立石の街の賑やかさは、周辺に小さな工場が密集して、そこではお父さん、お母さん、お婆ちゃんまで一家総出で働いている。当然、食事を作るなんて出来ないわけで、いつの間にか無数の惣菜屋さんが出来た。また当然、居酒屋、寿司屋、そば屋も集まって来た。ここは日本の中小企業が作りだした理想の街とでも言えそうである。
その賑やかな通りに、忽然と建ち存在感を見せつけているのが「鳥房」である。いたって小さな店で、派手なところがあるわけでもないのに、誰もが「ほー」と見てしまうのはどうしてだろう。その地中海的な色合いか? 「鳥房」の大きな文字なのか? はたまた店内のお兄さんがなにやら大鍋と闘っている姿なのか?
とにかく近寄って見たいと思いながら、「いかん、いかんな」と一度通り過ぎてしまった。そうしてまた舞い戻り、店頭を行きつ戻りつしていたら脇に紺色の暖簾がかかっている。まあ「おいでおいで」しているような。はたまた可憐な乙女に「今日寂しいわ」なんて言われたときのような衝撃が走る。それで思わず引き戸を引いてしまった。
なかは外とはうって変わって賑やかなこと。左手に座敷があって、そこはあらかた満杯、右手がカウンターで2つ席が空いている。カウンター奥に二人連れの若い女性、手前にかなりお年をめしたオヤジさん。カウンターの中にはオバサン3人がいて、まるで見張られているかのようだが、そんなに感じ悪くもない。その後ろには戸があって、そこから料理が出てくる。どうもこの板戸一枚隔てて、あの店と繋がっているようだ。
カウンターのオヤジさんの横に座るようになんとなく指図され、なんとなく座ると、座り方が悪いと言われる。
「椅子をまっすぐにして」
椅子が斜め20度ほど左に向いている。これを修正すると
「はい、いいかな」
まるで小学校低学年の担任教師のような物言いである。
そしてメニューを見て「何にしようかな?」と考えていると
「鳥唐揚はぜったいたのんだほうがいいよ」
親切なオヤジさんのアドバイス。
「唐揚は580円、680円、780円のどれにします」
これは小、中、大であるようで、小にする。
「それと、ぽんずさしはいかがです」
素直に従う。あと燗酒1本。
「ぽんずさし」の奥に見えるのが突き出しの鶏の皮の煮つけ。これはうまくなかった
まず出てきたのが「ぽんずさし」。表面を霜降りにした胸肉にネギ、唐辛子風味のポン酢がかけられている。これはうまい。そして待つことしばし、出てきたのが「鳥唐揚」。「ぽんずさし」が手前にあったのを入れ替えてくれた。なんと若鶏の半分を揚げたものでキャベツなどの上にドデーンと寝ておわす。
これには唖然。手をこまねいていると、
「初めてかな」
やおらボクの割り箸をもって唐揚げを抑えて、腿をねじり引きちぎる。
「よく見ててね。次からは一人でやるんですよ」
あっという間に手羽、腿、胸のあばら骨までバラバラに外してくれた。
「このね太い骨は食べられないけど、これ、この細いのは熱い内なら食べられるからね」
そう言えば、唐揚げをたのんだらすぐに白い紙が置かれたのは、このためだったのだ。後はどんどんむさぼり食う。
「キャベツは後でね。ぽんずさしのタレで食べてね」
これで唐揚げと「ぽんずさし」の位置の入れ替えの理由がわかった。やるな、このオバサンたち。
これが、分解されて
こうなるのだ!
しかし、この塩コショウのきいた唐揚げのうまいこと。とくに軟骨の香ばしさにうっとりする。若いときなら3本は軽くいける。それほどにうまい。生冷酒を追加して総てむさぼるように食い尽くした。
ほっと一息入れると、面白いことを発見。意外にウーロン茶(缶入り)を注文してアルコール抜きで唐揚げだけを食べている人が多いのだ。そして目の前の品書きを見るとウーロン茶がいちばん左にある。また焼酎類がないのが残念なのだけど、ここは飲み屋ではない。唐揚げが主役の店なんだなと納得する。
「初めてだったんですね」
隣のオヤジから声がかかる。
「ここはね、席が空いてることは滅多にないの。あんたついてるね」
そうなんですか、ボクはついているんだな。勘定を支払って店を出ると驚いた行列が出来ていたのだ。夕闇迫る駅前通、店の前にくるとやはりお兄さんが鍋で作っているのは「若鶏の唐揚げ」。かなりの高温で揚げているようで持ち上げた唐揚げが「ジュアー」と悲鳴を上げている。考えてみるともう一本ぐらい食べられたかも知れない。
鳥房 東京都葛飾区立石7丁目1-3