管理人: 2007年2月アーカイブ

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 山梨県富士吉田の廃業目前といった古い瀬戸物屋で見つけた飯茶碗。この絵柄がなんとも面白い。またこれが何という文様なのであるのか、あれこれ考えるだけでも楽しいものである。
 茶碗の表、中央にウネ状に盛り上がった綱のような輪、そこに結んだ紐を差し挟んでいる。何かの儀式のときに作る飾りなのか? もしくは神棚に供えるめでたい結びもの? それとも「綱と紐」というので何らかの洒落かも知れない。
 器としては非常に薄手。このような軽くて薄い磁器の茶碗というのは、たぶん昭和30年代以前のものではないだろう? 絵付からすると瀬戸のもの?
 ボクはこの骨董とはいかない現代物の、昭和、大正の安い生活雑器が大好きである。また廃業直前の瀬戸物屋を見つけると入らずに通り過ぎることなど、とてもできないのだ。

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 富士吉田は懐かしい街だ。その中心を貫く商店街は、それこそ昭和30年代そのものだし、月江寺の裏通りには、全盛期の日活映画に出てくるような盛り場がある。
 その日は風が強くて、空には一片の雲も見えない。季節は2月初旬だというのに、日だまりで温もりを感じるほどである。標高の高い富士山麓でこれほど気温が高いなんて、なんだかおかしい。

 ちょうど正午過ぎに富士吉田に到着した。街の中心を貫いているのが富士みち。これが寂れてはいるものの長い長い富士山からの下り坂に出来た商店街。その下吉田の有料駐車場にクルマをとめる。お昼ご飯は富士吉田名物の、うどん。そこからとにかく街を迷路のように歩く。

 ちょうど昨年イルカの話を聞いた『魚進本町店』の前に古めかしい、瀬戸物屋を見つけた。ガラス戸の奥に瀬戸物が並んでいるものの、一見仕舞た屋にしか見えない。店がまだ営まれているのか、不安を感じたが、枯れた桟のガラス戸を引き、声をかけると、奥から老人の声がする。
 この瀬戸物屋がなんとも時間を忘れるほどに面白い。置いてある品物はたぶん新しくても20年近く前のもの。ボクの生まれ育った家も瀬戸物屋(徳島では唐津屋)なので、皿や小鉢の絵柄がなんとも懐かしい。

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 そして家人が手に取った子供用の絵皿、そこに描かれる漫画のキャラクターも古いのだという。

 そこから瀬戸物の袋を下げて、坂道を下り、月江寺の商店街に折れ込む。
 富士吉田の街は中央を貫く富士みち、富士山に向かって左手は住宅地、そして銀行などがある。そして右側は混沌とした飲食店街と商店街が無数にある。
 この一角はまだレストラン、喫茶店、豆腐屋さん、惣菜店などが営業している。そこから富士急行月江寺駅に向かう。
 商店街を抜けると滝のある池にでる。その坂道を上ると大きなお寺となる。その墓地の先の富士が雄大である。たぶん北からであろう強風で山頂の雪が吹き上がっている。

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 どうもこの大きなお寺が経営しているとおぼしき高校を右手に見て、細い道を抜けると、また商店街となる。富士吉田は商店街と商店街が続く町なのだ。そこからすぐのところに月江寺駅の駅があった。これが拍子抜けするほどに小さな駅。あたりは閑散として人影を見ない。また駅から続く商店街の多くは閉ざされている。富士吉田の町は周辺部に出来ている大型店舗や、繊維織物の衰退で急激に寂れているように思える。

 駅からはとりとめもなく歩く、食堂や食料品店がやたらに多い。その居酒屋の多くに「英勲」のカンバン。伏見の酒と、この山梨の町との関わりは謎である。でも通りかかった酒屋にもずらりと「英勲」の一升瓶が並んでいる。
『べんけい』という店で大きな茶饅頭を、太郎のために買ってやる。太郎は茶饅頭なら10個は一度期に食べてしまう。
 そこから坂を下り気味に「富士みち」に近寄りながら、細い路地に入っていく。

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 この曲がりくねった、路地と路地の、迷路のような空間が富士吉田の昔の、繁栄していたよすがを見せてくれる。右手にロマネスク調とでも言うのだろうか釣り鐘型の窓と、入り口の不思議な建物が日差しを受けている。そこから路地へ、もっと奥へ入っていく。

