山梨県富士吉田は街全体が斜面にある。富士山の方から下る本町通りが街を貫き二分している。その本町通の商店街がなんども古色をおびていい。それを富士吉田駅から、中程まで下り、路地を右に入ると『桜井うどん』がある。ここが「うどんの町富士吉田」で、もっとも古いとされる「うどん屋」であるという。
前回、見つからなくて、今回は満を持して市役所などで場所を確かめ、そのいかにも田舎の食堂然とした店の前にたどりついた。なんとここは本町通りから目と鼻の先なのである。バカなことに方向音痴の悲しさから前回は坂を上ってしまっていたのだ。
引き戸をあけると、細い通路が奥へ続き、左右振り分けに座敷があり、座卓が並ぶ。よく見ると、奥にも座敷、その奥の奥に厨房がある。席を探していると、店の女性にあわただしく「温かいのと冷たいか決めて下さい」と言われる。見回しても品書きが見つからない。「温かいの」と言って靴を脱ぎ、机に向かうとすぐにうどんがくる。この店には「温かい」のと「冷たい」うどんの2種類しかないようである。
落ち着いて店内を見回すと、雑然としたなかに日の光が差す部分の明るさと、建物の暗みとがあって、まさに民家の居間にいるようである。しかも店の天井は低く、座敷、座敷の空間は狭い。そこに漂っているのが煮干しの香りである。これは四国の人間にはとても懐かしい。徳島の片田舎の「うどん屋の匂い」そのものなのである。
温かいうどんとは醤油味の汁に油揚げ、刻みキャベツがのったもの。汁をすすると、やはり煮干しの香りが差し込んでくる。そこに醤油のまったりした味わい。同じ座卓、正面に座られた女性がボクがひとすすりして、一瞬目を宙に浮かしたのをとらえたのだろう、
「ここの汁は味噌が少し入ってるんですよ。それとね。これ少し入れるとおいしいですよ」
と教えてくれる。
その女性がフタを開けた中には真っ赤な唐辛子をすり下ろした味噌のようなものが入っている。ややとらえどころのない微かな酸味を伴う味わいは味噌からくるようだ。そこに辛い味噌を入れると、このまったりした柔らかい味わいがきっと刺激をおびて、これもなんとも言えずにいいのである。そして手打ちの腰の強いうどん。これがシコっとしていて、それなのに噛み切りやすいという徳島うどんと似た食感を持っている。
ちょっと邪魔なのがキャベツのせん切りであるが、これが「吉田うどん」の特徴なんだという。油揚げを浮かべると言うのも田舎風でいい。これが大阪四国なら油揚げを刻んでいるところ。
やっとありついた「桜井のうどん」、これは明らかに普段着の、また古くから変わることのない町場のもの。「うまいものを作ってやろう」とか「うどんに人生かけてます」という背中のぞくぞくするような気持ち悪さが微塵もない。日だまりで小腹が空いたら、ちょいとすするという、そんなうどんである。たぶん、その昔は「店事にうどんを手打ちうする」というのが吉田では当たり前のこと。それを「桜井」でも続けているのだ。
ボクの前に座ったのは上吉田からバスに乗ってうどんを食べに来たという方。
「ここはね。吉田でいちばん安いし、味がいいの。……。あっ、そうだ、汁が残ったら、うどんだけも頼めるし、小さいのもありますよ」
「このうどん自体がうまいですね。うどん追加しようかな」
「うどんは持ち帰りもできますよ」
それで忙しく立ち働く店のオバサンに持ち帰りのうどんをお願いする。
「どれくらいいります」
「5人分お願いします」
すると奥に
「5人くらい大丈夫」
声をかけて茹でたてを席に持ってきてくれた。
うどん玉だいたい5人前、温かいうどん連れと2杯で支払は1200円也であった。
多摩地区という新興の町に住んでいて、何が不満かというと、周りにあるのが子供っぽい、気取りすぎ、また意気込みすぎた、それこそ背中がぞくぞくする店ばかりであることである。こんな『桜井』のような店があったら毎日通いたいものだ。
桜井うどん 山梨県富士吉田債下吉田93