関東平野は小麦の一大産地であり、粉食文化の栄えたところだ。酒まんじゅう、田舎まんじゅうに茹でまんじゅう、おやきときて、主食のうどんは冠婚葬祭にもつきものの、言うなれば埼玉を代表する「食」である。当然「手打ちうどん」の店も多々ある。そのたくさんある店の中でも、どうせ埼玉で「うどんを食うなら」とことん関東平野の「地の食べ方」を追求したい。それで出来うる限り田舎風の古めかしい土着的な店を探している。でもガイドブックがあるわけでもなく、頼りとなるのはネットだけとなる。それで狭山から入間まで調べて、いちばん鄙びた感じをうけた「手打ちうどん さわだ」に行くことにする。
この「さわだ」がわかりづらいところにある。住所は入間市なのだが、このあたりを地図で見ると入間、飯能、日高などが入り組んでいて、目印となるところも見あたらず複雑極まりない。とにかくじっくり地図を見て、その位置関係を頭にたたき込んで、いざ出発となる。
入間市、日高市、飯能市というのは高橋、高麗川、高麗の地名があることからもわかるように奈良時代に高麗郡が置かれ、朝鮮半島からの渡来人が多数暮らしたところでもある。そこに小麦粉食である「うどん作り」の技が残っている。「うどん」は古くは「うんどん」と呼ばれ元々は中国からのもの。随(唐)から高句麗の頃に高麗王とともにこの国に「うどん」が伝来したのではないか? なんて地図を見ながら夢想する。
いきなり根岸という子字を目差すのは無理なので、16号線から起点となりそうな八高線金子という駅を目差す。駅で、駅員の方を煩わせて根岸のだいたいの位置を教えてもらう。金子駅から北上、入間青梅線という道路を東に向かう道の左右にはたくさんのお茶の直売所がある。ここは狭山茶(狭山茶の産地は狭山市ではなく入間市が中心なのだ)の中心地帯なのだろう。農協があってそこにも「お茶の小売りをしています」という貼り紙がある。その家々が立派で古色をおびていて豊かに見える。道々で二度、そこから小道を北に向かって一度、人に尋ねてやっとのことでたどり着けた。ようするに入間市根津にある「豊泉寺」を目差せば着くというのが判明する。
たどり着いたところはまったく、どこから見ても、ただの老朽化した民家である。ただし駐車場入り口には「手打ちうどん さわだ」の外灯看板があり、駐車場は満杯に近い。とにかくクルマから民家に向かうと窓からうどんを打つ人が見える。
「ここうどん屋さんですか」
どうしてこんな間抜けな問いかけが口から飛び出すのか、自分ながら情けなくなる。
「ここは裏なんです。表から入ってください」
と言うことで民家をぐるりと一回り。
そこには「うどん」と書かれた紺暖簾がかかっているが、その奥は普通の家の玄関にしか見えない。その外観からは元々民家であって「うどん屋」を始めてしまったが、別に改築したわけでもないというのがまざまざと見て取れる。引き戸を開けると土間があり、外が暑すぎるためかひんやりと涼しい。正面に厨房が見える。網戸の向こうには先ほどの、うどんを打つ人。壁板に品書きがあり、「日本全国女の音頭」という下手物じみたポスター、小窓からは、うまそうな天ぷらが見える。左右には座敷。左手の座敷はひろく長い座卓があって、数人のお客がいる。
板壁の品書きを見ていると奥から女性が出てきていきなり、「煙草を吸いますか?」と聞かれ、「吸いません」と答えると入って右側の座敷に上がるように指示される。座敷の上がりかまちにコップと給水器。座敷はおおよそ20畳もありそうな薄暗くて広い空間で奥にカラオケがあり舞台となっている。どうして、ここに舞台があるのか、夜な夜な歌謡ショーでもやっているのか、と思うと不気味だ。ここにも長座卓が並び、まだ11時台のせいか、どうみても地元の方達とお見受けするお客が大広間に散らばっている。
待つほどもなくさっきの女性が注文の紙をもって現れる。その腰の浮かし加減から「早う注文せい」というのが見て取れたので、どうにでもなれ、と「かけ」350円と「もり」400円、そして下の方にあった「肉汁」をお願いする。この肉汁は埼玉特有の肉と野菜の入ったつけ汁だと思ったが50円という値段に「?」が湧く。合計2人前にしたのは、腹も減っていたし、飾り気のない店の雰囲気から「うまそうな」と期待したためでもある。後は盛りが少ないことを願うのみだ。
先ず来たのが「もり」である。それが奇妙なものだった。竹のザルにラップが敷かれて、そこにいびつなうどんが山成りにたっぷりのっている。その端っこのネギとお浸しがあるのだが、これに気がついたのは食べ終わる頃というほどに存在感が薄い。そこに肉汁。これは豚肉を茹でた汁に豚の三枚肉1枚というもの。これはひょっとしたらその昔、豚肉を茹でて、そのゆで汁に醤油でもいれて食べていた名残だろうか? とにかく「ここら辺でずーっと食べてきたもの」がそのまま出てきているだけなのだろう。脇にはちゃんと陶製の汁入れが置かれる。
不揃いのうどんをそのまま食べてみる。これが適度に腰があるにはあるが、相反するモチモチ感もあるという中庸なもの。これだけ食べても塩気があり、なかなかうまい。肉汁に温かいつけ汁を加えて、うどんをつけつけ食べるのだが、この汁はやはりさば節でとったもので昆布の旨味は薄い。やや醤油辛さに欠けるが、あっさりしていてうどんの味が生きる。この房州産であろう、さば節のだしは埼玉(関東平野)特有のものとみている。
ここにかけうどんがくる。量からすると「もり」で充分なのに、この「かけ」には汁からうどんが盛り上がっているではないか。やはりこの店の「並盛り」は都心での「大盛り」に等しい。この「かけ」汁もさば節でとったもので、「つけ汁」とほぼ同じものだ。この熱い汁の中で、うどんはシコっとした食感が影をひそめて、ややモチっとしたものとなっている。なにしろ丼一杯のうどんで、汁の量が少ないというもの。汁に漬かったところは熱く、うどんの味わいよりも薄い汁の物足りなさを感じてしまう。これは汁から盛り上がり出た頂点から、うどんの塩味と腰を楽しみながら食うのがいいようだ。
ふたつを食べ比べてみて圧倒的に、うどん冷たく、つけ汁の温かい「もり」がうまいと思った。まあ好みの問題だが、うどんそのものの旨さが堪能できる。
さて、後半あまりにも満腹で味の良し悪しなどわからなくなってきた。次回は「もり」と天ぷらだけにしよう、そう肝に銘じたのである。
この「手打ちうどん さわだ」だが、けっして「驚くほどにうまい店」とは言いかねるだろう。でも埼玉らしい素朴な味わいは、武蔵野の地で出来上がった歴史のあるもの。ボクのごとき、その土地ならではの味わいをよしとするものには「このような店がいちばん好き」なのである。
沢田旦次 埼玉県入間市大字根岸461