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 そこにあったのは三階建てのバランスを少し崩した、和船を思わせるような料亭らしき木造建築。最上階には円形の窓、松皮菱を透かし彫りにした手摺り、二階の戸袋が白く塗られて屋号が書いてあるが読めない。屋号の横には食堂の文字。こんな店で食事が出来たら楽しいだろう。

 路地は続き、その先にはスナックやバーの文字が見える。モザイクのタイル、適度に作られたアール、そして店と店の間にある死角。この古めかしい盛り場は今も生きて営業しているんだろうか? その扉の奥から小林旭やエースのジョー、白木マリが出てきそうに思える。

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 さて、富士吉田の2時間ほどの無駄歩きは家人のケータイがなって終了となる。昭和の街からふと我に返り、坂道をクルマで下ると、現(うつつ)まではほんの1時間しかかからないのだ。

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 初めて入ったのはボクがまだお茶の水の学校に入学したばかりの頃。だから30年以上も前のことになるのだ。でもそれ以来、『さぶちゃん』にはとんと縁がなかった。たぶん暖簾をくぐった回数は数えるほどである。だいたい昼飯時には行列を覚悟しなければならない。どうしても『さぶちゃん』で食べたいという知り合いと一度並んだことがあるが、もう二度といやだと思ったものだ。古参の神保町族のボクとしては、この『さぶちゃん』で半ちゃんラーメンを食べるなら夕方がお勧めだ。

 赤い暖簾をくぐると、まことに店内は狭いのだ。狭いL字型のカウンターで仕切られた真四角な厨房。椅子に座ると神保町強面三兄弟のひとりとここで顔つき合わすことになる。神保町族なら誰でも知っていることだが隣の『近江屋』、『グラン』とは三兄弟で営むそれこそ兄弟店なのである。そう言えば最近『グラン』が開いていない。店内に改装がはいったようでもあるし、なにやら貼り紙もあった。そのやや薄暗く狭苦しい空間は、建物がきれいに建てかわってからもぜんぜん変化していない。その昔々からの薄暗くて古ぼけた雰囲気のままなのである。

 半ちゃんラーメンをお願いすると、使用している麺が細いのであっという間にラーメンがくる。へたにチャーハンを待っていると、早く食べなよと睨まれる。そこに作り置きしたチャーハンがぽんと来るのだ。

 さて、大振りで厚みのあるチャーシュー、煮染めたシナチク、細くて黄色い麺に醤油味のスープ。このラーメンは、間違いなく、「いい味わい」であると思う。スープに甘味があるのは、タレに多少、チャーシューを作るときの煮汁が入っているんだろう。このあたりまったくラーメン通ではないのでわからない。でもこのスープ、日常的に胃がただれているオヤジにはなんとも優しいものだ。食い過ぎると胃がもたれてしまうのも忘れて、どんどん大急ぎですすり込んでしまう。
 そこに続いてくるのが半ちゃん、すなわちほとんど一人前のチャーハンである。実を言うと過去に一度も半ちゃんを頼んだことはない。なぜなら外食で滅多にうまいチャーハンというのに出くわさないからだ。だから『さぶちゃん』でも単品でラーメンというのを通してきた。そして初めての『さぶちゃん』でのチャーハンはやっぱり「やめとけばよかった」というもの。しっとりとべったりと、口に含むと重い。

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 さて、今回でやっと10回くらいの『さぶちゃん』。やっぱり神保町名物なんだから一度くらいは“半ちゃんラーメン”という意味合いでわざわざ夕方に店を訪れた。そこで改めて思ったのは“半ちゃんラーメン”と言えば『伊峡』という選択もあるということ。我が神保町仲間によると“半ちゃんラーメン”では『伊峡』の方が先であるという。また『さぶちゃん』は『伊峡』で修業したのだという未確認情報もある。とにかく神保町で“半ちゃんラーメン”と言えば両店しか思い浮かばない。そして“半ちゃんラーメン”を注文するなら『伊峡』の方が半ちゃんがさっぱりしていていい。でもラーメンなら断然、『さぶちゃん』なのである。ここのラーメンは毎日食べても飽きないものだろう。やっぱり行列してまでは食べたいとは思わないが!?

