旅・無駄歩き: 2006年7月アーカイブ

飯能夏祭りを歩く01

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 飯能に祭があると知って姫を連れて八高線に乗り込んだ。どうもこの日、埼玉県の数カ所でお祭りがあるらしい。ところが車内はガラガラ。いつもの八高線の長閑さである。目の前にはユダヤ系らしきアメリカ青年がいる。姫が車内で暴れ回っているのを尻目にじっと正面を向いたまま。ほとんど瞬きもしない。東福生で電車を降りた。
 ゆっくりと狭苦しい軌道の上を走る電車の前面に広がる緑は濃く、そしてどこか暗い。梅雨の真っ盛りの感をいだき寂しくなる。金子という駅に着いて駅から出る人をみて雨が止んだことを知る。そして東飯能に到着する。
 10時半過ぎ。東飯能は思ったよりも寂しく、飯能市の中心が西武線飯能駅にあるのがわかる。
 駅を下りるとロータリーがある。左手にファミリーマート、その前に子供が数人見られるが、お祭りがあるなんていう雰囲気はない。ロータリーからそのまま中央通りというのを西に歩く。この通りがどうにも不思議である。飯能の繁華街、商店街を作り上げているのは、ここと南側に平行に走る飯能銀座商店街、駅に続く南北の駅前通。この3つが3つともほどほどにクルマの往来が激しいが、どれひとつとして幹線だとは思えない。どうも飯能は幹線道路から外れた行き詰まりの場所にあるのが町中にあってもわかる。それでは、この賑やかで古い町筋はどうやって形成されたのだろう。

 街には蔵や古い建物が多く残っている。これは川越ほどではないにしても歩いていて楽しい。この町の繁栄は地図を見る限り秩父からの材木などの集積地としてのものではないだろうか? 秩父の産物というと石灰と木材であろう。これは寄居まで下るのか、飯能に下るのか? この辺のことは少しずつ調べていきたい。また現飯能市は埼玉県にあっても広大な市であるが、ボクのこの文章中の「飯能」は明らかに旧飯能町の話である。

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提灯、傘を専門に売る店というのもいまどき珍しいのではないか? ひょっとしたら提灯を作っているんだろうか? ボクの生家でも提灯を作っていた

 飯能の通りは長く、そして商店がまだ健在だ。中央通りには古い和菓子屋、傘屋などが残っている。
 駅前通にぶつかって西武飯能駅前で銀行に立ち寄る。この駅周辺はありふれた近郊都市のものであり、チェーン店が目立ち、つまらない。フライドチキンやドーナッツ屋があるなかを浴衣姿の娘を見つけて姫が「かわいい」と言う。この浴衣姿にやっと祭らしさを見る。そのまま飯能銀座商店街の駅前通から西側を歩く。

 ここは一方通行のためかクルマの往来が少なく、とても歩いていて楽しい。
 まず左手の『まるしん』という食料品店に目を奪われる。何度見ても見事である。たぶん出来た当初は他を圧する新進の建物であっただろう。店の正面右側が総合食料品店、左側が喫茶店であった。喫茶店は文字だけしか残っていない。この建物で惹かれるのが建物上方の「丸に新」の赤いロゴ。またそれ以上にいいのが階上が住居スペースであること。ボクも片田舎の商店街に生まれているので、こんな建物を見ると、ついその暮らしを思い浮かべてしまう。

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 道の左手には『杉山フルイ店』。店先には多種多様な竹製品。またこの店は釣具店であるらしく店の正面に「ハヤ、ヤマベ竿、山女竿、鮎竿、鮎毛鈎、入漁券(年券、日釣券)有ります」と書かれている。「鮎毛ばり」があるということは入間川ではどぶ釣りができるのだろう。また最近いろんな町を歩いていて気がついたこと。「竹カゴなどを売る店が釣り具を売っている」ことが多々あるように見受ける。どうも釣具屋というのは竹製品とイコールであったわけで、このあたりも気になる。

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 そして『杉山フルイ店』の前には和菓子屋の『丸米 伊勢屋』。ここで姫と団子を食べる。姫もボクも醤油味の団子が大好きだ。その醤油味に2種類あり、「むらさき」と「久下(くげ)」というもの。「むらさき」が醤油味なのはわかるとして「みたらし」が「久下」というのは知らない。調べてみると飯能市入間川河畔に「久下」という地名があり、なにか関係があるのだろうか? この「むらさきだんご」が醤油辛くてうまいのだが、姫はひとつだけ食べてあとはくれた。

