2006年7月18日アーカイブ

 北千住の豆腐店「むさしや」で買ったもの。東京下町には地納豆がいっぱいありそうだが、その「地納豆は豆腐屋で探せ」のセオリー通りに見つけたもの。この「むさしや」、足立区にあって足立区の納豆を売るというのはやはりただ者ではない。
 さて「はと印」のハトがやたらに可愛らしくこのように個性的でありながら何気ないマークはたぶんかなり昔に作ったものだろう。毎朝、「はとの納豆を食べた」というイメージが生み出せて楽しそうだ。
 ただし中身はいたってありきたりな納豆。もっと上の高い納豆も作っているかもしれないが、これがいちばん庶民的なものなのだろう。タレは辛目で、辛子はたっぷり。納豆の香り、旨味ともほどほどで好感度大である。

hatohatonan.jpg

京北食品 東京都足立区江北3丁目39-2

 この立ち食いそば屋に初めて入ったのは、いったいいつ頃だろうか? もうかれこれ30年近くになるはず。その頃、三越の本売り場(今もあるんだろうか?)はミステリーが豊富にあって、その丁寧なカバーのつけ方もあって通ったものだ。その帰りに寄るのが、この店であったはず。
 この店の売りは豊富な自家製天ぷら。竹-、春菊、げそ、イカなど、これがなかなか楽しい。また、初めて入ったときに驚いたのは汁の濃さが他を圧倒するぐらいに真っ黒なこと。これは東京(のうどん、そばの汁が醤油辛くてまずいという反省から、他の店が徐々に上品になってきても、今でもまったく変わっていない。
 その真っ黒な汁だけど、すすってみると、イノシンの多さからかのたりとして重い。甘味の強く、旨味もあり、そして醤油辛い。いかにも鈍な味わいである。そしてここの、そばの小麦粉の比率が高くぼってとしているのに、非常に相性がよく、これがなかなかうまいにはうまいのだ。でも、天ぷらを3つものせて、その上、玉(卵)まで落としているオヤジを見たがとても真似が出来ないな。ボクはかき揚げひとつでもいっぱいいっぱいである。
 また、今時、ほとんどの立ち食いの店は、自販機で食券を買うシステムになっている。それがここでは未だに「360円ね、そこに置いといて」という原始的で古(なシステムを通していて、これだけでもなんだか懐かしいのだ。
 帰りがけに見上げると二階では酒が飲めるようである。これはなかなか穴場かも知れない。
 さて我が日本橋、散髪も村町だし、.紙の専門店もあるので時々来ている。でも「六文ぞば」は本当に久方ぶりである。しかし五十路近く、食べた後にくるこのものもの悲しい気持ちはなんだろう。人生の悲哀、悔悟の念を噛みしめたい人におすすめ。

rokumon0001.jpg

rokumonn002.jpg

げそ天そば、360円

 さて最初に取り上げるのは粉末の調味料というのだろうか、「炒飯(やきめし)の素」。東京都北区の『あみ印食品工業』製。パッケージの投網を投げたようなマークが面白いし、「即席」という文字にも今時情緒を感じる。最近、下町(本来の意味合いではない)に無性に引かれているので「北区」というのもいい。
 これを買った八百屋さんに聞くと「もうずいぶん前からあるわね。なかなか人気があって、すぐなくなるのよ」という。
 それで今度は市場の食品問屋で「炒飯の素」を探してみる。あったあった。当然、こちらは箱入り。
「ねえ、これって古くからあるものかな」
 問屋の最古参のタヌキオヤジに聞いてみる。
「そうだな。オレが仕事始めてから35年だけどそのときからあったな。でもね最近はいろんなところが『炒飯の素』出してるだろ。今、持っていくのは八百屋さんとか肉屋さんが多いね」
 また、それを聞いていたやや若い娘、26歳が
「ウチの母親はね。朝からこれで焼きめし。ウチって貧乏だったのかな」
「まあ、そうだろうな」
 そんなことはどうでもいいのだけど、聞いてみるとみんなが知っていて、それなりに思い出深いものらしい。これは四国になかったのかな。ちょっと疑問。

 使い方は、ご飯を油で炒めて、「炒飯の素」を振り掛けるとあっという間においしい炒飯(やきめし)が出来るという便利なもの。さっそく試してみたら、いい味なんである。当然、ハムや玉ねぎを入れるんだけど、肉っけはなくてもいい。また中華の炒飯のように卵を使ってもうまいのである。