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 初めて築地に来てから30年以上になるんだな。この前、築地を歩いていて、感慨深くなる。まあ最初は暮れの買い出しだったり、また物見遊山であったり。ようするにとりとめもなく築地に行くだけだったのだ。ここ20年ほど、魚貝類そのものを見るというのと、値段の感覚を身につけるための築地行きとなって、なんだか慌ただしく、築地ではよそ者でありながら、まるで仕事をしにいくかのような雰囲気なのである。
 そうすると場内でミックスフライや煮魚定食を食べていたのが、面倒くさくなってとにかく腹が減ったら立ち食いそばかカレーというのが多くなってきた。だいたい昔から築地で食べる朝ご飯が特別うまいものだとは一度も思ったことがないので、これは自然な成り行きというもの。

 近年のテレビにおける番組を見ていると、「築地グルメ」とか「築地に究極の味を求めに行く」なんてのがあるが、寿司屋にしても、定食屋、天ぷら屋にしてもそんなに出色の店なんてあるわけがない。もしもうまい店があるとしても、平凡な、日常的な在り来たりなものだと思った方がいい。「普通であって、しかもいい店が多い」のが築地の特徴なのだ。
 そんな築地での朝食で『中榮』は、注文して目の前にカレーが出てくるのがいたって早い、とても便利極まりない早朝飯どころだ。だいたいこの店は昔から全然変わっていないのもボクにはうれしい。最初に入ったのがいつ頃なのか思い出せないのだが、店名を知ったのは最近である。すなわち長いこと「築地場内入って右手奥のカレー屋」だとしか思っていなかった。
 ここでいつも食べるのは「キャベツ無しの印度カレー、そしてときどき大盛り、みそ汁をつける」というもの、でも今回は20年以上にわたって、いちども注文したことのない「合いがけ600円」である。なにしろ間違って「カレー」なんて言わないように気をつけながら「合いがけ」と言ったために「キャベツぬき」にするのを忘れてしまった。みそ汁も忘れたのでダブルのミスである。ボクはどうしても、このカレーのご飯にキャベツというのが苦手。苦手と言っても学生時代からの習慣で神保町の『キッチン南海』では“キャベツのせのまま”で我慢しているのだが、ボクにはそんないい加減さがつきまとうのだ。

 さて、とりあえず、ソースをキャベツにかけて集中的に攻撃する。そしてきれいに掃除ができたところで、いつもの印度カレー。やっぱりここのカレーは辛さ、味ともに良くできているのだ。なにしろ適度に辛さが鋭角的、そしてカレー自体の味のバランスがいい。そして初めてのハヤシライスにも挑戦。たしかに「合いがけ」という、この方式は楽しい。ハヤシは思ったよりも甘くなく、酸っぱくもなく、なんとボクが出合った中ではもっとも好みのものだ。これならハヤシのみでもうまそうである。

 ハヤシライスと言えば上野の国立博物館にいきつく。ときどき国立博物館や近代美術館に行かないと、心が殺伐としてくる。でも国立博物館に長くいて困るのが食事である。まさかコンビニお握りとはいかず、中に入っているレストランのいちばん安いメニューがその昔はハヤシライスだった。それ以来、苦手な食べ物になっていたのだ。

 そんななまくら、甘甘ハヤシではなく、『中榮』のは肉汁というか基本的な味わいが優れている。甘味よりも肉などからくる旨味を感じる。これは印度カレーの辛みと、ハヤシの甘味を対比させながら、安くてうまいみそ汁もつけ加えるなら最上級の朝飯になる。

 さて、蛇足となるが少しだけ。築地で朝飯の根底にあるものは、本来は「早い、安い」である。でもこの「安い」感というのはかなり昔になくなっている。また築地で行列を作るような人たちには、この原則は当てはまらないだろう。だから本来の築地の朝飯は午前8時より前に済ますのがベストだと思えてくる。そうしないと、気軽にタンメンを食べたいと思っても、その店先にトロンとして、不得要領に並ぶ不気味な異星人に囲まれかねない。

来月3月10日に築地に置いて、『土曜会』を行います。
早朝7時半に波除神社集合で、午前中には終了する気軽な築地案内です。
築地場内の案内、市場の仕組みについてのお勉強会、また買い物アドバイスをいたします。