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「久下(くげ)だんご」=「みたらしだんご」というのが面白い

 右手に『マキタ』という時計店。この個人商店の時計店が今では希少である。その隣にモルタルの長屋風の建物があり『吉川理容店』。ボクの次回の目的はここで散髪してもらうことに決めてしまいたい。でもそうそういいタイミングで飯能に行けるだろうか。

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 前回豆腐を買った『とんき食品』がある。今回の飯能で大発見があり、それがこの『とんき食品』と関わることであった。それから自家でお茶を焙じている『安田園』を過ぎると目の前が急に夏祭りらしくなった。

 さっきの老人は何処に消えたのか? その先にあるのが氷川神社、ちょうどその正面の路地に豆腐屋を見つけたので撮影していると、近所のオバサンが怪訝そうにこちらを見ている。
「いや、路地裏の豆腐屋っていいなと思いまして」
「そおー、あそこは製造もとだけど小売りもしてますよ」
「いいところですね。こんな路地に豆腐屋があって」
「いえね。少し前なんだけどここを引っ越そうと思っていたの」
 路地の遙か向こうに見える高層マンションを指さして
「見えるでしょ。この辺の人も何人かあすこに引っ越していったのよ。あんなとこ住みやすいのかね」

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 うまそうなとんかつ屋がある。陶芸ギャラリーがあって入ってみると、もう店はやめてしまったという。そして今回の大発見。北千住にも天麩羅の「いもや」があったのである。でも神保町界隈の「いもや」と関係あるんだろうか? ここにはアルコールも置いてある。

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 そして駅前通に抜ける。

 今度は駅前通りを渡り旧日光街道を南に歩く。なんだか飲み足りない気分になって怪しい路地に入って線路際の通りにはいる。ここは飲食店やキャバクラなんかが密集している。白熱灯の黄赤をおびた光が目映く感じるのは暗い路地を抜けてきたせいだろう。
 この道を撮影していると、可愛らしい少女にぶつかられる。少女かと思ったら、短すぎるスカート、乳房が半分以上はみ出した白いブラウス、今風の目がパキッとしたメイクのキャバクラ嬢である。どうもわざとぶつかったのではないようだけど。
「なかに入りません」
 とても平坦な口調でそんなことを言われる。ついふらふらっと行きそうになったが、どう見てもキャバクラで遊びそうなタイプには思えなかったようでするりと消えてしまった。

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 その細長い通りを抜けるとちょうど京成電車が北千住に向かっている。ここから駅にもどったところで『大升』を発見する。ここも彼の『下町酒場巡礼』にのっていたはず。安くていい店だ。

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 ほろよい気分で北千住までもどる。途中調剤所のある古い薬局、つげ義春の描きそうな寂しい路地を抜ける。やっぱり北千住はいいな。ドローンとした頭に永井荷風が、はたまたつげ義春の線画が浮かび上がってくる。時間よとまれ、我の憂さよ暮れてしまった下町の空に去れ。

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 なんだか丸井が迷路のように感じられる。とにかく出口出口。千代田線から出てきて、いつの間にか丸井に入ってしまっていた。そうして「せっかく北千住まできてどうしてこんなつまらないところにいるんだ」と出口を探すのだ。
 どうにかこうにか飛び出して、たどり着いたのが旧日光街道、そして大衆酒場の『大はし』である。何度か来て、そのたびに店が開いていない。これで3度目、やっと入店できた。ここで楽しい時間を過ごして、少し周辺を歩く。

 懐かしい日本建築の洋品店、また今回初めて鼈甲店があるのを発見。『星子』という店だが、これは星子さんという女性が経営しているのだろうか、もしくは苗字かな? そして第二の目的『槍かけだんご かどや』はやっぱり夕方のせいだろう閉店している。

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 そのまま路地に迷い込む。と、途端に苦手な犬に出くわす。「ジョン大人しくするんだ」と言って災難を回避する。このワンワン、面白いことに玄関につながれていて、引き戸の奥にエサ入れが見える。

