定食・食堂・料理屋: 2006年10月アーカイブ

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 業平橋の「ときわ」でいろいろうかがって、下町に多い「ときわ」という食堂の由来に興味を持った。そして業平橋「ときわ」で教えてもらったとおりに業平から十間川を渡ると文花、そこに文花「ときわ食堂」がある。この業平、文花、京島という街並みは下町でももっとも楽しい無駄歩きコースである。
 十間橋を渡り最初の十字路の東南の角近くに「ときわ食堂」がある。今時珍しいほどに品のない色合いのビルの一階。間口一間、入ると一間半ほどの幅の店内。テーブル席が並び、入って右手上にテレビ、右手壁に品書きの黒い板が並ぶ。そして奥が厨房である。
 右手の品書きにはオムライス、チキンライス、定食やモツ煮込み、一品料理が並んでいる。迷っていたら店主らしい男性が奥に今日の定食がありますと言うので「豚かつ定食760円」にする。店内には遅いのか、早いのか、定食を食べる女性。テレビ画面には水戸黄門。

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 やや待って出てきたのが見事なものであった。思ったよりも大きなトンカツ、サラダがあって、小鉢に助子の煮付け、ワカメのみそ汁、漬物。この助子というのはご存じ、たらこの原料であるスケトウダラの卵巣。市場ではこれが出始めている。それを薄味の甘い汁で煮付けている。これがまことにうまい。これだけでもご飯一膳はいけそうだ。そこにやや大きめ柔らかく芳醇なトンカツなのだから幸せだな。
 まさに見事な定食である。あんまりうまかったので「ときわ」の由来はあまり聞けなかった。
 でも「ときわ」となったのは先代の女将のとき。どうも浅草「ときわ」の親戚筋にあたるという。

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ときわ食堂 東京都墨田区文花1丁目1-5

 築地にときどき魚を見に行くようになって20年以上になる。初めての築地行きは学生の頃から「食通」として通っていた友達と場内でさんざん蹴飛ばされて、疲れ果てて(当時の築地は恐かったのだ)、逃げるように場内の飲食店街にたどり着いた。そして彼が本で見たことがあるといって入ったのが「豊ちゃん」なのである。ボクはカツ丼、彼はカツの定食。1000円近い値段で「高いな」でも「期待大」でやってきたものに二人で「がっかり」した。
 どうして「がっかり」したかというと我々お茶の水・神保町で学生時代、そして仕事をしていると「とんかつ」というと「いもや」となる。そして「いもや」と比べて「豊ちゃん」のが明らかに貧弱なのだ。
 そして本題の「いもや」なのだが、神保町界隈、飯田橋、神田錦町まで点々と散在する。そして天ぷら、天丼、とんかつという3つの「いもや」があって、その手軽さ、うまさを誇りに誇っているのだ。「じゃっじゃあああん!」。若い頃、天丼の「いもや」には毎日でも行ける、でも「とんかつ いもや」は少々お高いと思っていた。でも行きたいな! と「とんかつ いもや」、神保町1丁目店を目差す。残念ながら昔の値段を思えていないがいつもお願いするのが「とんかつ」なんである。今、これが700円、今のボクはちょっとお金持ちになったからこれなら毎日食べても大丈夫だ? 昔、「とんかつとひれかつ、そしてご飯を」と行ったヤツがいてあまりのリッチさ加減に「こういうのがブルジョアだって言うの」とか「プチブルだろ」なんてバカなことを言ったのである。考えてみると今でも「ひれかつ」の値段を知らない。やっぱりボクは貧乏だ。

 この店に入ると右手に厨房、それをぐるりとLの字型にカウンターが取り囲んでいる。そのLの角近くに山盛りのせん切りキャベツがのせられた平皿が並ぶ。その斜め前に揚げ鍋。メニューはとんかつだけなので作業は単純である。注文と共に油に投げ込まれた「とんかつ」以前がピチピチ音を立てている。客は待つのだ我慢して我慢して。このとき周りを見回そう。とんかつを待っているのは3人、いや4人なのだ。平皿の数は4つ。そして最初の2枚が揚がる。すかさずお櫃(おひつ)からご飯、シジミのみそ汁が順番通りの客の前に置かれる。そしてシャクシャクシャクシャクとトンカツを切る音がして、また静かに客の前に置かれるのだ。「あと2人だ」とため息をつく。そして揚げ担当のお兄さんがキャベツ大盛りの平皿を3つ作る。店内は混んできて後ろの長椅子で待つひとも出てきた。そして待って待ってやって来たのが「ほんとうにこれで700円なのだろうか?」と思うほどデカイとんかつ。ご飯、シジミのみそ汁。
 待ってましたとばかりにトンカツソースをじゃぼじゃぼにかける。このソースが一升瓶ブルドッグソースであることはカウンターから丸見えである。ブルドッグはあまり好きではないのだが、そんなことを考えている余裕がない。キャベツにもくるりぐるりとかけ回す。そしてシジミのみそ汁で一息入れる。
 後はひたすら食らうのだけど、「とんかつ いもや」の凄いところはロース肉が驚くほど柔らかく、そして芳醇である。目がウルウルするほどうまい。せん切りのキャベツ、とんかつ、シジミのみそ汁でちょっと一休みしてとんかつ。食べたあとにまた来たくなるのだよ「いもや」のとんかつは。

