定食・食堂・料理屋: 2008年12月アーカイブ

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 店に入っていきなり目に飛び込んできたのが、たぶん標準和名ガンギエイの煮つけ。
 金沢では「コッペ」という。
 ここで見た「コッペの煮つけ」のユニークであるのは皮がついていること。
 日本海から千葉県以北でよくガンギエイ科の「えいの煮つけ」を食べるけど、多くが皮を剥きとっている。
 皮付きの皮が思った以上に気にならず、むしろいい食感となっている。
 こんなことも新発見だ。
 エイの仲間でも皮の使える種とダメな種がありそうだ。
 『寺喜屋』のちょうどいい加減の味つけとともに絶品だと思う。

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 「いわしの塩いり」は金沢の代表的な家庭料理だ。
 初夏の小振りのマイワシか、秋から春にかけてのカタクチイワシが材料。
 これを海水くらいの塩水でゆでて、ゆでた湯を捨て、鍋で不要な水分を煎り飛ばす。
 これを生酢と醤油、大根おろしで食べるもの。
 簡単至極な、こんな手軽な料理が、これほどに感動的にうまいのだと初めて知った。
 我が家でも作っていたものだが、ひたすほど生酢を回しかけるのだというのがわかっていなかった。
 それを醤油を染みこませた大根おろしとともに食べるのだが、ついつい頬がゆるむ一品だった。
 『加賀の田舎料理』(井上雪 懇談社)に一皿の塩煎りが残ったら、翌日電子レンジで温めて食べるとまた違ったうまさだとある。
 これも近々試してみたいのだが、なかなかそれが実現できない。
 それほどに「塩煎り」はうまい。

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 「大根寿し」は大根に身欠きニシンを挟み込んで麹に漬け込んだもの。
 意外なことに個人的には名物とされている「かぶらずし」よりもうまいと思う。
 塩漬けのブリよりも身欠きニシンの方が旨味が濃い。
 また大根の方がさっぱり、きりりとして、加えるに舌をひんやりさせるのがいい。
 『寺喜屋』のは自家製だとのこと、帰宅して後悔したことが、お土産にできなかったのだろうか、聞けばよかったのだ。

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 『寺喜屋』の名物ではないだろうか「ぶり大根」は。
 ブリが主役ではなく、ブリをだしにした大根が主役。
 味つけは甘味も醤油気も控えめ。
 大根のうまさが際だっている。
 これは毎日作っているからこそできる味だ。
 大根二つに対して添え物にみえるブリの粗もなんともうまい。

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 粉をふいた「じゃがいもの煮たもの」は作るのにコツがいる。
 味付けも、じゃがいもらしくホクホク感を生かさなければならない。
 それが満点に近い味なんだから、素晴らしい。
 もっと食べたいと思うが、残念ながら腹に隙間がなくなる。

 刺身はマダイ、「車だい(マトウダイ)」、「がんど(ブリの若魚)」、しめサンマ。
 しめサンマはともかく、総て鮮度抜群の刺身だ。
 がんど(ブリの若魚)がこんなにうまいのが不思議でならない。
 日本海で珍重する「車だい(マトウダイ)」のもちっとした食感も光る。

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 めぎすはニギスであり、これを小骨ごとすり身にして団子としている。
 その団子を澄まし汁に入れて地味な一品だがあなどれぬ。
 ややさっぱりしすぎるほどの汁だが、塩加減がちょうどよく出しの味わいが殷々と続く。
 沈んでいるニギスの団子は骨ごとすりみにしたものらしく、微かに歯に当たる物を感じながら、その旨味に充実したものを感じ取れる。
 近年、これほど豊かな澄まし汁を飲んでいない。

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 燗酒はちろりで出てきた。
 熱燗でもなくぬる燗でもなく、ちょうどいい温かさだった。
 最後にもらったご飯もおいしくて、満腹になって、なおまだもの足りない。
 もっともっと皿数を増やせば良かったと後悔しきりだ。
 最後に、これだけ食べてもひとり二千円以下だった。

