中華・および中華料理なのだ: 2006年8月アーカイブ

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 夕食を食べたいと思ってうまそうな店を探している。ここは亀戸駅前からほど近く。無駄歩きで亀戸天神まで行ってみるか? と駅を出ると驟雨沛然。これでは傘を差してもすぐにずぶ濡れである。今日は駅前だけ散策するかと、遅い昼ご飯を食べるべく駅から続く路地に入り込んだのだ。そんな矢先、白地に赤い字で「ぎょうざ」の文字を発見したのだ。あまりの空腹感にいきなり店に入ろうとしたら引き戸のところに数人がとりついているではないか。そのボクを中にいた白衣のオバサンが目ざとく見つけて「ひとりね。それじゃなんとかなるわ」と入り口近くの席を指さした。年の頃60あまり、この年頃のオカンには弱いので、ずるずると言われるままに席に着く。そしていきなり大量の辛子が塗りたくった小皿が飛んできて、「飲み物は?」と聞かれた。考えてみるとこの間10秒と経過していない。
 とても品書きなど見る余裕はない。でも間髪入れずに聞かれたので「とりあえずビール」をお願いすると、なんと久しぶりに見る大瓶である。やっと落ち着いて周りを見る。すると驚いたことにはご飯もライスもなく、カウンターの上は餃子、そしてときどきビールくらい。皆が一様に餃子を食っているというのは意外に不思議な光景なんだと思った。
 店内に入って楕円形のカウンター、それがほとんど満席で、外を見ると席が空くのを待って行列が出来ている。それが皆、数人のグループであり、そんなときに一人客のボクがするすると店内に横滑りしてしまったようだ。
 待つほどのこともなく餃子が5つ乗せられた皿がくる。その餃子がどれもあらぬ方向に投げ出された馬券のように見える(競馬はやらないが)。その餃子の底に部分がしっかり焦げている。思わず何もつけないで食いつくと、その焦げているところがさくっととても香ばし〜い。そしてしっかりした焦げ板の上にはたぶん野菜と豚の脂が作り出す甘味を持った具、そして上部の蒸し上げられた皮が軟らかい。餃子はいくらでも食えるがビールの大瓶を持てあます。ボクは不思議なことに日本酒ならかなり飲める口だが、ビールはコップ3杯でもう辛いのである。これがために最初の5つで、かなり満腹になってしまっている。それでも餃子はうまい。

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 ちなみにここの餃子はニンニクを使ったいたって在り来たりなものだが、いたってできのいいものだと思える。それを出色のものに代えているのは入り口正面にいる餃子焼きマシンのお兄さんであるようだ。このお兄さんが餃子鍋3つと凄まじい格闘をしている。そして焼き上がった餃子にハイエナのように店のお姉さんがた3人が群がり取り合う。これは明らかに弱肉強食の争いであり、ボクの前の、ボクのために餃子を取るかかりのお姉さんが、この3人の中ではいちばん遅い。それでなかなかもう一枚が来ないのだ。

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 もう一皿がやっと来て、焼き上がった餃子のお運びが終わった隙を見て、店のシステムを聞いてみる。すると
「店にはいるとね餃子は2皿以上から、後は飲み物ね。餃子は1皿250円だから2皿で500円(当たり前だ)」
 ご飯のことを聞こうとしたら、また忙しい波がきてしまった。店の隅から隅まで見て、食べ物は餃子しかないこと、と言うわけで席に着くと、とにもかくにも餃子が2皿間をあけてくる。追加は自由。後は飲み物でビール、五加皮、紹興酒など。驚いたことにこの店ではただただ餃子を食うというわけだ。
 この店にはまた、ときどき立ち寄りたいものである。暇を見つけては江戸時代から昭和までを感じることが出来る場所を散策しているので亀戸天神巡りをしたら、ここで餃子を4皿くらいに紹興酒というのがいいかも。

亀戸餃子 東京都江東区亀戸5-3-3

 この店には学生の時にはあまり縁がなく初めてはいったのは大学卒業を前にした頃である。それでも25年以上前になる。お茶の水・神保町で昼ご飯を食べるというと店は決まっていて、その基準はただただ値段であった。
 お茶の水駅から駿河台を下ってきて明大を通り過ぎて斜め右手の通りにはいる。そして住友銀行をすぎて靖国通りを渡ると神保町の古本屋街となる。この横断歩道を渡ったところに画材屋がありとても目を引く人物像が飾ってあった。そのバストアップの絵が今では思い出せない。そこからすずらん通りに抜けるのだが、三省堂は当時は確か3階建ての古めかしい建物で中にはいると迷路のようであった。

 そのすずらん通りに「ス井ート ポーヅ」が開店したのはいつの頃なのだろう。神保町界隈で生まれた友に聞くと「戦前、中国から引き上げてきて、たぶん戦後すぐからここにあったんじゃないかな」と言う。昭和30年代くらいまでは白山通りを隔てた、さくら通りには東洋キネマがあり(この建物はバブル期までは確かに残っていたのだ)、今で言うところの新宿のような賑わいが神保町界隈にあったようだ。そこに満州から引き上げてきて餃子(ポーヅ)の店を開店した。これも調べてみると面白そうだ。

 1970年代後半、すずらん通りに出ると、そこはまさに古色をおびた古本屋、楽器店、画材屋、紙屋などが並んでいた。そこを白山通りに向かい左手にひっそりとあるのが「ス井ート ポーヅ」なのだ。記憶からしても店はまったく当時と変わらない。でも昔はサッシではなく、木のガラス扉だったろうか。
 ここでは苦い経験がある。友人に「ここは神保町でも有名な店だから卒業前に入ろうよ」と誘われた。そして優柔不断に注文して出てきたのが今で言う「餃子定食」。それはなかなかうまいものではあったが、値段が貧乏極まりない卒業前の身には応えたのだ。
 それが仕事で神保町に通うようになると、年に4,5回は食べに行くようになる。ここには餃子小皿8個483円(税込みだから細かい)、中皿12個724円、大皿16個966円というのがあり大方の客はこれを定食にするかビールを飲む。ほかに水餃子10個840円、店の由来になった天津包子5個787円もある。残念ながらここで注文するのはいつも中皿定食ばかり。これで1007円だから今でも決して安くない。
 さて、この店の餃子の形は変わっている。見たところ春巻きの巻きの不完全なもの、その底が平たく焦げ目がついている。といった風情。でもこの皮の味わいは明らかに小麦粉の甘味を感じるもので、うまいのか、うまくないのか、いつも答えが出ない。そして具は白菜なのだろうか豚の挽肉に混ぜ込んであり、ほんの少しだけニラが入っている。これを醤油と酢、そして練り辛子をつけて食べる。ボクとしてはなんだかもの足りない味わいなのだが、店はいつも満席に近く、我が神保町仲間にも通う人多しなのだ。
 ここに赤みそ仕立てのワカメにみそ汁、ご飯、キャベツの細かく切った漬け物がつく。このみそ汁も漬物もぜんぜんうまいものではなく、次回からは定食ではなく餃子ライスでいいのではと思いながら、また忘れて定食を注文しそうだ。

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ス井ート ポーヅ 千代田区神田神保町1の13

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