 さて、市場のもっとも年期の入ったご婦人に聞くと、
「あんたね。さっきから『チャーハンの素』って言ってるけど、これは『炒飯』と書いて『チャーハン』じゃなく、てー、『やきめし」と読むのよ」
 と未確認情報をくれた。それでパッケージを改めて見ると確かに「ヤキメシ」の文字。でも「焼き飯」とはなんであるのか? チャーハンとは別物なのか? ここに新たな疑問が生まれたのだ。
 この『あみ印食品』の「炒飯の素」のことで詳しい方、いたら歴史など知りたいものだ。『あみ印食品』のホームページはそっけなくて発売年などがわからない。

chahannn01.jpgcahan0001.jpg

炒飯の素 6食分 128円
あみ印食品工業
http://www.amibrand.co.jp/

築地「ゆで太郎」

0

 築地には定期的に魚貝類を見に行っている。だいたい都バスの築地正門前で下りるのだが、下りて晴海通りを渡ってすぐにあるので、早朝の空腹感をとりあえず満たすのには格好の場所にある。
 早朝2時3時から走る回っている築地の人たちにとって、なにしろ「食事ももたもた食ってらんねえんだい」ということで食券を出してから、出来るまでの早いことではこの「ゆで太郎」もトントントンてなもんである。
 麺を温める、汁をはるなどするかたわらでは天ぷらを揚げているし、奥では麺を作っている。これもなかなか活気があっていいぞ。
 そしてここではごぼう天そばかイカ天そば、ともに340円、どちらにするかはその日の気分次第。築地で働く人たちにとってカレーや天丼なども人気があるようで、これも毎回迷うところ。こんどは試してみるかな。
 汁はやや軽めの味わい、これが早朝にはちょうどいい。またワカメを入れるというのが、そばにはどうにも合わないと思えるのだが激しい仕事をしている人が相手なら悪くはない。麺は自家製麺している割にはうまくはない。何しろ慌ただしい築地だトントントンと食べるなら、ここは最高だ。

yudetaro.jpg

築地店 東京都中央区築地6-21-4
http://www.shinetsusyokuhin.com/

 高円寺はときどき歩く町。ときどきといっても1年に1度か2年に1度。新高円寺から「高円寺ルック」を抜けて古本屋に引っかかりながら北上し、そして中央線高円寺駅にたどりつく。この少ない高円寺歩きで、なんどか夕食を食べているのが『富士川食堂』である。この店、とにかく安い。定食のほとんどが400円台。冷や奴と組み合わせても500円でおつりがくる。

fujikawa0001.jpg

 さて、まず高円寺にあって下町気分が味わえるのが「高円寺ルック」。この道を北上して、そろそろ駅に近いなと思ったら右手に広い道、左手に狭いが飲食店の多い道の十字路に行き着く。ここを左手に折れてすぐにあるのが『富士川食堂』である。正面に大きく「食事処」とあり明らかに食堂なのであるが、なぜか造りは喫茶店なのである。入るとL字型のカウンターがある。そしてLの左と下側が客席。内側が厨房となっている。その厨房の背面に膨大な量のメニューがある。このなかでいちばん高いのがエビの天ぷらだろうか、定食で570円、他は総て400円前後だと思われる。今回、この壁の品書きに対面するに頭がクラクラして思考がとまってしまった。それで思わず、「コロッケ定食400円」あと「冷や奴50円」にしてしまった。どうせならエビ天ぷらにすればよかったのだ。
 そして厨房のふたり、たぶんご夫婦かな? 手際よく、てきぱきと役割をこなして、ほどなく定食が前に。
 この定食の味があなどれないのだ。コロッケは手作りだろうか? 判然としないがなかな味がいい。つけ合わせのナポリタンもキャベツのせん切りもほどよい量であるし、ここにルビーグレープフルーツの6分の1カット。冷や奴は3分の1かな、ここに血合いありながら香りの高いかつお節、ネギにショウガ。ご飯もふっくらとうまいし、白菜と油揚げのみそ汁も作り置きではないようだ。

fujikawa0002.jpg

 市場がよいを始めてはや20年、流通の裏側を少し知るようになってきた。そこから鑑みても、この組み合わせで500円以下では、どうにも安すぎて「間尺に合わない」だろうと思う。

 朝ご飯を食べてから昼食抜きで、今、夕方の5時過ぎである。かなりの飢餓状態をここに癒すことが出来て、しかも支払は500円でおつりがきた。『富士川食堂』には感謝なのだ。

 蛇足だが、高円寺が住宅地として開発されたのは、大正から昭和のこと。隣町の阿佐ヶ谷、荻窪とともに小説家や画家などが多数暮らすところとして有名であった。上林暁の小説にもしばしば高円寺の飲み屋が登場するし、林房雄は住んでいたはずだ。また大学教授やサラリーマンなどの知的職業のひとたちが住むとともに、若者たちの街でもある。当然、この街の食堂は下町の食堂とは趣が違っている。例えばこの『富士川食堂』にしても、どこか若者が安いから通ってくる。そんな青春の臭いがする。これが下町の食堂ではまったく違っている。そこは明らかに生活の場であり、言うなればオヤジの生命線とでも言えそうな重さがある。ボクもそろそろ人生の重みに潰されてしまいそうな年頃となってきた。そしてどうにもこの高円寺の居心地が悪いのだ。