寺喜屋 石川県金沢市野町犀川大橋詰
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑(いちばぎょかいるいずかん)へ
http://www.zukan-bouz.com/

 魚を食べさせる、という意味合いで理想的なものが「魚屋でありながら食堂」というもの。
 『寺喜屋』は今では魚屋を廃業しているが、そのよさが残っている。
 観光的な地域から外れているために、一見さんという言い方はおかしいのだけど、たぶん観光客ではなく、実質的な「うまいご飯」を食べたくて来る人が多いのもいい。
 旅に出ていると、ついついのぞいてしまうのが魚屋の店頭だ。
 そこに見事な魚があって、「これ食べたいな」と思ったときに、すぐに「奥で食べられる」。
 刺身、煮つけ、塩焼きに汁とご飯があれば言うことなし。
 ちょっと昼間から羽目を外して熱燗などをいっぱいやれるとうれしい。
 この店頭から奥までの時間や距離(長さ)が短いほどいい。

 ときどき観光地の魚屋で食堂を併設しているところがある。
 店先で魚を見ていて、奥に入ったら立派な写真入りの品書きが置かれていて、そこにお座なりの定食が並んでいて心底がっかりすることがある。
 それだけで店を飛び出したくなって、不満を無理に抑えるだけで食欲が失せてしまう。
 きっとそういった店の経営者は、魚屋が持つ食堂の利点・意味がわかっていないのだ。

 話はそれるけどボクが今とりくんでいるのが「島根県の魚をいかに売るか」ということ。
 島根県には国内でも有数の観光地が数カ所あり、しかも水産県でもある。
 例えば松江市内には素晴らしい魚屋が多々あるのだけど、観光客には店先の見事な魚が遠く遠く感じられるのだ。
 店先の魚を遠く感じさせるのは、旅館、料理店、居酒屋(当然一部の店はのぞく)がおざなりの料理を出しているから、目の前の魚にほれこんでいないためだし、機動性(季節ごとの臨機応変さ)を欠いているからだ。
 そこにあるのは地の魚のなれの果てであり、言うなればカスだ。
 地場で水揚げされた魚が近く近く感じられる店があったら、どれほどに水産県島根を宣伝できるだろう。
 また水産物の消費量も増えるはずだ。

 閑話休題。
 『寺喜屋』は魚屋をやめてしまっている。
 では金沢に揚がる魚からして店で出す料理が遠く感じるかというと“否”。
 むしろ近く感じられる。

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 早朝から中央市場を歩いている、そのままの魚がここにあって、しかも金沢の伝統的な料理が存在する。
 中央市場には地元の方だけではなく、他の地方からやってきている人も多く、市内で地元ならではの料理が食べられないと言う。
 要するに華美にすぎ、質が伴わないものが多すぎるのだろう。
 そこへいくと、『寺喜屋』の料理には飾りがなく、しかも地魚があって、味がいい。

 とかく観光地には嘘が多い。
 法外な料金に見合わぬ料理が膨大に存在して、ボクなど「だから観光地は嫌いだ」と思うのだけど、「『寺喜屋』で食べた」がために金沢の印象がすこぶるよくなっていったのだ。

寺喜屋 石川県金沢市野町犀川大橋詰
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑(いちばぎょかいるいずかん)へ
http://www.zukan-bouz.com/