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 地下鉄銀座線から吾妻橋を渡りを西に歩く。橋を渡ってすぐのところに佃煮屋が三軒あるものの、この通り自体はあまり好きではない。だいたいこの佃煮屋の「海老屋総本舗」というのがいかにも偉そうで嫌だ。結局ただ単に浅草から隅田川を渡るのが好きなだけで、いつもはこのまま両国駅まで回り帰宅する。まったくもっての無駄歩きコースなのだ。それを吾妻橋、業平まで歩いて十間川を渡り、曳舟駅まで歩いてみようと思ったのである。当然、面白そうな路地を見つけるとどんどん深入りしてしまうので目的地の曳舟が、錦糸町になったり、亀戸になったり、いつもながらに先の読めぬ無駄歩きとなるはずだ。
 ちょうど業平まで来たときに右手に「キムラヤ」という大きなパン屋を見つける。これはアンパンで有名な銀座「木村屋」と関係があるのだろうか。買う気もないのに道を渡る。ここで古色をおびた足袋屋を見つけたのは大収穫。そのまままた東に歩いて、また路地に迷い込んで見つけたのが「ときわ食堂」なのである。

 最近気になっているのが下町でときどき見かける中華の「生駒軒」、そして「ときわ」という食堂。『下町酒場巡礼 もう一杯』に「東京ときわ会」というのがあって、「すべての始まりは山谷にあった『ときわ食堂』。ここから暖簾分けが始まった」とある。

 小さな店である。真っ白な暖簾のかかる入り口はちょうど両手を広げたくらい。間口一間(180センチ)ほど、下町にある店舗の基準が二間だとしたらその半分しかない。その真横が駐車場なのだ。駐車場の方に回ると思ったよりは奥行きがあり細長い。午後5時前、やっているだろうか? と思って引き戸を開けると左手に3つほど並んでいる机で新聞を読んでいるオヤジさん。
「やってますか」
「やってますよ。どうぞどうぞ」

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 入ると合板の壁が迫まって来るように思える。それほど細長いのだ。その壁の品書きは少ないながらも洋食屋のものを中心に中華の炒め物もある。とにかく昼食抜きで腹が減っているのでご飯、ご飯と考えた末に「オムライス」に決める。最近、「ヤキメシ」というのに惹かれているのだが、なかなか注文するに踏ん切りがつかない。
 出てきたのは昔ながらのケチャップのかかった「オムライス」。脇には福神漬けというのもいい。これが素朴だがとてもうまい。ボクはオムライスは出来るだけ卵焼きを香ばしく焼いて欲しいと思っているのだが、まさに願ってもない焼き加減。

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 壁に大きな鏡があり、そこに「雷門 榎本逸郎」、「雷門 ときわ」、「花川戸 味のときわ」という文字がある。
 オヤジさんが奥の席に座ったので
「あの、下町に来るとよくこの『ときわ』という店を見ますね」
「ああ、あれね今じゃ少なくなったけど40軒くらいかな」
「どこかからの暖簾分けですか」
「浅草のね今ある『ときわ』の前にね『ときわ本店』があったの。そこから暖簾分けしたの。今はつぶれてなくなったね。『ときわ』というのはこの近所にも何軒かあるんだけど、オレがいちばん古いかな。戦後だけど昭和20年代かな入ったのは」
 お年を聞くと70歳だという。
 かたわらで女将さんが、
「そうね私たち結婚したのが昭和33年だから、絶対に20年代だよ。だからここを始めて30年くらいかな」
 浅草の『ときわ』というのは洋食屋なんですか、と聞くと。
「洋食も中華も和食もあってね。寿司だってあるんだよ。昔はなんでもあり」
 語るオヤジさんも女将さんもいかにも楽しそうだ。

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 しかし山谷にあったという「ときわ」、そして浅草の「ときわ」はどのような関係にあるのだろう。この食堂という形態の店は大正13年(1924)創業の神田須田町に始まるという。多様な客の注文に応えるべく中華も洋食も和食もすべて網羅していた。これが昭和になって、この食堂というのがあちらこちらに出来たのだろう。思い返すと四国徳島にも同様のものがあった。戦後には全国に食堂という形態の店が広がっていたのだ。

ときわ 東京都墨田区業平2丁目14-2

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