うどん、そうめん他: 2006年9月アーカイブ

 雨の中、富士吉田駅の近くで山宿りするように飛び込んだのが「研考練」である。駅から本通りに向かう坂道は駐車場や公園はあるものの商店はなく、そこに忽然と仕舞た屋風の建物、暖簾がかかって初めて「うどん屋」であることがわかる。あまりに変わった店名に一瞬足が止まったが、店の構えはいたってありふれた田舎の食堂なのである。入ると左手に小上がり、テーブル席があり、入り口の横が厨房になっている。
 店内の雰囲気はあくまで食堂、どこにも観光的なものはない。わざわざ富士吉田に来て入るような店とは思えないのであるが、品書きをみてとりあえず、「肉うどん」400円に決める。あとあと調べてみるとここには「揚げ出しうどん」という名物があったようなのだが、そんな特別な書き方はされていなかった。これは残念。
 そして出てきたのがまことにボク好みの懐かしいうどんなのである。汁はカツオ節だろうか、やや甘口ながらしっかりとした塩辛さを感じる。うどんの上には牛肉とお麩と青ネギ。青ネギは明らかに九条ネギではなくわけぎである。考えてみると富士吉田のネギは白ネギなのだろうか、わけぎなのだろうか? そして、麺はやや平たく、腰がある。
 なかなか汁がうまくて「いっぱいのうどん」としていい味わいである。例えば関西や四国のうどんだと油揚げや竹輪が具材となるのが、ここでは乾燥麩なのも面白い。
 あっという間に食べ終わったときに、窓の外から激しい雨の音が聞こえてきた。店のオバサンが洗濯物を取り込みに走る。そして、どうしても傘を手に入れなくては身動きが出来ないので「コンビニは近くにありますか」と聞くとないという。そんな話のついでに「うどんを食べに来た」ともらした。すると先客で来ていたオバサン達が「吉田のうどんはキャベツがいっぱいはいっとるね」と言う。するとここのは典型的なものではない?

 それで「キャベツを具に使う」ということで市役所の「農林課」、「歴史民俗博物館」に電話で問い合わせた。お話を聞いた堀内さんによると、高原抑制栽培のキャベツをこの地域で作り始めたのは新しく、うどんの具にキャベツというのも古いものではないのではないか。古くは青菜などを利用していたらしい。またうどんも外食での一品ではなく月江寺周辺での機産業の合間に自家製に作っていたのが始まりであるようだ。

 外は大雨である。「研考練」のオバサンに傘をお借りした。「よかったら持っていっていいよ」と言われて外に出る。店先まで送り出してくれて「晴れてたら富士山が見えたのに」と黒雲の果てを見る。結局雨は止みもせず、傘を頂いてきてしまった。オバサンありがとう。

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研考練 山梨県富士吉田市上吉田2-6-21
●詳しくは富士吉田市の「吉田うどん」へ
http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=362

 意外に知られていないのでは? と思うのが富士山麓斜面にある富士吉田市がうどんの町だと言うこと。小さな町であるにも関わらず60以上のうどん屋が密集する。八王子は山梨との縁が深く、市場にも山梨から仕入れにくる。そして山梨出身者も多いので「富士吉田」=「吉田(の)うどん」というのをなんども聞いている。
 でもその「吉田うどん」がいったいどんなものかは皆目見当がつかないのだ。どうも市場関係者といっても「食」に感心があるとは限らず、実際に富士吉田で食べ歩いたという人は皆無。せいぜい「配達のついでに食堂で食べた」とか「近所のうどん屋にはよくいく」という程度である。ある人は「吉田うどん」は「つけめん」だと言い、ある人は「肉の入ったうどん」だといい。それで実際に富士吉田を歩き、また市役所などに問い合わせて調べたら以下の2点が「吉田うどん」の特徴であることが判明した。
 まず具は「たっぷりの茹でた(生?)キャベツ」、「肉(牛か牛か馬)」、そして温かいかけうどんというのが基本らしい。また富士吉田では馬肉を売る店が目に付く。すなわち「馬肉」=「肉」というのが富士吉田の古くからの形であるようだ。考えてみると肉食の普及が進んだ明治期に、まだまだ牛の供給は少なく、日露戦争などで需要が高まり高騰したときにはしばしば廉価な馬肉が「牛肉」として売られたことがあったという。それだけ馬肉は安く、身近なものであったのだ。これなど今のように馬肉の値段があがってしまった時代には想像がつかない。
 また富士吉田で目に付くものそれは「甲州名物馬刺」の幟、「馬肉」の貼り紙のある、カンバンのある肉屋。長い坂道を休み休み上っていく老夫婦に「馬肉を売っている店が多いんですね」と聞くと「昔は牛より安いんでよく食べました。今は高くなったけど、まあうまくもなりましたね」、「お土産に買っていてみなさい」と教わった。
 さて、実際に富士吉田を歩くに、富士吉田駅周辺から無駄歩きを始めたのは最大の失敗であった。市街地は富士吉田駅周辺「上吉田」と、富士山の斜面をまるで滑り台のような本通りを下って富士急行月江寺周辺からなる「下吉田」に分かれている。この上吉田は富士講、御師の家が点在し歴史的には見るべきところはあるかも知れないが織物で栄えた町の中心は下吉田なのであり、「うどん屋」「食堂」「魚屋」「和菓子屋」、そして時計店、洋品店、雑貨屋など人の暮らしの垣間見える家並みは下吉田にあったのだ。そしてたぶん織物業で需要が高まったであろう外食の古くからの店も下吉田に多いに違いない。
 クルマを富士吉田駅の駐車場にとめて青い稲妻号を組み立てる。そして本通りに下ると突然大粒の雨が落ちてきた。無駄歩きの幸先悪し。

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富士吉田駅から本通りを上っていく。左手に御師の家

 先々週、都内某所で酒を飲んでいた。かなり酔っぱらって、しかもどんどん小腹がすいてくる。そして大腹がすくのに時間はかからなかったのだ。
「なにかお茶漬けとか、お握り(東京ではおむすびだけどボクは四国なので関係ないのだ)とかないの」
 と聞くと、
「ご飯がなくなっちゃったからね。うどんがあるから焼きうどんを作ろうか?」
 と言うことでお願いしたら、まったく予想外であったのだ。酔っぱらっていたからだろう。関東では「しょうゆ味」なんだぞ、という意識が消えていたんだろう。目の前に来たものを見てがっかり。食欲も失せたのである。
 あまりに残念であったので「焼きうどん」は子供の頃から「ソース味」でなければ食べる気になれない、と、今回、懐かしい「ソース味の焼きうどん」を作る。本来は加賀屋のお好み焼きソースで作りたいのだが切らしていて、今回は「イカリソース」。ビックリしたのはイカリソースはブルドッグに買い取られていたのだ。新聞などでは読んで知っていたのだが、今回ホームページを閲覧して改めて驚く。
 まず、魚肉ソーセージか竹輪、キャベツを炒める。そこに熱湯でほぐしたうどんを入れてよく炒める。そのうどんなどをフライパンに隅っこに寄せて、あいたところにソースを入れる。ここである程度ソース自体に熱を通してからうどんと絡めるのだ(これは絶対に守らなければならない鉄則。ソースを具やうどんに直接かけるとまずい)。
 これでビールを飲むのが、なんとも秋らしい味わいなのだ。できればコショウはわっせわっせと振ってほしい。

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寿美屋のゆでうどんはうまい

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寿美屋
http://www.sumiya-men.com/

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