 1980年代のなかばに福井県から日本海を北上する旅に出た。
 二泊三日で出来るだけたくさんの港と魚を見たい、というあてのないクルマ旅だ。
 当然、金沢では近江町市場を見て、もうひとつの目的であった『寺喜屋』を目差した。
 クルマで犀川大橋までたどり着いたとき『寺喜屋』は探すまでもなく、店の前にお客が並んでいたために、否応がなくそれと知れたのだ。
 現在もその当時も同じように、“並ぶ”のが嫌いなので、そのままクルマを能登半島に向ける。
 当時『寺喜屋』は表は魚屋で、奥が食堂になっていたはず。
 ラジオ番組で永六輔(著名人なので敬称略とする)がうまいと言ったのを聞いて、“行きたい”と思ったわけで非常に短絡的な話ではある。
 ちなみにボクは、当時どころか小学生のときから永六輔ファンをやっている。
 そのときの諦めが、今でもしこりのように残っていて、同行のヤマトシジミさんを誘っての『寺喜屋』だ。

 市内近江町市場を見て、武蔵が辻バス停から野町を目差す。
 店に近い停留所をひとつ行き過ぎてしまった。
 雲一つない蒼い蒼い空、日差しが強くて風がない。
 そこを明らかに太りすぎの旅人二人が腹をすかせて、のっしのっしと歩く光景はいかなるものだろう。
 古い三階建ての木造建築、神社らしい土塀、小さな和菓子屋、バスを降りて家に向かっているらしき母子。
 この短い時間が唯一旅心を感じられたのだ。
 ふと目的のない旅がしてみたくなる。
 「寺喜屋という店を探しているんですけどご存じありませんか」
 人に問い。
 ヤマトシジミさんがケータイで場所を確認しながら犀川べりにたどり着く。

 『寺喜』とあるビルの割烹料理屋があって、一瞬これが『寺喜屋』のなれの果てなのかと心配になるが、すぐ先に昔と変わらぬ『寺喜屋』があった。

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 犀川大橋は工事の真っ最中、その前にある店は当時と変わらないものの、店の前に魚屋らしい様子がない。
 脇に暖簾がかかっていて、そちらから同行のヤマトシジミさんが引き戸を開けて「もうやってますか?」と尋ねたのが『寺喜屋』の営業開始時間である11時半のほんの少し前。
 前回の行列の印象が残っていたので、満を持して営業開始時間を狙ったものだ。
 店に入ると、大皿にうまそうな総菜類が並ぶ。
 ジャガイモを粉ふきに煮たもの、いわしの塩いり、青菜の煮浸し、たらの煮つけ、帆立の煮物、こっぺの煮つけ。
 端から見ていくに、全部食べたい衝動に駆られる。
 ここでとくに金沢らしいものが「いわしの塩いり」である。
 金沢から能登半島までの地域にみられる伝統的な料理で、ボクも文献でみて自家製している。
 これを地元で食べられるのがうれしいし、自家製するものとどう違っているのかを確かめられるというのにワクワクしてくる。

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 さて、引き戸の奥で「やってますよ、どうぞ」と言った女性はどうやら開店準備で忙しいようだ。
 奥の小上がりとなった座敷で、注文をとりにくるまで棒茶を飲みながら待つ。
 棒茶は茎茶を強く煎ったものでコクがあり、香ばしい。
 これも金沢らしいもので旅人にはうれしい。
 考えてみるとヤマトシジミさんともども午前6時以来、ほとんど歩きっぱなしだ。
 座敷に座り込むとふくらはぎがジンジンする。
 ほどなく、ややせわしない様子で注文を取りに来てくれた。

 注文したものを挙げていく。
「こっぺ」はたぶんガンギエイの煮つけ。
「いわしの塩いり」。
 いわしはカタクチイワシだと思われる。
 これを塩煮して最後に水分を飛ばしながら炒る。
「大根寿し」。
 金沢と言ったらブリを使った「かぶらずし」が有名だが、これはあくまでも晴れの料理。
 対するに大根ずしは、日常的なものと言えそうだ。
 大根に身欠きニシンを挟み、麹で漬けたもの。
「ぶり大根」。
 たしか当店の名物であったはずだ。
 ブリではなく大根が主役だ。
「じゃがいもの煮たもの」。
 粉ふき加減に惹かれてお願いした。
 男爵系を煮くずれさせないで、適度に粉を吹かせてたくのはとても難しいのだ。
「刺身盛り合わせ」。
 マダイ、「車だい(マトウダイ)」、「がんど(ブリの若魚)」、しめサンマ。
「めぎすの吸い物」。
 めぎすはニギスであり、これを小骨ごとすり身にして団子としている。
 そしてボクは午後から仕事がないので、燗酒。
 午後からも仕事があるヤマトシジミさんにごめんね、ごめんねといいながらいただく。

