2006年7月 1日アーカイブ

『まんてん』をどう表現したらいいのだろう。神保町の交差点から春日通を水道橋に歩き幾本か目の路地を右に曲がるとあるのだ。この路地の先には最たる目的となるところもなく、まったく取り残されてしまったような場所である。昔はここに恐いお婆のいるお好み焼き屋や小さな洋食屋もあった。それで、当時はいっぱしの食いもの屋街とも思えたのだ。それが現在はと言うと間口両手を広げたほどに足りぬ古本屋が一軒あるものの、なんだかそれなりに飲食店街を思わせた雰囲気はなくなってしまっている。そこまで寂れてもこの路地で活気を保っているのが『まんてん』なのである。
 この店、左右振り分けで2店舗あるかのごとくであるがまったく同じ店。右はカツやコロッケの定食。左はカレー屋なのである。そして問題なのは左のカレー屋である。ここのカレーがうまいのかうまくないのか、それは非常に難解な問題である。初めてここに入ったのはいつのことだろう。たぶんもう30年近く前のことだろう。値段の安さから普通盛りのカツカレーを注文して、そのあまりのまずさに二度と来るかと思って、その数日後にもう一度、それでいつの間にか常連となっていたのである。

 この店の特筆すべきはジャンボカレー(500円)である。これは学生時代はともかく、今となってはとても太刀打ちできない超大盛りカレーである。また上にのせるものは、カツ(乗せた普通盛りのカレーは550円)やコロッケ(同550円)、またこの店ならではの赤いウインナー(同550円)がある。ジャンボにも総てにこれを追加していくことも出来る。またジャンボにこの総ての「のっけもの」を、乗せてまるでエベレストのように盛り上げるのもアリなのだ。
 言って置くがこの店、普通のカレーでも盛りがいいのである。春先に神保町『まんてん』を知らない新入生が、ジャンボを前に「がんばれよ!」なんて言われているのを見かけるが、今のところ完食の瞬間は見ていない。また、短い余生を大切に思うなら、ある年齢を超えたら決してジャンボには手を出してはいけないのだ。またこの店の客はほとんどが若い学生やサラリーマンであるが、ときどきオジサンを見かける。その顔に遠い昔の青春の陰が見える。きっと若き日に神保町で学生時代を送ったのだろうね。

 さて、神保町で長年、人気を誇っている『まんてん』の秘密はなんなのだろう。どろどろのカレーの表面には白いぶつぶつが浮いている。これは小麦粉のだまなのだろうか? これを口に入れるとすぐには気づかないが鋭角的な辛さを感じる。この辛さが意外なことに心地よいものなのだ。カレーを考えるときに、この辛さをどう作り出すかが決め手となるのだと思うのだが、『まんてん』のカレーの辛さは絶妙な角度(舌にさす強さ)かも知れない。またここのルーはソースをかけると味わいが増すのだ。
 まあ、これを神保町名物というのもなんだが、ここを落とすとこの街は語れないのだ。

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長すぎる神保町暮らしだけど、ときどき『まんてん』の路地が見つからないときがある。どうしてだろうね? ミステリーだ。

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ウインナーカレー550円は、揚げた赤いウインナーが見秩序に3本。これにミニカップのコーヒー、そしてスプーンは水の入ってコップに入っている

 入間市には『鈴木醤油』と『繁田醤油』の2つの醤油蔵がまだ営業を続けている。この『キッコーブ 繁田醤油』は前々から気になっていたもので、暇を見つけて醤油を買いに入間まで出かけた。
 入間駅の無味乾燥な殺伐とした空間から坂を下り、まるで高速道路か勘違いするほどの猛スピードでクルマが疾走する16号線を越えると、国道407号に入る。この一角にあるのが『繁田醤油』の蔵なのだ。
 16号を渡って歩くことほんの数分、入り口に大きなお釜があって、これがいい目印になる。そこから見事な長屋門をくぐる。そこは左手に倉庫と醸造倉があるが、倉は荒廃していていたみが激しい。右手に民家がある。民家の先に戦後に立てたらしい事務所かなと思われる建物があるが、まったく人の気配が感じられない。そのまま奥にすすむと空き地になっていて、砂利の山があるだけ。しかたなく、ケータイで事務所を教えてももらうと、建物の角、国道沿いに事務所があった。中には女性が3人、パソコンと向き合っている。ここで醤油を買い求める。
 奥の倉庫に誘われて、見せてもらったのがとても魅力的なラベルの一升瓶。でもこれは自転車をこいでここまで来たので重すぎる。結局、本醸造1リットルペット(250円)と、事務所の冷蔵庫に金山寺味噌(350円)を買ってきた。
 この事務所の建物が古く、明治時代のものらしい。また創業は江戸初期にまで遡るとのこと。マークは「亀甲に武」であるがこの「武」は「武蔵」という意味合いだろうか?