申し込みはメールにて
メール申し込みを受けましたら、『土曜会専用掲示板』のアドレスをお知らせします。


yobi@ZUKAN-BOUZ.COM

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 浅草から千束に抜けて、南千住までの無駄歩きは、賑やかな浅草から北上するにしたがって人影まばらになってきて、観光客は消えて、日常的な商店街の風景に変わる。ここから千束に抜けるとソープランド街となるのだが、竜泉へとまっすぐ進むと、いたって在り来たりな下町の住宅地になる。
 この浅草と千束、竜泉の切れ目アタリにあるのが「竹松商店」である。通りかかるといつも買い物をする主婦で賑わっている。生の鶏肉の品揃えも豊富だが、その買い物客のほとんどは店頭に置かれている鶏肉のお総菜目当てだと思われる。

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 このお総菜を一度買ってみたかったのである。焼きとり、ローストチキン、ケースの中には魅力的なものがいっぱいある。みなそれぞれに魅力的でうまそうなので、全部買いたくなる。それでも無駄歩きの途中だし、せめて2種類くらいにしておきたい。
 仕方なく、「お勧めはなんでしょうか?」と聞くと「ウチの名物は“なか焼き”です」というので、素直にたっぷり買い込んできたのだ。
 この「竹松商店」名物の“なか焼き”が面白い味わいだ。どちらかというと穏やかな醤油味で、身がふっくらと柔らかい。こまったのはスパイシーではなく、そんなに特別うまみがあると思えない鶏肉の味わいなのだが、食べていて、食べ飽きないのである。「いくらでも食べられる」という表現がぴったり合う。
 もしかして、この穏やかなタレの味わいは、昭和の、例えば30年代の味わいかも知れない。食べていてとても懐かしい。

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 またこの店の生肉のショーケースに鶏皮、レバー、砂肝、ハツなんかがバットにのせられている。これなどボクは見ているだけでワクワクする。こんど鶏皮200、レバー300、ハツ200、砂肝200、それに手羽もとに、鶏こま切れに、端から端まで全種類買ってしまうつもりだ。

竹松食品株式会社 3874-5252 東京都台東区浅草3丁目38-3

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 関東の味噌は基本的に米麹、大豆味噌である。これが西に行くと、まだまだ米麹味噌は多いのであるが、ぽつりぽつりと麦麹の「麦味噌」が見られるようになる。我が徳島はその昔、三河から蜂須賀家が来て江戸時代を統治したために、なぜか米麹大豆味噌もしくは三河味噌のようなものがありで、四国では特異なところであるが、愛媛など明らかに「麦味噌圏」となっている。特に宇和島などでは麦麹に加える穀物も麦という、麦麹麦味噌なんてある。
 また海を渡って九州に行くと、ここは「麦味噌大国」となる。
 なかでも長崎はひょっとしたら味噌は麦一色ではないだろうか? 確か「長崎みそ」「チョーコー」なんて比較的大きなメーカーも「麦」だったはず。
 そこに今回の「島原みそ」が八王子にお目見えした。麦麹に大豆と麦を合わせた、比較的「麦比率」の高いもの。当然、味わいはまったり柔らかく、そして甘口、その上に麦独特の風味も強いもの。
 これがなんともうまい味噌なのだ。香ばしい麦の香りがみそ汁にも、千葉県などで盛んな魚貝類の「みそたたき」なめろうにも向いている。また分葱のぬたなんて甘口のせいかネギの香りが浮き上がってくるようである。
 今回の「島原みそ」は八王子綜合卸売センター「伸優」で扱っているもの。魚貝類好きにもお勧めである。

島原みそ醸造元 長崎県島原市大手原町2130-30
伸優
http://www.shinyuu-ok.com/
八王子の市場に関しては
http://www.zukan-bouz.com/zkan/sagasu/toukyou/hatiouji/hatiouji.html

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 山梨県富士吉田は街全体が斜面にある。富士山の方から下る本町通りが街を貫き二分している。その本町通の商店街がなんども古色をおびていい。それを富士吉田駅から、中程まで下り、路地を右に入ると『桜井うどん』がある。ここが「うどんの町富士吉田」で、もっとも古いとされる「うどん屋」であるという。
 前回、見つからなくて、今回は満を持して市役所などで場所を確かめ、そのいかにも田舎の食堂然とした店の前にたどりついた。なんとここは本町通りから目と鼻の先なのである。バカなことに方向音痴の悲しさから前回は坂を上ってしまっていたのだ。