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 逢魔が時、ふと見上げると梅雨の分厚い雲が切れて青空が見えている。ふと風を感じて目線を落とすと黄色い帽子の子供が素早く駆け抜ける。あまりの素早さに妖気さえ感じるのだが気のせいだろう。

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 米屋の角を曲がろうとして、店内をのぞくとぬいぐるみがいっぱい置かれている。その上、店の前の自動販売機にまで無数のぬいぐるみ。米の袋以外にも洗剤やラップもあって、考えてみると多摩地区ではこの手の店が絶滅状態にある。そして私好みのあきたこまちのお姉さん。
 路地を進んで白いクルマの上に白黒の猫がいる。ボクのことが気になっているのは耳の動きでわかる。「ちょっと顔こっちに向けろよ」とカメラを向けるが「知らんぷり」している振りをしている。それを見ていた近所のオバサンが、「この猫、カメラに写るの好きなのよ」だって、そんなバカな。

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 そして四つ角に来て、ここにあるのが『増英かまぼこ店』。店の脇でおでんを売っていて、近所のオバサンや子供がよく立ち食いしている。それで「おでんありませんか」と問うと
「夕方にはいつも売り切れるんだよ」
 残念なので薩摩揚げを買う。その先に生花店、そして廃屋とも言えそうな建物、「ユニークな店」のカンバン。その先をか細い老人が足を引きずりながら右に曲がり消える。そんな情景を撮影していてまた『増英かまぼこ店』を振り返ると確かに「おでんおわり」という木の札があり、「まいどありがとう」「またあした」と頭を下げているのが埴輪なのだ。

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 仕事場からお茶の水に帰るためには駿河台の坂道を上っていかなければいけない。この坂道が嫌いなのだ、だいたい並ぶ商店にろくな物がない。確かに楽器店、レコード店、楽譜屋などお茶の水らしさを感じるのであるが、ほんの一握りの商店が痕跡的に残っているほかは総てチェーン店ばかりである。だいたいチェーン店や無駄に大きなビルを開発するヤカラは文学的知性の欠乏をきたしているに違いない。そうでなければこんなに冷血的な街を作れるわけがない。

 ということで用もないのにしばしば地下鉄神保町駅に下りる。そしてしばしば寄り道・無駄歩きをする。そんな寄り道ルートでもっとも時間的な余裕のないときに選ぶのが丸の内線ルートである。丸の内線で新宿を越えて荻窪で古本を探す。新高円寺、南阿佐ヶ谷でおりて、小さな古本屋を冷やかしながら北を目差して中央線に乗り換える。ともども古い店、また今時の店ながら不思議な店が多くて楽しいルートなのだ。

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 今回は新高円寺で下車、「高円寺ルック」を抜けて中央線に乗り換える。ここは歩行者専用の道、ゆっくりぶらぶらと北を目差す。古本屋があるたびに時間を費やして、北に向かう道すがら、『ベルゲン』というパン屋さんを発見した。我が家からクルマで10分ほどのところに同じ名前のパン屋さんがあって、我が家では食パンはいつもここで買っている。そして行くたびに店名の由来を聞こう聞こうとしてもう10年以上たってしまっている。たしかベルゲンというのはドイツの町の名前であるはずだ。

 そして右手にぼろぼろのさびたトタンをむき出しにした元店舗らしい建物。引き戸4枚は硬く仕舞っている。そしてその隣に古着屋と古本屋が同居した店があって風呂のすのこに「アニマル洋子」と書かれている。ここ通るたびに入ってみたいと思うのだが果たせない。

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 ほどなくアーケードがついてなんだか薄暗くなる。この左手に『愛川屋』という練り物屋。この店で過去になんどか薩摩揚げを買っているのだが、年に2、3度このルートで帰るわけで、当然、いつも「初めて買います」という芝居をする。

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 また北上すると大きなT字路がある。この北に向かって右側に肉屋がある。この肉屋さんではコロッケなどを売っているのだが、この時期はいつも近所の子供に阿波踊りを教えている。この光景、確か3年くらい前にも見ている。これを股上の超短いデニムパンツをはいたお姉さんたちが笑って通り過ぎていく。このお姉さんたちも小学生のころ習ったという感じ。

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 そこからまた北に入って左手に曲がると長い長い飲食店街が続く。この入り口にある食堂で昼抜きの夕食ともいえそうにない定食を食べる。確かここは6年振り、安くてうまいので、またまた感激。