 さて「金沢市寺喜屋での昼ご飯」は02へ続く。
 
寺喜屋 石川県金沢市野町犀川大橋詰
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 ボクの生まれたのは徳島県美馬郡貞光町南町。
 四国で二番目に高い山、剣山への街道筋にあたる狭い道路が商店街になっていて、それはそれは小さな街だ。
 宮尾登美子の「天涯の花」では隣町の太田というのも町域に入っているが、本来の貞光はまことに狭い地域であった。

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二層うだつのあがる街並み

 市街地は貞光川にそって広がっている。
 子供の頃には大衆浴場三軒、ガメラや海底大戦争、若大将シリーズを観た映画館(今もある)、鄙には希な大きな長屋が道沿いにある。
 そして貞光の街を特色づけるのが江戸時代、明治期、大正期、昭和初期の商家の建物であり、その黒い瓦屋根にあがる二層のうだつだ。
 これが今でもちゃんと残って人が暮らしている。

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町に今でも残る巨大な長屋

 さて、ボクは商店街に生まれた。
 その家から北に歩いていくと、いろんな店が連なっている。
 通りを隔てた前が貞光薬局、金川金物店、真鍋の下駄屋、谷米屋、和菓子の一屋、時計屋さん、阿川酒造。
 隣の家が阿佐商店、そのとなりが藤本、造り酒屋の折目があり、美人のお姉さんがいた谷医院、飯田の散髪屋(さんぱっちゃ)、福島楽器店、そしてまたまた北に歩いて明治橋を越えると果物屋、鞄屋、洋品店などがあり、武田人形店、魚屋の三崎屋、千代の屋、そして現在でも営業している飯田食堂がある。
 商店街にはたくさんの食堂があったのに、古くからの店はたった二軒だけとなっている。

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 特に飯田食堂はたぶん明治か江戸時代の貞光ならではの建物であって、そのまま改築することなく営業が続けられているのだ。
 懐かしいので帰郷するたびに必ず飯田食堂にだけは立ち寄る。
 だんだん衰退していく徳島うどんをだす希少な店でもあるし、昭和三十年代いらいの懐かしい中華そばだって、徳島ならではの“ばらずし”、“きつねずし(いなりずしではない)”だって食べられる。
 一年ぶりの今回はかなり腹減り状態だったので、日替わり定食を食べる。

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 出てきたのは単なる家庭料理的なハンバーグ、焼き鶏、なすのみそ煮、大正金時、みそ汁。
 平凡極まりないものだろうと、ひとくちハンバーグを食べてみて、じわじわと驚きが脳裏に広がってくる。
 これが懐かしい手作りの味だった。
 ちゃんと丸めて、平たくして作っていて、ファミレスの焦げ目すら計算され尽くした無機質さの対岸にあるもの。
 みそ汁の、味噌の味がこれまた昔ながらのものだし、ナスの炒め煮、飯田食堂自慢の焼き鶏もいい。
 そしてそしてだ。
 ボクがいちばん感動したのは大正金時の煮豆。
 我が故郷では、ばらずしにだって煮豆が入っている。
 そして煮豆といったら大正金時以外には考えられない。
 これをほっくりと甘さ控えめに、粉を吹かせて炊いてある。

 全部手作りの温もりのある定食が650円。
 ここで昼を食べるたびに、「故郷で暮らしたい衝動」が起きる。

飯田食堂 徳島県美馬郡つるぎ町貞光字町24-1
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