富士川食堂 東京都杉並区高円寺南3丁目46-2

 早く用事を済ませてしまって、今日も無駄歩き、これがいちばん楽しみなのだけど、この時間をあけるのが至難。今回の押上散歩もほんの1時間だけと限っての決行。押上といっても東京ローカルな地、山手線から西に住んでいると知らない人の方が多いだろう。そんな押上に新東京タワーが出来るんだというのを新聞で読んでから一度行ってみたいと思っていた。
 それで半蔵門線に乗り込み、深々と暗い隅田川を越えて押上に至る。ここには東武、京成電車の本社があり下町の起点と言ったところ。長いエスカレータを地下から地上に出るとがらんとした空き地。ここに東京タワーが出来るんだろうか?
 駅前にはパン屋のサンエトワール、am-pmがあり、今時のやたらに短いスカートの女子高生がたむろしている。そして駅から押上通り商店街に出て散策。
 押上は裏通りを歩いていると面白そうな店や小さな作業場があってそれなりに情緒があるのだがメインの四ツ目通りの方が寂しい。その四ツ目通りにあるのが「押上通り商店街」である。なぜかここには時間が何十年も前から止まってしまったような店が多い。四ツ目通りに出て角にあるのが「伊勢元百貨店」。百貨店とあるが、いたって普通の荒物屋であるし、「斉藤洋品店」の「洋品店」というのも今時、古い商店街でしか見かけない。押上通り商店街のこの寂れ方もなんだか懐かしい光景で、ふと我を忘れてしまう。

osiage0001.jpg

 さて、この商店街を歩いていて見つけたのが「押上食堂」である。大振りの紺のれん、その左に縦組みで「大衆」とあるのがなんとも惹かれるところ。見つけたのは道の反対側なのだけど大急ぎで信号を渡って店の前まできた。この歩道のアーケード下にカンバンがあって、ここに「東京都指定食堂 押上食堂」とある。この「東京都指定食堂」というのは、また後日、詳しく書いていくつもりだが、戦後の混乱期の「外食券食堂」が起源となっているようだ。当然、「押上食堂」の創業も古いと言うこと。

 さて、紺の暖簾をくぐると思ったよりも狭い店内。左右にカウンター、中央にテーブル、置くにずらりとおかずが並ぶ。定食はないようだ。
「好きなものを取ってください」
 いきなりそう言われたが、トレイもないし、ととまどっていると、
「どうぞ取ってください」
 また繰り返されて、とりあえず冷や奴をテーブルに置くと、これで正解のようだ。この冷や奴がなんと1丁まるごと。
「ご飯は大中小、ありますが」
 品書きを見て
「中でお願いします。このサンマの煮つけ、ありますか」
「今日はなくて、カレイでいいですか」
 カレイの皿を電子レンジで温めて、温かいみそ汁と、大盛りかと見まごうご飯。もうひとつ、なんか欲しいなと考えていたら常連さんが、あれこれおかずをカウンターに運んでいる。女将さんとの呼吸も見事である。きっとこの方など毎日のように来ているんだろう。

osiage0002.jpg

osiage003.jpg

 機を逸して仕方なく、みそ汁をすする。ちょっと濃すぎるのだが、味はいい。そしてカレイの煮つけが甘辛くてこれもうまいではないか。この煮つけの甘さは東京下町風とでも言おうか、煮汁の色合いこそ醤油っぽいが甘味の方が勝っている。これを、ご飯にのせてワシッとかき込む。このご飯もほっかほかで香り高い。合いの手の冷や奴とともに一気に食い終わって、まだ少し骨にこびりついたカレイの身をこそこそほじくる。そうだ、日本酒でも頼めばよかったんだ。そしておかずをもう一品。見回すと周りでのテーブルには瓶ビールが見える。仕舞った、と後悔しても今更どうしようもない。
 代金650円を支払って店を出ようとすると奥から
「ありがとうございました」
 気持ちのいい声がかかった。

osiage0004.jpg

 ふと思うのだけど、押上に新東京タワーなんていらないんじゃないだろうか? まさかと思うが、ここに新東京タワーが建ったとして地元になんかいいことあるんだろうか? むしろ住みづらい、硬質で陰険な土地と化して住む人を不幸にする。そんな気がするがいかがだろう?

押上食堂 東京都墨田区押上1-12-7

このアーカイブについて

このページには、2006年7月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2006年7月17日です。

次のアーカイブは2006年7月19日です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。