 引き戸をあけると、細い通路が奥へ続き、左右振り分けに座敷があり、座卓が並ぶ。よく見ると、奥にも座敷、その奥の奥に厨房がある。席を探していると、店の女性にあわただしく「温かいのと冷たいか決めて下さい」と言われる。見回しても品書きが見つからない。「温かいの」と言って靴を脱ぎ、机に向かうとすぐにうどんがくる。この店には「温かい」のと「冷たい」うどんの2種類しかないようである。

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 落ち着いて店内を見回すと、雑然としたなかに日の光が差す部分の明るさと、建物の暗みとがあって、まさに民家の居間にいるようである。しかも店の天井は低く、座敷、座敷の空間は狭い。そこに漂っているのが煮干しの香りである。これは四国の人間にはとても懐かしい。徳島の片田舎の「うどん屋の匂い」そのものなのである。

 温かいうどんとは醤油味の汁に油揚げ、刻みキャベツがのったもの。汁をすすると、やはり煮干しの香りが差し込んでくる。そこに醤油のまったりした味わい。同じ座卓、正面に座られた女性がボクがひとすすりして、一瞬目を宙に浮かしたのをとらえたのだろう、
「ここの汁は味噌が少し入ってるんですよ。それとね。これ少し入れるとおいしいですよ」
 と教えてくれる。
 その女性がフタを開けた中には真っ赤な唐辛子をすり下ろした味噌のようなものが入っている。ややとらえどころのない微かな酸味を伴う味わいは味噌からくるようだ。そこに辛い味噌を入れると、このまったりした柔らかい味わいがきっと刺激をおびて、これもなんとも言えずにいいのである。そして手打ちの腰の強いうどん。これがシコっとしていて、それなのに噛み切りやすいという徳島うどんと似た食感を持っている。
 ちょっと邪魔なのがキャベツのせん切りであるが、これが「吉田うどん」の特徴なんだという。油揚げを浮かべると言うのも田舎風でいい。これが大阪四国なら油揚げを刻んでいるところ。
 やっとありついた「桜井のうどん」、これは明らかに普段着の、また古くから変わることのない町場のもの。「うまいものを作ってやろう」とか「うどんに人生かけてます」という背中のぞくぞくするような気持ち悪さが微塵もない。日だまりで小腹が空いたら、ちょいとすするという、そんなうどんである。たぶん、その昔は「店事にうどんを手打ちうする」というのが吉田では当たり前のこと。それを「桜井」でも続けているのだ。

 ボクの前に座ったのは上吉田からバスに乗ってうどんを食べに来たという方。
「ここはね。吉田でいちばん安いし、味がいいの。……。あっ、そうだ、汁が残ったら、うどんだけも頼めるし、小さいのもありますよ」
「このうどん自体がうまいですね。うどん追加しようかな」
「うどんは持ち帰りもできますよ」
 それで忙しく立ち働く店のオバサンに持ち帰りのうどんをお願いする。
「どれくらいいります」
「5人分お願いします」
 すると奥に
「5人くらい大丈夫」
 声をかけて茹でたてを席に持ってきてくれた。
 うどん玉だいたい5人前、温かいうどん連れと2杯で支払は1200円也であった。

 多摩地区という新興の町に住んでいて、何が不満かというと、周りにあるのが子供っぽい、気取りすぎ、また意気込みすぎた、それこそ背中がぞくぞくする店ばかりであることである。こんな『桜井』のような店があったら毎日通いたいものだ。

桜井うどん 山梨県富士吉田債下吉田93

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 福島県いわき市近辺のいたってありきたりなスーパーで購入したもの。中身はいたって平凡なものであるが、味はよい。パッケージからしても地納豆として魅力を感じるのだ。
 またこの「会津高田納豆」のホームページに「雪見漬」という納豆に麹をいれたものが出ている。これ食べてみたいのだ。どこで手に入るんだろう?

