飯能に祭があると知って姫を連れて八高線に乗り込んだ。どうもこの日、埼玉県の数カ所でお祭りがあるらしい。ところが車内はガラガラ。いつもの八高線の長閑さである。目の前にはユダヤ系らしきアメリカ青年がいる。姫が車内で暴れ回っているのを尻目にじっと正面を向いたまま。ほとんど瞬きもしない。東福生で電車を降りた。
ゆっくりと狭苦しい軌道の上を走る電車の前面に広がる緑は濃く、そしてどこか暗い。梅雨の真っ盛りの感をいだき寂しくなる。金子という駅に着いて駅から出る人をみて雨が止んだことを知る。そして東飯能に到着する。
10時半過ぎ。東飯能は思ったよりも寂しく、飯能市の中心が西武線飯能駅にあるのがわかる。
駅を下りるとロータリーがある。左手にファミリーマート、その前に子供が数人見られるが、お祭りがあるなんていう雰囲気はない。ロータリーからそのまま中央通りというのを西に歩く。この通りがどうにも不思議である。飯能の繁華街、商店街を作り上げているのは、ここと南側に平行に走る飯能銀座商店街、駅に続く南北の駅前通。この3つが3つともほどほどにクルマの往来が激しいが、どれひとつとして幹線だとは思えない。どうも飯能は幹線道路から外れた行き詰まりの場所にあるのが町中にあってもわかる。それでは、この賑やかで古い町筋はどうやって形成されたのだろう。
街には蔵や古い建物が多く残っている。これは川越ほどではないにしても歩いていて楽しい。この町の繁栄は地図を見る限り秩父からの材木などの集積地としてのものではないだろうか? 秩父の産物というと石灰と木材であろう。これは寄居まで下るのか、飯能に下るのか? この辺のことは少しずつ調べていきたい。また現飯能市は埼玉県にあっても広大な市であるが、ボクのこの文章中の「飯能」は明らかに旧飯能町の話である。
提灯、傘を専門に売る店というのもいまどき珍しいのではないか? ひょっとしたら提灯を作っているんだろうか? ボクの生家でも提灯を作っていた
飯能の通りは長く、そして商店がまだ健在だ。中央通りには古い和菓子屋、傘屋などが残っている。
駅前通にぶつかって西武飯能駅前で銀行に立ち寄る。この駅周辺はありふれた近郊都市のものであり、チェーン店が目立ち、つまらない。フライドチキンやドーナッツ屋があるなかを浴衣姿の娘を見つけて姫が「かわいい」と言う。この浴衣姿にやっと祭らしさを見る。そのまま飯能銀座商店街の駅前通から西側を歩く。
ここは一方通行のためかクルマの往来が少なく、とても歩いていて楽しい。
まず左手の『まるしん』という食料品店に目を奪われる。何度見ても見事である。たぶん出来た当初は他を圧する新進の建物であっただろう。店の正面右側が総合食料品店、左側が喫茶店であった。喫茶店は文字だけしか残っていない。この建物で惹かれるのが建物上方の「丸に新」の赤いロゴ。またそれ以上にいいのが階上が住居スペースであること。ボクも片田舎の商店街に生まれているので、こんな建物を見ると、ついその暮らしを思い浮かべてしまう。
道の左手には『杉山フルイ店』。店先には多種多様な竹製品。またこの店は釣具店であるらしく店の正面に「ハヤ、ヤマベ竿、山女竿、鮎竿、鮎毛鈎、入漁券(年券、日釣券)有ります」と書かれている。「鮎毛ばり」があるということは入間川ではどぶ釣りができるのだろう。また最近いろんな町を歩いていて気がついたこと。「竹カゴなどを売る店が釣り具を売っている」ことが多々あるように見受ける。どうも釣具屋というのは竹製品とイコールであったわけで、このあたりも気になる。
そして『杉山フルイ店』の前には和菓子屋の『丸米 伊勢屋』。ここで姫と団子を食べる。姫もボクも醤油味の団子が大好きだ。その醤油味に2種類あり、「むらさき」と「久下(くげ)」というもの。「むらさき」が醤油味なのはわかるとして「みたらし」が「久下」というのは知らない。調べてみると飯能市入間川河畔に「久下」という地名があり、なにか関係があるのだろうか? この「むらさきだんご」が醤油辛くてうまいのだが、姫はひとつだけ食べてあとはくれた。
「久下(くげ)だんご」=「みたらしだんご」というのが面白い
右手に『マキタ』という時計店。この個人商店の時計店が今では希少である。その隣にモルタルの長屋風の建物があり『吉川理容店』。ボクの次回の目的はここで散髪してもらうことに決めてしまいたい。でもそうそういいタイミングで飯能に行けるだろうか。
前回豆腐を買った『とんき食品』がある。今回の飯能で大発見があり、それがこの『とんき食品』と関わることであった。それから自家でお茶を焙じている『安田園』を過ぎると目の前が急に夏祭りらしくなった。