江東区白河「ことぶき本店」で考えた

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 下町で見かけるものに「洋食・中華」の暖簾、カンバンをかかげた食堂があるのは前回書いた。すなわち食堂という形式が生まれたのは、どうも大正期であったようだ。そして昭和から高度成長期までに絶頂期を迎え、今や衰退期に入っている。この「食堂」が誕生するには明治期の食の混乱、食文化の撹拌・混血がどうしても必要であった。
 江戸末期の開国、明治維新によってフランス料理やイギリスなどのパン、また牛乳(彼の伊藤左千夫など東京駅周辺で酪農を営んでいたのだ)など、欧米の食文化が一度期に流れ込んできた。これが徐々に都市部に浸透してきて、また日本人の好みに応じて変化をする。ここにウスターソースが国産化されるまでに普及。カレーや豚カツなどが生まれた。また中華料理は1894年の日清戦争以後「支那料理」と呼ばれ、徐々に我が国に普及し、これが日本製中華料理である「ラーメン」や炒め物などを生む。これら外来のメニューと混血型メニューに、ついでに和食であるそばうどんまで取り込んだのが「食堂」というものである。
 現存する「食堂」は成り立ちから2系統に分かれると思っている。明治の洋食、支那料理から派生してデパートの大食堂、そして神田須田町に誕生した多様のメニューを売り物にした「須田町食堂」などから生まれたタイプ1(混血型)、江戸時代の「煮売り屋」から、ほそぼそと続き戦後焼け跡の闇市、または高度成長期に自然に生まれてきたタイプ2(和食型)である。タイプ2に関しては別項を立てなければならないが、このタイプ1の正統に近いのが「中華・洋食」の食堂なのだ。タイプ1の最大の特徴が食文化の多国籍混血化である。これを説明するに清澄白河の「ことぶき本店」のメニューを見て考えてみる。

 食堂形式のメニューで最初に必須的にあるものが単品満足型メニューである。洋食系ではカレー(インド・イギリス起源のカレーにご飯)、オムライス(オムレツにご飯)、チキンライス(鶏肉、ケチャップにご飯)があり中華系にもラーメン(鶏ガラに和のしょうゆと煮干しなどを加える)、炒飯(本来は「やき飯」だった)の同レベルのメニューが存在する。その単品系に丼ものが悠然と存在していてカツ丼は洋食系、中華丼は中華系、親子丼・玉子丼は単純に和系に見えて明治の食の混乱期に生まれた突然変異型和系にあたる。最後の突然変異型和系の嚆矢は「牛鍋」もしくは「すき焼き」なのであるが、これも別項を立てる。
 実に食堂のメニューにあってこの単品満足型メニューがいかに重要かつ食堂の最大の検索項目であるかはわかって頂けるだろうか? これらを生み育ててきたのは明らかにタイプ1型食堂である。
 これら単品満足型メニューからすると他の単品組み合わせ型メニューは明らかに進化していない。もしくは原始的な形態であるのがわかる。例えば豚カツは本来の「コートレット」もしくは「フライ」そのままであるし、洋食メニューの多くはこの「フライ」の系統である。ポークソテー、オムレツなどは変異すらしていないのではないか? 中華の炒め物、シュウマイも同様である。すなわち単品組み合わせ型メニューはだけではタイプ1型食堂の本質は語れないということになる。
 すなわちタイプ1型の食堂は明治から昭和にかけて固有な、また歴史的な役割の担ってきたのだ。
 さて、なぜにここまで食堂の系譜、成り立ち、固有の食文化であるかを述べてきたかというと、今やこれが絶滅の危機に面しているからだ。どうも多くの人たちが食堂の固有性を認識していないのではないか、例えば食堂のカレーは専門店のカレーとは違う「カレーライス」であるし、チキンライスにラーメンという取り合わせの妙も知らないヤカラが多いようである。鳥類のトキ、魚類のミヤコタナゴの希少性、また保護の緊急性を問われているが、この食堂の絶滅回避も我が国の重要な案件ではないか? ぼうずコンニャクは真剣に考えているのだ。

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半蔵門線清澄白河駅近く「ことぶき本店」


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このページは、管理人が2006年9月17日 21:16に書いたブログ記事です。

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