立ち食いそば・うどん: 2007年5月アーカイブ

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 ボクが普段から感じていることなのだが、交通機関の大きな団体(JRを中心として)が食に参入する。また系列に食に関するものを持つというのは「やめるべき」だと思っている。それは明らかに商業行為としては正しいが、食文化の深みを阻害する。その際たるものが関東JRの駅構内にある「あじさい」とか「小竹林」である。ちょっとは交通機関が食文化に対して敬意を持っているなら、これらのチェーン店は不要であることくらいわかるだろう。出来れば駅の立ち食いそばは周辺にある、そば屋や食品関連の企業に個性のある「立ち食いそば」の店をやらせればいい。もしくは若い起業家に任せてもいい。
 とにかく「あじさい」とか「小竹林」は無味乾燥、硬質で味気ないのだ。いつからこの国の人たちは、ある程度のレベルさえクリアしていれば、下町だろうが山の手だろうが、はたまた多摩地区だろうが同じ味でいいと思い始めたのだろう。情けないな。
 ちなみにマクドナルドだって、下町なら「コッペパンバーガー」、例えば愛知県なら「みそ味ぷんぷん味噌カツバーガー」の店を作って欲しい。各地でこの大型チェーン店を見るとこの国は食文化の衰退期にあるのだなと嘆かざるを得ない。そろそろ人々よチェーン店に嫌悪感を持つべきだ。

 そして「小竹林」の立ち食いうどんだが、これが気持ち悪る過ぎる。たぶん有名大学を優等生として卒業した優秀なヤカラが、ここまでのレベルを達成したいと作り上げた「鋳型にはめられたような味」そのものだ。こんなもの食っていて団塊の世代の大人は大丈夫か? 僕たち昭和30年代生まれだって大丈夫なのだろうか? 若いヤツも子供も大丈夫か? まるで死の世界そのもののディズニー(ここには人間以外の生き物がまったく存在しない)に夢のようなものを見ている、ふざけた人間になってはいないだろうか?
 ボクは心配でならない。こんな無機質さが次の世界大戦を平気で始めてしまうのだ。

 とにかく食は「揺れ」がなくちゃいけない。例えば本来関東の立ち食いそばの正しいあり方、醤油辛くて底が見えない奈落のような汁、そしてふやけたそば、うどん。はたまた今はない宇高連絡船の、立ち食いうどん。みんな誰かの個性や地方性で味が成り立っている。

 その上、この「小竹林」のそばうどんというのはゆるーくまずいのだ。何がいけないかというと上にある天ぷらと麺である。この天ぷらに香ばしさに欠ける。また衣が分厚く、どてっとしている。麺は表面がぬらぬらして噛むと粘液質に粘り着く。これを「モチモチ感」「こし」などと思ってはだめなのだ。麺の表面は清潔でさっぱりしていなくてはいけない。そして噛むと「シコっとして噛み切りやすい」、それが最上の立ち食い用うどんである。
 また汁の味わいはやや深く、やや醤油辛い。これをしてよく考えた、程良い味なんて思っていないだろうか? これが大間違いなのである。すなわち、ここに「揺れ」がない。まるでマクドナルドのハンバーガーを食べているように、「小竹林」のうどん、そばを食べているような。
 ボクとしては、この食の画一化だけは「赦せない」のである。

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