 そのまま路地を進んで曲がると仁王像が左右に建つお寺の山門。ここを曲がると小さな魚屋がある。この魚屋の刺身の鮮度、また品揃えただもんじゃない。こんど涼しい時期だったら買ってみたい。

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 もう駅が近いのが人の数から感じられる。この右手に大阪寿司の店があるのを知らなかった。どうして気づかなかったんだろう?
 時間がないので後半は駆け足となった。高円寺駅、スイカで入って階段を駆け上がると、ちょうど高尾行きがするすると入ってきた。車内はかなりの混み具合。えいや! と身体を割り込ませて無駄歩きが終わる。

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 ほどなくどんよりとした曇り空の下、中川の川辺、本奥戸橋のたもとに出る。下流の小岩に住んでいたときに何度も総武線で渡った中川。中川、新中川の東西は有名な海抜0メートル地帯。大学に入ってすぐに住んだ小岩は決して住みやすいところではなかった。世田谷、杉並、府中と引っ越しを繰り返したが、生き物密度は最低であった。その上、排水ポンプの工事の地響き、夏の暑さと言ったら耐えるに耐え難いものだった。小岩でも総武線の北側には椎名誠さん、木村弁護士などが集団生活を送っていた。そのユーモラスで逞しい暮らしぶりと比べてひ弱だったものだ。そしてほぼ30年振りに見る中川、とてもきれいととは言えないながら豊かな流れを見るとなんだか気分が和らいでくる。本奥戸橋を中程まで渡り、ふとため息をついて、また引き返してくる。

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 立石の駅から仲見世と平行に伸びているのが「立石駅通り」。この踏切までの区間がチェーン店が多くつまらない。なかほどにぽつんと和菓子屋、またぽつんと呉服店があり、ここに昭和の商店街の破片を見るようだ。
 京成線の踏切を渡るとまた賑やかな通りに変わり、飲食店が多くなる。見ると古本屋らしいのがあるが、時間をとられるので入らない。右手に「鳥房大東店」という魅力的の外観を肉屋を見つける。間口の狭い店の右手には鶏肉が並ぶが左手では男性が大鍋でなにやら作っている。そのまま進み、この通りを抜けると斜めに道が交錯し、手焼きせんべいの店がぽつんとある。

 道の北側は住宅地であるようだ。駅方面にもどろうと曲がったのが「立石すずらん通り」。ここに古めかしい酒屋を発見、その店先にカウンターがある。覗いていると店主らしき老人が出てきた。
「古そうなお店ですね」
「そうだね、古いことは古いけど、ここいらでいちばん売上の悪い店って言われてね」
「立ち飲みやってるんですか」
「だめ、昔はやってたんだけど、今は足腰がダメでね」

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この店の奥にあった木のカンバン。これはいったいいつ頃のものだろう? またこの酒蔵はまだ健在なのだろうか? 「君が代」、土肥酒造本家の「晴菊」、一得酒造の「一徳」どれも飲んだことがない

 そこからまた「立石駅通り」に戻り「鳥房」の脇を見ると暖簾がかかっている。思わず引き戸を開けると、右手にカウンター、左手に座敷。店内は8割方埋まっていて繁盛の様子。ここでお銚子1本、冷酒1本と名物鳥の唐揚げ。かなり酔っぱらって、いい気分である。そのまま駅にもどろうと踏切で通過電車を待っていると自宅からケータイ。何か買ってきてというので仲見世に舞い戻る。
 駅を下りてから2時間も経っていない。それが店をのぞくと惣菜などはあらかた売り切れている。仕方なく行列の出来ている駅前の「愛知屋」でコロッケなどを買い、立石を後にする。

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 立石の駅に滑り込んできたのは京浜急行の電車。野球少年たちと乗り込むが車内はガラガラ、しかも少年達の大人しいこと。ふと目を上げると車窓から夕闇迫り来る荒川が見える。鉄橋、灰色から闇に変わる雲の重なり、これを背に健康そうな娘が夢中になってケータイメールを打っている。京成線を半蔵門線に下りて少し長すぎる無駄歩きは終わりとなるのだ。

