2006年9月13日アーカイブ

 今回、沼津魚市場仲買の菊地利雄さんに三島市本町の魚屋「魚貞」さんを紹介されている。それで市営駐車場にクルマを入れて三島大通りを三嶋大社の四つ角から西に向かう。
 古そうな酒屋、履物店、食堂に銀行、そしてまた南北に伸びる大きな通りにぶつかって北に向かう。するとすぐにあったのが古本屋の「北山書店」。入ってみると思った以上に面白そうで懐が寂しいのもあって早々に出る。

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 そこからまた北に向かって下着専門店の角を西に折れたところに「魚貞」さんがあった。「魚貞」さんはちょうど沼津から帰り着き、荷を下ろしているところ。
「11時くらいには魚が並んでいる」というので、また南北の通りに戻り、東海道線・伊豆箱根鉄道の三島駅に向かう。この通りが適度に庶民的で面白かった。北山書店の通りを隔てたところに古い理髪店、隣が時計屋、そこに路地があって不思議な空間が出来上がっている。商店街に生まれるとわかるのだが、こんな路地が子供には貴重なのだ。

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 通りを北上すると古めかしい食堂。また食堂。「びっくりぜんざい」に中華麺類、餃子とあって店名が「宮福」。この通りの不思議でさびれた感じがとてもいいのだ。


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 そして坂道になって左三島駅という表示かあり、その手前に「桃太郎玩具店」。この黄のカンバンの素晴らしく時代遅れであることよ。そして端っこの「M」とあって「MOMOTARO」というロゴデザインの見事さはどうだろう。

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 そこから坂を上ると三島駅。これがちょっと無味乾燥な寂しいもの。うろうろしても洪作少年の影すら見つけられずに、こんどは駅前の通りを西に向かう。朝方とうって変わって太陽が燦々、間違いなく気温は遙かに30度を超えて、激しく喉が渇く。仕方なくセブンイレブンに飛び込んでポカリスエットを買ったらレジの横に「静岡おでん」という缶詰が置かれている。これが315円なので、買ってしまう。
 駅前にあるのが楽寿園という公園。このような施設にはまったく興味がないので、また三島大通りに下る。

 八王子市にはしょうゆ味スープ、表面に透明な油、ストレート麺、チャーシューにメンマ、海苔、そして独特の味わいを造り出している刻み玉ねぎがのっている言うなれば「八王子ラーメン」というのがある。これを始めたのは中野上町の「初富士」という店であるらしいのだが、もうひとつ子安の「タンタン」という店がある。ここから楢原の「みんみん本店」がのれん分け(親子なのだという)、そこで修業して日野市に店を出したのが「みんみん」なのだ。
 このラーメン店、明らかに日野市ではもっとも人気のある店である。昼など行列が出来る。そんな有名店に数年前に異変があった。それは「みんみん本店」で修業をしたご主人が、なんと娘婿に殺されてしまったのだ。
 当然、閉店するのかなと思っていたら、いつの間にかまた店が再開されていて、やはり昔通りにうまいのである。この店のラーメンの味わいの中心にあるのは濃厚な醤油のコクである。ところがここまで濃厚な醤油味なのに決してくどくなく、麺とスープをすすった後味が軽く、ややもの足りなく感じて、またすするといったことになる。この醤油のコクがご飯にも合うので、ボクはいつも半ライスをつける。
 日野にあって正真正銘の「八王子ラーメンの名店」である『みんみん』、ここで食べるたびに肥満が加速するのだけれど後悔はしないのだ。

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みんみん 東京都日野市多摩平3-3-14
●詳しいことは「さやぴぃのラーメンデータベース」へ
http://www.geocities.jp/sayapie3838/database.htm

 東名を西に走らせて、沼津にはなんども足を運んでいる。その沼津のほぼ隣町が三島市なのであるが一度も立ち寄っていない。この隣町に行ってみたいと思ったのは井上靖の「夏草冬濤」の洪作少年が沼津の中学に通うべく暮らした街であるし、また修善寺まで走る「伊豆箱根鉄道」の起点でもある。すなわち伊豆の玄関口は東伊豆が険しい山岳地帯が海になだれ込みふさがれていて、明らかに半島の西にあるのであって、陸路でのものが三島、海なら沼津なのだ。たぶん殷賑を極めたであろう三島の街をただただなんにも考えないで無駄歩きをする。
 それでもあまりにも行き当たりばったりでは時間が幾らあっても足りない。少々調べてみようとして思い浮かべたのが三嶋大社、「のーえ節」など。でもこんなものに興味はない。また魚にミシマオコゼというのがいて、これが「三島おこぜ」なのかという渋沢栄一の文章は有名だが、街自体とは関連が薄い。あとは唐津焼きの「三嶋手」といわれるものは器の表面に細かい文様が彫り込まれていて、これが「三嶋暦」に似ているための呼び名。でもこれも街とはなんら関連がないのであるなあ。
 仕方なく街歩きの前に市役所に立ち寄る。ところがここにはなんの情報もないのだ。地図と言えば明らかに観光的なもの。街を訪れる人間に用意されている地域の情報と言ったら観光的なものだけでいい、というのが日本の地方公共団体の考えた方なのはもう散々思い知らされているが、ここ三島などその最たるもの。市内の街並みにどんな特徴があるのか「色町」なのか「庶民のマーケット」であるのか、はたまた老舗の多い古くからの繁華街なのか、無駄なモニュメントや建物を立てるくらいなら街の詳しい地図を作って欲しいものだ。また市役所職員でもっと地域に詳しいヤツはおらんのだろうか?
 と、ここまで書いてきて思ったことは「町歩き」「街歩き」が趣味だという人は少ないのだろうな、ということ。「三島に来たら三嶋大社」で、街にはなんの興味もないという大バカ野郎たち。また「街に残る古い店や、昭和の名残など、まったく無駄だ」と考えて排除したいヤカラも多すぎるのだろう。だから長崎新幹線(これを作りたいと思う奴らは人にも自然にも優しくないバカ野郎だ)などの街殺しの大型公共事業を愚かにも考えてしまうのだろう。
 いかん閑話休題。
 ともかく何も考えないで三島の街を「青い稲妻号」で無駄走りするのだ。

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三島市役所は簡素で無駄使いをしていないもの。これはともかくも市として合格

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