ボクの無駄歩き1時間コースに「京橋、INAXブックギャラリー→沖縄物産館→有楽町交通会館→JR有楽町駅」というのがある。そのときくぐるのが高速道路下の銀座というのは名ばかりのインズという不思議な商店街。3つのフロアに分かれるがなかでもいちばん東側にあるインズ3が1970年の香りが残っていて「時代に取り残され加減」が大なのだ。
ボクはこのインズ3を通る理由もなく通るのだが、そこにあるのが『ジャポネ』というスパゲッティ屋である。カウンターだけの店で中にフライパンを振るふたりの男が、そしてレジらしきところにまた無骨な感じの男がいる。この店はいつ通っても丸い座席が7割方埋まっている。
このインズ3を通り抜けるのは何十回、そろそろ百回になるかも知れない。そのたびに一度食べてみたいと思いながら、そのカウンターの上に並ぶメニューの多さに、圧倒され断念してきた。でも今回はそこに「ジャポネ」というものを見つけて初めてカウンターに座る。すなわち『ジャポネ』で「ジャポネ」を注文するという大義名分が出来たというわけだ。
実をいうとカウンターでスパゲッティ、しかも茹で置いたのを炒めて出すという店に通っていたことがある。それはかれこれ30年も前のことで、新宿紀伊國屋書店の地下にあった。店の名は「オーマイ」だったか「ママー」だったか忘れたがスパゲッティの銘柄と同じ。ここで毎日のように「シシリアン」というのを食べていたことがある。注文するとレバーを炒める。そこになにやら油のような水のようなものを振り入れ、あっというまに出来上がるのだ。店は品のいい女性がしきっていた。「シシリアン」がくると粉チーズとタバスコをたっぷりかけて食べる。ナポリタンもタラコもあったと思うのだが、その時期、むきになって「シシリアン」だった。
その店を思い出して、席についたものの、カウンターの向こうは新宿の店の数倍荒っぽい。強火のガス台は燃えっぱなし、大きなフライパンにどんどん茹でスパゲッティを放り込んで具になる肉や野菜をこれまた放り込む。その間にも客は絶えず「ジャリコ」だの「チャイナ」だのスパゲッティの範疇を飛び出した名の注文が飛ぶ。
結局わけがわからず、目の前に来たのは醤油味、玉ねぎ、小松菜、豚肉入りの炒めスパゲッティ。「まーあ、このお皿見てくださいね。ハイハイハイ」なんて淀川長治が目に浮かんでくる。どっどっどっと70年代そのもののサイケな文様の長楕円形プラスチック皿。これって万博や「帰ってきたヨッパライ」なんて時代を思い出すよな。
ちょっと驚きつつ、フォークでクルクル、フォーククルセイダーズなんて言いながら、一口食べてみると、醤油の香ばしさ塩辛さがほどよく、なかなかうまい。生っぽい小松菜の辛さもいい。しかも食べていて軽い。粉チーズのボウルとタバスコもあって、これもドバドバかけてクルクルクルクル、なくなるのはあっという間だった。しまったー。画像のものがレギュラーなんだけど、この上にジャンボ、横綱という大盛りサイズがある。ジャンボでも良かったのである。
横綱はともかく、このジャンボというのも、今では忘れられているだろうが1970年前後に日本航空がボーイング747を導入するときに流行った言葉なのだ。だいたいプロレスラーでも1960年代にはジャイアント馬場であり、1970年代にはジャンボ鶴田だった。また日本航空が初めてジャンボジェットを導入するというのにからませた筋書きの田宮二郎主演の『白い滑走路』というドラマも1970年代であったと記憶する。
いかんいかん、どんどん『ジャポネ』から話がずれていく。ずれていくついでに、この店のオヤジ度はすごいのである。そのときの女性客はひとりだけ。主にサラリーマンの窓際族に違いない系オヤジと、大食い系30代むさい系男、このカウンターに座っているのは、そんな軌道をずれていそうな人々ばかりである。ということはボクなど『ジャポネ』に座って絵になる男の一人ではないか。