会津高田納豆 福島県大沼郡会津高田町字高田甲914
http://www.nitta-syouten.com/

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 これは決してボクにとってのB級グルメではない。我が家の子供たちの、しかも現在進行形のB級グルメなんである。そして本当は「一休さん」ではなく「さるかに合戦」が子供たちのお気に入りなのであるけど、ともかく同じシリーズ商品なのでボクにはどっちでもいいのだ。今回のは「さるかに合戦」がなくて、じゃあ「一休さん」でもいいだろうと思って買ったら、子供たちから猛反発を食らってしまった。生意気な子供たちめ。結局「一休さん」だって「すきすきすきすき、すきすき、一休さん」と唄いながら全部食べてしまったくせに。
 さてこの「やま磯」のある広島県は海苔や小魚を使った加工食品メーカーの多いところのようだ。前回の三島食品もそうだが、関東ではともに人気がある模様。だから八王子を始め、三多摩地区のスーパーではどこにでも置いてある定番商品となっている。
 そして「やま磯」が作る“昔話しふりかけ”、不思議なことに「一休さん」と「さるかに合戦」をよく見かけるが、他の2種を見かけることがない。ちなみに「一休さん」は海苔と玉子、「さるかに合戦」は海苔と胡麻である。「一寸法師」は小魚が「金太郎」はカツオとよく見ると基本は海苔にあるようだ。それで「やま磯」のホームページを見ると、この会社、本来は海苔のメーカーなんだというのがわかる。
 でも海苔玉で「一休さん」というのはキンカン頭が玉子を思わせる? 「一寸法師」だから小魚、カツオという勇壮な魚で「金太郎」もわからなくもない。じゃあどうして「さるかに合戦」にカニが入っていないんだろう? 理解できない?
 これは蛇足だが、この“昔話しふりかけ”の容器がとても二次利用しやすいすぐれものである。我が家ではちょっとした常備菜などをここに入れているし、八王子名物「魚茂」のイカの塩辛の容器にもなっている。味とは関係がないが、これも重要なことではある。

やま磯 広島市安芸区矢野新町2丁目3番12号
http://www.yamaiso.co.jp/

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 浅草、千束と無駄歩きして馬道通のあまりの喧噪にはっきりいって嫌になってしまった。そこで唯一、へんてこりんな、そして味があるなと思ったのが「洋食 大木」である。
 出来れば日本堤の天ぷら屋で遅い昼食を食べたいと思っていたのが、あいにく定休日。それで北に歩き、南千住まで足を伸ばすのか、南に下がって、すぐ帰ってしまうのか、考えあぐねて結局浅草までもどることにした。
 遅い昼食は帰り道の「大木」でとることにする。店の前に来る。この真正面からの店の佇まいがなんともいい。臙脂と白の日よけ、その下に鉄の棒が半円を作り、そこに白に黒文字の短い暖簾。「大」の文字がまっぷたつに割れてしまっている。

 脇にある品書きも手頃である。とんかつ定食850円というのを見て、引き戸をあける。あけた途端に目に飛び込んできたのが立川談志の色紙。よく見ると談志一門の写真、野末珍平も見える。紙焼きの写真があちらこちらにあって、とにかく立川談志、立川談志が並んでいる。

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 中に立川談志の短冊があって
「豚カツは薄くないと不可ない」
 と読めるんだけどどういう意味なんだろう。
「豚かつは薄くないとうまかない」と読むべきか。
 店を見回しているうちに「とんかつ定食」じゃなくて、オムライスが食べたくなってきた。

 と、そのときテーブルに大判写真がどさりと置かれて、オヤジさんが唐突にいろいろ説明を始めてくれる。なんとかオムライスを注文するが
「これが聖天様」だとか「小石川植物園の雪吊り」だとか写真の説明をしていたいらしい。

