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塩だけで味つけした卵焼き。卵焼きの基本はけっして混ぜすぎないこと、白身の層がくっきり出るくらいがうまい
最近、卵焼きのことを「調べてはいない」けど、いろいろ思いを巡らし、「卵焼き(玉子焼き)」とは「なんぞや」なんて考えているのだ。
なぜなら、すしの世界に卵焼きは欠かせないもので、半世紀以上生きているが「卵焼きのないすし屋」には出合っていない。
すしを調べていく限り、卵焼きは避けては通れない品目なのだ。
卵焼きのことを考えると思いは遙か子供の頃にまで遡る。
ボクの生まれ故郷は徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)というところ。
徳島市から徳島本線で一時間以上、急行に乗っても50分もかかる。
吉野川べりの小さな古い町だ。
高校時代、二駅汽車(ディーゼルカー)に乗り、典型的落ちこぼれ高校に通っていた。
給食はなかったので弁当を持っていくのだけど、おかずは毎日同じ。
母はボクが小学校に上がる前に死んでしまっているので、作り手は祖母。
微かに変化があったのかも知れない。
でも基本は動かず赤いウインナーソーセージと卵焼きだった。
長方形の当時流行ったブック型弁当箱、おかずは弁当箱内に収納するこれまた「長方形のフタをぱちんと留める小箱」であって、弁当容器の3分の1ほどがおかず、3分の2がご飯だった。
弁当箱の側面にかっこよくスライド式に収納するスマートな箸箱がついている。
ふたは教室でお茶(酸味のある阿波番茶)を飲むときに使う。
ハンカチで包んだ弁当箱の生温かい感触が懐かしい。
弁当箱を黒い鞄に入れ、一番前のいつもの車両に乗り込む。
朝の通学時間、池田発の車両内は満席、半数以上が立つという状況だった。
今でもそうなのだろうか? 帰郷したら希にワンマン・二両編成となった徳島本線にのるがいつもガラガラである。
話題はいつもギターのことだし、吉田拓郎とか加川良のことで、ボク一人だけサイモンとガーファンクル、PPMに入れあげていて、五つの赤い風船、フォークル以外の日本の音楽はつまらんなんて思っていたのだ。
黒い鞄に雑誌『ガッツ』、『新譜ジャーナル』なんて忍ばせてた世代だ。
当時、女子の話題の中心と言ったら西城秀樹に郷ひろみ、ギターを持っていない男子は中三トリオ(山口百恵、森昌子、もうひとりは誰だっけ)。
我ら1956・1957年生まれが卵焼きが贅沢には思えなかったのは、子供の頃から普通に食べていたからだろう。
主に好みから卵はご飯にかけるものだったけど、卵焼きに驚喜した記憶はない。
卵は古代から贅沢、高級なものだった。
石坂洋次郎の小説『青い山脈』の最初に主人公二人が出合う場面がある。
そのとき雑貨店の店番六助に米を売りに来た新子が昼ご飯を作るってやるのだけど、その料理というのが目玉焼きだったはず。(映画と小説を混同しているかも)
卵焼きは、事ほど左様に戦争が終わって、どんどん生活がよくなる、という明るいイメージを醸し出す象徴的な食べ物だったのだ。
それが高度成長期とともに卵の値段は急速に下落する。
急速に物価が上昇した時期に、卵だけが値を下げていった(インフレの最中にあっては価格が上がらないということも、下落と同義だ)というのが面白い。(参考/『値段の明治大正昭和風俗史』朝日文庫)
我々、1950年代中後半生まれは、「卵が高級」であるという思いからは脱した世代だともいえそうだ(地域差はあるだろうけど)。
そして今回の主役の卵焼きになるのだけど、ボクが幼い頃から慣れ親しんでいたのは塩だけで味つけしたもの。
ちょっと塩辛いくらいの卵焼きで、白いご飯に相性がよかったのだ。
それこそ物心ついたときから卵焼きは塩味だけで育ってきたわけで、特に高校三年間は朝昼晩の三連続塩味卵焼きということもあった。
祖母の育ちは隣町美馬町(現美馬市)の素封家で、代々教師の家だったらしい。
嫁ぎ先が古い商家であり、この塩味の卵焼きはどちらの料理法なのか判然としない。
父の実家も隣町美馬町、大規模な農家で、ここには大きな食堂があった。
ここで食べたのが、卵にほんの少しの砂糖、醤油をチョンと垂らすという代物。
子供心にも甘い卵焼きだな、と思ったくらいだから砂糖はたっぷり入っていたのかもしれない。
そう言えば、幼なじみの女の子の家では卵焼きに砂糖が入っていた。
砂糖が入っている方が高級なのか? という疑問、もしくは確信が沸き上がったことがあった。
そして記憶をたどっていく。
ボクの生まれた家の前に金物屋さんがあって、ここにも同級生の女の子がいた。
我が街は剣山に向かう街道の起点にあたり、江戸時代くらいからの古い街並みが(今でも)続いている。
例えば、ここに木枯らし紋次郎が歩いていても、それでいいような街道に沿った江戸の街並み。
その一軒一軒の間口も広いのだけど、奥行きはその何倍もある。
だから母屋(店舗)があって、奥に食堂(釜屋)があってという造りが多かった。
前の金物屋の奥にはモダンな感じがする食堂があり、そこでこっそり見たのが黄色くない卵焼きだった気がするのだ。
これがまことにうまそうな匂い。
醤油を熱したときに出る、そんな匂いだった。
もっと卵焼きをじっくり見たいなと思ったのだけど、同級生の母親から、「お昼ご飯を食べてから遊びに来てね」と言われてそそくさと家に逃げ帰ってきたのだ。
卵焼きにもいろんな作り方があるのだ、というのは当時ボクの大好きだった「きょうの料理」(NHK)でわかってはいた。
我ながら不思議な子供であった。
間違いなく学校に上がる前から料理番組が大好きだった。
「きょうの料理」を見ては料理を作り、また作りというのが楽しかったのだ。
ある日、(魚肉?)ソーセージを巻いた卵焼きというのをやっていた。
野菜を巻き込むというのもあったし、炒り卵の存在もそこで知ったのだ。
子供の頃からとにかく料理を作ることが好きだったので、当然、卵焼きに変化を求めても良かったはずだけど、上京するまで、なぜかガンコにも、なぜか塩以外の卵焼きの道には踏む出せなかったのはどうしてだろう。
ことほど左様に卵焼きというのは保守的で各家各様のものだ、ともいえる。
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑(いちばぎょかいるいずかん)へ
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