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 神保町サボール2まで来て見上げると曇り空ではあるが、雨は降りそうにない。「大雲堂」でも覗こうかなと思ったが、予期せぬ出費が恐いので慌ただしく地下に下りる。そして半蔵門線で押上に向かう。いつものことながら隅田川の地下をくぐるのは不気味だ。こんなときに地震に見舞われたらどうなるんだろう。押上から京成電車に乗り込みたどり着いたのが立石である。葛飾区は江戸川を挟んで対岸は地がと言う土地柄、その市川は永井荷風の終焉の地でもある。また葛飾柴又は当然、「男はつらいよ」の世界が広がる。でも柴又の帝釈天よりも遙かに行ってみたかったのが立石である。愛読書『下町酒場巡礼』の『うちだ』、そして立石仲見世は都内でももっとも魅力的な商店街であるという。

 ホームに下りると前を歩くのは明らかに海外からの女性。またその横に不思議なファッションのお婆さんが階段をやっとこさのぼっていく。登り切ると駅は思ったよりも古く、そのまま改札口を出て、人の流れに従い右の階段を下りる。おりる鼻からカンカンカンと踏切の音、駅の階段を下りるといきなり喧噪が襲ってくる。

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 階段を下りて右に曲がる。この流れにそって歩く人のなんと多いことか。またすぐそこで売り声が響いてくる。立ち話を道の真ん中でしているお婆さんと自転車の女性。その自転車の前後に子供が乗っている。その女性の美しさに驚く。まだ逢魔が時には早いぞ。流れを止められて頭上を見上げると「立石仲見世」の文字。入り口の左右にうまそうな惣菜屋。片方は漬物が多く、かたや煮物が多い。その隣の立ち食いそばも使い込まれた紺暖簾を垂らして、思わず入ってみたい店構え。そしていきなり「うちだ」に出くわしたのだ。「うちだ」ではなく「宇ち多」なんだろうか? もしくは「宇ち田」、どうでもいいのだが、『下町酒場巡礼』に3時開店。5時には売り切れるものが出る、ほどの人気店とある。それを思い出していきなり入る。ここで梅割3杯、モツ煮込みなどなど。

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「うちだ」で飲む内にカメラの電池切れとなる。ほろ酔い気分で仲見世に出るが電池を売っている店はない。仕方なく、仲見世を出てイトーヨーカドーに入る。こぢんまりしたスーパーではあるがレジには行列が出来ている。でも下町らしい品物はまったく見あたらないのはつまらないぞ。
 イトーヨーカドーから仲見世に向かう中間に有るのが立ち食いの「栄壽司」である。思わず暖簾をくぐって軽く寿司をつまむ。大振りの握りが安く、そしてあなどれぬほどにうまい。

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 仲見世に戻り歩くに、魅力的な店が多すぎる。餃子、キムチの専門店、人形焼きの店がある。「喫茶軽食、和洋菓子 松廼屋」という喫茶店? が不思議である。赤飯からパフェ、あんみつやソフトクリームまであって、これもついつい足を取られそうな店だ。仲見世出口に手焼きせんべいの店。そして広い通りが奥戸街道である。

 街道を西に向かう。古い造りのそば屋、製麺所もある。道路を渡り、路地に入る。この路地の「米穀山崎商店」というのがいい。

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 揚げ物、惣菜を売る肉屋の「鳥善」。「黒須豆腐店」の店先にあったのが「丸永納豆」。当然、2個買う。豆腐も買いたいが気温は明らかに30度を超えて蒸し暑い。正面に「仲見世」の入り口を見て、そのまま奥戸街道に抜けようかと思いながら、また路地に入る。自転車が行き来できるほどの三角地帯に屋根にグチャグチャっとキウイをからめた家。ここまでになるにはかなりの月日が経っている。その奥に続く路地がとても懐かしい思いに駆られる。

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 路地を曲がりに曲がり、また奥戸街道に出て中川を目差す。中川にかかる橋が見えてきてちょっと感じのいい酒屋を発見。ここで松戸の「Nihon Citron」を発見。ついでに面白い絵柄のワンカップも買って両手がふさがってしまう。店を出てレシートを見て「美濃屋」という屋号であるのを知る。また奥戸街道の反対側にも酒屋があって、なんだか飲み助の多そうな町だな、と思う。

