。店内はガランと広く、その割にテーブルは少ない。右手奥に小上がり、左手に厨房がある。
 品書きを見ると中華を中心として、カツ丼など丼物もあるという、古い形の「大衆食堂」そのものなのだ。ただここでなぜか気になるのが「焼きそば」。でも考えた末にボクはカツ丼、家族はラーメンにする。
 ラーメンはすぐに出来上がってきた。これが面白い。チャーシューは今時の在り来たりのものだが、オレンジ色のなるとが入っている。この練り製品の入ったラーメンというのは古い形なのだ。ラーメンが誕生したのは明治43年浅草に出来た来々軒において。その「支那蕎麦」(支那の文字は歴史を語る上で使用しているもの)の具はチャーシュー、ネギになるとなのである。(「文化麺類学 ラーメン篇」奥山忠政 明石書房)この練り製品はときに蒲鉾になる。

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 姫が「あまり食べたくない」というので少しわけてもらう。これがまことにうまい。なによりもスープの味がさっぱりした塩しょうゆ味。それをよく縮れ麺がからめて食べていてまことに軽く感じる。あんまりうまそうに食べていたので(まずそうに食えばよかったのだ)姫の食欲が復帰。残念ながら3分の1で我慢。そしてやっと来たカツ丼は平凡なものであった。残念、「こだま食堂」ではラーメンに軍配。
 さて、思いもかけぬ糸魚川で古いタイプのラーメンを発見して、その上、うまかったのだから大満足。「また来たいな」と思いながら、そろそろ一年が経ってしまうのである。


こだま 新潟県糸魚川市本町6-9

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