子供の頃、初めてインスタントラーメンを食べたのはやはり日清のチキンラーメンであって、次ぐのがエースコックのワンタン麺、そして明星食品の「チャルメラ」かな。これらは昭和30年代の終わりから昭和40年代にかけての出来事であった。面白いのは総てテレビコマーシャルで鮮明に覚えていることだ。すなわち、この頃からお菓子でも、このインスタントラーメンでも、カレーでも全国的に出回るもの総てがテレビコマーシャルと同時に発売、地方にも出回ったのだ。でもまあ四国の山奥に暮らしているとこの箱の中の世界はなんとまあ華やかで別世界であったことか。
そんなときあか抜けないパッケージで登場したのが徳島製粉の「金鶴ラーメン」である。そしてこの「金鶴ラーメン」というのが「金ちゃんラーメン」と名を変えたのと同時に徳島のローカル局(四国放送)に唐突にコント55号が登場してきてきた。覚えているのはこれが「白黒」であったということ。我が家にカラーテレビが入ったのが中学の頃だが、万博はカラーで見ている。そして「金」がつく製品なので萩本欽一ひとりがコマーシャルに出るように変わったと記憶するが間違っているかも知れない。
コント55号の全盛期というのは1960年代終わりから数年ではないだろうか? 徳島県人としては地元徳島製粉の「金鶴ラーメン」のコマーシャルにふたりが出てきたのにはかなり驚いた。どういった経緯で徳島という非常にローカルな地にあるメーカーのコマーシャルに当時人気絶頂のふたりが登場してきたのだろう。いつのころだろう、地元徳島県美馬郡貞光町の食料品店でも徳島製粉の「金鶴ラーメン」があって、そしていつの間にか「金ちゃんラーメン」と名を変えたものが大手のものと同等に並ぶようになったと思う。と言うことは初めて徳島製粉のインスタントラーメンを見たのは40年も前のことだろうか?
初めて食べた時点では間違いなく「金鶴ラーメン」という名であった。他の大手のものより格安だった。これがどうしようもなくまずかった記憶がある。学校などでもそのまずさが話題になってなっていた。でもこれは他のメーカーが「全国放送」(四国放送じゃないということ)でコマーシャルを流していたのに対しての地元卑下の意識であったかも知れない。
そして日清が1971年に発売したのがカップヌードルである。当初、これは大阪でしか手に入らなかったはずだ。それがテレビの人気番組に「ヤングおー! おー!」というのがあって繰り返し繰り返しカップヌードルという未知の食品を宣伝する。でもだれも食べたことがない。兄などは「ヤングおー! おー!」のカップヌードルプレゼントに何度かチャレンジしていたのだが、当たらなかった。
そんなカップヌードルが珍しくなくなったときに徳島製粉からもカップ麺が出た。それが「金ちゃんヌードル」なのだ。実をいうと今回なぜか静岡県沼津市の「ユーストア」というスーパーで見つけたのだが、それで久しぶりに食べたのだが、たぶんこれが2度目くらいだと思う。なぜか20代、30代とインスタントを嫌悪していた時期があって実家からときどき送られてくるインスタント麺すら食べないでいたのだ。これは人生に置いて大失敗だったかな。
さて、その「金ちゃんヌードル」の味わいだが思ったよりうまい。比較的あっさりしているのは徳島の風土のなせる技。京都の「はんなり」というが徳島も意外に「はんなりしとるんじゃ」。まあ感激するほどではないが、嫌みのない食べ飽きないものとなっている。しかし「金鶴ラーメン」また食べてみたいな。
●今回、徳島製粉の「金ちゃんヌードル」を購入したのは静岡県沼津市の「ユーストア」という大型スーパーである。どうして静岡に徳島ローカルな「金ちゃんヌードル」があるのだろう? 不思議だ。このカップ麺を買ったのが家人であり、残念ながら「金ちゃんラーメン」を売っていたのかどうかわからない。次回は必ず調べてみるつもり
●これは止む終えず、「お魚三昧日記」から移動したものです。コメントをいただいた方には申し訳ありません。