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この本醸造醤油であるが味わいは平凡であるが、値段からすると日常使いのもの。まあ煮炊きに使うに入間市民も地の醤油を使ってみたらどうであろう。大手メーカーのものに決して引けを取らないものである。また、このラベルなかなか趣のあるものだ。これなど変えないで欲しいものだ

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金山寺味噌は埼玉では「なめもの」とか「おなめ」と呼ぶようである。この「なめもの」なかなか味が良く、ご飯の友、酒の肴としてすぐになくなってしまった。

繁田醤油 埼玉県入間市宮前町1-10 電話04-2962-2128

 八王子南口から歩いて4〜5分のところ、人影まばらな広い道路沿いにひっそりある。白い暖簾に細すぎる書体、開きすぎた文字間隔で「大國」というのも気が抜けていて、逆に微笑ましい。ボクはこのような気の抜けた感じが大好きである。その暖簾の下に昼の定食が書かれたボードがあり、定食は千円以下でこれにも惹かれる、惹かれる。
 実はこの日、腸にポリープが見つかって「取りましょう」と言われたばかり、非常に落ち込んでしまって、ダメよ、ダメよと言われている揚げ物をどうしても「死んでもいいから食べたい」と思ったのだ。しかも固形物を食べるのは18時間振り。さすれば飢餓状態だろう、と思われるかも知れないが、病院での3時間の内にすっかり食欲はなくなっているのだ。なぜ、病院というのはこのように、とても身体に悪いのか? 誰か教えてくれ!

 そして白い暖簾をくぐると明らかな関西訛りで「いらっしゃいませ」ときた。左にテーブル、右にカウンター、小さな店であるが清潔で気持ちがいい。そしてオープンキッチンに、どう見ても関西方面のおばちゃんがいる。新聞をテーブルで見ていたおじいさんがゆるゆると熱〜いお茶を持ってきてくれる。「何がいいですか」、注文を聞かれて「関西の方なんですか?」と思わず聞き返した。「和歌山なんです。南部町ね。梅干しの南高梅の」。この関西訛り(和歌山も含めて)を聞くとすっかり病院でかちかちに緊張していたのもほぐれてくる。やっぱり関西弁はいい。
「お勧めはありますか」と聞くと
「とんかつ屋ですからね、そうや昼の定食メニュー、出してないね」
 そこにまたおじいさんがゆるゆると昼定食のメニューを持ってきて、「とんかつを食べたい」と入ってきたのに、なぜかメンチカツが食べたくなった。
「メンチカツにします。そうだ大盛りにしてください」
 注文を受けてからメンチカツの中身の形を作り、パン粉をまぶして揚げる。具だくさんのみそ汁、お新香、そして大盛り過ぎるご飯(これなら並でよかったかな)、そしてメンチカツ。
 メンチカツは軟らかくジューシーであるのはさすが、味わい的にはやや平凡だけど、好ましいもの。みそ汁もうまいし、ご飯もうまい。お新香も適度な量でうれしい限り。半分ほど定食を平らげたときに、さすが南部町出身のご夫婦の店だなと思えるおいしい梅干しを小皿に出してくれる。次回は「ロース山椒定食」というのが気にかかるな!

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とんかつ大國 東京都八王子市子安町4丁目26-6-102

 早朝6時半、飛騨高山陣屋前の朝市は店が並び始めているところ。そんな朝市に大きな土瓶を運ぶ女性がいる。その女性が出てきたのが、どうも食堂らしい建物。赤かぶや野菜などを買ってから、道を渡るとまだその店はやっていないという。仕方なく宮川の朝市を見て、また陣屋前までもどってきた。
 その陣屋前の『細江屋』で朝食をとる。朝市の店にお茶を配達しているところから比較的観光地的な店ではないとみて入ったのが正解であった。
 高山ならではの落ち着いた店内。決してとってつけたような民芸調ではない。品書きも、麺類が500〜700円、定食も「ほうばみそ定食」は確か1500円であるがそれ以外は手頃である。
 店に入ってテーブル席を避けて、小あがりに落ち着く。
 品書きを見て、朝定食800円と煮いか、家人は「飛騨牛の肉うどん」700円、太郎は「てんぷらうどん」700円、姫様が「ざるそば」。
 煮いかは店の方に「どんなものですか?」と聞いて「イカを茹でたものです」と言うので好奇心から注文したのである。これが後日調べて長野県、岐阜県などで塩鰤、塩いかとともに重要な伝統食であるのが判明する。正月、なかなか庶民の手に届かない塩鰤に「せめて煮いかでも」といった存在であるという。
 朝定食はいたって簡素であるが甘めの煮つけなど味がいい。肉うどんも、そしてつゆの味わいも上々で、なかなか満足至極な朝食となった。

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「煮いか」は岐阜長野などで普通に見られるもの。本来は年取り魚として食べられたもの

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