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入ってみても気づかなかったが古い木造建築であったのだ

 西武線には縁のない人生を送ってきた。人の性格も暮らしも、その生活する沿線によって大きく変わってくるように思えるのだが、東京の私鉄でもっとも利用回数の少ないのが西武線なのだ。それでちょっと乗ってみようかなと思い立ったものの池袋は遠く、新宿は最近その人混みに体が拒否反応を示すようになっている。それで高田馬場を起点にして、地図を見ると新井薬師前駅から西南に商店街が続き、そのまま中央線中野駅まで歩けそうである。
 東西線高田馬場駅から人混みに押されるように西武新宿線高田馬場駅に乗り替える。この界隈に来るのもかれこれ20年振りか? 昔はごみごみと薄汚れていたのが、なんだか整然としてオシャレな店が並んでいる。なんだか味気なくなったなと思ったが拝島行き各駅停車に乗り込んだ途端にローカルな気分になってきた。下落合は学徒援護会のあったところ、考えてみるとアルバイトを探しになんどか下りている。中井駅をすぎて新井薬師に到着、ほんの数分の電車旅である。

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 新井薬師前駅から新井薬師に向かう商店街は思った以上に古めかしい情緒のあるもの。駅からほんの数歩で激しく汚いとんかつ屋が正面に出現する。「とんかつ」の文字は一カ所にうす汚れてあり、それ以上に「美容院ビセンテ」だとか「漢方薬水仁堂」、「エレクトーン教室」、スナックのカンバンなどがランダムに張り付いている。このカンバンが古びてさび付いて、すり切れてしまって、「まだやっているのか」このカンバンの店? という疑問が湧いてくる。めくれたボロ切れのような暖簾の奥に客らしい人影をみて営業中であるらしと思えて、これはいきなりとんかつでも食いたい気分にかられる。
 商店街の左右にある店はどれも個人商店ばかりで、これはまさに昭和の香りが残存している。
 洋品店や和菓子屋、とあって豆腐屋を見つけた。中をのぞいて出てきたオヤジさんがなんともいい感じだ。ここで豆腐一丁と初めて見る納豆を買う。

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「これが本当の豆腐の味だから」。豆腐を一切れ手のひらにのせてもらって、これが絶品

 右左右左とウロキョロみて、密度の濃い商店街にやや疲れてきたときに、またまた見つけたのが履き物屋である。この店、間口は狭いがサンダル類の品揃え恐るべし。多摩地区のスーパーでなど足元にも及ばない魅力的なサンダルがいっぱいつり下がり、山積みになり、見ていてクラクラする。

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 製麺屋があるのもいい商店街の証拠。海産物の店があって、右手に都心部に多いスーパー「丸正」。ここに信号があり、右手が新井薬師のようだ。新井薬師に行くという手もあるのだが正面に魅力的なものを発見。

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 信号を渡ってこの『やきとり 金亀』ホッピーで喉を潤す。塩っ辛いモツ煮込みにホッピーがうまいぞ。

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外はまだ明るい。いけないオヤジの昼酒なのだけど、うまい

 通り沿いには中華料理店、食堂、居酒屋など飲食店が多く、どれも魅力的だ。特に「中華定食 冨士」というのがいい感じというか思わずオヤジが引き込まれそうな店なのだが「準備中」の札が下がっている。もう暮れなずむ頃、そろそろ営業してくれ。

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この店、『大衆食堂の研究』のエンテツ(遠藤哲夫)さんに教えてあげたい

 そのまま道はやや細くなるが商店街は続く、ここで見つけたのが大学芋も売っている魚屋。脇に回るとウナギの蒲焼きを焼いて売っている。アサリ、シジミにドジョウ、ウナギとあるのは昔川魚専門だったのではないか。

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 そしてこんどは大きな魚屋、大きな文字で「大浅」とあって品揃えが凄い。活けのズワイガニや殻付きのカキ、アカガイにタイラギまである。刺身も豊富なのだが、あんまり夢中になってしまって、店の方に怪しいと思われたようだ。

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 そこからほどなくして中野駅に向かう中野通りに出た。

 そう言えば、中野は20年振りになる。早稲田通りはアルバイトに通った道。これがなんだか明るくオシャレになっているし、中野サンプラザの手前にビルが増えた。ここで昔通っていたつけ麺屋「栄楽」が健在なのを確認。また美しい日本家屋であった豆の『但馬屋』がビルに押し込められてしまっているのを見て、無駄歩きは終了となる。

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