 そして出てきたのがいかにも不思議なケチャップ模様のオムライス。ケチャップのどろどろ感が不気味であるがポテトサラダが脇について懐かしい雰囲気を漂わせている。

 まあ味の話は置いておくけど、親子丼にカツ丼、カレーライスにラーメンもある昔ながらの食堂で、昭和にもどってしまうのも楽しいだろう。

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東京都台東区浅草5-45-13

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 ボクの無駄歩きの最短コースがお茶の水、湯島である。通常の帰宅時間に30分ほどの上乗せ。がんもどきのうまい川原豆腐店があるし、このまま上野広小路に抜ける、不忍池に抜けると、気分と時間次第で迷いに迷えるのが湯島三丁目の交差点なのである。
 川原豆腐店でがんもどきを買って地下鉄で東京駅に出ようかと思っていたら交差点角に立ち食いそば(?)があった。早い帰宅なので夕飯を作ろうという算段なのだが、空腹感が強く、気がつくと自動販売機の前にいたのである。しかし、この自動販売機は交差点の真角にある。いい年をしたオヤジとしてはちょっと恥ずかしいな。自動ドアを入り、ボクの体形ではやっとこさ席に着く。店の作り三角形、カウンターは扇形に狭く、厨房はこれまた三角形だ。店の基調は黒っぽく、では今時のものかというと「水にこだわっています」「定食がある」とか、貼り紙が多く雑然としている。今時の「よくデザイン」「よく考えて」作りましたという「作りすぎ」の店ではないので安心する。
 なかなか「げそかき揚げそば」は出てこない。そのうちフライヤーで天ぷらを揚げ始めて、これは面倒なことになったぞと後悔する。この揚げたての天ぷらで「うまいもの」に出合ったことがないのだ。
 ただ、救いがあるとすれば揚げる音である。温度は間違っていないようだし、油の臭いもしない。そして揚げる音が変わったら、そばを茹で始めた。このクマさんのような店長さん(ひとりしかいないが)、やるな!
 そして大きなかき揚げがのった、しかも澄んだ汁の、「うまそう」な丼がきた。
 このかき揚げがいい、香ばしいし、具のバランスもいい。これは一般のそば屋さんの驚異となるだろうな。なにしろそば自体がうまいし、つゆも優れているのだから。立ち食いの350円のそばで久方ぶりに汁まで飲み干してしまった。


せんねんそば湯島駅前店  東京都文京区湯島3丁目34-9

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 月島の豊海からバスに乗って東京駅を目差す。しかし腹減ったな。築地場内を見て、大都魚類に立ち寄り、勝鬨橋を渡って「築地フレッシュ丸都」で工場を見学。確かにキンメの頭の干物や西京漬けのメロを食べたにしても糖質は早朝からまったく口にしていないのだ。腹が減って腹が減って死んでしまいそうだ。
 時刻は11時過ぎ。このままお茶の水に帰ってもコンビニでお握りってところだろう。そんなときに都バスの窓から清澄通りで見かけたのが「月よし」である。二軒並んでいるので気がついた。『大衆食堂』(野沢一馬 ちくま文庫)に載っていた店である。常々行き当たりばったりに店を尋ねている。唯一例外なのは川本三郎さんのものだけというボクだがこんな幸運もあるのである。空腹に「大衆食堂」とは魅力的だ。慌ててバスの停車ボタンを押して荷物をまとめて転がり出る。広い清澄通りを渡ると、ちょうど「月よし」の前のタクシーがミニパトカーに駐車違反の取り締まりを受けているところだ。
 確かこの店はタクシー運転手ごひいきの店として有名であったはず。過酷な労働を強いられている彼らにはなくてはならない店のはずである。無粋なミニパトカーであることよ。
 店は左右二軒ある。どうも右手におかずなどの並ぶ厨房がありそうなので引き戸を開ける。目の前の厨房との境にたくさんのおかずの皿。初めてなので戸惑っていたら、なんにんもの人が後ろについてくる。なんだかこわいような腹減りの殺気を背中に感じる。
 目の前の皿を見て、とりあえずは揚げ物を外して、なんて考えていると、またまた後ろで足踏みする気配。慌ててしまって、ご飯みそ汁にマグロのぶつ、玉子焼きにする。これが750円なり。マグロのぶつは300円なのである。でも後の人が「ニラ玉」と言い、またその後の人も「ご飯大盛り、ニラ玉とメンチ」というのを聞いてしまって後悔する。その玉子焼きが思ったほどに家庭的でも焼きたてでもなかったからだ。
 でも席について、マグロぶつを一口食べて驚いた。味があるいいメバチなのだ。これはなかなか優れた目を持って仕入れているようである。しょうゆをたっぷりつけて、やや柔らかいご飯にのせる。これがその曰く言い難いほどに感動的な美味である。ご飯の甘味マグロの甘味で相乗効果となってビックリするほどにうまーいのだ。ワカメのみそ汁も、見た目は平凡な玉子焼きも、ともにいい味わいだ。いっきに食べて余計に腹が減ってきた。
 無性に大盛りご飯にしなかったのが悔やまれる。店を切り盛りするお姉さんたちがなんとも優しくてきびきびしている。もう一度おかずとご飯を追加したくなった。それを断念させたのは正午近い時刻の壁である。残念で無念で身もだえる思いだ。この店は早朝6時から店を開けているという、それならまた築地に来るときに勝鬨橋を渡ればいいのだと涙をこぼしながら店を出る。悲しいな!

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月よし 東京都中央区勝どき4の11の10

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